ふと、父と母が幸せそうに笑いあっている顔が浮かぶ。
父が怒鳴っている絵が浮かぶ。
母が泣いている絵が浮かぶ。
しかしまた、父の冗句に笑っている母が浮かんだりする。
そしてさっきまで、父の精神的虐待に、頭に血がのぼっていた、
私がいる。親なんて大嫌いだけど、自分の身の程を考えると、
割り切って協力するしかないんだな、と吐き捨てるように
思っていた自分が浮かぶ。
親も未熟だ。その人たちの受精卵から出来上がった私も未熟だ。
まぁ、生まれ損だよとか、ひねくれる自分もいる。それを、客観視している自分がいる。
親も、我が子を初めて所有した、初心者なんだし、
私も、この人生、初めてなのだから、色々いざこざは、天命でしょうね。
父も母も、劣等感の塊。それを見抜く方法を教わったのは、一人さんから。
劣等感の塊で、愛と言う名の暴力を受け続けた私も、御多分にもれず、
劣等感の塊です。
ま、私も年齢だけとれば、38歳ですから、もはや親子、という表現も、
合ってるんだけど、違いますよね。パパ、ママ、なんて表現は、遥か昔の
お話です。
この両親、あの兄弟、あの野郎、あいつら、等々のおかげで、
損をした、のではなく、その人達が、一番の人生の師匠達だと
考えると、今もまさに、現状が極悪の果ての果てだとしか思えなくても、
私の魂の成長の糧になっているのかもしれません。
ああだ、こうだと、不平不満が湧いてくるけど、
どう考えても、私は自分の今の現状、取り巻く世界が、
上手くいっているとは思わないけど、もし、このまま
この世の修行を続けて、死を迎え、また生まれ変わった来世には、
この今世の自分より、必ず魂的に向上し、成長した人間に
なっているのかもしれないです。
貴方のためではない、誰のためでもない、人は自分のために
生きる。人の期待に応えようとすれば、無理がたたる。
人と自分を比べれば、必ず落ち込む。
私と少しでも関わりのある、周辺の人達は、それぞれが、
自分のために生き、それぞれ個々に、魂の成長のために
生きている。自分が自分を一番大切にしないのに、
他の誰かを大切に出来るはずがないとも、思います。
こういう言い方は失礼かもしれないけど、一番身近な
父にしろ、母にしろ、私が見るに、昔の人らしく、
健気な生き方してるなあと思う。
父親の精神的虐待を、なんとか、たこ焼きひっくり返すように、
くるっと反転できないものかな。やっつけるんじゃなくてね、
くるっとうまい具合にあしらう事を、思いつきたい。
最近になって分かってきたけど、一番最初に私に劣等感を
植えつけたのは、父の粗暴な、我が子いじめですね。
私が幼い頃は、それは楽しそうに、父は私をいじめたものです。
もう、今は父も68歳になりますが、いまでは、腕力では
私に劣りますから、本当に呆れてしまうのですが、
絶妙の間で、私の心を、遠回しに虐待してきます。
でも、それも、前述の話に戻ると、私がこの父親を
選んで、生まれてきたわけで、この父のいじめも、
必ず、私にとっては、必要なものに違いないのです。
世の中のニュースで、子供が親を殺したとか、
親が子供を殺したとか、よくあるでしょ。
あれ、分かりますよ。いや、もちろん殺人は駄目なんだけど、
要は、殺してしまう前に、上記のような、この今の苛立ちや、
精神的苦痛は、他でもない自分自身の魂の成長のために、
神様が意図して、お与えになっているんだと思うか、思わないかで、
実際に、親や子供に暴力をふるったり、殺してしまったりするか、
または、これは私にとって、修行なんだと、捉えるかの二者択一なんだと、
私は思います。
まあ、僕もやせ我慢してますよ、実際のところは(^^;
父が嫌味を言えば、腹も立ちますし、ほんと、こいつ
殺したろか~!wって思う時ばっかりですよ。
