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helpless

破滅への道

米 ヨネ

2017-08-23 | その他
結局 ヨネをくうかくわないか
米をくわないと 米なしでよくなる
そうなるともれなく パンや麺類もなしでよくなる
そうなると 味の濃い物は苦手になってくる
そうなると シンプルで粗末なものでもよくなる
そうなると 体から余分なものや毒素が急激にそぎ落とされてゆく
そうなると 体は非常に軽くなる

炭水化物をとらないと最初は体がきつい
たしかに炭水化物をとらないとパワー/スタミナが漲らないのは体感できた
もういい歳
そんな職業でもなければ そんな競技もいまはしてない
日常作業で必要なパワー/スタミナは十分
むしろ体が粗食に対応していって日々パワー/スタミナが増加してるのは体感できる
しかしそうは言っても現時点ではパワー/スタミナはあきらかに減少した これは認識せざるを得ない
ここにどう折り合いをつけて余生を送るか
そこが胆になってくるだろうな
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イージーライダーでとりわけ重要なシーン

2017-08-22 | その他
ジャック・ニコルソン:「アメリカはいい国だったのにな。」
                      「一体どうなっちまったんだ?」



デニス・ホッパー:「臆病になったのさ。」
                  「二流のモーテルさえ泊まらせないんだぜ。」
                  「何をビビってやがんだ?」


ジャック・ニコルソン:「彼らが怖がってるのは… 君が象徴してるものさ」


デニス・ホッパー:「連中は、長髪が目障りなだけだぜ」


ジャック・ニコルソン:「違うよ。 彼らは君に“自由”を見るんだ。」


デニス・ホッパー:「自由のどこが悪い?」


ジャック・ニコルソン:「そう、何も悪くないさ。」
                      「しかし、自由を説く事と自由である事は別だ。」

                      「アメリカ人は個人の自由についてはいくらでも語る…」
                       「でも本当に、自由な奴を見るのは怖いのさ。」






イージーライダーのはなし

2017-08-22 | その他
イージーライダーを最初にみたのは24の時
じつは〝 Easy Rider 〟なんて永遠にみないだろうとおもってた
ほしたら とある日いいかんじの友達がさ
「いやぁ。 あの映画はまったくそんな低い映画じゃないよ。」
「舞台がアメリカだからハーリーなわけで、イギリスだったらリックマンだったろうし、北欧ならハスク、日本だったらスズキのRN71だった問題に過ぎないよ。」
「たまたま主人公がハーリーに乗ってるだけで、あの映画ではまったくそんな所には要点が置かれてないよ。」
「むしろ僕らがやってる様な、より精神世界的な映画なんだよ。」
ってなこと言うんだ

でその後日さっそく見たんだ
たしかに思ってたものとはぜんぜんちがかった
面白い映画だった

でもさ
その後さまざまな人と〝 Easy Rider 〟について話するんだけどさ ちっとも共感できないんだ
ほんとうにさ
どんなモノの見かたしてるのかい って聞きたくなるような人ばかりでさ ほんとやんなるんだよね
じっさい〝 Easy Rider 〟みてるのはおおかたがそんなかんじ

もうしょうがないからさ 
デニスホッパーのかわりにおれが代弁するよ
あれはさ

●序章 金を手に入れ 旅に出るための乗り物を手に入れる 

●つぎ ポーズのない素朴な人々と出会う

●つぎ すべてがポーズの人々と出会う 
(博愛主義らしきスタンス/自由らしき演出/原始的な生活らしき生活/それが逆に文化的な生活らしき生活)

●つぎ 社会という妙なもののはなし

●つぎ 村社会の秩序という妙なもののはなし

●つぎ 村社会で井の中の臆病な人々に出会う

●つぎ 快楽と潜在のはなし

●終章 自由などなかったはなし

非常にグレートな映画なのだが
全編通しあのアメリカの広大な土地で より深くこれらを感知した 

〝 Easy Rider 〟は これ以上でもこれ以下でもない  ババーーン

デニスホッパーはそれらを凄みに描いた

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Quadrophenia

2017-08-14 | その他
人生はGoldmundから始まり 
体に不自由持った時からNarcissusに変化してゆき
人生を観念してからは内面だけGoldmundに戻りつつある
しかしまだ比重はNarcissusの方が強い観がある
やはり余生は内面だけでもよりGoldmundに戻るべきなのだろう
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Narziß und Goldmund

2017-08-14 | その他
なんだかんだで数年越しがきょう読み終えた
デミアン シッダールタ ステッペンウルフ
すべて自分の話であったが もっとも自分の話であった本作 こう言ってしまうことはいけませんか

最もヘッセを身近に感じられた 
昨今旅しても以前ほど響かない理由もよく理解できた
代弁者の的確な表現 胸に響く箇所多くしばしば放心
わが心の故郷として生涯忘れえぬもの

あ すみません感極まってました

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歌謡曲

2017-08-14 | その他
邦楽をきいてこなかった
でも去年から昭和の歌謡曲をききはじめた それもこれもだいたいタナカくんのせい
去年は五輪真弓の少女からはじまり暗い女性ものの歌謡曲ばかりが心地イイかんじになってった 
女性もののあの愚かしくくだらない歌詞がまたなんともいえなく功を奏している
今年の夏にはいってからは山下たつろうとか荒井ゆみとかもききだした 
で歌謡曲をききだして一つ気付いたことがある

