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デイドリームをつかまえて

裕樹の日記PART?

祝!デスクトップ復活!

2005年01月21日 00時50分44秒 | LIFE EXPERIENCE
ここのところ家のパソコンが壊れてて、のっぴきならない状況だったのだが、今日の昼に思いがけなく回復した。
本当は年末のあたりからデスクトップは壊れていたのだけど、僕のラップトップにインターネットをつなぐことで全然間に合っていたので放っておいたのだ。
しかし、今週明けくらいからラップトップの方も調子が悪くなって、ほとんど使えなくなってしまい、さすがの僕もあせった。で、今朝修理のためにカスタマーセンターに電話したのである(ま、もっと早くすればよかった話なんだけどね)。
何日か前にラップトップ(NEC)のカスタマーセンターにも電話したのだが、そこの対処してくれたお兄さんは、結局「悪いとこがわかったらまた電話してね。」的なことを言って切ってしまった。僕は何も考えずに「はい。ありがとうございます。」なんて言ってしまったのだが、後でよく考えて「バカヤロー!全然わかんねーよ!修理に出すっつってんだから取りに来やがれこのうすらトンチキ!」と電話口に怒鳴ってしまった。電話もう切れてたけどね。
それにくらべてSONYのカスタマーセンターのお姉さんは親切だった。「大変申し訳ありませんが…」とか「大変お手数なのですが…」とか言葉の冒頭につけて丁寧に説明してくれた。いや、それでも要約すれば「リカバリCD使えっての!」ってことだったんだけどね。

で、その手順どおりに動かしたらこのパソコンもやっと言うことを聞いてくれて今こんな時間にブログの更新もできるようになったわけなんですよ。
でも、ああいうカスタマーセンターの人って大変だと思うわけよ。
俺が担当だったら絶対「あ、電波の調子悪いみたいですねー…もしもーし!」とか言って切っちゃうよ。そりゃうつ病にもなるよ現代人。

でもたぶんあの女の人もお昼休みにビルの屋上でタバコをぷぅーっとふかしながら言ってるんだろうね。
「まったくなんでアタシがあんなアホユーザーの相手しなきゃいけないのよ。リカバリできるなら修理センターなんかに電話してくんなっつーの!」
ほんと、すまんね。

チケット販売促進課最所裕樹支部より

2005年01月18日 15時35分15秒 | LIFE EXPERIENCE
さて、またまた近付いて参りました、僕の所属劇団のオリジナル公演。
詳細は追ってお知らせしますが、このチケット販売促進課最所裕樹支部、早くも大ピンチです。
いや、売ってるんです。破竹の勢いで売りまくっているのです。
もう何年も連絡取ってない人に電話、メールし、出会う人出会う人に見境なく売りまくっています。
しかしです。今回のチケットノルマ、100枚なのです。
タイプミスじゃありません。ひゃくまいです。
今、まだ23枚。
しかもおかんの分入れて23枚です。ここらへんにギリギリ感漂ってます。
ああ、言いましたよ。確かに言いましたよ、年末に。「おお100枚くらい売ってやるよコラぁ!」と。
上にも書いたけど営業しまくってます。チケット渡されて一週間で23枚。これはけっこう凄いと思う。「嘘月」のときのノルマ30枚でヒーヒ-言ってた頃の僕とはひと味違います。
でも、公演まであと3週間。このペースで行ってもギリギリ足りません。
マラソンの最初の5キロで本気モードで走って5000メートル自己新を出してしまった気分です。
今かなりネタ切れです。ダチョウ倶楽部と同じレベルのネタ切れです。

しかも、仲の良かった女の子にチケット連絡したらメールアドレス変えられてました。

僕:「この間、公演が終わったばかりなんだ。」
女:「えー、私知らなかったわよ。」
僕:「ごめん、演出のスズキくんが呼んでると思ったんだ。」
女:「知らないわよ。この次は絶対呼んでよね。」


