居場所。

ネット空間の中の私の居場所が欲しくて作りました。
よろしくお願いいたします。

天国言葉を言ってみました☆

2015年04月29日 20時47分30秒 | 日記
天国言葉


愛してます
ついてる
嬉しい
楽しい
感謝してます
幸せ
ありがとう
許します

私は愛と光と忍耐です

私は神です、貴方も神です、みんな神です

アメノミナカヌシ様、お助けいただきまして、ありがとうございます☆。

そこにはそこの良さがある。

2015年04月27日 15時06分44秒 | 日記
こんにちは(/゜ー゜)゜ー゜)ノ ヤァ♪。

うららかな、春の日差しに、包まれて、という今日この頃、この地方です。

多分、一番いい季節かもね、春っていうのは。暑くもなく、寒くもなく。

ちなみに、僕は春と秋が好きの、分かりやすい人間ですw。

勝手な考えですけど、独断で言わせていただくと、夏が好きって人は、

いわゆるアウトドア派な気がします。夏だ、海だ、花火だ、って、

アウトドアですもんね。

うーむ、冬が好きって人は、あまり聞いたことありませんね、なぜだろう。

ちなみに、冬の良い所ってどういうところかな?。

豊満な方には、ありがたい季節かもしれないですね。

あと、スキーやスノボーなどが好きな人は、ウインターが好きかもしれません。

でも、それを言っちゃあ的な発言ですが、オールシーズンそれぞれに良いところがあって、

それぞれに全部、大好きです!って言える人が一番かもね(^^)。

これは季節だけのことじゃなくて、例えばですけど、ここでクイズです!Q(いきなり)。

「貴方は自分が住んでいる所が、好きですか?。」

というクイズがあったとします。

もし、そう問われたら、好きです!と言える人がいいなぁと思います。

日本は謙遜の美徳とか、あるそうなんですが、例えば、大阪の人が、

「大阪は、下品で嫌な所ですよ、それに比べて東京はスタイリッシュですよね。」

って、これが嫌いなんです。

どこの都道府県でも、地球上のどこでも、自分が住んでいる所は良い所のはずだと、

弱腰ながら断言したいものです。

「僕が住んでいる大阪も大好きだよ。東京も大好きだよ。どっちにも、それぞれの良さがあるし!」

これがベストアンサーですよね。

自分の故郷を下に見て、相手を立てるっていう、一つの常套手段??。それってほんとに使える手段?。

「私の住み暮らしている所も、とても良い所ですし、貴方がお住いのところも、とっても素敵な所だと思います。」

これですよね。

自分のあらを探す人は、必ず他人のあらを探す。

自分に厳しい人は、必ず、他人にも厳しい。

自分を落として、人を褒めたたえるのも、一つの手段かもしれませんが、

人を褒めつつも、自分もすごいんだぜ!、っていう方が、カッコいいと思います。

読んでくれた人、いるかなぁ?(笑)  でわでわ(=⌒ー⌒=)ノ~☆・゜:*:゜バイバイ゜:*:゜・☆ヾ(=⌒ー⌒=)

