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シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

冬時間

2009-04-06 08:57:09 | シドニー生活
 シドニーも朝晩めっきり涼しくなりました。とは言っても最低気温17度、最高気温20度で、とても凌ぎやすい陽気です。朝目覚めた時はまだ暗かったり、夕方暗くなるのがだんだん早くなりつつありましたが、昨日5日(日)には、夏時間で進めていた針を一時間戻し、明るさも少し戻しました。こちらにとって見れば、こうしたことでもこれから冬に向う風物詩と言えるのでしょう。
 昨日は、オーストラリアで初めてゴルフ・コースに出ました。フォーム改造中のためスコアは見るも無残でしたが、折からの陽気とオーストラリアらしい自然に囲まれ、一年ぶりのラウンドを気持ちよくプレイ出来ました。こういう夏・冬時間の切り替えの日には、約束の時間(待ち合わせ時間・ティーオフ時間)が気になるわけですが、夏→冬の場合、日曜日の夜中3時が再び2時になるので、1時間の余裕が出来て、時計の針を直し忘れても遅れる心配はありません。しかし、夜、眠くなるのが早く、朝、目が覚めるのが早くて、なかなか時差ボケ?が調整し辛くもあります。
 昨日はまた、北朝鮮が予告通り弾道ミサイルを打ち上げました。シドニーの夕方のニュースでも少しだけ取り上げられ、衛星打ち上げではなく、ミサイル実験(テスト)だったようだと簡単にコメントされていたのが印象的でした。打上げ失敗などと露骨に言わないところがなかなかスマートですね。
 今回の弾道ミサイル発射に300億円が費やされたと韓国は推計していますが、ひもじい国の大事な金を、金正日の遊び(所謂瀬戸際外交)で浪費するとは、信じられない独裁主義であり全体主義です。しかし国内がどこまで一枚岩かと言うと、今回の弾道ミサイル打ち上げは内部綱紀粛正を狙ったものでもあると説明される通り、必ずしもそうではないようで、北朝鮮政権上層部では、中国式の改革開放に共感する層が形成されつつあるという見方もあります。勿論、彼らは明確な反金正日勢力ではないにせよ、中国の改革開放の歴史を見れば分るとおり、金正日にとって、金日成-金正日の神話が虚構であったことが暴かれかねず警戒するわけです。韓国の李明博大統領は、北朝鮮に対して「ねだって生きるという考えを捨て、自立して生きる工夫をせよ」と忠告したとされますが、北朝鮮の時間を、北朝鮮の民衆にとって、なんとか冬から夏へと変えてあげたいものです。