本当は嫌われとったとですよ。

久し振りに電車の中で放心しました。立ち直れませんでした。
そういうことは言って欲しいです。でもやっぱり直接言われると傷付くから友だちづてとかで言って欲しいです。

こんな営業促進支部長を早く立ち直らせるためにも、僕に連絡ください。チケット買ってください。


あと、できればお友達とかも紹介してください。

書き癖2

2005年01月16日 09時57分34秒 | LIFE EXPERIENCE
この前、書き癖がないために僕は文章を書かないのだ!と偉そうに言い訳した僕だけど、一部間違い、というか描き足らない部分があったので、書き足しておく。
じゃあ、なぜ僕が急に書き癖をなくしてしまったのだろう、ということだ。
朝、めずらしく早く起きて、暇つぶしに本を読んで気づいた。

そうか、僕は本を読んでなかったんだ。
僕は旅行から帰って読む活字はほとんど脚本だったのだ。
脚本を読んでいると、基本的に僕は役者としてどう動くかしか考えていない。
本を読むとき僕は「僕だったらどういった書き方をするか」ということを考えるのだ。
そこから、僕は文章を書きたい欲求が生まれる。

思えば、このブログだって書き始めてからずっと「ビーチ」と「ファイト・クラブ」をむさぼるように読んでいた(ふたつとも映画の原作じゃねーかと言うなかれ、それを考慮してもめちゃめちゃ面白いのだ、この二つは)。
今日久しぶりに本を読んで、自分がまたすごく文章が書きたくなっていることに気づいた。

今、僕は書かなきゃいけない手紙が山ほどあって、そのうちの2、3通は英語の手紙である。
今まで、僕が英語の手紙を書きたがらないのはきっと面倒くさいからだろうと思っていた。
しかし、それは違う(たぶん)。
なにしろ、旅行先では僕はニュージャージーから来た女の子にナンパまでしてた(相手にもしてもらえなかったけど)。
たぶん英語の文章に接していないだけなのだ。

そう思って、英語で遊ぼう作戦その①:向こうで買ってきた英語の雑誌を読む。
なになに?
Crossing three continents to assess the impact of globalisation on vineyards and vintners,filmmaker Jonathan Nossiter discovers the grapes of wrath as Old World farmers clash with New World business strategies, deforestation and corporate corruption....
(おい、チビカメラや、葡萄が取れたよ、葡萄が。
なんだいファーマァーや、そいつぁ大発見じゃないかい。
今夜はびじねすじゃ、今宵もたっぷりとびじねすじゃ。)



ぐわぁ。

なんじゃもんじゃ?なんでこんな一文が長いんじゃ?俺、高校のときの長文読解思い出して一瞬錯乱しちまったよ。ちょいと無理しすぎてしまったようじゃ。

まだまだ僕は未知の領域に突入するよりは部屋の片付けに精を出しておいたほうがいいぜよ。

書き癖

2005年01月14日 02時14分02秒 | LIFE EXPERIENCE
しばらく旅行に行ってたこともあって、ブログの日記を更新できなかった。
戻ってきてのはすこし前だけど、しばらく日記を書かなかった。
なぜかって?
書き癖がなくなったからだ。しばらく文章を書かなかったら書き癖がなくなって文章を書かない自分に慣れてしまう。
まぁ、もっと書かないとまた書きたくなるんだけど。

旅行に行ってたときに、電車でボーっと窓の外の風景を見ていた。
外はかなり寒そうで、ときどき思い出したように落ちてるような池や沼には氷がはっていた。
水溜りやスティーブン・キングの小説に出てきそうな町並みを見ていると、突然手紙が書きたくなった。昔、同じように電車に乗って旅行したことがあって、そのときも特定の人にたいしてずっと手紙を書いていた。
もしかしたらそのときのことを思い出したのかもしれない。
とにかく、僕は無性に手紙が書きたくなって、昔イギリスで出会ったイクセターに住む女の子にせっせと手紙を書き始めた。
ところがである。日本に戻ってきて、また日常生活に戻ってしまうと、どうも手紙の続きを書く気が起こらないのだ。文章が英語であるせいもあるけど、どうもこれは主に書き癖の問題なんじゃないか、と思う。
旅行に行くと外部の刺激の方が強くて、嫌でも文章を書きたいという衝動があるものなんだけど、普段から文章を書くクセがなければ、文章を書かなくなってしまうのだ。

