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仏教思想概要6:《中国華厳》(第3回)

2023-10-22 08:04:44 | 06仏教思想6

(巾着田の曼珠沙華     9月25日撮影)

 

 

 仏教思想概要6《中国華厳》の第3回目のご紹介です。
 前回は、「第2章 『華厳経』の意味と構成・主な教え」のうち「『華厳経』の意味と構成」をみてみました。今回は「3.「十地品」、「入法界品」の概要と意義」を取り上げます。

 

3.「十地品」、「入法界品」の概要と意義

3.1. 『華厳経』における「十地品」の位置づけ
 十地品は『華厳経』の巻末をかざる善財童子求道遍歴を描いた「入法界品」とともに、『華厳経』のなかでも成立年代の古い部分に属します。『華厳経』に組み入れられる以前は、それぞれ『十地経』、『不可思議解脱経』として独立した経典として流布されていました。
 つまり、両経は『華厳経』でもっとも重視された部分であり、まず、『華厳経』の構成における十地品の位置づけを明らかにする必要があります。

 前述の表11において、『華厳経』全体としては、「十地品」を中心とする(二)十地系諸品を中心として、その前後に文殊経典と普賢経典とが連結したものが、華厳の胴体にあたる部分です。これに序文と入法界品を結合するとき完全なる大華厳となります。
 文殊経典では理論智の文殊菩薩を主役として「歴史的に華厳思想に先行する般若の空の思想の再確認が」され、普賢経典では、実践智の象徴たる普賢菩薩を中心として、「華厳独自の菩薩行の理想」が述べられており、両者の中間にある十地系経典では、「菩薩の修行道にかんする考察が、般若の十地思想を踏まえながらも、それを克服する華厳独自のものとして」展開されています。

3.2.「十地」の構成と意義

3.2.1.「十地」の構成
 十地とは、大乗仏教における修行の階梯をさし、「覚り(さとり、菩提)を得ることを予め確定されている主体(有情)」を意味する菩薩(菩提薩埵(ぼだいさった))が、覚りを求める気持ちを生ずる段階(発菩薩心)から出発して覚りを得る段階にいたるまでを、10段階に分けたものです。(下表12参照)

3.2.2.十地の果報にみる十地の二段構造
 菩薩の十地の果報(修行の結果得られる善い報い)をナーガールジュナの小論『ラトナーヴァリー』(宝のつながり)にみることができます。(下表13参照)


 上表にみるように、初地~七地には十地の果報が以下のように割当てられています。

  初地・二地:地上の王位

  三地~七地:欲天

  つまり、欲界(*)の人と天が割り当てられています。これは、煩悩によって汚されているわけではないが、煩悩を超えてはいないことを表しています。
 さらに、八地~十地の果報では、色界(*)の諸天(梵天が住む世界)が割当てられており、この段階では、煩悩を超えていることを表しています。

*三界:無色界・色界・欲界(詳細は後述)

3.3.十地のかなめ

3.3.1.第七地の意義
 前述のように、七地までは悟りを得たいという欲望にとらわれて、煩悩をすっかり離脱してしまったとは言えない。その悟りの欲望の頂点に達したのが七地で「遠行」の名が与えられています。これは、遠くに旅することを意味し、迷いの此岸から悟りの彼岸へとはるばる赴くことを意味します。
 つまり、第七地が、十波羅蜜(*)と十地とを具足し、それによって「一切の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみょくさんぼだい:無上のさとり)を助くる法」を具足するということは、大乗菩薩の修行道であり、菩提を助ける法である十地の核心があることを意味するといえます。

*十波羅蜜:「十波羅蜜」も菩薩の修行道を意味するが、十地との関係では、十地の一つの段階(第七段階)に位置づけられ、「十波羅蜜」と「十地」の10のカテゴリーは1対1の対応を示しておらず、両者の性格はいささか異にしている。
「戒・定・慧」(三学)に『般若経』では「布施・忍辱・精神」を加えて「六波羅蜜」とよび、『華厳経』ではさらに「方便・願・力・智」を加えて「十波羅蜜」とよぶ。

3.3.2.第七地の位置づけ(まとめ)