北朝鮮情勢その後

2009-04-03 09:06:49 | シドニー生活
 北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射が明日(4日)行われる可能性が高まっています。アメリカ国防総省は、ミサイル発射施設で燃料注入が開始されたことを確認しましたし、折りしも韓国気象庁は、4日は午後から雲が少なくなり、風も強くないとの予報を発表し、ミサイル発射日和(!?)であることを匂わせます(韓国の天気予報は、かつての日本もそうだったように余りアテになならいようですが)。
 金融サミットでロンドン訪問中の麻生首相は、各国首脳と会談を行ない、北朝鮮のミサイル問題についても精力的に意見交換を行いましたが、予想通り対応は分かれました。英・米・韓とは、北朝鮮によるミサイル発射が国連安保理決議違反で容認出来ないとの立場を再確認し、安保理で然るべく対応するよう協力して行くことがあらためて合意されました。また韓国大統領は、日本のミサイル防衛(MD)システムを念頭に、日本は国民を守るために如何なる措置も取ることが出来ると、ようやく日本の迎撃を容認しました。一方、中国やロシアは、地域の平和と安定を損なうことになる点は同意しつつも、安保理での対応については言及を避け、慎重な態度を崩しませんでした。
 同じ頃、フランスが43年ぶりにNATO(北大西洋条約機構)の軍事機構に完全復帰するにあたって、戦略原潜(核ミサイル搭載可能の原子力潜水艦)の運用情報を英国と交換するかどうかに注目が集まっています。戦略原潜を保有するのは核兵器不拡散条約で核兵器保有国として公認されている米・英・仏・露・中の5ヶ国ですが、ロシアや中国は比較的近海で運用され、米・英間の連絡は緊密なため、英・仏間のみが問題となるわけですが、その英・仏の戦略原潜が2月に大西洋の海中で衝突する事故を起こし、図らずも両国が戦略原潜の情報を交換していない現状が浮き彫りになったためです。英海軍関係者は「核抑止力は国家資産で、NATO加盟を超えた問題」と英・仏の微妙な関係に配慮するコメントをしています。
 英・仏の歴史的な関係の悪さは別にして、近代国家の枠組みを越えた地域統合を模索するヨーロッパでも、国家の役割と地域の役割との間の線引きには、今もって迷いがあるのは、過渡期にあっては当然です。国際社会の現実は、依然、国家がキー・プレイヤーであり、国家生得の権利である自衛権も、今もって国家レベルで主張されるべきものです。そうした中、かつて米・ソ冷戦時代に主張された核抑止力が、今なお、国際社会(国家間の関係)においては一定の発言力(影響力)を持つことは否定できません(非国家主体のテロ組織に対しては無力との議論もありますが、それは稿をあらためます)。核兵力が実際に使われる可能性は殆どなくなったとは言え、戦略的な位置づけが与えられていることにはどうやら変わりありません。それを求める北朝鮮の行動は全く支持しませんが理解できないわけではありません。
 今回の日本の対応は抑止力とは次元が異なりますし、ましてや核抑止力については、アメリカの傘に頼らざるを得ません。それもあって、日本は、核を外交カードとして使う北朝鮮から殆ど無視されているのは残念ではありますが、だからと言って、日本が今さら核保有国になり核抑止力を行使しようとするのは現実的ではありません。むしろ世界的視点から、核は厳格にコントロールされなければなりませんし、現代の世界で既に、ラテン・アメリカ/カリブ、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアの5地域に設定されている非核兵器地帯を、北東アジア地域においても設定するような、非核化のプロセスを推進すべきでしょう。これに関して象徴的なのは、かつて冷戦期に核抑止論を展開したキッシンジャー博士が、2年ほど前、「ウォール・ストリート・ジャーナル」に寄せた論文「核のない世界」の中で、核廃絶に向けアメリカは今こそ世界をリードすべきであると訴えたそうです。あのキッシンジャー博士が・・・と思うと、時代は変わったものだと感慨深い(お年のせい?ではないでしょうね)。
 そうは言っても、通常兵力まで否定するものではないのは、冷戦時代からも言われ続けていることであり、今回のミサイル防衛(MD)システムによる対応を見ても明らかです。抑止力とまでは言わないまでも、国家の自衛権の発動としてどこまで認められるのか、この辺りの枠組みは法整備・法解釈も含めて、日本国として明確にすべきと思うのですが・・・。

