知ってのとおり、ポンチョムとは雨の日にしか現れない動物で、僕が最後に彼ら(二匹連れ添って歩いていた)の姿を見たのも一年ほど前のやはり雨の日だった。
僕が銀色の傘を差してさらさらと雨風に揺れる砂漠のような麦畑を横切っている最中のことだったと記憶している。麦畑の中で僕の足首から膝までの程度の背丈しかないポンチョムの姿をはっきり見定めることは至難の業だったけれども、僕は一応ポンチョムに関しては小さいころから度々目撃していたこともあり、なんとか彼らのそわそわした二本の尻尾の動きを認めることができた。
僕がポンチョムに関して供述できることは少ないが、彼らの姿は僕に足の短いイギリスの老紳士を思わせる。それに彼らは往々にして黒い毛皮と短い足でひょこひょこ移動する。ポンチョムがなぜ雨の日にしか出現しないのかは謎で、いくつかの頼りない説があり、現在でも多くの学者の論争の的となっている。僕個人としては昔ポンチョムの銀色の斑点の付いた尻尾を婚礼の儀式に好んで使っていたインディアンの部族が存在したため、という説を信じている。ポンチョムの尻尾はものもちが非常に悪い上に、迷信深いこのインディアンの部族は雨の日に婚礼の儀式は行わないからである。
そんなわけで僕が再びポンチョムのすがたを見かけたのは、つい先週の金曜日のことだった。僕はちょうどある女の子と渋谷の町を歩いており(僕は夜にある秘密の会合までの時間つぶしだったし彼女は夕方の彼氏とのデートのリハーサルだった)、小さなイギリス人の紳士は彼女の足から数えて7,8本目の足の間にちらちらと姿を見せていた。
「あれ、ポンチョムじゃない?」僕はためしに彼女に訊いてみた。
「ポンチョムって?」彼女は不思議そうな顔をした。
やれやれ、僕が彼女にポンチョムについて講義している間に奴がどこかに行ってしまうかもしれないじゃないか。
「ポンチョムはポンチョムさ。映画にもなっただろ?なんていったっけ、あの少年アベベと雨の日にしか出現しない動物の話、、、」僕は彼らの姿を見失わないようにしどろもどろになりながら言った。
「知らないわ。あなたが見たのはきっとイギリス人の紳士よ。」
「まさか。」
僕がポンチョムと老紳士を間違えるだって?馬鹿げている。仮に僕が見たのがイギリス人の紳士だったにせよ、それはポンチョムが現れた重大な証拠だ。渋谷の町のいったいどこにイギリス人の老紳士なんかがいる?もしも誰かが渋谷の町でイギリス人の老紳士らしいものを見かけたとすれば、それは十中八九ポンチョムだろう。
「とにかく、」僕は行った。「僕はポンチョムを確認する義務がある。」
僕は彼女をその場に残してポンチョムの後を追った。僕は不思議の国のアリスを思い出した。白兎の道の先には歪められた幻想が待っていたが、僕の知る限りポンチョムの後を追った人間なんていない。ポンチョムは窓の外の鳥でさえも関心を怠る動物であるのだ。誰も雨の日の動物になんて気にも留めない。
ポンチョムは鉄橋の下を潜り抜け、眼鏡屋さんの店の中を通って、電気屋さんの裏で止まった。僕もヒーターの後ろに隠れて止まった。
「私をつけているんだろう?」ポンチョムは言った。
僕はまさか彼が語りかけてくるなんて思っていなかったし、それにあまりにも落ち着いた物腰だったので正直ものすごくびっくりした。ポンチョムの銀色の毛の生えた尻尾は神経質そうに上下に動いていた。
「ポンチョム、だよね?」僕は恐る恐る訊いた。彼女を置いてきてよかった。僕がこんなに小心者だなんて知られたくないからね。
「だとしたら?サインでも欲しいかね?」彼は冷たく返した。まるで私にかまわないでくれ、とでも言っているようだった。少年アベベの物語はおそらく随分と脚色されたものに違いない。
「いえ、僕はあなたに訊きたいことがあって来たんだ。」僕は言った。