・十地を第七地以前と第八地以降の二段階に区分できる

・第七地が十地のカナメである

・十地品が文殊系経典と普賢系経典の媒介の役割でありように、十地のカナメ第七地は第六地以前と第八地以降の媒体の役割をはたしていること

(参考資料:初地~十地の概要(表14))

3.3.3.第六地の意義と位置付け
 第四地と第五地に代表される小乗から大乗にいたる論理的成果をふまえながら、縁起説をてことして、菩薩系実践の立脚点を確立したものと言えます。
 ここで悟った内容は「三界虚妄但是一心作(さんがいこもうたんぜいっしんさ)」(「三界唯心偈(さんがいゆいしんげ)」)であり、般若の知恵を発得することです。
 第六地までは向上面で、第七地からは向下面が現れる。第七地以降、般若の知恵は必然的に慈悲として具体的に生かされて来なくてはならないことを説いています。
 同じく十地品では、「智波羅蜜(ちはらみつ)」を説くが、第六地の慧と第十地の智とは異なるものです。第六地の慧は悟りへの知恵であり、第十地の智は世間にかえって働く知恵です。
(第六地(現前地)の偈の一部:表15)


 ここで「三界唯心」という用語が登場しました。「十地」を理解するうえ重要な内容のため、以下で説明しておきます。

 

3.4.三界唯心とは
 三界唯心は十地の第六地(現前地)を特徴づける思想となっていますが、「三界は虚妄にして、但是の心の作なり」という一句に尽くされています。
 そこで、「三界」と「心」について、仏教ではどう解釈されてきたのかをみてみます。

3.4.1.三界と五趣
 インド仏教においては、あらゆる生きものは、その生存期間中に積み重ねられた行為(業ごう)の如何によって価値の異なる生存様式のあいだを上昇したり下降したりしながら生死をくりかえす(「輪廻転生」)と考えられました。
 三界は、それぞれの生存様式を異にするさまざまな生きものの生存の場(生存領域)の総括した名称であり、それぞれの生きものの生存様式を「五趣」と呼びます。
 小乗仏教・部派仏教の理論学者ヴァスバンドゥ(世親*)の『倶舎論』では、以下(図3)のように説明しています。

*世親:部派仏教有部の代表的な理論家であるが、その後兄とともに、「唯識」思想を唱え、「空」思想を体系化した龍樹(ナーガールジュナ)とともに、大乗仏教の代表的な理論家の一人となった。

 

3.4.2.「心」:五位と五蘊
『倶舎論』によれば、「心」(意識)は五位や五蘊に分類されています。(下図4参照)

 ・五位:全存在(一切法)の基本的な分類原理

 ・五蘊:五位のうち有為法のみにかんする分類原理 

3.4.3.「三界唯心」のまとめ
 以上をまとめると、以下のように整理できます。

 ・三界に輪廻転生する生きもののあり方は心の所産である

 ・その心は貪欲から生じたまよいの心である

 ・輪廻転生のすがたはまよいの心の所産であるから、まよいの心をなくしさえすれば輪廻から脱却できる

 これらは、アーガマ(原始仏教)、アビダルマ(『倶舎論』)に説かれた仏教の基本テーゼであり、華厳思想の特徴とはいえません。ポイントは、これらのテーゼの『華厳経』における位置づけということになり、それは十地の第六地(現前地)で説かれているということになります。

3.5.「入法界品」の意義と十地・八会・三四品の関係

3.5.1.「入法界品」の意義
 入法界品(にゅうほっかいぼん)は、十地品(じゅうじぼん)とともに菩薩の修行の段階を説いています。会座の第八会に位置し、各会座は複数の品名により構成されていますが、第八会は入法界品のみで構成されています。

 入法界品は、毘盧舎那仏とよばれる法界に充満する真理の場において、その真理を衆生に説き明かそうとする普賢菩薩の願望にもとづき、文殊菩薩の指導に従って、善財童子が菩薩道の師を求めて南方へ遍歴をつづけたあげく、「灌頂地に住する諸仏の長子」として彌勒菩薩にめぐりあうことによって目的を達する、という構成になっています。
 このように、讃仏文学ないし仏伝文学を手がかりとする点では、十地品と軌を一にしながら、十地品のように菩薩の修行段階を論理的に解明するのでなく、菩薩道の構造を比喩的に描き出す形になっています。
 ↓
 『華厳経』の成り立ちはまず入法界品と十地品との巨視的な対応関係が確立されたうえで、十地品の構成にしたがって、全巻の構成がつくられたのではないかと考えられます。