でも、烈火のごとくキレたくなる自分の気持ちも、
非常に良く分かりますが、キレたり、暴力とか殺人行動
起こす前に、ちょっと静かに考えてみると、あ、これも
魂の成長のために、父は神様にやらされていて、かく言う
私も、神様にやらされていて、なら、そんなことをする
神様とやらが、一番の悪者では?、と思うところですが、
見事に、考えて心を鎮めると、神様のご褒美として、
ふっと、何ともいえない安堵感に包まれたりするんです。
根拠のない、自信がふつふつを湧いてきたりもするんですよ、ほんとに。
俺は負けないぞ、絶対に、どんなにムカついても、キレる前に、
よく考えて、心の中を鎮めたら、またあの乗り越えた安堵が
得られるんだ、と思うんです。
頭が良い悪いの問題ではないです。これは例えですが、
勉強がすごく出来る人の中でも、とんでもない犯罪行為
しちゃう人もいるし、その逆もまた、そうですし。
なので、許そうってことです。そして、私が今世、
もっと魂を磨いて、もし父がまだ元気なうちに、
怒らずに、順序立てて、自分の気持ちを、諭すように
説明できるようになったら、それが父にとって
冥途の土産になるってものです。
自分で言うのも何だけど、僕って本当にくそまじめでね、
父のことは嫌いだけど、父のために仕事頑張ろうとか、
母のために、洗濯や洗い物はやっておこうとか、
そういう真面目さがあるんですが、やっぱりそれは、
正しいようで、間違いですよね。
自分のために、仕事を頑張るんです。
自分のために、家事手伝いも、頑張るんです。
それで、自分で自分を褒めて、魂もふっと上の方へ
上るだけ上っていくのが、人生というものかもしれないです。
ps ブログ村のランキングをいったん抜けたけど、また
時が経てば、参加させて頂くかもしれません。
ひとりごとにしても、すごくDOPEなひとりごとが、
この記事なので、いったん抜けさせて頂こうと思いました。
父が怒鳴っている絵が浮かぶ。
母が泣いている絵が浮かぶ。
しかしまた、父の冗句に笑っている母が浮かんだりする。
そしてさっきまで、父の精神的虐待に、頭に血がのぼっていた、
私がいる。親なんて大嫌いだけど、自分の身の程を考えると、
割り切って協力するしかないんだな、と吐き捨てるように
思っていた自分が浮かぶ。
親も未熟だ。その人たちの受精卵から出来上がった私も未熟だ。
まぁ、生まれ損だよとか、ひねくれる自分もいる。それを、客観視している自分がいる。
親も、我が子を初めて所有した、初心者なんだし、
私も、この人生、初めてなのだから、色々いざこざは、天命でしょうね。
父も母も、劣等感の塊。それを見抜く方法を教わったのは、一人さんから。
劣等感の塊で、愛と言う名の暴力を受け続けた私も、御多分にもれず、
劣等感の塊です。
ま、私も年齢だけとれば、38歳ですから、もはや親子、という表現も、
合ってるんだけど、違いますよね。パパ、ママ、なんて表現は、遥か昔の
お話です。
この両親、あの兄弟、あの野郎、あいつら、等々のおかげで、
損をした、のではなく、その人達が、一番の人生の師匠達だと
考えると、今もまさに、現状が極悪の果ての果てだとしか思えなくても、
私の魂の成長の糧になっているのかもしれません。
ああだ、こうだと、不平不満が湧いてくるけど、
どう考えても、私は自分の今の現状、取り巻く世界が、
上手くいっているとは思わないけど、もし、このまま
この世の修行を続けて、死を迎え、また生まれ変わった来世には、
この今世の自分より、必ず魂的に向上し、成長した人間に
なっているのかもしれないです。
貴方のためではない、誰のためでもない、人は自分のために
生きる。人の期待に応えようとすれば、無理がたたる。
人と自分を比べれば、必ず落ち込む。