2009-04-01 12:58:00 | シドニー生活
 4月1日、日本では新しい年度のスタートです。所属や学年が変わる人も変わらない人も、気持ちを新たにされていることでしょう。
 日本の学校では、明治維新後、アメリカ人教師を招聘した当初は、アメリカに倣って9月始まりだったそうですが、国の会計年度が明治19年からイギリスに倣って4月始まりになったことから、学校もそれに合わせて4月始まりになったと言われます。法制、軍隊、そして会計年度と、明治という時代は、イギリス式、フランス式、ドイツ式、アメリカ式等々、錯綜していますね。当時の一級国家たらんとする意気込みや熱意とともに、急いていた余り継ぎ接ぎだらけで混乱している様子も伝わってくるようです。ここオーストラリアでは会計年度は6月締め7月始まり、学校は夏休み明けという意味ではアメリカと同じですが、南半球で夏冬逆転しているため1月末始まりです。
 シドニーは昨日からStormです。受験英語で習った公式が正しいとすればStorm=嵐で、嵐と言えば日本では童話か文学作品(翻訳作品含む)にしか登場しない言葉なので、生活実感が伴いませんが、Stormは(goo辞書によると)、大雨、大雪、暴風雨、大雷鳴のことで、日常用語です。ボストンに赴任した頃、Stormという言葉が頻出するので驚かされましたが、何のことはない、大雪でもStorm、雷を伴う大雨でもThunder Stormだったわけです。
 なんだか新年度の門出に嵐というタイトルは似つかわしくありませんが、政治、経済、社会、国際と、それぞれに波乱含みの昨今です。雨降って地固まるのたとえ通り、このチャレンジを乗り越えれば、新たな地平が開かれるに違いありません。そういう期待と決意を込めて、このタイトルのままにしておきます(もともと昨日・今日のシドニーの天気がテーマで、後の文章は付け足しでした)。

アース・アワー

2009-03-28 07:28:39 | シドニー生活
 今宵8時半から一時間、「アース・アワー(Earth Hour)」が実施されます。
 地球温暖化に対する啓蒙活動の一環で、灯りを一時間消す取組みはなんとなく聞いていましたが、それが2年前、世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature、WWF)とシドニー・モーニング・ヘラルド紙との共催で始まったものとは知りませんでした。初年度はせいぜい24都市200万人程度の規模でしたが、昨年は400都市5000万人、今年は主催者は世界2400の都市で10億人の参加を目指しているそうですが、まあこうした活動は余り力を入れなくて自然発生的に広がっていくのが良いですね。
 それにしてもニュージーランド(もっと言うとトンガ?)から始まり、時差に併せて西へ西へと消灯の波が動いて世界一周する様を、上空から早送りのビデオで覗いて見たいものです。
 今年は、シドニー・オペラハウスだけでなく、エジプトのギザのピラミッド、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビル、パリのエッフェル塔、ロンドンのピカデリー・サーカスにあるコカ・コーラの看板なども参加するそうです。実質的な省エネ効果は知れているでしょう。草の根と言うと、怪しい活動家もいて身構えてしまうへそ曲がりの私ですし、環境保護団体や動物保護団体のように、趣旨には賛同してもやっていることには疑問をもちたくなる活動が多い中、こうした極めてシンプルな草の根の動きは、なかなか良いものです。
 近所でも、ロウソク持参、海岸に集って合唱・・・といったささやかな呼びかけが計画されています。我が家には、なんと結婚式で使われたときのロウソクがまだ保存してあって、ご丁寧にシドニーまで他の荷物とともに運ばれて来たことが発覚したので、この機会に使うことにしました。子供たちはわくわくしています。消灯という何気ない行為によって、ロマンティックな夜になるかも知れませんね。

コーヒーカップの出来~今朝のぼやき

2009-03-20 07:57:48 | シドニー生活
 ここで言うコーヒー・カップは紙コップのことです。シドニーにはカフェが多く、皆さん、ゆったりとその場で楽しむか、せわしなく持ち帰るわけですが、持ち帰りのコーヒー・カップの出来が余りよくありません。紙製のカップにプラスティックのカバーがつく、ごく当たり前のものですが、カバーとの隙間からよくコーヒーが滴り落ちたり、紙の継ぎ目から染み出したりするのです。ふんぞり返って飲んでいて(そんな格好で飲む方も飲む方ですが)ちょっと油断していると、シャツやスラックスをすぐに汚して、ふんぞり返っていた余裕はどこへやら、トイレに駆け込んで、シミ落としをするハメになるのですから情けない。
 また、熱いコーヒーを淹れてくれるのは結構ですが、熱過ぎて持てないこともしばしば。そういう時、気の利いた店員が、カップを二重にしてくれたりすると、一気にその店のファンになってしまいます。
 つまり、たかが紙コップと言うことなかれ。私がよく通うカフェの紙コップは、掃除機のホースのように表面が細かく波打っている頑丈なつくりで(缶コーヒーでもありましたね)、それが熱さをやや緩和し(表面積が大きいので冷めるのも早いかも知れませんが)持った時の安定感に繋がるのです。味にそれほどの差がない時、店に足を向けさせる要因は、紙コップの品質だったり、マクドじゃないけど店員の笑顔(無料!)だったりするわけですね。そういう意味で、スタバの品質の高さは、やはりさすがと言うべきでしょう。