3.5.2.「入法界品」にみられる『華厳経』の世界観
 善財童子は五三人の善知識(先生)をたずね仏法の真理を求めました。
 五三人の職業は「海師(かいし)・長者・賢者・婆羅門・外道(仏教以外の宗教を信じる人)・王・道場地神・天・夜神・仙人・比丘尼・女性 など」です。
 ここでは、あらゆる職業の人に参究しています。これは、「人間の価値は出家や在家などの外形の区分になるものではなく、ただ菩薩心の有無によるものであるという『華厳経』の思想を表わしており、思想的にはわれわれ凡人であっても、宗教的願心をもつときには、たとえ日常生活のどんなささいなことでも、社会生活のふとしたできごとであっても、宗教的向上の道に役立たないものはない。」ことを示しています。
「菩提心という立場からは」世間から忘れられ、見捨てられているよう人々の生活や態度にも、無限の精神的教訓が含まれていることを述べているわけです。
 善財童子は、最後に彌勒・文殊・普賢の三菩薩を尋ねて、菩薩行を求めるのに必要な心がまえを問うています。
 彌勒は「浄き真心と知恵がたいせつである」と答える。さらに善財童子は彌勒に求め楼観(ろうかん)の門に入ることを許されます。
→これは『華厳経』の世界観の広大無辺にして、円融相即しているのは、見仏(*)という宗教的体験によって開かれる点を述べたものです。

*見仏の体験とは:『華厳経』に現れた無辺広大の世界観は、単なる夢物語や空想の世界ではない。ほとけの境地に入る三昧である海印正覚(かいいんしょうがく=悟り)の内容を説いたものである。われわれの心が浄(きよ)らかな仏心になりきるとき、ほとけを見ることができる。浄心になりきる方法は=「自我を空ずること」

3.5.3.八会と華厳三十四品、十地との関係
 六十華厳は三四品から成り立っているが、この三四品は八会(はちえ)にまとめられています。
 八会の「会」とはブッダ(毘盧舎那仏)の説法の場所を意味し、第一会と第二会はブッダが悟りを開いた場所として伝えられているマダカ国の仏蹟、第三会から六会は欲天、第七会(マダカ国)、八会(コサラ国)は再び地上となっています。
 八会と華厳三十四品、十地の果報との関係は(下表16)のとおりとなっており、第一会から六会と十地の初地から七地は軌を一にしています。

3.5.4.十地品・入法界品の意義
 後述のように、『華厳経』の中心思想は「性起品」にみられるように、ほとけの生命の現れを説くが、それだけで本来衆生はほとけ、などということになると、修行はいらないことになります。
 本来ほとけであるところのわれわれ衆生が、無限向上の修行を続けていくのだ、と説いたところに十地品などの意義があるわけです。

 

 本日はここまでです。次回は「性起」について取り上げます。

 

 

 

 

 

 


仏教思想概要6:《中国華厳》(第2回)

2023-10-14 08:32:26 | 06仏教思想6

 

(巾着田の曼珠沙華     9月25日撮影)

 

 仏教思想概要6《中国華厳》の第2回目のご紹介です。
 前回は、「第1章 中国華厳宗の成立と発展」をみてみましたが、本日から「第2章 『華厳経』の意味と構成・主な教え」に入り、今回は「『華厳経』の意味と構成」を取り上げます。

 

第2章 『華厳経』の意味と構成・主な教え

 

1.『華厳経』の意味

1.1.『華厳経』の正式名称と意義
 『華厳経』の正式名称は、『大方広仏(だいほうこうぶつ)華厳経』といいます。それは、「広大なるほとけ」という意味であり、ここでのほとけは、時間的にも空間的にも無限であるような人間の分別智をこえた、無分別智でとらえられたほとけでなければならない、としています。

