(紅葉と深大寺(調布市)本堂 2022年11月18日撮影)
仏教思想概要5《中国天台》のご紹介の第5回目です。そして、本日で最終回です。
前回までで、「第1章 中国天台思想の背景」、「第2章 天台智顗の仏教思想」とみてきましたが、
今回は「第3章 智顗以降の展開」を取り上げ、仏教思想概要5《中国天台》のご紹介を終えたいと思います。
第3章 .智顗以降の展開
1.中国天台の展開
1.1.天台宗と華厳宗の対立
既述の中国天台の系譜でも示したように、六祖妙楽湛然(みょうらくたんねん711-82)のころ、華厳宗と思想的に対立します。
両者は、基本的には否定即肯定の「第三の絶対」に立ち、また両者とも「一即多・多即一」という点で思想的には共通の立場に立っていますが、以下(表32)の点では相違しています。
一方、両者は対立しつつも相互の思想を取り入れて、それぞれの思想を発展させてもいます。(下表33参照)
1.2.山家派・山外派の論争
天台宗の系譜でも簡単に説明しましたが、天台宗は、湛然以後百年余、唐末や五代の争乱、廃仏運動などで暗黒時代を迎えました。そして、十世紀の趙宋の代に入り、復興のきざしが見えます。しかし、その復興は天台と華厳の論争を天台内部に持ち込んだ、山家(さんげ)と山外(さんがい)、両派の争いでもあったのです。両者の主張の特徴を以下(表34)に示します。
2.日本における展開
2.1.最澄の生涯
以上のように、中国天台は華厳との対立、内部分裂と展開しますが、その後山家派により明代まで本流としての布教が続いたことは中国天台の系譜で既述したとおりです。
一方、上記の山家、山外両派の課題の中でも示したように、両者とも総合統一が課題であったために批判・対決の観念は消え失せるという問題を抱えることとなりました。そして、その問題解決は結局日本において果たされることになります。
それには二つの理由が考えられます。一つは、仏教の諸経論が総決算の形で日本に入ってきたこと、いま一つは、平安末期の古今にまれな社会不安・動乱があげられます。
日本に来て、真に強い批判精神と対決意識が実り、ひいては現実変革としての強力な生成も、日の目を見たのです。そして、これを実現したのは中国にて天台宗をはじめ仏教思想を学び持ち帰った最澄であり、その後継者達でした。(最澄の経歴を以下(表35)に示します。)
2.2.日本天台の進展と天台本覚思想の確立
最澄における最大の課題は大乗戒壇の建立でした。当時、叡山で得度し、沙彌になっても、戒を受けて正式の僧になるには奈良におもむき戒壇をふむ必要があったのです。天台法華宗は公認されても、奈良仏教界の支配から脱するには叡山に独立戒壇を設ける必要があったのです。その戒壇の建立は最澄の死7日後に実現します。
この結果、天台法華を中心として、華厳・密教・禅などの諸思想が統合され、叡山天台が最澄以降仏教ないし思想としては絶頂ともいうべき最後的段階まで発展(総合統一的仏教体系の確立)していきます。
さらに、浄土教をも融合して「普遍・具体・生成」の真理の三要素を完全に近い形にまで結晶させていった、仏教思想の珠玉というべきものが成立します。→天台本覚思想の確立。
2.3.天台本覚思想の問題点と鎌倉新仏教の成立
天台本覚思想の形成者たちは、真理の殿堂の奥深くにあって、もっぱら思索にふけった究理の徒であって、そのあまり絶対一元の境地にひたりきりとなり、現実に対して傍観的となるきらいがありました。生成の原理は十分とりいれながら、現実対決ないし改革という強力な生成の働きは出ないでしまったのです。
時代背景として、平安末期の古今未曾有といわれるほどの社会動乱・不安は、この現実に目をそそぐとき、真理の殿堂奥深くあって絶対一元にふけることを不可能ならしめたのです。
その結果、法然・親鸞・道元・日蓮など、叡山に学んだ代表的な僧が出現、天台法華を土台にまた批判材料として、現実社会を見据えた新たな思想を展開します。→鎌倉新仏教の成立
これらの四人の代表者のうちその時代背景の違いもあり、法然と他の三人(親鸞・道元・日蓮)とは、思想的に明確な差がみられますが、それらをまとめてみると、(下表36)のようになります。
天台法華あるいは仏教思想が歴史形成の原動力となり、現実改革・理想実現の積極的な生成力動を発動した好例を、鎌倉新仏教に見出すことが出来ます。
以上、仏教思想概要5《中国天台》完
長らくのお付き合いいただきありがとうございました。仏教思想概要の中国編の最初、「中国天台」をみてきました。いかがでしたでしょうか。
インドで生成された仏教の諸思想を整理し、価値判断をした結果『法華経』を第一とした天台智顗は、中国的思考も加えて独自に天台思想を創始しました。
その思想は、中国的な現実を重視した、仏の本性として悪ありという「性悪説(しょうあくせつ)」をもうちだされた、絶対的絶対、一即多・多即一、一念三千の総合統一的、全体的世界観であったと言えます。
そして、この絶対観は次回に取り上げる「中国華厳」へも、思想的な対立はありつつも受け継がれていきます。
ということで、次回からは「仏教思想概要6《中国華厳》」のご紹介となります。しばらくお待ちください。