ちなみに僕は書かなくてはならない手紙が三通くらい溜まっている。はやくなんとかせねば…。

パトラ

2005年01月02日 02時47分23秒 | LIFE EXPERIENCE
パトラという名前はパトラッシュとクレオパトラから来た名前らしく、犬の名前としてはけっこう良いセンスなんじゃないか、と思う。そんなことはどうでもいいのだけど、パトラはうちに来てから結構長い。僕らが小学校6年生のころに家にやってきて、それからずっとうちに住み着いている。だからもうおばあちゃんで、ここ5年くらい大体部屋の中で寝てる。
一日のうちの唯一の楽しみは散歩の途中にするボール投げ遊びだ。
僕がボールをぽーんと投げる。パトラはそれを取ってくる。僕はボールを返してもらう。僕はまたボールをぽーんと投げる。それだけだ。
なーにが楽しいんだか。
ただ、このレトリバー犬、すごくおとなしい。まあ年寄りってせいもあるけど、たいてい寝てるしまず吠えない(不審人物がいても)。何かイヤなことをされたら(それは枕にされること)、「しょーがないねぇ」みたいな顔をしてどこかに行ってしまう。とても良い犬だ。

しかし、このまえ僕らが家に帰ってみると、母が何かを見つけて叫び声を上げた。
ピアノの前に消化されかけたドッグフードが落ちていた。パトラとララ、どちらかが吐いたのだ。
さあ、どっちだ?
ララは母の叫び声に反応して反射的に怒られる体勢に入った。頭を低くして、「反省してますよー。」という目をしている。いつも怒られるのはララなのだ。
一方、パトラの方は、いつもとなーんにも変わらない。あくびをして部屋のすみでゴロゴロしていた。
十中八九、犯人はパトラだろう。さすがに年が年だし、体の調子も悪そうだったからだ。
なのに、自分は怒られないことを知っている。
こいつ、意外としたたかなのだ。
いつもアピールしなくても自分がかわいいことを一番知っているのだ。
普段、頭がいいことをアピールしていたり可愛いことをアピールするよりも、日常生活で何も考えていないように装って陰でコソコソ悪いことをする、そんなパトラが僕は大好きだ。

ラッキー・ラターシュ

2005年01月01日 05時34分06秒 | LIFE EXPERIENCE
うちの犬はララっていう名前で、それはラッキー・ラターシュっていうワインの名前の略らしいんだけど、いまではあんまりその意味も無く、みんな「ララ、ララ、」と呼んでいる。
ま、本人はどんな名前呼んでも来るからたぶんどうでも良いのだろうけど。
ララは、もともと先祖は狩猟犬で獲物を吠えたてる種族だったらしい。だから撃ち落とした獲物を持ってくるレトリバーなんかとは違って吠えるのが好きだし、もともと我が儘な性格も手伝って時々フガフガとうるさい。
レトリバーなんかは逆に静かでボールとか投げて取ってくる遊びが好きで、よく毛布なんかもくわえて持ってきて飼い主を困らせているんだけど、ララはそんなレトリバーをいつも「なーにが楽しいんだか。」みたいな目で見てる。
だけど、最近はなんだか小さいものが好きになったみたいで、ヤツもよく宝物をくわえて持ってくる。
その姿はなんだかいじらしくてすごく可愛いのだが、面倒くさいことにヤツはレトリバーのようにただ純粋に誉めてもらおうと思って持ってくるわけではない。
自分の宝物を誇示したいのだ。
だから「ああ、ララちゃんまた変なモノくわえて来たのね。」なんて軽く考えてそれを取ろうなんてしたら大変だ。
カプンと噛みつかれる。
飼い主だって容赦しない。しかも、その宝物はたいてい僕がどこかに脱ぎ捨てた靴下を丸めたやつだったりするのだ。
「それ、僕のなんだけどなー。」なんて思ってみても遅い。ララにとって宝物はそれはそれは大切な聖品なのだ。おまけヤツときたらそりゃもう変声期の猿みたいに融通が利かないときている。
いま、横のソファでラッキー・ラターシュは宝物をそばに置いたまま眠っている。いまのうちに取っちゃえ、なんて思うのだけど、その姿はなんとなく、ガラクタを秘密の宝物にして隠し持っていた僕の少年時代を思わせて、やっぱりいじらしく思うのである。