1.2.華厳という言葉の意味
 「華厳」は、サンスクリット語のgandavyûhaで、ganndaは「雑華」、vyûhaは「厳飾(ごんじき)」と訳します。雑華はすべての花、名もない花も含んでおり、雑華としての一輪の花の中には、無限の宇宙の生命が躍動している、というわけです。
 このような雑華をもつ荘厳された世界、それが「華厳」の意味です。

1.3.『華厳経』の教主である「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」とは
 サンスクリット語のvairocanaを音写したことばで、「光明遍照(こうみょうへんじょう)」の意味。もともと太陽のことで、仏の光明の広大無辺なことを表わしたもの、報身仏(ほうじんぶつ、仏になるための修行を積み、その報いとしての功徳をそなえた仏身のこと)と考えられています。
 この大毘盧舎那仏を中心として、生きとし生けるものをはじめとして、あらゆるものが、無限の光明に照らされている世界こそ、『華厳経』のめざしている世界にほかならないのです。

2.『華厳経』の構成
 『華厳経』のサンスクリット原典は失われており、漢訳本としての旧訳本(六十華厳)と新訳本(八十華厳)があります。以下、六十華厳をもとに説明します。
 六十華厳は「八会三十四品」より構成されています。

2.1.「八会」からみた全体構成
 八会の「会」とは、会座のことで、法会・講説などで参会者が集まった場所、またその集まりのことをさします。『華厳経』は、説法の進展につれて、会座の場所は上昇し、悟りを求める修行僧の進展にしたがって心が向上する過程が詳説されており、これを八段階に分けています。(下表10参照)

2.2.品名(章)からみた全体構成
 章は三四品から構成されています。(下表11参照)




 以上三四品の内、もっとも重要なのは性起品(しょうきぼん、ほとけの命の現れを強調(宝王如来性起品))と十地品(じゅうじぼん)・入法界品(にゅうほっかいぼん)(ともに菩薩の修行の段階を説く)の三つの品名です。
 十地品・入法界品は、龍樹以前に成立しており、龍樹以前の大乗仏教運動の高まりが菩薩の修行の過程を説こうとしたと考えられます。
 以下、これら三つの品名の概要と意義につき個々にみていきたいと思います。

 

 本日は少なめですがここまでです。次回は『華厳経』の教えとして「3.「十地品」、「入法界品」の概要と意義」を取り上げます。

 

 

 

 

 

 

 


仏教思想概要6:《中国華厳》(第1回)

2023-10-08 07:53:29 | 06仏教思想6

(巾着田の曼珠沙華     9月25日撮影)

 

 本日より、仏教思想概要6《中国華厳》のご紹介のスタートです。
 このブログはこれまでもご紹介しておりますように、「仏教の思想」(全12巻、インド編・中国編・日本編の各4巻)を中心に、仏教思想の概要をまとめたものです。
 前回から中国編に入っており、前回が「仏教思想概要5《中国天台》」でした、そして今日からは概要6の「中国華厳」となります。

 中国編4巻は「天台」「華厳」「禅」「浄土」よりなりますが、大きく、前2巻が「理論仏教」、後の2巻が「実践仏教」と分けることが出来ます。中国の2大理論仏教の一つ「華厳」、「天台」との違いなども含めて、本日よりみていきたいと思います。
 仏教思想概要6《中国華厳》は4章にまとめてみました。一応6回程度に分けてご紹介の予定です。よろしくお付き合いください。

 本日は、「第1章 中国華厳宗の成立と発展」を取り上げます。

 

第1章 中国華厳宗の成立と発展

1.中国華厳宗の系譜
 中国華厳宗(以下華厳宗と称す)の思想を説明する前にまず、華厳宗がどのように成立し発展したかをみてみたいと思います。
 成立過程の説明の前に、華厳宗の成立・発展に関与した主な人物と組織を系譜で示します。(下図1参照)


