たーくんの『ダ・ジャレ』の部屋

高尚な?ダジャレを書いています。

1月11日は「鏡開き」・「蔵開き」・「塩の日」・「厚生省発足記念日」

2009年01月11日 | Weblog
「鏡開き」
 正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べて、一家の円満を願う行事だよ。 武家
 社会の風習だったものが一般化したんだ。 刃物で切るのは切腹を連想させるため、手や木
 鎚で割ったり、砕いたりするんだって。 また、「切る」という言葉をさけて、「開く」という縁起の
 良い言葉を使っているの。 
   鏡餅は年神様へのお供え物だから、年神様が帰る11日迄は食べてはいけないの。
   それで、年神様がいる間は 食べるのを「マツ の内」と言うんだよ。
   それと、女性は鏡を使って化粧が出来ないから、みんな ミラー れない顔になって
   いるんだ。


「蔵開き」
 商売をする家で、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈りんだ。
   戸が重い蔵もあってね、開けるのに苦労してクラクラ になるんだって。 それと、
   中はクラ いから歩くのに気をつけてね。


「塩の日」
 1569(永禄11)年のこの日、上杉謙信が塩不足に悩む宿敵・武田信玄に塩を贈ったとされ
 ているんだ。
  1567年、武田信玄は今川氏との同盟を破棄して、東海方面への進出を企てたんだけど、
  それに怒った今川氏は北条氏と協力し、武田領内への「塩留め」を行ったんだね。 武田の
  領地は甲斐・信濃(現 山梨・長野)で、海に面していなかったため塩を取ることが出来ずに
  領民は苦しんだんだって。 この事態を知った上杉謙信は、武田の領民の苦しみを見過す
  ごすことが出来なく、塩を送ったんだね。 このことから、敵対関係にある相手でも、相手が
  苦しい立場にあるときには助けてあげることを「敵に塩を送る」と言うようになったんだね。
   上杉は「シオ がないなぁ」と言って送ったそうな。 受取った武田の方は、「敵に
   こちらの状態をさとられていたとは、ショッパイ したなぁ」とつぶやいたとか。


「厚生省発足記念日」
 1938年、戦局拡大で国民の体力向上を図るために厚生省(現 厚生労働省)が発足したの。
   あの ショウ(省) も無いところだよ。 「パソコンにプログラムを入れる時も、ああ
   せい コウセイ、ロード シヨウ 」と指示しても動けない集団だから、お大臣は
   これからも苦労が マスゾエ


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