Programmer'sEye

1エンジニアとして、これから先のコンピューターと人との付き合い方を考えてみたい。

で、情報の次は?

2004年12月09日 18時44分52秒 | 人とコンピューター
インターネットが高速道路みたいなもの、と言い表されたことには、かなり感心した。
そうかぁ、そんな表現もあるのだなぁと。

しかし、情報にとっての物流が無くなる、ということからしてみれば自然な話であって。
しかしまぁ、いきなり話をそこできってしまってもしょうがないので、続けてみよう。

まず考えるべきは、なぜ現段階での人類が「肉体労働」以外の労働形態である「知識労働」という労働形態を手に入れることが出来たのかということである。
この点については、「技能」を「技術」とすることが出来たことによる影響が大きい。
「技能」を「技術」とするとは、個々の人間の活動の中からそこにある「知識」を取り出した、ということである。
余剰生産力の確保や移動手段の確立などには、生産活動の質の均一化などのための「技術」が必要であった。
まずここで、人間の「活動」においても「情報」が価値をもつものであると意味付けることが出来る。

インターネット発生後、将棋やプログラムについて素人でも「センス」など以外における「技術」「知識」では、ものすごい速さで強く、すごくなるというお話があったが、もとの「技術」の発生から考えると、もっともなことといえなくもない。

そしてつぎに、インターネット出現以前の「技術」の伝播について考える。
インターネット出現以前に「技術」「知識」を遠隔地に伝えるためには、その「技術」「知識」を持つ人がそのまま移動するか、または紙や音の形で残しそのものを移動させねばならなかった。
結局、どのような形にせよ、何かしらの物流がそのあいだに発生せねばならなかったのである。

後に電話が発生し、「音」というものに対しての流通は飛躍的に発展することとなるが、ここで問題になるのは電話による通信は、発信者と受信者の二者間通信だということである。
紙や音の媒体に落とされた形式であれば、それを共有することも楽ではあるが、二者間通信としてしか成り立たなければ、そのあいだのみでの「技術」「知識」の共有としかなり得ない。
また、電話のみでは、表現能力が低く、全ての「技術」「知識」を伝えるに至らない事柄も存在する。

これらのことから、電話の発生も、「技術」「知識」の共有に必要な速度を飛躍的に高めるにいたらなかった。

そしてインターネットが発生し、文字、音声、映像など、ありとあらゆるものが転送される対象となった。
その表現能力の向上、またWEBなどの形で情報を蓄積し、誰もがその情報を共有できるという特質が、電話ではなし得なかった、知識の共有に必要な速度の劇的な改善をなすこととなったのである。

一つの「技術」「知識」が世界全体に広まるまでにかかる時間を考えると、電話発生以前は100年ほど、電話発生以後が10年ほど、インターネット発生後は1年ほどになっているのではないだろうか。

インターネット以後の世界は、ドッグイヤーなどといわれるが、ある意味、「知識」「技術」は何処でも同じになってしまう世界の上で競争しているのだから、あたりまえなのかもしれない。
今までは、それぞれが足りない知識を補うのに数年もの長い時間がかかっていたにもかかわらず、今はものの30秒もあれば見つかることさえあるのである。