SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要7:《中国禅》(第1回)

(神代植物公園の紅葉      12月7日撮影)

 

 仏教思想概要7《中国禅》の第1回目のご紹介です。
 仏教思想概要も中国編に入り、「天台」「華厳」とみてきましたが、本日より「禅」です。
 中国禅は思想的には前回みた「中国華厳」の影響を強く受けています。一方、華厳は実践面ではその役割を禅にゆだねています。つまり両者は相互依存の関係にあります。
 といった点も含めて、中国禅につき、本日よりご紹介していきます。どうぞお付き合いよろしくお願いいたします。 
 そして、第1回目の今回は「第1章 中国禅宗の成立」を取り上げます。

 

第1章 中国禅宗の成立

 

1.中国禅宗の系譜

 中国禅宗に思想があったかという点になると、多少の疑問があります。中国華厳宗の概要でも取り上げたように、中国禅は中国華厳の思想的影響を強く受けています。華厳宗にも実践論はありますが、その実践方法は観念的な内容となっており、具体的な実践法はありません。結果としてそれは禅宗にゆだねられます。一方、禅宗は中国仏教の中で唯一思想的な背景となる仏典を持ちません。その点は華厳思想にゆだねることになります。つまり、思想面、実践面で華厳宗と禅宗は相互依存の関係にあったといえます。
 とはいえ、宗派としての禅宗も、自派の発展のためには布教活動は必須であり、そのための背景となる思想が必要となります。ということで、仏典によらない禅宗の思想がどういうものであったのかを、以下みていきたいと思います。

 前置きが長くなりましたが、中国禅宗(以下禅宗と称す)の思想を説明する前にまず、禅宗がどのように成立し発展したかをみてみたいと思います。
 成立過程の説明の前に、禅宗の成立・発展に関与した主な人物と組織を系譜で示します。(下図1参照)

 本文では、禅宗の系譜については詳しく述べられていません。このため、上図は、ウキペディアなどのネットの情報も参考にして整理しています。
 この図は、禅宗の宗派としての隆盛を中心に整理したものです。このため「思想」といった点を中心にとらえると、例えば、禅の二大祖師の一人である「行思」などは本文では登場しません。また、禅宗の伝説的な時代である正伝の時代も本文では詳しい説明はありません。(なお、後半になりますが、「仏教思想概要11 《道元》」において取り上げる予定です。)

 思想面では、南宗禅の祖師「慧能」と北宗禅の祖師「神秀」、その後の主流となった南宗系の道一と神会が中心に中国禅が形成されます。以下、その内容をみていきたいと思います。

 

2.中国禅思想の成立

2.1.中国仏教と中国禅

(1)体用論とは
 中国思想を考える上で重要な思想に「体用論」があります。それは同時に、中国的な仏教思想のもっとも基本的な概念といえるものです。(「体用」とは本体と作用のことで、宋代の儒学者が用いた哲学用語)
「僧肇の『涅槃無名論(ねはんむみょうろん)』にみる「体用論」(表1)

(2)中国仏教諸宗の基礎にすえられた無の体用論
 造物者の絶対性をもっともきびしく退けたのがブッダの宗教の出発でありました。一方万物の根源に形而上的な一者を認めることをたえず拒否しつづけてきたのは、ほかならぬ中国人の思惟でした。無の体用論は、そうしたインド仏教にも中国思想にももっていなかった独自の論理として、中国仏教の基礎にすえられました。

(無の体用論)
「主体的な無は、無といっても主体であるゆえに、つねに失われることがないもの、しかも失われることがない主体としての無がつねに有の世界にはたらく。
 有の世界のすべてが、無のはたらきと見られるとともに、無はつねに有の世界にあることになる。→中国的な思惟では、有と無はつねに冥合し連絡している。」

(3)『大乗起信論』の出現と中国禅の形成
 六朝末の『大乗起信論』の出現により、真如の体・相・用という三大の組織により体用論はよりいっそう強められることとなりました。
 唐代の華厳学者はこれを現象世界の根源にある絶対的一者と考え、現象をその起動と解したのであり、そうした形而上的な真如の理解のうえに、やがて中国禅が形成されたのです。

 

2.2.一行三昧と初期中国禅の成立

2.2.1.天台と中国禅
 初期中国禅宗の歴史は、天台の『摩訶止観』との対決からはじまったといえます。つまり、天台の止観と実践との相違を智顗より古いボダイダルマに求めたことによります。(禅宗の四祖・蘄州双峰山(きしゅうそうぼうざん)の道信(580-651)、五祖弘忍(601-74)の頃で、活躍した山の名により「東山法門(とうさんほうもん)」とよばれた)

(1)天台智顗の意義と一行三昧の成立
 智顗は、クマーラジーヴァによって中国に伝えられたインド大乗仏教の空の哲学とその実践を、中国人の宗教として組織づけ、最初のすぐれた成果をあげました。特に『摩訶止観』による瞑想法の体系化があげられます。(下表2『摩訶止観』の構成と概要参照)