トイレ事情

2009-03-18 22:06:59 | シドニー生活
 日本のトイレがハイテク過ぎるというので、米国のソーシャル・ニュースサイト「Digg」で話題になっているという記事を見かけました。米国では温水洗浄便座は一般的ではなく、便座を温めたりお尻を洗ったりする機能に感嘆の声が挙がっているというのですが、これはプラグマティックなアメリカ人が、何故トイレにそこまでの機能が必要なのか疑問に思い、単に珍しがっているだけなのでしょう。彼らにはトイレはトイレとしての機能さえ果たしてくれれば良いのであって、何も便座を暖めてくれなくても気にしませんし、アメリカ人はそんなヤワハダではありません。
 ペナンにいた頃の現地会社・社長はシンガポール人で、彼は日本に出張するたびに、ホテルのトイレが素晴らしいと絶賛していました。便座を暖める、温水洗浄してくれるという機能性だけでなく、そもそも臭わない、清潔だ、音楽が聞こえる、等々、彼にはトイレに対する期待値が日本とアジアとで根本的に違うところが衝撃的だったようです。このあたりは、アジアのトイレとは比べるべくもないことは、アジアに旅行したことがある方は容易に納得できるはずです。そこでいろいろ(酒を飲みながらですから好い加減ですが)話し合った結論として、もし今のビジネスが立ち行かなくなったら、是非、日本の多機能・高級トイレをアジア一円で売ろうじゃないかという話で盛り上がったものでした。勿論、半分冗談ですが、半分本気で議論したことを懐かしく思い出します。
 その昔、ラジオの深夜放送で聞いた話で今も記憶に残っているのが、中国のトイレで、溝が一本掘ってあって川のように水が流れていて、そこを皆で跨いで垂れ流す方式で、仕切りの壁も扉もないということに驚いたものでしたが、Wikipediaを見ると、用便中も順番を待つ利用者と挨拶を交わしたりするので、外国人から「ニーハオ・トイレ」と揶揄される所以と書いてあります。さすがに中国でも都市部では変わったでしょうが、しかし完全密室を好む日本は世界でも例外のようで、アメリカのトイレの扉ですらだいたい膝の高さあたりまでオープンになっていたのは犯罪防止のためでしょうか。マレーシアでは、金隠しもなく、ただ穴が開いているだけのこともあり、またホースがついた蛇口があったり、水おけと柄杓が置いてあることが多いのは、用を足した後それで洗えという意味でしょうが、便座や周囲が水びだしになっていることが多く不衛生で閉口したものでした。こうした水で洗う習慣は、インドでは左手が不浄の手と言われていますし、Wikipediaではトルコにも触れられていて、アジア(の暖かい地方)に広く広がっているようです。案外、温水洗浄便座のヒントはここから来ているのかも知れません。さて、ここオーストラリアはどうかと言うと、もちろん先進国なので、さすがにアジアほど匂いは強くありませんし不衛生でもありません。アジアではTOTOやINAX製をよく見かけますが、オーストラリアは地場メーカー?が存在するため、日本製の多機能・高級トイレが入り込む余地は乏しいかも知れません。またオーストラリアも、アメリカと似て機能的で、そもそも文化的な下地がないかも知れません。
 トイレが衛生的であるかどうかが文明度に比例すると見たのか、先ごろ、マレーシア政府はトイレをきれいにすることを呼びかけていました。衣食足りて礼節を知るではありませんが、確かに世界的に見ればその連関は概ね当たっていると言えますが、文化的な違いや民族性(性格)も大いに作用するように思います。経営コンサルタントや会計士が、初めて訪れるクライアント企業の経営が上手く行っているかどうかは先ずトイレを見て判断するという話がまことしやかに囁かれますが、確かにトイレをきれいにする人は、だらしないわけがなく、何事もきっちり処理しているものと見て間違いなさそうです。件のシンガポール人社長から、何故、日本人はトイレにこだわるのか聞かれたので、日本ではトイレにはトイレの神様がいるからと苦し紛れに答えたものでしたが、今思うと、まんざら外れてもいないかも知れません。

