僕の知り合いが出演している関係で、横浜にチェルフィッチュという劇団の芝居を観に行った。
劇場は僕が過去三回公演したことのある劇場で、でもよく考えてみたら客として観に行くのは初めてだった。
この劇団のすごいところは、劇中に変則的と言ってもいいほど突然に役が変わることだ。二人が話していて、突然役が交代することもある。それで、どうやってその役の一つ一つの性格を現すのかというと、その人の話すときの癖なのである。それがすごく面白い。
話すときのしぐさで人格が変わる瞬間を見ている感覚は、夢を見ているときの感覚と似ている。
まぁ全編を通してそういった調子で進んでいくものだから夢を見ているくらい退屈なのだけど。
ま、前衛的なものって凡そ退屈なものだ。
で、僕は退屈なものってもともと嫌いじゃないんだよね。
映画で言うとリチャード・リンクレーターの作品とか、音楽で言うと後期ビーチ・ボーイズとか。
緻密に構築された現代語による台詞の洪水は、リンクレーターの映画の特徴だし、音にするとブライアン・ウィルソンのクラシックのように細かい音作りの手法にも似ている。
それを裏付けるかのように、客入れの曲はブライアン・ウィルソンの「スマイル」、休憩のときはビーチ・ボーイズの「スマイリー・スマイル」、客出しは「ペット・サウンズ」だった。
もしやと思って、「演出の人ってリンクレーターの『ウェイキング・ライフ』とか知ってるかな?」とその役者に聞いてみたら、案の上好きみたいだった。
ただ、ひとつ気になったのは、こういうのって思いっきり演劇好きな人たち向けなんだよね。
お客さんも「いかにも」って感じの人たちで、僕がクスリとも笑えないようなとこでインテリっぽい笑みを浮かべてる。
はっきり言ってカッコ悪いんだよな、そういうの。そうすると芝居もカッコ悪く見えてくる。
現代語を使って相手を傷つけないようにしゃべる役者の様が泣きたくなるくらいカッコ悪いのだ。
ブライアン・ウィルソンのアルバムを聞いて恍惚とした表情をしている僕みたいにカッコ悪い。
少なくとも、僕は出たくないなあ、そんな芝居。
劇場は僕が過去三回公演したことのある劇場で、でもよく考えてみたら客として観に行くのは初めてだった。
この劇団のすごいところは、劇中に変則的と言ってもいいほど突然に役が変わることだ。二人が話していて、突然役が交代することもある。それで、どうやってその役の一つ一つの性格を現すのかというと、その人の話すときの癖なのである。それがすごく面白い。
話すときのしぐさで人格が変わる瞬間を見ている感覚は、夢を見ているときの感覚と似ている。
まぁ全編を通してそういった調子で進んでいくものだから夢を見ているくらい退屈なのだけど。
ま、前衛的なものって凡そ退屈なものだ。
で、僕は退屈なものってもともと嫌いじゃないんだよね。
映画で言うとリチャード・リンクレーターの作品とか、音楽で言うと後期ビーチ・ボーイズとか。
緻密に構築された現代語による台詞の洪水は、リンクレーターの映画の特徴だし、音にするとブライアン・ウィルソンのクラシックのように細かい音作りの手法にも似ている。
それを裏付けるかのように、客入れの曲はブライアン・ウィルソンの「スマイル」、休憩のときはビーチ・ボーイズの「スマイリー・スマイル」、客出しは「ペット・サウンズ」だった。
もしやと思って、「演出の人ってリンクレーターの『ウェイキング・ライフ』とか知ってるかな?」とその役者に聞いてみたら、案の上好きみたいだった。
ただ、ひとつ気になったのは、こういうのって思いっきり演劇好きな人たち向けなんだよね。
お客さんも「いかにも」って感じの人たちで、僕がクスリとも笑えないようなとこでインテリっぽい笑みを浮かべてる。
はっきり言ってカッコ悪いんだよな、そういうの。そうすると芝居もカッコ悪く見えてくる。
現代語を使って相手を傷つけないようにしゃべる役者の様が泣きたくなるくらいカッコ悪いのだ。
ブライアン・ウィルソンのアルバムを聞いて恍惚とした表情をしている僕みたいにカッコ悪い。
少なくとも、僕は出たくないなあ、そんな芝居。