小さい事こそ偉大かも。

2015年04月23日 17時58分41秒 | 日記
こんばんは、といっても、日が長くなりましたね。もう18:00なのですが、

外は明るいです。

一生懸命に生きることは素晴らしいです。でも、人それぞれです。

個性も違えば、体力も違うし、十人十色、千差万別の人達が、

日本一つとってみても、その中で、生きています。

思うに、人はそれぞれ違うけど、それぞれに一生懸命生きているんだと、

私の独断では思います。

生きていることが、嫌になる時なんてのは、誰しも一度は思ったことが

あるのではないでしょうか?。私も、もう、人生、うんざり、がっかり、と

日々、思ってしまうんです。

何が書きたいのかというと、日頃のストレスからの弱いものいじめなどをせず、

日常生活における面倒な常識をこなしつつ、法律を守って日々、生きているだけで、

それは、もの凄く賛辞に値することだと思います。

中庸、平凡に、自分なりに試行錯誤しながら、生きていることって、

凄い事ではないでしょうか?。

人のことは、とやかく言えませんけど、皆さん、立派に生きている。

ちょっとした事が出来ているというだけで、素晴らしいと、私は思う。

まず、歯磨き。歯を磨くことも、面倒と言えば面倒な作業です。

お風呂に入浴することも、面倒と言えば面倒なことです。

日常生活、七面倒なことばかり。でも、時にさぼりながらでも、

今まで何とか面倒なことを、仕方がなくもやってきて、生きてきたことについては、

素晴らしいなぁと思います。

皆さんね、素晴らしい。すごいね!って思う。

私は自分を尊重してます。皆さんのことも、尊重・尊敬してます。

ほんとにまぁ、良く頑張っていますよね、みんな。

そりゃ、悪いことすれば、警察のご厄介になります。

けど、法律を守った上で、日々、淡々と生きて行ける人は、

実に、本当に、すごい才能の持ち主ではないでしょうか。

法律を犯さずに、最低限の常識を守り、生活していく上で当たり前のことが

出来ている。それだけで、本当に立派ですよ。

ちょっと毒っ気のある表現をすると、高望みばっかりして、

日々の、小さな物事をスルーして、遥か高い彼方を目指している

人というのは、私の個人的な偏見ですが、そういう生き方をしていると、

苦しくなってきて、無理が祟るのでは?、と思ったりもします。

日常の小さい事を、まぁ、嫌々ながらにも、歯磨きにしろ、入浴にしろ、

バランスのとれた食事にしろ、そういう小さいことこそ、偉大なのではないでしょうか。

乱文失礼。(=^∇^)ノ”ばいび~♪・:*:・・:*:・・:*:・ 感謝してます(^^)