「質問によっては答えよう。」彼は慎重に答えた。「人生に何故矛盾が多いのかなんて私は知らんがね。」
「いえいえそういうことじゃないんです。」僕はあわてて言った。機嫌の悪いときのポンチョムときたら、それはそれはものすごく冷たいのだ。たしかに渋谷の雑踏の中を16ブロックも後をつけられたポンチョムが機嫌のいいわけがない。そのくらい僕にもわかる。
「カモとカモメ戦争において、ポンチョムが果たした役割について伺いたいんです。」僕の質問に彼の表情が急に明るくなった。プライドの高いポンチョムの自尊心をくすぐるには充分な質問だった。
「それは良い質問だな。カモとカモメ戦争の長い歴史の中でポンチョムの果たした役割というのは羊たちに比べると軽視されがちであるのだが、ポンチョムという動物は実に諜報能力に優れた動物であり、マヤッチョの…」傘を持っていない僕は彼に聞かれないようにため息をついた。僕の質問はいささか雨の日には長すぎたようだ。
「…というわけで、イヌワシの勢力は激減し、それで羊たちは自分たちの背丈よりも深い穴を掘れなくなってしまったのだ。あとの流れはもちろん知っておるね?」
「はい。もちろんです。」僕は答えた。実はカモとカモメ戦争の終結について僕はあまり詳しくは知らないのだが、それは今度長老に訊いてみることにしよう。
「じゃ、もうよかろう。私はこれで。」ポンチョムはくるっと後ろを向いた。
「あ、最後に訊ねていいですか?」僕は帰りかけたポンチョムの背中に語りかけた。
「なんじゃ?」
「なぜ、ポンチョムは雨の日にしか活動しないのですか?」僕は肝心な質問を投げかけた。
ポンチョムは立ち止まって振り返った。黒く短い毛は路地裏の雨にぬれて雫がこぼれ落ちていた。
「誰が雨の日にしか活動しない動物を気にする?」
ポンチョムの去ったあとには何も残らなかった。ポンチョムの影は限りなく幻想に近く、白兎の走り去るそれに似ていなくもなかった。
僕が銀色の傘を差してさらさらと雨風に揺れる砂漠のような麦畑を横切っている最中のことだったと記憶している。麦畑の中で僕の足首から膝までの程度の背丈しかないポンチョムの姿をはっきり見定めることは至難の業だったけれども、僕は一応ポンチョムに関しては小さいころから度々目撃していたこともあり、なんとか彼らのそわそわした二本の尻尾の動きを認めることができた。
僕がポンチョムに関して供述できることは少ないが、彼らの姿は僕に足の短いイギリスの老紳士を思わせる。それに彼らは往々にして黒い毛皮と短い足でひょこひょこ移動する。ポンチョムがなぜ雨の日にしか出現しないのかは謎で、いくつかの頼りない説があり、現在でも多くの学者の論争の的となっている。僕個人としては昔ポンチョムの銀色の斑点の付いた尻尾を婚礼の儀式に好んで使っていたインディアンの部族が存在したため、という説を信じている。ポンチョムの尻尾はものもちが非常に悪い上に、迷信深いこのインディアンの部族は雨の日に婚礼の儀式は行わないからである。
そんなわけで僕が再びポンチョムのすがたを見かけたのは、つい先週の金曜日のことだった。僕はちょうどある女の子と渋谷の町を歩いており(僕は夜にある秘密の会合までの時間つぶしだったし彼女は夕方の彼氏とのデートのリハーサルだった)、小さなイギリス人の紳士は彼女の足から数えて7,8本目の足の間にちらちらと姿を見せていた。
「あれ、ポンチョムじゃない?」僕はためしに彼女に訊いてみた。
「ポンチョムって?」彼女は不思議そうな顔をした。
やれやれ、僕が彼女にポンチョムについて講義している間に奴がどこかに行ってしまうかもしれないじゃないか。