私と少しでも関わりのある、周辺の人達は、それぞれが、
自分のために生き、それぞれ個々に、魂の成長のために
生きている。自分が自分を一番大切にしないのに、
他の誰かを大切に出来るはずがないとも、思います。
こういう言い方は失礼かもしれないけど、一番身近な
父にしろ、母にしろ、私が見るに、昔の人らしく、
健気な生き方してるなあと思う。
父親の精神的虐待を、なんとか、たこ焼きひっくり返すように、
くるっと反転できないものかな。やっつけるんじゃなくてね、
くるっとうまい具合にあしらう事を、思いつきたい。
最近になって分かってきたけど、一番最初に私に劣等感を
植えつけたのは、父の粗暴な、我が子いじめですね。
私が幼い頃は、それは楽しそうに、父は私をいじめたものです。
もう、今は父も68歳になりますが、いまでは、腕力では
私に劣りますから、本当に呆れてしまうのですが、
絶妙の間で、私の心を、遠回しに虐待してきます。
でも、それも、前述の話に戻ると、私がこの父親を
選んで、生まれてきたわけで、この父のいじめも、
必ず、私にとっては、必要なものに違いないのです。
世の中のニュースで、子供が親を殺したとか、
親が子供を殺したとか、よくあるでしょ。
あれ、分かりますよ。いや、もちろん殺人は駄目なんだけど、
要は、殺してしまう前に、上記のような、この今の苛立ちや、
精神的苦痛は、他でもない自分自身の魂の成長のために、
神様が意図して、お与えになっているんだと思うか、思わないかで、
実際に、親や子供に暴力をふるったり、殺してしまったりするか、
または、これは私にとって、修行なんだと、捉えるかの二者択一なんだと、
私は思います。
まあ、僕もやせ我慢してますよ、実際のところは(^^;
父が嫌味を言えば、腹も立ちますし、ほんと、こいつ
殺したろか~!wって思う時ばっかりですよ。
でも、烈火のごとくキレたくなる自分の気持ちも、
非常に良く分かりますが、キレたり、暴力とか殺人行動
起こす前に、ちょっと静かに考えてみると、あ、これも
魂の成長のために、父は神様にやらされていて、かく言う
私も、神様にやらされていて、なら、そんなことをする
神様とやらが、一番の悪者では?、と思うところですが、
見事に、考えて心を鎮めると、神様のご褒美として、
ふっと、何ともいえない安堵感に包まれたりするんです。
根拠のない、自信がふつふつを湧いてきたりもするんですよ、ほんとに。
俺は負けないぞ、絶対に、どんなにムカついても、キレる前に、
よく考えて、心の中を鎮めたら、またあの乗り越えた安堵が
得られるんだ、と思うんです。
頭が良い悪いの問題ではないです。これは例えですが、
勉強がすごく出来る人の中でも、とんでもない犯罪行為
しちゃう人もいるし、その逆もまた、そうですし。
なので、許そうってことです。そして、私が今世、
もっと魂を磨いて、もし父がまだ元気なうちに、
怒らずに、順序立てて、自分の気持ちを、諭すように
説明できるようになったら、それが父にとって
冥途の土産になるってものです。
自分で言うのも何だけど、僕って本当にくそまじめでね、
父のことは嫌いだけど、父のために仕事頑張ろうとか、
母のために、洗濯や洗い物はやっておこうとか、
そういう真面目さがあるんですが、やっぱりそれは、
正しいようで、間違いですよね。
自分のために、仕事を頑張るんです。
自分のために、家事手伝いも、頑張るんです。
それで、自分で自分を褒めて、魂もふっと上の方へ
上るだけ上っていくのが、人生というものかもしれないです。
ps ブログ村のランキングをいったん抜けたけど、また
時が経てば、参加させて頂くかもしれません。
ひとりごとにしても、すごくDOPEなひとりごとが、
この記事なので、いったん抜けさせて頂こうと思いました。