何を考えているのか・・・w。

2015年04月16日 00時21分03秒 | 日記
(* ^-^)ノこんばんわぁ♪このブログを読んでくれている、

非常に数少ない、選ばれし者の貴方!、ありがとうございます<(_ _)>。

ずいぶん、このブログを更新していませんで、もう手放そうか、ま、

そういう時期じゃん?、年齢的にも、という流れかなぁと、私は

思っています。

何事も、ほどほどに、とは凄く短い言葉だけど、この宇宙の真理の

ようにも、思えるほど、力があるなぁと思います。落ち着くといいますかね、

いい言葉だなぁと、腑に落ちます(*^-^)。


今まで、生きてきて、気づいたらずいぶんと長い事、生きてるなぁ、

または、生かされていて、ありがたいことだなぁと、軽度の感慨を感じたりします。

まぁね、力の抜けた文章です。そう思いながら書いています。

今までもね、古くはホームページとか、要するに若かりし頃、

時間がたっぷりありまして、まあ、友達ってのもいないし、時間があったのですよ。

ネット上に自分の言葉を発信できる時間がたっぷりあって、

当時、若かった20代の頃の私は、朝8時頃まで、深夜のチャットに没頭して、

朝9時頃に寝て、また深夜に起きては、パソコンに向かい、チャットに没頭している

という生活を送っていました。楽しくて、仕方がなかったですね~、その当時は。

その当時は楽しかったといっても、今もね、楽しい事は楽しいです。いや、ほんとにw。

おそらくと言うか、数少ない、この文章に目を通してくださる方がいたとしたら、

私と言う人間の人間性に、嫌悪感を示す人もいるかもね。ま、そこまで視聴率が

追っついてないのは、周知の事実なんで、それは分かっているんですけど、

ハッキリ言って、私のこのブログが、一体なんだよって話です。

こじんまりとした、私の自己満足のブログってだけなんですw。

コメント機能を意図的に、無効にしている、閉じているのですが、

それも、今の私にとっては、いいことです。コメント欄、開いたとたんに、

予測ですけど、楽しいコメントを頂けるような才覚は、私にはないという

結論が、ずいぶん前に、分かったんです。もっと正直に言いますと、

誹謗中傷をコメントされるためにコメント欄を開いていることって、

単純に、無意味だし、酷いコメントされることは、私はマゾじゃないですから、

気分が悪いものなんですよね。ま、ごくごく普通で自然な考え方ですよねw。

ちょっと、これについては、自分でも、これは私の自然体な気持ちなんですけど、

私は、いい子ぶることがあるんですよね。一つの癖みたいなもので。

だって、単純に、人に嫌われるより、人に好かれた方が、嬉しいです。

これは、シンプルで当たり前の考えだと、私は思っています。

けど、本当の本音なんですが、正直、私は路頭に迷っているんです。

大げさな表現をすれば、宇宙の仕組みが、自分なりに納得いく程度の

真理を知らなければ、一体何が正しくて、何が悪なのか、

判断が出来ない。ま、小難しいことを書いてますけど、

誤解を恐れて書きますが、コメント機能を開いていて、

そこで、どこかの誰かが、愛のある、ハートフルなコメントを

くれても、それに対する、コメレスですよね、そのレスを、

いかに、自分を良い奴だと思わせたいという、浅ましい考え方が

あるのです。ぶっちゃけねw。

でも、ヒマだから、ブログを更新するといっても、いくらヒマが

あるからって、やたらめったら書くことがあるというわけでもないです☆。


といいながら、久しぶりなんですがブログの更新、長々と書いてますね、

我ながら、無意味なタイピングだけは、内容の出来不出来を問わなければ、

無駄口は得意なのかもねw。


コメント機能を閉鎖して、ブログを更新するちょっと歪んだ欲望なども、

このブログ更新頻度のインターバルからして、僕は少しずつ変化していると

思います。

何も、例えば人がこのブログを読んで、思わず、はっとするような

名文が書けるわけでもないし。

本心を言うと、自分で自分のブログを読み返す気が、以前はちょっと

ありました、若かったから当時は、自己陶酔していたんだと思います。

ま、今も自己陶酔してますけどねw。

結局、自己満足のブログですし、満足も本当のところ僅かばかりしか

ないのですが、私の独壇場、独演会として、たま~に更新してれば、

その内、惰性と暇に任せてやってることなんてものは、まず僕本人が、

自分のブログに対する楽しみが、どんどん、雪崩のように、薄まって行っている。

さて、長々と書きました。