やれ五輪真弓やおおぬきたえこはあまり歌が上手くないな とか言ってる自分
なにこれ
歌唱力とか声質とかああだこおだ言う人って嫌いだったのに 自分が言ってる
なんでだ

感じるのは 邦楽はメロディや音の厚みが乏しいからきっと歌(歌唱力とか声質や歌詞)の比重がでかくなってるのだろうとおもう だからそこがこけると全部こけるみたいな

そう考えると歌唱力や歌詞に依存しすぎてる邦楽ってやっぱくだらないなあと感じる自分がいる 歌唱力や歌詞なんて音楽にとってほんの些細な要素にすぎない しかし邦楽はここの比重が非常にでかい そう考えると邦楽は窮屈

でも最近よく聴いてる

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今年になってよく思うこと 旅について

2017-08-07 | その他
関東で生活してた頃は旅が好きだった
ひとたび旅を終え住み家へ帰って来ると普段はさほど気になってなかったその狭さや窮屈さに毎度驚いた
帰ってきてもすぐは旅の高揚感は抜け切れずしばらくは悶々とする
翌日からは次第に都心の日常を味あわされることになる
そうなると更に旅に対し憧れという幻想を抱きがちになり結局ずいぶん長いことそういう時期をすごす事となる
旅になにを求めてたのか
未知なものに対する好奇心から始まるんだろうが様々なものがあったのだろう
しかしその中でもやはり 解放感 なんだとおもう
とにかく 定地 に居るのが嫌で仕方がなかったのだろう
そして若さというのも大きい
しかし何事も気が済むまでいくと熱は薄れゆく
解放感はたしかにあろうがその解放感にも疑問符ついてき出すとそろそろ旅の意味を考えだす
いったいなにから解放されたいのか
定地? 日常? 窮屈さ? 平穏?
ようは様々な不満が溜まってたのだろう
旅は少なからずそれらを忘れさせてくれる
解放感
人はどの程度の解放感を求めたらよいのか
どの程度の解放感が得られると満足いくのだろうか

漂流者 / 滞在者 としての自分の存在 そこにどういう意味があるのだろうか
そこを思考しだすと旅先で旅以外の要素でもって必然から何かを達成しないと更なる満足が得られないことがわかってくる
しかしそれにも限界は見えてくる
それでも旅を続ける
様々な動機をみつけそれでも旅を続ける
人によってはいつの日か 次はエベレスト登頂となる
そうでもしないと もはや旅を続ける理由(大義)が もたなくなってくる

そして 
それでも旅をし続けないとならない人とは 如何なる人 なのだろうか
それを考えると なすべきことのない人の深淵を垣間見ることになる
そう考えると 旅は深く興味深い

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享楽原則

2017-08-01 | その他
生物学的には、現実原則と涅槃原則と享楽原則は、次のように区別される。

現実原則は、個体保存のための個体保存の行為を、
涅槃原則は、個体保存のための個体破壊の行為を、
享楽原則は、種保存のための個体破壊の行為をもたらす。

現実原則が、純粋な生の欲動で、享楽原則が、純粋な死の欲動であるのに対して、涅槃原則は死の欲動のような外観を持った生の欲動である。
すなわち、自傷行為は、自殺行為のように見えて、実は自殺を防止するための行為である。
これに対して、享楽では、人ははめをはずしすぎて死に至ることがしばしばある。

とのこと
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感無量感

2017-07-23 | その他
寝袋ひとつ持っての野宿が至高 外が至高 外で生活するほどクリアーなものもなくこれほど開放的なものもなく最も理想的な生活様式 
長らくそう思ってた
今は家もよくなってしまった 家といっても古い不便な家なのだが自分的にはとても居心地がよくなってしまった 本当に歳をとったのだなあと感じざるを得ない

若い頃にやりたいことをやる 今となってはこれほど大切なことはないよう思えてくる
とにかくあと先かんがえないでやりたい事をやる
ようやく最近になってあれで良かったのだと思えるようになってきた
しかしあの頃はそのことで各種の罪悪感やら背徳感やらでそうも思ってられなかったしなにより 自分は正しくない との思いも強かった

でも今はせいせいしている もうあんな事やらなくてもいいんだって思いが強い
あの頃はやりたくてやってた事なのに今はむしろ苦行のように感じる不思議 これはいったいなんなのだろうか
もう歳をとってしまったとしか言いようがない
いったいこれからどうなってしまうのだろう

でもやりたいことは意味も何も考えずにやる そこにリアルがあるのだろう

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人生の踊り方

2017-07-06 | その他
ヒトはみな踊る
特に十代から二十代は相当踊らされる
様々な情報に踊らされ 時代に踊らされる
そして人より気位が高いモノは 
なにより カルチャーに踊らされる
とっかかりが カルチャー
それはいいとおもう
しかし カルチャーから突き抜けられるか
カルチャーを突き抜けられないと ずっとカルチャーの中である
ここでいうカルチャーはその時代の旬な文化
わかり易く言うとファッションである
カルチャーを突き抜けられないと ずっとファッションの中である

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