2.中国華厳宗の成立

2.1.中国における仏教の成立
 ブッダ没後五、六百年の紀元前後、後漢と中央アジアとの交通発達にともなって貿易商人などの渡来と一緒に隊商達の守護神として仏像や教誡師(きょうかいし)としての僧侶のたずさえた経典などによって、中国へ仏教は伝来します。
 伝来した経典は、渡来僧などにより漢訳されます。(~4世紀前半頃)。やがて、4世紀後半には、当時中国において儒教に変わり発展した道教の老荘思想により仏教は解釈(格儀仏教)されようになり、中国における定着の基礎が作られます。
 同時期に、道安(312-85)やその弟子の慧遠(314-416)は、格義仏教は、老荘の「無」と仏教の「空」を同一視する考え方であり、格義仏教を排斥して真の仏教へ回帰すべきとの仏教思想運動を起こします。この結果、外来宗教の仏教が、彼らにより中国社会に確実に定着しました。

2.2.中国華厳宗の成立過程
 道安や慧遠により仏教が中国に定着した時期に、『華厳経』の最初の翻訳(旧訳または晋訳と称す*)が、東晋において、ブッダバドラ(仏陀跋陀羅)により行われます。これにより、中国における華厳宗の成立への歩みがスタートしました。以下、成立までの概要を、既述の系譜図と一部重複しますが、以下(図2)にて示します。


 *旧訳に対して、唐の則天武后時代に2回目の翻訳がシクシャーナンダ(実叉難陀)により行われ、これを新訳または唐訳と称す。

3.中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想、宗派

3.1.「即事而真」の思想の継承
 南北朝末期から隋代(西暦六〇〇年前後)において、北周の武帝の廃仏毀釈による仏教の発展の遮断後、隋の仏教復興運動によって、インド仏教とは違った、漢民族の精神生活の支柱となる中国仏教の形成をみます。
 それは、現実の中にこそ真理が存在するという考え方で、皮肉にも廃仏毀釈を行った武帝の「即事而道」(現実の中に道を見いだそうとする考え方)の考え方に強く出ています。
 この考え方は、大乗仏教のなかにみられる「煩悩に即して菩提をみる」という考え方と結びき、現実の中に真理をみようとする「即事而真」の思想を成熟させるものであったのです。
 この即事而真の思想は、鳩摩羅什の弟子であった僧肇(そうじょう、374-414)や、やがて宗派的に対立する天台宗開祖智顗(ちぎ、538-597)に強くみられる思想であり、この思想を華厳宗も継承することとなります。(僧肇、智顗にみる即事而真の思想の源 下表1参照)


 華厳宗第二祖智儼は以下のように説いています。
→大乗仏教の根本理念である「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」の考え方は「即事備真」を表すと。(「備」とは具すること)
→完全なる真は事に即さなければ存在するものではない。
 ↓
 華厳における事と理の融即を説く思想の基盤となった思想といえます。

3.2.唯識系諸宗派の成立
 現実に立脚した真理としての「即事而真」の思想を継承することとなった華厳宗ですが、同時に、華厳宗の成立・発展に強い影響を与えた思想があります。それが「唯識思想」です。
 唯識は、インドの仏教思想家の無着(アサンガ310-390頃の人)と世親(ヴァスバンドゥ320-400頃の人)兄弟により大成された思想です。
 兄弟により著された著作が漢訳され、それらの著作をもととした仏教宗派が中国で成立、それらの宗派が華厳宗の成立・発展に大きな影響を与えました。
(華厳宗に影響を与えた仏教宗派 下表2参照)

4.華厳思想を形成した高僧
  華厳宗は、杜順(557-640)にはじまり、第二祖智儼(ちごん 602-668)、第三祖法蔵(643-712)によって集大成されたといわれています。
 新宗教の成立には二つの要因が必要であり、一つは神通力をそなえた特異な宗教者の出現(=開祖者)、もう一つはその宗教者の宗教体験の内容を説明するためのもの(=組織者)の出現があげられます。華厳宗の伝統説にしたがうと杜順が開祖者ということになりますが、異説もあります。
 以下、開祖者杜順、二祖智儼、三祖法蔵のそれぞれの人物像をみていきます。