ところで、このブログに目を通してくれている人って、いるんですかね?。

でもね、読んでくれる人が完璧に0となっても、そのうちね、

他の誰でもない、自分の中の一人遊びとして、ストレス発散として、

このブログを、有用的に使っていきたいと思います。

やっぱりね、こういったネットの世界の中でも、他の人との

コミュニケーションがなくなったら、それだけでつまらないとは、

思うんです。

例えば私のブログを読んで、なにかコメントしてやろうって人が

いるかもしれない。ネット上のお付き合いができる可能性も

なくもないとは思います。

でも、コメント欄は、このブログは閉鎖しています。

何と言うかな、以前コメント欄を開いて、ネットの世界の中だけですが、

コミュニケーションをしていた時代もありました。

でも、正直僕は、凹みやすいです。

ちょっと、嫌な事があると、耐えられなくて、すぐに薬(睡眠導入剤)に

頼ってしまうほど、何というかな、人の意見を聞きすぎるんです。

特に、荒らしという人が酷いコメントをしてくることで、

これほんとですけど、精神がボロボロになるんです。

そんな些細な暴言で、傷つくの?、というくらい、私はメンタルが弱い。

ま、決して現在の自分の命の価値を、人と比べたくないです。

結局南極、こんな深夜に、チョコレートが食べたい、とだけ言ってしめますw。

ライフスタイル。

2015年04月09日 19時30分17秒 | 日記
気づいてみると、中年でした、恥ずかしながら。

しかもというか、非常に冴えない中年です。

一般的な中年世代の人達に比べてしまえば、

もう、言葉も出ないほど、見方によっては、

一言でいえば、クズ、ダメ、終わってる、というような

私です。

かと言って、悪い事をするわけではありません。

もう、こんな状態で長い事生きて来まして、

親も、世間も、身内も、あぁ、シンフォニーさんは、

こういう人なんだと、もう期待の気持ちもないんです。

いまさら、この年齢まできて、自分自身ががらっと

気持ち良い、出来る人間になるはずはない、という

納得が、私の周辺の方々の正直な気持ちだろうと思います。

ま、中には、こいつは、いい年こいて、年相応の人生を

歩んでないから、ダメ人間だ、クズ人間だ、生きる価値がない、

さっさと死ねって意見も、私的には非常に良く分かります。

でも、私としてはですね、本当に、抜け殻のような人間になって

しまっているという自覚はあれど、だからといって、死ぬ必要は

ないと思っています。

私は、能力的に、良い事はできないけれど、悪い事もしているつもりはない。

それこそが、人間のクズなんだと、思う人も、もしかしたらいるかもしれない。

だけど、結局は、一番の自分の味方は、他でもない自分自身です。

今の現状を踏まえてみると、年齢的にも、ここからパッとするような

優れた人間になろうというのは、完全に無理がある。

例えば、今日一日を振り返ってみると、午前中、お仕事をして、

それだけで疲れてしまって、正午には家に帰って来て、

帰宅するなり、パジャマに着替えて、ずっと布団の中にもぐって、

横になっていました。そうすると、ま、ダメだねぇ~ということに

なるのかもしれないけど、例えばの話として、自分の人生が上手くいっていなくて、

人生を生きていくにおいての、能力値が著しく低い、私がいる。

午前中だけ、仕事を出来ただけでも、十分いいじゃないか、とも思います。

もう、ちょっとしんどいから、職場にいても、何も有益な仕事ができる

状態じゃないと判断し、後ろめたい気持ちはあれど、ここで失礼します、

と帰宅して、大人しく横になっていることについては、出来る人から見たら、

なんだ、能力ないな、情けない人だ、と思う人もいるかもしれない。

でもね、結局、自分でも、情けないと思う気持ちはあります。

自分を責める気持ちもあるけど、自分で自分という人間に対して、

厳しく否定しても、余計に自己嫌悪が募るばかりだとも、思います。

こんな私ですが、生身の人間でして、精神の病を患っている自分を、

他人にも責められ、さらに自分でも追い込んで、責めているというのは、

果たして、有益な手段手法だろうか、と思うんです。

ハッキリ言うけど、自分は自分なりに、いつか必ず来る、死、という

ゴールに向かって、自分個人なりの生き方で、のたりのたりと

生きていくのが、一番良いのではないかと思います。というか、

それしか出来ないのが、正直なところです。

兄弟間の、不仲による、恨みつらみ怒り。

親に対しての、不満、怒り。