 人間の一般的な人のあり方を、歩くこと(行)、とどまること(住)、足を交えてすわること(坐)、および横になって眠ること(臥:が)の四つとし、とくに瞑想にふさわしい姿勢として、坐と行をとり上げています。
 しかし、智顗の四種の禅法については、総合的な行であり、その価値はおなじものであったのですが、異なった瞑想は一度に実習できぬため、人々の関心によりいずれか一つが選ばれ、坐禅か念仏のいずれかが中心となりました。→一行三昧の成立
 事実、『摩訶止観』の書かれた時代に前後して、禅と浄土教という二つの異なった実践運動が同時に起こっています。

(2)東山法門の主張
 「円頓」とよばれる天台の総合的な教と観の体系に対して、禅宗の実践的な関心は、より単純であり、いっそう直截的(ちょくせつてき)であったのです。
 『六祖壇経』(*)では、「一切時中に行住坐臥を通して、つねに唯一なる直心(じきしん)を行ずるのが一行三昧だ」といっています。ここでの「直心」とは根源的な形而上的な一心の意のことです。
 つまり、本来的な一行三昧は『般若経』の中にその名を見ることができ、この三昧のほかに、さらに余行はないとせられたのに対して、この時代におなじく一行三昧を説く別の経典や論書が、しきりと人々の関心をひいたのです。→代表例に『大乗起信論』があるが、この書での一行は、形而上学的な一心のはたらきをさしている点で、『般若経』の正しく般若ハラミツと応ずる一行とは、すでに本質を異にしているのです。

*六祖壇経:弟子の法海によって編集された、禅宗の第六祖曹渓慧能(そうけいえのう、南宗の祖とされる)の言行録のこと、のちに経典に準ずる扱いを受けた。

2.2.2.華厳と中国禅

(1)一心の展開
 前述の一心について、その展開を道信の『楞伽師資記(りょうがしじき)』にみることができます。(下表3「道信のことばの例」参照)

 これは、『起信論』にある、生滅心の最初の動きの内省する意味の「絶対的な目ざめ(「究竟覚(くぎょうかく)」)を説明する内容によっています。
 絶対的な目ざめは、『起信論』では、如来または仏の位に至ったものの知恵とされ、別に真如三昧、もしくは金剛三昧、一行三昧ともよばれ、まさに宗密のいう最上乗禅の意です。
→道信の坐禅は、すでにそうした根源的な悟りの性格をもっていたもので、のちの神秀(じんしゅう606?-706)に始まる北宗禅の哲学も、こうした構想にもとづいて展開されることとなります。

(2)華厳の哲学との結びつき
 初期禅宗の人々の単純で具体的な実践による関心は『楞伽経』や『起信論』の一心の説に移ることによって、しだいに根源的に唯一なるものに深まることとなりました。さらに北宗禅の形成の時期には、長安を中心として栄えていた華厳の哲学と結びついていきます。
 この時代を期として、中国禅宗は、すでに単純な坐禅や瞑想の域を超えて、独自な形而上的一心の探求にすべての関心を注ぐようになります。
(華厳と禅宗の結びつきの事例(表4))

 やがて、華厳の側からも澄観(738-839)、宗密(780-841)らが出て、この派の禅に特別の注意を払うようになります。

2.2.3.北宗禅(神秀)の主張

(1)神秀の主張の概要
 ダルマ系禅宗が、華厳の哲学と結んだのは、両者がともに中国的に独自な形而上的絶対性の問題に特別の関心をもったためと思われます。その事例を北宗禅の神秀(北宗禅)の『観心論』にみることができます。(下表5参照)

(2)禅と華厳(前述神秀の主張の解説)
 書き出しは『般若心経』を模したもので、その後は、ほとんど『起信論』によっています。
 『十地経』の引用部分は、華厳哲学の形成に大きい影響をもっていた『十地経論』やこれによる地論宗とダルマ系禅がなんらかの交渉をもっていたことがうかがい知れます。特に、『十地経』にいう金剛仏性が、『起信論』の絶対の目ざめの主体と比せられることはおおいに注意すべきことです。(『起信論』の絶対の目ざめと神秀の説(下表6参照)

(ここでの注意点)
 神秀が、自心の体である真如に目ざめることを強調しているが、現実の煩悩の始末にまったく問題にしていない点。
→同時代の浄土教が、ひたすら現実の罪悪性の追究に沈潜していったのと、きわめて対蹠的です。
→『起信論』の教えは、煩悩の非本体性と真如の不生不滅であり、無自性空であることを前提としています。天台仏教の特色とされる性悪説や、一念三千の解釈とはまったく異質です。

 ここには、僧肇とおなじ中国独自の形而上的主体性の根強い関心が見られる。きわめて楽天的で、しかもはなはだ実践的な思惟があります。初期禅宗の人々が、実践をそうした『起信論』の真如思想に体系づけたことは、その後の禅思想の発展に決定的な方向を与えたといえます。

 

 本日はここまでです。
 次回から第2章の中国禅の発展に入り、次回はそのうち「1.北宗禅と神会の主張」を取り上げます。

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