RH-のコンセント

2004年12月29日 02時05分59秒 | LIFE EXPERIENCE
昨日、福岡の実家に帰って、祖父の見舞いに行った。
僕が帰るちょっと前から容態が悪くなって入院していたのだ。
実は、昔僕は祖父が怖かった。いまでもその傾向はあるんだけど、なんだか年上のおじいさんって威圧的で幼心にすこし甘えづらいところがあったのだ。
しかし、最近は(というか大きくなってからは)そんなこともなく、この前最後に遊びに行ったときは上半身裸で夕方からビールと枝豆をくちゃくちゃ食べていて、僕が突然来たことにびっくりして慌ててたことを思い出す。

「いいか裕樹、死にかけのじいさんの演技ってのはこうやるんだぞ。」
やせ細って、無精ひげまで生えた祖父は、見舞いに来た僕に言ってがっはっはと笑った。
今日は午後から手術が控えていたのだけど、僕はその見違えるように小さくなった祖父を前になんといっていいかわからずにいた。祖父が他の祖父や祖母が晩年していたようにチューブを体に巻き付けていたり点滴を打っていたりする姿は、見るからに痛々しかった。
最初は、冬を絵に描いたような窓の外の風景と何かを訴えかけるような目をした祖父の顔を代わる代わる見ていたが、やがてすることがなくなってしまったので、近くの本屋に行ってアレックス・ガーランドの一番新しい小説「昏睡」(なんて縁起の悪い)を買ってきて読み始めた(本当は「病院に殺される!」という本も見つけたのだけど、それはさすがに良心がとがめた)。
僕が本を途中まで読んで、午後の暖かい空気にうとうとしかけたとき、看護婦さんが入ってきて「そろそろ手術ですからね」とベッドごと祖父を運んでいった。

「今日はすまねーな、大変なときに。」手術が終わって貧血ぎみの体に輸血をしながら祖父は言った。
「なに水くせーこと言ってるんだよ、俺とじいちゃんの仲じゃねーかよ。」と硬派なことは言わなかった。かわりに「ま、どうせやることないし。」と文学少年っぽいことを言った。

「江口さん(祖父のこと)、RH-なんですねー。」と親戚の伯母さんが世間話っぽく言った。「RH-って本当に珍しいんですよ、おじいちゃん。」
祖父は心配そうに、「それって変人ってことなのか。」と真面目にいろんな人に聞いていた。たぶん手術が終わった後だったから不安だったのだろう。
でも、彼は年をとって衰弱するまで自分がきわめて珍しいRH-の血液であることを知らなかった。ただ、そのことを純粋におかしいな、と思った。そういうこともあるんだ。
「そういえば、若いころに輸血をしたことがあるんだよ。」祖父は言った。「先生、大丈夫だったんですかね?」
「そのころはRH+とか-とかの概念がありませんでしたから。」なんでもない、といった感じで医者は答えた。「大丈夫ですよ、江口さんは輸血するほうだったんでしょう?」
それを聞いて祖父はやっと安心したようだった。
僕はなんて無責任な会話だろう、などと思いながらRH-の血液を輸血されて困っている昔の人を頭の中で思い描いた。
祖父の体からは手術前に増してチューブが張り巡らされ、ベッドからは心電図なんかのコンセントがにょろっと出ていた。それを抜いたら祖父が昔のロボットみたいに止まってしまうようにも見えた。

「じゃあ、僕たち、そろそろ帰るよ。」僕らは祖父にさよならを言った。
僕はなんと言っていいか分からなかったので、冗談で「前向きにね。」と言った。
祖父は、「そういう言葉が一番頭に来るんだよな。」と言って、がははははとまた笑った。


「somebody to love」

2004年12月26日 23時56分36秒 | LIFE EXPERIENCE
巷でイギリスの伝説的ロックバンド、クィーンが流行っているという。ドラマの主題歌に使われたとかベスト版を出したとか理由はどうでもいいのだが、僕が中学生くらいのときにクィーンを知ってからすでにもう3回くらいクィーンのブームはやって来たように思う。
別に新曲が出たわけではないのに、世間の人たちはよく昔のロックバンドに飽きないなあと感心すると同時に、ちょっとした疑問が沸く。
そんなに何度もブームになっているのに、それでも皆はじめてクィーンを知りました、みたいな人が後を立たないことだ。
日本の人口が多すぎるのか、それとも世間の人は忘れっぽいのか…。
クィーンが何度もブームになる忘れっぽい世の中だから、そのうちミシェル・ポルナレフなんかがブームな世の中になったりするのかもしれない。
恐ろしや恐ろしや。