私は、以上のような、身内に対しての憎しみというのが、

ぶっちゃけて言うと、私を動かす、一番のエネルギーなのかと

思ったりもします。

一人は寂しいです。寂しいというか、人は一人ぼっちでは、

生きて行けません。折り合いがつかないような関係性であっても、

血を分けた親子です。

親にも、嫌われているかもしれない。しかし、私の親は、

それほど酷い親ではないです、その他色々な家庭環境から

したら、非常に良い親だと思います。もちろん、誰も完璧なんてことは

ありえないこと前提として。

甘え、というと、すぐさま、甘ったれるな、一体いくつになったんだよ、

と言う人もいるでしょう。でも、例え、親と会話がなくとも、

いくら年を取ろうと、私にとって、親がいるという事実だけで、

それだけで、言葉にはしづらい難しいことなんですが、

生きていられるんですよね。

これは、親への甘えかもしれない。でも、僕をこの世に生み出した人達が、

存在しているという事実だけで、こういうのも照れるし恥ずかしいけど、

目には見えないんですけど、生きる気力になると、私は思います。

そんなに、私は不幸ではない。いや、幸せだと思う。

生きていることが、楽しい、人生にメリハリがあって、面白い、

とまでは、色々な人がいるから、一概には言えませんが、

結局、順番で行けば、親が先に旅立ちます。その前に、甘えた言動で、

死ぬよもう俺、とか、もう俺は生きている価値がないから死ぬよ、とかは、

思わないようにしようと思います。

色々な、家庭環境、家庭状況、この世の中に十人十色だと思いますけど、

例え、腹を割った話ができなくても、親という存在は、ただ、ご飯を

食べさせてくれるだけの存在ではないなぁと、最近思います。

親が存在している、という思いによって、心の安定が得られるんだと

私は思います。

お金をくれないと、親失格とか、そういう間違った解釈はいけないよなと

思います。

ある程度、私は年齢を重ねてきて、本当のことを言えば、親の愛によって

生かされているだけです。今現在はね。

なので、今は、そのような思いに身を任せて、親の存在に感謝して、

生きています。となると、甘え、というものが、僕を生かしているような

気がします。心理的な依存も、甘えというものの範疇に入るのか

もしれませんが、とにかく、親というのは、ありがたい存在です。

以前、やっていたブログに、ある方がコメントしてくれた文章を

ふいに思い出したのですが、「親だけは貴方の味方ですから。」

という言葉がありました。生きているだけで、ありがたいですね、親というのは。

なので、私も、色々イライラしたり、もう死んでしまいたいとか、大げさなことが

心に芽生えてしまう時もありますが、それもこれも、生きているからこそですよね。

そして、僕をこの世に生んだのは、親です。別に、湿っぽい話をしているのではなく、

ちょっと問題のある親だったり、親でなくても、育ててくれた人、

気にかけてくれた人っていう人がいるだけで、不思議と、生きる元気が湧いてくるのは事実です。

自然の流れで一人立ち。

2015年04月03日 16時17分16秒 | 日記
こんにちは。今日は4月3日なのですが、4月といえど、

気温は割と低く、肌寒い気候ですね、と思います。

話題は、根拠なく、飛び飛びですが、

そろそろ、僕を育ててくれた両親も、年齢的に高齢と

なりまして、いつ死んでしまうか分からないんですよね。

最近は、私は、元気がなく、陰鬱な日々を過ごしています。

よく、空元気という言葉を見聞きするのですが、

なかなか、私は空元気になるだけの、元気がないです。

しかし、もう高齢ですが、親は食べ物を提供してくれるし、

私が、今の現状に甘えきっていると言えば、その通りなのが現実です。

でも、ほぼ間違いなく、親は自分より先に、死にます。

私に、友達がいなくたって、人付き合いが全くできなくたって、

いつかは、この自分として、一人で、生活していかないと行けません。

もちろん、思いつめて、無理をするような生活態度では、

長続きしないと思います。しかし、そろそろ、今のところは一人ぼっちの

私ですが、重い腰をあげて、冴えない能力だとしても、

自分で、この社会の中で、生きていかなければならないです。

何でも、親がやってくれるという時代が、終わろうとしているんだと思います。

僕としては、一人で自分の足で立って、自分の知恵で、生きていかなければならないです。

ま、人とは比べません。自分で言うのもなんだけど、今の僕は偉そうに文章並べていても、

