「グアム島で横井庄一さん発見」
1972年、グアム島で元日本兵の横井庄一さんを、現地の人が発見したんだ。
1941年に太平洋戦争のため召集され、1944年からグアム島の歩兵第38連隊伍長
(後に軍曹)として配属されていたけど、日本軍が無条件降伏したことを知らされなかっ
たため、ジャングルや自ら作った地下壕(深さ3mの横穴式住居)で生活していたんだ。
ある日、食糧探しにジャングルを出たときに拾った新聞で日本が負けたことを知ったが
大和心で散れと軍隊で教えられ、どうしてもこわくて出て行かれなかったそうな。
木の実や川魚、さらにはネズミ、コウモリを食べて生きながらえていたんだけど、食料調
達のため川でエビを採っていたところ現地の猟師に発見され、日本に帰還したんだよ。
(当時57歳)
軍事教育を受け育った横井さんは、「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけて行ったと
いう記憶がしっかりとあったため、帰国の際の第一声は
「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」
というもので、「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となったんだよ。
帰国後は、結婚もして、自身のグアムでのサバイバルについての耐乏生活評論家として
全国各地を講演して回る生活だったけど、82歳の1997年に心臓発作で亡くなったの。
お国そして天皇のために身を捧げ、大和心で散れと教えられてきた横井さんは、
「隠れている日本兵さーん、何し テンノウ(てるの←天皇) 出てきてー」と言わ
れても、『出ようかな、いヤマトゴコロ(や待とう、殺←大和心) されるかもしれ
ない』と考えたんだね。
出て行けば、早く コウフク(幸福←降伏) になれたのにね。
地下壕は ヨコイ(横に←横井) 伸びたりっぱな穴だったけど、食べていたのは
ネズミやコウモリだよ。 当然歯磨きなんて無いから、食後はグアム(ガム) を
噛んでいたのかな。
1972年、グアム島で元日本兵の横井庄一さんを、現地の人が発見したんだ。
1941年に太平洋戦争のため召集され、1944年からグアム島の歩兵第38連隊伍長
(後に軍曹)として配属されていたけど、日本軍が無条件降伏したことを知らされなかっ
たため、ジャングルや自ら作った地下壕(深さ3mの横穴式住居)で生活していたんだ。
ある日、食糧探しにジャングルを出たときに拾った新聞で日本が負けたことを知ったが
大和心で散れと軍隊で教えられ、どうしてもこわくて出て行かれなかったそうな。
木の実や川魚、さらにはネズミ、コウモリを食べて生きながらえていたんだけど、食料調
達のため川でエビを採っていたところ現地の猟師に発見され、日本に帰還したんだよ。
(当時57歳)
軍事教育を受け育った横井さんは、「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけて行ったと
いう記憶がしっかりとあったため、帰国の際の第一声は
「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」
というもので、「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となったんだよ。
帰国後は、結婚もして、自身のグアムでのサバイバルについての耐乏生活評論家として
全国各地を講演して回る生活だったけど、82歳の1997年に心臓発作で亡くなったの。
お国そして天皇のために身を捧げ、大和心で散れと教えられてきた横井さんは、
「隠れている日本兵さーん、何し テンノウ(てるの←天皇) 出てきてー」と言わ
れても、『出ようかな、いヤマトゴコロ(や待とう、殺←大和心) されるかもしれ
ない』と考えたんだね。
出て行けば、早く コウフク(幸福←降伏) になれたのにね。
地下壕は ヨコイ(横に←横井) 伸びたりっぱな穴だったけど、食べていたのは
ネズミやコウモリだよ。 当然歯磨きなんて無いから、食後はグアム(ガム) を
噛んでいたのかな。
I+W+A+S+A+A(26)+A(11)+A(1)+A(9)
となります。
B 2
C 3
D 4
E 5
F 6
G 7
H 8
I 9
J 10
K 11
L 12
M 13
N 14
O 15
P 16
Q 17
R 18
S 19
T 20
U 21
V 22
W 23
X 24
Y 25
Z 26