僕は、別にクィーンが好きではない。いい曲を書くと思うし、なかなか上手い人たちだ。しかし、僕の弟が熱狂的なクィーンファンであるために、好きにならずともブームに乗らずともクィーンを比較的労せずに聴くことができるのだ。弟がどのくらいクィーンが好きかって言うと、それはもう病的で、クィーンのアルバムを全部持っているのは当たり前で、1万円以上もするフレディ・マーキュリーのクソみたいな内容のソロアルバム(しかもレコード)を買ってたし、フレディ・マーキュリーの銅像を追いかけてスイスのモントルーという田舎町まで行った。ちなみに、我々はその銅像の写真を最寄のCD屋に置いてあるクィーン最後のオリジナルアルバム、“Made in heaven”のジャケットですごく簡単に見ることができる。
僕はいつか弟が口ひげをたくわえたり、胸の大きくあいた悪夢のような全身タイツを着たり、ホモセクシュアルだと突然カミングアウトするのではないかと心配で心配でならない。
一般論でゲイというのは趣味がいいことになっているが、フレディ・マーキュリーの趣味は非常に悪い。これは弟も言っているから本当だ。
「クィーンのライブの見所は、フレディの深刻なまでの趣味の悪さとそれを本気で嫌そうな顔をするブライアン・メイなんだよ。」
フレディ・マーキュリーの後任ヴォーカリストの適任者がなかなか現れないのは、彼の追随を許さない趣味の悪さのせいかもしれない。

ロック史上最も偉大なヴォーカリストと謳われたフレディ・マーキュリーを偲んで、1992年4月に追悼コンサートが行われた。残された可哀想な遺族のように身を寄せ合って集まったアーティストたちのなかで、ひときわ輝いて、「フレディの代わりはこの人しかいない!」と多くの人々に思わせたのがイギリスのポップ・アーティスト、ジョージ・マイケルである。彼はクィーンの名曲「somebody to love」を熱唱して、クィーンファンはもちろん、ギタリストのブライアン・メイのハートまでがっちりキャッチした。これぞエンターテイナーとまでに観客を乗せるジョージ・マイケルの横でフレディの前では決して見せることのなかった満面の笑顔でギターをピロピロと弾くブライアンを、我々はビデオで確認することができる。
みんな、「ああ、これでフレディの後任は決まったな。」と思った。ジョージ本人も確かな手ごたえを感じたに違いない。

ジョージ;「なんですか?いきなり楽屋まで呼びつけて(ドキドキ)」

ブライアン;「いやね、君も薄々は感じていると思うんだけど、今日のライブのことなんだ。」

ジョージ;「どういうことでしょうか(どきどきどきどき)。」

ブライアン;「いや、実に素晴らしい”somebody to love”だった。久しぶりにあんなに熱っぽい観客を見たよ。フレディもあそこまで上手に歌うことはできないんじゃないかな。」

ジョージ;「身に余る光栄でございます。」

ブライアン;「それで、我々はフレディの後任探しをしてるんだけどね…」

ジョージ;「クィーンに入ることができるのならそれは本望でございます!なにしろ僕がまだ売れないペーペー歌手の頃にロンドンの地下鉄で…」

ブライアン;「まぁ、待ちなさい。話は最後まで聞くものだよ。僕は別に良いと思うんだけどね、ベースのジョンが君に足りないものがあるって言うんだ。」

ジョージ;「…なんでしょうか?」

ブライアン;「ジョン曰く、『クィーンのチャームポイントは、フレディのタチの悪いまでの趣味の悪さにある』っていうんだ。ようするに君はクィーンのヴォーカリストになるにはイメージが良すぎるんだ。たとえば君の今着てるオレンジのジャケット、そういうこざっぱりした格好はエルトン・ジョンなんかに任せておけばいい。」