甘ちゃんです。

「君は、これからは、一人で、衣食住、やっていくんだよ。」

という時期が、来つつあります。

頭がおかしかろうが、精神がおかしかろうが、細々と、淡々と、

自分のこれからの人生のかじ取りを、自分でするべき時期が来ているんだなぁと感じます。

すごく、エネルギーを、内に秘めているという、あくまでも現時点では、僕と生活態度が

似通った人もいると思いますが、さて、一人ぼっちになった時、何と言いますか、

明るい人、前向きな人、強い人は、もしかしたら「これからは、自分の力で生きて行けるんだな。」

と、思うようなたくましい心意気がある人もいると思います。

なので、私もいずれは、些細なことには惑わされず、一人ぼっちでも何でもいいから、

自分の脳みそで考えて、親亡き後の人生を、下手くそながら、やっていくべきときが近いなと、

思います。

死ぬ前に親孝行がしたいです。

2015年04月01日 16時52分31秒 | 日記
今日は、エイプリルフールなので、こうやって書いていても、

嘘と捉えられると思いますが、まぁ、確信的な意図はなく、

自分の思ったことを書いているので、気持ちや心なんて、

ちょっとしたことで、コロコロと変わるし、ある意味、嘘なんでしょう。ホラと言うか。


気づけば、両親も高齢。もし、僕が死ぬ覚悟が出来たら、僕が持っているお金を、

全額両親に、寄付したいです。

本当に、一番世話になったのは、他でもない、父と母です。

もしかしたら、両親としては、お金なんていらないから、

下手くそなりにも、例え不幸な人生だとしても、親よりは先に旅立つなよって

思うかもしれません。でも、今まで、こんなにどうしようもない、

困ったちゃんな私を、見捨てず、育ててくれた恩は、心に刻まれておりまして、

そのうえで、僕が出来る、最後の親孝行は、私の持っている、微々たるお金を、

感謝の意味を込めて、両親に捧げることくらいしか、思いつかないです。

そういう考え方自体、間違っているかもしれません。

でも、私が考える範囲では、私が最後に両親に、ありがとう、お世話になりました、

っていう時、出来ることって言ったら、ろくでもない人生を歩んできた私を、

決して見捨てることなく、時には理不尽な態度をとられたこともありますが、

僕と言う人間を、生んでくれた両親に、私の持っている限りのお金を、

寄付することが、私が考え付く限りの、親への感謝です。

あの、今、季節の変わり目だから、私自身、精神がどうかしている、という

ことも考えられます。

でもね、僕は嫌われ者だけど、一番僕を嫌っているのは、他でもない僕自身です。

別に、死ななくてもいいけど、育ててくれた恩については、両親に

この上ない感謝をしています。

ブログを通じて、コメントでのやり取りで、時には酷い悪口を書かれたことも

あったし、時には、この人は神様じゃないか、と思うほどの、

愛のあふれる、強い励ましを頂いたこともあります。

今は、コメント機能は無しで、独り言をつぶやいていますけど、

なぜ、そうなのかは、謎なんですが、自分のことが自分で好きではないのです。

いい年こいて、まるで思春期の少年のような文章を書いていることは、

恥ずかしい事かもしれませんが、僕は申し訳ないんですけど、

こうゆう人間なんです。なので、他人から言わせると、

もうお前は生きる価値がないから、さっさと死ねって思われるのかもしれません。

斎藤一人さんという人物の、有難い話を一生懸命、楽しみながら聞いてきましたが、

もう、限界まで、生まれついてのマイナス思考は、なっかなか、治らないです。

これは私の問題であって、このことが、私の思考回路なんだと思います。

今日は、エイプリルフールですが、身体的に元気がなくなると、

どうしても、死というものを考えずにはいられません。

こんな文章を、垂れ流している私に、好感を持つ人がいたら、

相当、変わった人だと思います。それか、本当に優しさや思いやりの

塊のような、神様みたいな人しか、私の存在価値を認めてくれる

人は、いないんですよね。

大概は「甘えるな。死にたかったら、さっさと死ね、キチガイ。」

と思う人がほとんどだと思います。

迷惑なんだよ、てめえの存在が、って思う人が、大半だと思います。

そのように、現実世界でも、嫌われ、ネット世界でも嫌われてしまうと、

私の居場所がなくなってしまうのです。

なので、苦し紛れに、心の居場所が欲しいと思って始めたのが、

このブログです。

実際、自殺に踏み切らなくても、日々、暗たんたる気持ちで、

