Programmer'sEye

1エンジニアとして、これから先のコンピューターと人との付き合い方を考えてみたい。

正しいやり方

2004年08月23日 14時58分47秒 | 人とコンピューター
今日は、以下の梅田氏のエントリーへのトラックバックを。

Google創業者の強気に振り回され続けた異例のIPO

梅田氏は、上のエントリーの中で、以下のように書いている。

Googleは素晴らしい会社だと心から思うが、5月初旬に本欄で強く批判したGoogleの唯我独尊的経営思想、公開後も創業者だけが十倍の議決権を有する特別株式を持つ資本構造に対する違和感は全く消えていない。

また、こうも書いている

Googleの2人の創業者は、これまでに公開したあまたのベンチャー創業者たちとは全く違う扱いを受けて公開したのだ(無理を通したと言うべきだろう)ということは記憶しておいたほうがいいし、公開企業Googleのこれからを考えていくときに、この要素は非常に重要だと僕は相変わらず考えている。


梅田氏は、Google幹部のとった今回のIPOの方法については、その是非を「直接は」書いてはいない。
ただ、言葉の端々を拾っていくと、株主が決議権を持つという株式会社のありかたとして、一部の優先的な株主のみが実質的な決議権を握るということが、社会的に、そして今後のGoogleの発展において、よいことであるのかどうなのかに対する不安のようなものを感じているのではないか、と思う。

株主総会や、決議権の意義を考えれば、今回のIPOにより公開された株式に付加された条件は、理不尽なものである。
株式に決議権が付与されるということは、一部の関係者による私欲にそった会社の運営を阻止する意味合いがあり、会社本来の意義である公共の利益に反する行動を抑制する鍵となる。
今回公開された株式に付加された条件は、その決議権を実質的に与えていないという点において、株式会社のあり方に反している。

社会の健全な育成を考え、会社の意義である公共の利益を考えるのであれば、その点に違和感を感じてしかるべきだと思う。
ましてや、会社の規模が大きければ大きいほど、話題性が高ければ高いほど、その公共性は高くなり、Googleはその意味においても、今回のIPOの方法に関して、異議をもたれても仕方が無い。

Googleの創業者たちもこのことはわかっていたはずである。
にもかかわらず、彼らは今回の方法をとった。
そして、Googleの創業者たちは「正しいやり方」を通している、という。

そのことを考えると、きっと、Google創業者たちは、今の株式市場に対して、投機的な意味合いしか見出せていないのだろうか。
株式公開の価格設定を高くしたことも、自分たちの会社の株式が、投機の対象になることを避けるためにしたことではないだろうか。
そしてそれは、Google創業者たちが、Googleという会社を運営するにあたり、内部の人間のみで十分に運営できるというおごりにも似た感情をもっていることを、表しているのではないだろうか。

だからこそ梅田氏は、
彼らが万能感を持ったときの姿は、美しくもあり醜くもある。
っと、書いたのでは、ないだろうか。

そう、私は考える。

しかし、私は、今回Googleの幹部たちが取ったIPOの方法について、至極当然のことではないだろうかと、考えている。
万能感についての異論は無い。
でも、これからのGoogleの発展を考えると、今回の方法が最善だったと思う。

私の予想が正しいならば、ではあるが、近い将来、株式市場から投機的な動きは消えることになるだろう。
消えなかったとしても、今までのように会社の経営が株価に影響されるようなことは、少なくなっていくだろうと考えている。
株式という仕組みが本来の目的のとおりに働くためには、そうならなければいけない。
また、以前に書いた「過半数の絶対正義」のもとに、不当な収益、労働の対価に不相応な収益というものは、社会から撤廃されていくとも考える。
本当にそれがかなうのであれば、今回Google幹部たちが取ったようなIPOの方法は不要だ。

しかし。

現実するとしても、それまでにはまだ時間がかかる。
それそこが、問題なのだ。

市場の流れ、世の中の流れをマクロな、永続的な視点で見れば、全体としては「正しいやりかた」のもとに発展しているのは、確かなことだろう。
ただし、その発展の中で、必ずしもはじめに変化をもたらしたものが、その水ら起こした変化によって社会に受け入れられたかといえば、それは、否というよりほか無い。
あるものが「正しいやり方」により起こした変化の流れの中で、そのあるものがその流れの先頭にたちつづけることが出来るかどうかは、解らないのである。

だから、Google幹部たちは、自分たちの「正しいやりかた」によって起こった変化の流れの中で、その流れを作ったものとしての利益を享受したいからこそ、今回のようなIPOの方式をとらざるを得なかったのだろう。
それが、本来あるべき姿と思われるのだから。

なにも、「IPO」という企業活動の一面のみにとらわれなければ、今回Googleがとったような態度を記した企業は、初めてではないだろう。
今までにも、そのような企業はたくさん存在したはずだ。
「正しいやり方」が普及さえしてしまえば、その方法をとっているということが企業のアドバンテージとなり、黙っていても顧客がつくような状況になる。
しかし、その方法だと、普及しない限りは、その方法を理解できない顧客、関係者からは拒絶されてしまうだけになる。
Googleと同じような態度をとった企業の多くは、その「正しいやり方」が普及する前に自分たちの体力が尽きてしまい、その第一線から脱落してしまっていることがほとんどだったのではないか。

そのときそのときの、正しいあり方、をあらわしたものこそが利益を得られる、ということは、普遍の「正しいあり方」であるはずにもかかわらず、それが行われない現状。

今回のGoogleの「おごり」は、そういう状況に飲み込まれまいとするための必死の抵抗だったのだと、そう思っている。
世の中は、それほど馬鹿ではないと同時に、それほど賢くも無い。
社会の中では、今回のGoogleの行動は、不安を抱かせるものだったかもしれないが、わたしは、今回のGoogleの行動を、賞賛したい。

っと、だいぶ前に書いたものをほったらかしにしてしまった。
8月23日に書き始めたもののようなのだが・・・。
ただまぁ、いまだ、梅田氏がIPOについて思うところを語られていないようなので、よしとしよう。

梅田氏の思うところを、お聞きしてみたいと思っていることを記述して、今日はこれにて。