ジョージ;「このジャケットをエルトン・ジョンにあげればいいんですね?」

ブライアン;「そういう話ではないんだがね。」

ジョージ;「じゃあどうすればいいんですか?」

ブライアン;「そうだなぁ。たとえば、フレディは世間の誰もが認めるゲイだった。しかも趣味の悪い。こういうのはどうかね?君が公園の男性トイレを覗いているところを警官に見つかってゲイであることがバレてしまう。なかなかダーティでセンセーショナルじゃないか。がっはっはっはっは。」

ジョージ;「……はっはっはっは。」

こんな長い会話が追悼コンサートの楽屋で交わされたかどうかは定かではないが、この後本当にジョージ・マイケルは夜の公園のトイレを覗いているところを警官に見つかり逮捕され、そのあとすぐにゲイであることをカミングアウトした。これはエイズであることをカミングアウトした翌日に死んだフレディに敬意を表したパフォーマンスであると僕はひそかに考えている。

そこまでクィーンを愛したジョージ・マイケルは、いまだにクィーンのヴォーカルにはなっていない。ちなみに現在彼は晩年のフレディがそうであったように、最愛の妻(♂)とにラブラブな日々を送っている。
もしかしたらいつか趣味の悪さに目をつけれて我が弟が後任ヴォーカリストに指名される日が来るのかもしれない。

ブライアン;「君は趣味は悪いんだけどねえ、歌が下手なんだよねえ。」

弟:「がっはっはっはっは。それほどでも。」

褒めてねぇよ。



(この文章は2004年5月に旧ホームページに掲載されたものです。)


学食カレー

2004年12月18日 00時25分56秒 | LIFE EXPERIENCE
今日、また久しぶりにSFCに行った。
鈴木氏に頼まれて次の公演のチラシを作りに行ったのだ。
学校に着いて、まず自分のスケッチをスキャナにかけて、それをパソコンで取り込んでいるあいだに学食に行った。お腹が空いたのでお昼ご飯でも食べようと思ったのだ。
ちなみに、僕は学食は全然すきじゃない。
安いのは安いけど、あきらかに手を抜いてるのが分かって嫌なのだ。
おばちゃん達がカルボナーラを作ろうとフライパンに卵を入れて炒り卵パスタを作るようなところなのだ。
僕はいつもカレー(大盛り)を食べるのだけど、このカレーも全然好きじゃない。
大盛りじゃないのだ、全然。
大きいのは皿だけで、それにひょこっとご飯が申し訳なさそうに乗ってる。しかもカレーはさらに少ない。いつもカレーが足りなくてご飯が余るのだ。
一度、僕はおばちゃんに、「カレーいつも少ないのでもっと入れてもらえませんか?」と頼んだことがある。そうしたら、「あのねえ、そういうのは自分で調節するもんなの!」と逆に怒られた。
それでも5年間大盛りを頼み続けている。大盛りを注文していつも損した気分になるんだけど、大盛りにしなかったらたぶんもっと損した気分になるんだろう、と思って自分をなぐさめる。

今日も僕は大盛りを注文した。
レジで会計をしようとする僕の背中に、売り子をしているおばちゃんの哀愁漂う声が覆いかぶさる。
「二色カレーいかがですかぁ?クリスマス仕様になってますぅ~。」
クリスマス仕様の二色カレーだって?赤と緑ってか?

げぇ。

洗剤中毒

2004年12月10日 00時06分35秒 | LIFE EXPERIENCE
今日、僕は何度か幸せな夢を見たあとにベッドから這い出し、いつもの通りにトウガラシとオリーブに水をやり、テレビをつけて冷蔵庫から昨日一晩かけて作ったお皿いっぱいのティラミスを引っ張り出してきて、朝ごはんに食べ始めた。
まったく、ティラミスなんて小皿にちょこんと乗っけてあるのを大事に食べるもんなんじゃないのかな。僕は心の中で文句を言った。
「でもいいじゃん、美味しいんだから。」僕はスプーンいっぱいにすくったティラミスを頬張りながら言う。
確かにそれは甘くて最高に美味しかったのだけど、チョコのスポンジに染みこんだリキュールが若干効きすぎていた。