言葉をつむいでいる、いい年のオッサンに、魅力なんざ、ありません。

他の悩んでいる人を助けるという以前に、まず自分自身のことすら

助けられない。

そういう事の先には、どうしようもない悔しさで、一杯になります。

求められてもいないのに、僕が好意的に思っているブログにも、

もしかしたら迷惑なんじゃないかという思いで、コメントをする

勇気がない。ゆえに、ネット世界の中でも、知り合いや友達が

出来るだけの、力がないんです。

なにも、悲劇のヒロインになりたいわけじゃないよ。

あと、人の苦しみは、他人には救えないです。

自分の苦しみ、悩みは、当の本人が気づいて、一念発起して、

改めていくべきものだと思います。

他人に与えられた愛は、全部裏切られる。

人と自分を比べたら、僕より才能のあるひとばっかりで、

凹むのが落ちです。

ところで、親と言うのは、どのような考えを持っているんでしょうね。

実の息子が死んだら、悲しんでくれるのでしょうか?。

金の問題ではないです。父と母の間に生まれた、僕と言う人間の命が、

例えば自殺にしろ、病気にしろ、失われたら、親はどんな気持ちになるのだろう。

僕は、彼女もいないし、友達もいないし、ネット上で好感の持てる人は

沢山いるのですが、僕の一番悪い、諸悪の根源は、なんでもマイナス思考を

してしまうことです。なよなよと、鬱々とした文章しか書けない、

読んでくださった方にしたら目の毒の、どうしようもない人間です。

何の、取り柄もありません。いい年こいて、こんな幼稚な文章を

書き連ねていることからも、容易にそのことは推測できると思います。

要は、生きることが下手くそで、考え方が、偏屈で、自分一人で勝手に、

自分を追い込んでいる。

追い込むのはいいけど、それも、ひどく陰湿で、悩みがいがないような

ことに、ほんの少しひっかかっただけで、心が傷ついてしまい、

体調まで悪くなってしまうようではですね、正直、生きて行けませんよね。

先のことは、正直言って、推測をいくらしたって、僕にはわかりません。

鏡で、自分の顔をまじまじと見たんですが、本当にぶさいくです。

なので、不細工な人を捕まえて、悪口を言うという思考回路はありません。

だって、僕の方が、劣ってるんですから。

あの、正直言って、テレビやなんかで、こいつは不細工だとか、

負のオーラを放ってるとか、そういうのは、まやかしだと思うんです。

人相がいいに越したことはないけど、整った顔の人が、人間的に

素晴らしいんだという見方は、違うんではないかなと思います。

男は、顔じゃない、ハートだ!、と思うんです。

女の人も、綺麗・可愛いに越したことはないのですが、

顔の造作なんてものは、心が輝けば、そんなもの、関係ありません。

男も女も、顔じゃない。

この世に、不細工といわれる人がいたら、それは心の不細工なんだと思います。

そういう人が、何かに気づき、邁進し始めたとき、顔がどうこうなんて、

全く関係ありませんよね。自信をもって、きぜんとした態度で、

時にユーモアも交えて話をする人って、それだけで、魅力100%ですよ。

男も女も、顔の造作なんて、関係ないです。精神的に、たんたんと

成熟して行ったとき、輝かしいほどの魅力を放つ、素晴らしく魅力の

ある人になると思います。


ま、今日は疲れたなら、ゆっくりしましょう。明日のことは、放っておいて、

のんべんだらりと、時間をやり過ごしましょう。

この世の中に、何においても完璧だ、何て人はいません。

このあたりで終わろうと思います。

長々と失礼しました。読んでくれた方、ありがとうございます。

こんにゃろめ。

2015年04月01日 15時44分20秒 | 日記
実に悔しいっすね。

親よりは、長生きしたいけど、

知らぬ間に、敵ばっかり、どこいっても。

それは、近くのスーパーへ行っても、

百均へ行っても。

世間様から嫌われると、自然と、この世から

排除されるように、よく出来ているような気がする。

ちくしょう、こんにゃろめ。

自業自得だろ、って言われたら、もう返す言葉もない。

嫌われる原因は、自分にある。じゃなきゃ、普通こんなに

追い込まれないよ、精神的に。

色々、解釈はできる。心の病気も関係しているかもしれない。

ただ、はっきり分かることは、僕はごく普通には生きて行けないと

いうことだ。全ての原因は自分にある。

敵、圧倒的多数、ゆえに、死しかないかな、と思う。

死ぬしかないのかな。悔しいぜ。

悲しくはないけど、とにかく、悔しくてたまらんね。