Programmer'sEye

1エンジニアとして、これから先のコンピューターと人との付き合い方を考えてみたい。

はじめの一歩

2004年03月16日 01時43分46秒 | 人とコンピューター
別に某雑誌に連載されている漫画のタイトルではない。
このBlogの第一日目の書き込みだから、「はじめの一歩」である。

このページでは、出来るかぎり、自分たちの生活がこれから先にどのように変わっていくのか、ということに着目をしてみたいと思っている。

すでに、世の中には数多くコンピューターをネタとしたBlogがあるかとおもうが、その多くは、多分「コンピューター」自体をネタとしてしまっていたり、その表面上でしかコンピューターを捕らえていなかったりするのではないだろうかと思う。

まかりなりにもコンピューターにかかわる仕事を続けてきて、アーキテクトとして働いている。
数多くのシステムのアーキテクチャを見ることで垣間見えるものがある。
コンピューターをどんなことに利用したいと考えているのか。
コンピューターがどんなことに利用できるようになるのか。
ほんの少しではあるが、見えているものもある。

自分でWebページも持っているが、それらのことを書いたことはあまりない。
Webページを書くことは、自分にとっては自慰行為のようなものだからである。
昔いわれた「便所の落書き」というものだろうか。
内容的にそんなことを書いているわけでもないとは思うが、ほかの人が見て楽しいものかと問われれば、否、としかこたえられない。
所詮、個人が趣味で書くHPはそんなものだと思う。

Blogを書く、ということは、そのようなHPを書く行為とは、少し違ったものだと思っている。
多くの個人のHPは、仲間だけが集まり、そこから発信される情報は、その多くがその場でしか消費されない。
しかし、Blogの場合はそうではない。
あるWebページを見て、そこにコメントが付き、そのコメントを元の作者が見て反応が付き、またそれを読んだ人が反応を返す。
そのようなシステムがある。
べつに個人のHPでも出来ることではある。
が。
システムとして成立しているものでなければ、利用者はそのような使い方をしようとしないというのが、昨今のインターネットアプリケーションの特徴である。
コンピューターが大衆化したことの表れ、といえるだろうか。
なんにせよ、そのようなことから、通常のHPではおこなわれなかった、双方向の情報交換が、システムによって行えるようになっている。

もしこれが無限に広がるものであるとするならば、その全体を見たときにはある種の人工知能を形成するようなものになる。

あるポイントに信号が入力された際、同じような信号が何度かそのポイントに入ることで、増幅され、他のポイントに信号が伝えられる。
その繰り返しにより最終的な結果が得られ、またその結果から新たな信号が生まれる。
Blogが生み出す双方向コミュニケーションを突き詰めて考えれば、上記したような、一種の脳のシミュレーションのようなことをやっているものと取れると思う。
脳との違いは、ただ、その信号の伝達方法が、人がページを書くという行為だというそれだけではないのか。

出力内容があいまいだということはあるかもしれないが、もともとの人間の出力にせよ、かなりあいまいである。
何千満開と繰り返し行われた動作によりその出力がある程度安定したものになっているだけで、腹の中にいる胎児の出力など、決まっていないどころの話ではない。

もし、社会を動かすための決まりごとを決めるためのスイッチが世の中にいくつかあり、そのスイッチのどれとどれに信号が入るかによって物事が決められていくとしたときのことを考えてみよう。
インターネット全体につながったPCがそれぞれ信号を受けたらそのときのメモリの状態によって反応を返す先が変わり、最終的な出力を人間が判断して多数決で受け付ける受け付けないが変わり、その成否によりコンピューター内部のメモリ状態が最適化されていったら。

まさしく脳と同じシステムを構成することに、なりはしないのか。

っと、こんなことを、このページには書いていきたい。
少し時間が遅くなったので、これを始めの一歩としよう。

これから何が書かれていくのか、自分でも解らないが。