「掃除をしよう。」突然ソファからすくっと立って僕は言った。
朝から慣れないものを食べて、僕は動きたくなったのだ。
もちろん、掃除だって慣れたものじゃあなかったのだけど。
昼間は時間があったし、クリスマスも近いから僕も少し大人にならなきゃ、と思い始めていたのだ。
まず洋服をたたんで自分のタンスに放り込み、洗濯物を干した。ガスコンロを解体し、汚れた部分を酢に漬けた。掃除機をかけて、前回掃除したときからたっぷりと溜まった埃を全部吸い取ってもらった。
掃除は居間からトイレ、洗面所までに及んだ。洗面所の汚さは僕が思っている以上のものだった。
雑巾を絞って床を磨き、歯ブラシを使って細かいところの埃と汚れを取った。でも洗面所の汚れは、掃除すればするほど細かいところが目に付き、ひどくなっているような気がした。
ときに風呂場のドアがひどかった。僕はカビキラーを引っ張り出し、テレビCMに出てきそうなその汚れをゴシゴシとこすり始めた。

「ずいぶん綺麗になったよね。」
「うん、でもなんだか僕すごく気分が悪いんだ。吐き気がするよ。」
「それって君に掃除が向いてないってことなんじゃない?」
「うーん、そうかもしれない。」

本当はそのままベッドに倒れこんでしまったほうが良かったのかもしれない。
僕の胃が変な形に歪んで、脳に猛烈な抗議を出していた。文句のつけようもないくらいひどい気分だった。
でも僕は夕方からどうしてもお台場に行かなければならない用事があって、ここでダウンするわけにはいかなかった。
「行かなきゃ。」僕はスーツに着替え、家を出た。

お台場に行く電車が最悪だった。吐き気は治まるどころかさらに増し、僕の頭はもうろうとし始めた。僕は吐き気をごまかそうと、読みかけの本を広げ、ウォークマンを再生したけれども、どうやらそれは完全に逆効果だった。
「俺をまんまとハメやがって!」リチャードは叫んだ。僕も一緒になって叫んだ。「俺を騙しやがったな!」僕の頭の中で五発の銃声がこだまする。「何もかも思い通りだよ。」銃声に混じってダフィ・ダックが笑う。「なにもかもうまく行ってるんだ。」
"You can live your life lonely
Heavy as stone
Live your life learning
And working alone"
耳につけたイヤホンの奥からニール・テナントの抑揚を抑えた声が浮かび上がる。遥か奥から忽然と姿を現すようなサウンドは、あっという間にリチャードとダフィ・ダックを音の渦のなかに巻き込み、僕の脳の奥まで飲み込んでいく。そしてすぐに新しいリチャードが雄たけびをあげながらやってくるのを僕の血走った目は捉える。しかしダフィ・ダックともども確認すると同時にニール・テナントが目の前から掻っ攫っていくのだ。
電車の窓に映る僕の奥から、音の渦の向こうから、僕は別の叫び声がこっちに向かって来るのがわかる。
「船に乗り遅れるぞ船に乗り遅れるぞ船に乗り遅れるぞ!」
やべえ。もう僕はやばい。僕は本をぱたんと閉じ、音楽を聴くのもやめる。
しかし、混乱を強制終了したあとに残ったのは空を引っ掻き回すように意味も理由もない僕の焦燥感だけだった。

「それってきっと洗剤中毒よ。」
「洗剤?」
「そう、換気もしないで掃除をしてると、自分でも気づかないうちに洗剤に頭がやられてしまうの。炭鉱夫がいつの間にか全員肺をやられてしまうようにね。」
「でも、僕は洗剤なんて使ってないぜ。使ったのは掃除機と雑巾とたわしとカビキラーだけ…」
「(ぱちんっ)それよ。」
「それ?」
「カビキラー」
「そうなの?カビキラーが僕の頭をダメにしたっていうのかい?」
「当たり前じゃない。カビキラーを使うときはゴム手袋をして換気をしなきゃいけないのよ。」
「なんだって…両方ともしてないよ。」
「そんなの常識よ。パッケージに書いてなかった?」
「そりゃ…詰め替え用だったから…。」
「関係ないわよ。」

「でもさ、」僕は彼女に言った。
「なに?」
「洗剤中毒なんてなんだかすごく深刻じゃないか。なんていうか、もうしばらく立ち直れないって響きだよね。」
「当然よ。」彼女はあっけらかんとしている。「そりゃ中毒なんだもん。」
まるで僕の焦燥感を掴みとって置き去りにするかのように、彼女は満足気ににっこり笑った。