4.1.杜順の伝記とその神秘性
 信ぴょう性の高い杜順の伝記には、道宣の『続高僧伝』(七世紀中葉)や法蔵の『華厳経伝記』などがあげられます。
『続高僧伝』では、杜順は、性は杜氏、雍州(ようしゅう)万年県の人、十八歳で出家、因聖寺の僧珍(*)に仕えたとあります。
 また、『華厳経伝記』などによると、杜順は「普賢行」を修していたと推定され、普賢行こそ華厳の実践であり、それによって華厳宗の開祖とすることはできます。(唐代の澄観(第四祖)、宗密(第五祖)の時代に杜順を開祖としたものと思われる。)
 普賢の行願とは、『華厳経』「普賢行願品」第四十に説かれている10種の広大な行願を意味します。(下表3参照)


 特に(9)は、あらゆる衆生に随順することだが、衆生の能力は各々異なり、それら千差万別の衆生一人一人に対して暖かき目をもって見守ることが求められます。
 杜順は民衆の崇敬を受け、それは口伝され、人々の知るところとなり、晩年長安に迎えられ、多くの人の崇敬を集めたのです。
*僧珍:野に伏して止観行を修していた人、遊行僧と思われる。学問研究者ではなく、ひたすら坐禅を修していた人と思われる

4.2.智儼の学風
 智儼の経歴を以下に示します。(表4)


 智儼は、単なる学解の人ではなく、どこまでも坐禅や止観を合わせて修した究道の人であったという。『入道禅門秘要』という究道の書物があったと伝えられています。

4.3.華厳思想の大成者・法蔵
 中国華厳思想は三祖法蔵によって大成されたといわれています。(詳細は後述)
 法蔵の経歴を以下に示します。(表5)


 法蔵が生きたのは、女帝則天武后による武周王朝時代でした。則天武后は、『大雲経』(妖僧懐義(えぎ)、法明が参画して作ったもの)を利用して、宗教的権威をも得て、悪逆無道をつくします。しかし、反面、純粋に仏教を保護しました。
 法蔵も多くの被援助者同様、武后の支持を受けながら、華厳の教えを説いたのです。
 法蔵の主な著書としては、 綱要書としての『華厳経五教章』(略称:『五教章』)と注釈書としての『探玄記』があげられます。

5.華厳宗の影響を受けた人々

5.1.『華厳経』信仰グループ・斎会
 南北朝時代から、斎会(さいえ)といわれる僧侶と一般人の修行のための集会(元来は食事を布施する行事)として「法華斎」、「華厳斎」などがありました。
 華厳斎はやがて、規模が拡大し結社化されていきます。(下表6参照)


 グループ信仰の対象例としては、「入法界品」の求道者善財童子に対する信仰や、文殊菩薩・普賢菩薩への信仰、さらに文殊菩薩の霊地としての「五台山」信仰が一般民衆のなかに根付いたということです。

5.2.法蔵以降の華厳宗
 法蔵以後の華厳宗は一時衰退しますが、四祖澄観(738-839)の時に再び盛んとなり、五祖宗密(780-839)と引き継がれます。(下表7参照)


 華厳宗としては第五祖宗密で一応、学統が途絶えます。しかし、その思想は中国史の中に深く浸透して大きな影響を与えたといえます。

5.3.華厳宗の禅宗への傾斜と明恵上人
 華厳宗第四祖澄観、五祖宗密の時代、華厳宗に代わり禅宗が勃興、華厳思想は禅の中へ形を変えて生かされていくことになります。
 また、日本においては、中国同様、奈良時代にはもっぱら学問的関心のみであった『華厳経』に対して、鎌倉時代にはそれへの実践者が登場します。それが明恵上人(1173-1232)です。(明恵の経歴 下表8参照)


 明恵は、「仏光(ぶっこう)三昧観」という観法を修しました。これは、禅との関係からと考えられます。明恵の禅は栄西から受けましたが、「臨済禅」というわけではなく、「一切の求める心を捨て、ただ無所得の心をひっさげて行うところの無所得の行道こそが真実である」としています。
 また、明恵と道元(1200-1253)には多くの共通点がみられます。(下表9参照)


 道元の思想である「只管打坐(しかんたざ)」の仏教の中には華厳の思想が指摘でき、明恵の華厳が道元に影響を与えているのではと推測できます。

 

 本日はここまでです。次回からは「第2章 『華厳経』の意味と構成・主な教え」に入り、次回は「『華厳経』の意味と構成」を取り上げます。