「ポンチョムはポンチョムさ。映画にもなっただろ?なんていったっけ、あの少年アベベと雨の日にしか出現しない動物の話、、、」僕は彼らの姿を見失わないようにしどろもどろになりながら言った。
「知らないわ。あなたが見たのはきっとイギリス人の紳士よ。」
「まさか。」
僕がポンチョムと老紳士を間違えるだって?馬鹿げている。仮に僕が見たのがイギリス人の紳士だったにせよ、それはポンチョムが現れた重大な証拠だ。渋谷の町のいったいどこにイギリス人の老紳士なんかがいる?もしも誰かが渋谷の町でイギリス人の老紳士らしいものを見かけたとすれば、それは十中八九ポンチョムだろう。
「とにかく、」僕は行った。「僕はポンチョムを確認する義務がある。」
僕は彼女をその場に残してポンチョムの後を追った。僕は不思議の国のアリスを思い出した。白兎の道の先には歪められた幻想が待っていたが、僕の知る限りポンチョムの後を追った人間なんていない。ポンチョムは窓の外の鳥でさえも関心を怠る動物であるのだ。誰も雨の日の動物になんて気にも留めない。
ポンチョムは鉄橋の下を潜り抜け、眼鏡屋さんの店の中を通って、電気屋さんの裏で止まった。僕もヒーターの後ろに隠れて止まった。
「私をつけているんだろう?」ポンチョムは言った。
僕はまさか彼が語りかけてくるなんて思っていなかったし、それにあまりにも落ち着いた物腰だったので正直ものすごくびっくりした。ポンチョムの銀色の毛の生えた尻尾は神経質そうに上下に動いていた。
「ポンチョム、だよね?」僕は恐る恐る訊いた。彼女を置いてきてよかった。僕がこんなに小心者だなんて知られたくないからね。
「だとしたら?サインでも欲しいかね?」彼は冷たく返した。まるで私にかまわないでくれ、とでも言っているようだった。少年アベベの物語はおそらく随分と脚色されたものに違いない。
「いえ、僕はあなたに訊きたいことがあって来たんだ。」僕は言った。
「質問によっては答えよう。」彼は慎重に答えた。「人生に何故矛盾が多いのかなんて私は知らんがね。」
「いえいえそういうことじゃないんです。」僕はあわてて言った。機嫌の悪いときのポンチョムときたら、それはそれはものすごく冷たいのだ。たしかに渋谷の雑踏の中を16ブロックも後をつけられたポンチョムが機嫌のいいわけがない。そのくらい僕にもわかる。
「カモとカモメ戦争において、ポンチョムが果たした役割について伺いたいんです。」僕の質問に彼の表情が急に明るくなった。プライドの高いポンチョムの自尊心をくすぐるには充分な質問だった。
「それは良い質問だな。カモとカモメ戦争の長い歴史の中でポンチョムの果たした役割というのは羊たちに比べると軽視されがちであるのだが、ポンチョムという動物は実に諜報能力に優れた動物であり、マヤッチョの…」傘を持っていない僕は彼に聞かれないようにため息をついた。僕の質問はいささか雨の日には長すぎたようだ。
「…というわけで、イヌワシの勢力は激減し、それで羊たちは自分たちの背丈よりも深い穴を掘れなくなってしまったのだ。あとの流れはもちろん知っておるね?」
「はい。もちろんです。」僕は答えた。実はカモとカモメ戦争の終結について僕はあまり詳しくは知らないのだが、それは今度長老に訊いてみることにしよう。
「じゃ、もうよかろう。私はこれで。」ポンチョムはくるっと後ろを向いた。
「あ、最後に訊ねていいですか?」僕は帰りかけたポンチョムの背中に語りかけた。
「なんじゃ?」
「なぜ、ポンチョムは雨の日にしか活動しないのですか?」僕は肝心な質問を投げかけた。
ポンチョムは立ち止まって振り返った。黒く短い毛は路地裏の雨にぬれて雫がこぼれ落ちていた。
「誰が雨の日にしか活動しない動物を気にする?」
ポンチョムの去ったあとには何も残らなかった。ポンチョムの影は限りなく幻想に近く、白兎の走り去るそれに似ていなくもなかった。