出生率のこと

2009-03-17 22:19:22 | シドニー生活
 先日、オーストラリアにおいて2004年から始まった出産手当(ベビー・ボーナス:5千豪ドル)が、2006年までの間に、出生率(合計特殊出生率のことだと思いますが)を1.763人から1.817人まで、3.2%押し上げたという分析結果が公表されました。所詮はこの程度の上昇率で、果たして文字通りに受取ってよいのか、経済的な支援だけで結果が出るほど甘くないと思いますし、他にもいろいろ要因がありそうで、これだけでは何とも判断のしようがありませんが、1.8人前後という高水準には些か驚かされました。
 周知の通り、日本の出生率は、2005年に過去最低の1.26人、2007年には若干持ち直したと言っても1.34人という低レベルです。シンガポールや台湾は1.2人前後、韓国は1.1人を切り、香港に至っては0.8人という低さです。オーストラリアが1.8人を越えるのは、イギリスや北欧諸国並みで、アフリカや一部のアジア諸国は別格としても、先進国の中では異例の高水準を維持していると言えます。
 日本において出生率が低いのは、男女とも晩婚化による未婚率増大が直接の原因とされます。その背景を見ていくと、そもそも無職や雇用の不安定な若者が増加するなど、若者が社会的に自立し家庭を築き子どもを生み育てることが難しい社会経済状況となっていること、30代男性を中心とした育児世代に多い長時間労働や、育児休暇制度などの活用が進まず、依然として子育ての負担が女性に集中していること、さらに女性の社会進出も進む中で、地域における子育て支援体制が十分ではないことなど、いろいろ論じられ、それはそれでその通りなのでしょう。諸外国、とりわけ出生率が比較的高い北欧諸国との比較で言うと、例えばスウェーデンなどでは婚外子(結婚していないカップルの間に誕生した子供)に嫡出子と同等の法的立場を与える法制度改革が進められているのに対して、日本ではそもそも婚外子を避ける保守的な家庭観が根強いこと、また依然厳しい住宅事情や高学歴化による教育費高騰など子育てに金がかかり過ぎること、そのため子育て支援の社会インフラが追いついていないことが際立っており、恐らく出生率が低い東アジア諸国(シンガポール、台湾、韓国、香港)とも共通するところがあるのではないかと思われます。
 そんな中、長野県下條村が、2003~06年の平均出生率2.04人という高水準を達成したというので、ここ数年、全国各地から250以上の視察団が訪れていることを、日経ビジネス・オンラインが取り上げていました。そこでのポイントは、介護や子育てなど住民生活に直結するサービスは市町村の方が住民のニーズを知っているので、何かと制約条件が多い国からの「補助金」「地方債」「交付税」の「地獄の3点セット」に頼らず、飽くまで村独自の子育て支援を充実させたことに尽きると述べられています。市町村にはそれぞれの地域事情がありますから、全国一律というのは余り意味がないのかも知れません。その村長さんが、子供の声を聞くと年寄りの背中もぴんと伸びる、子供を増やすことが最大の高齢化対策だと言われていたのが印象的でした。
 子供は単に個々人の問題だけではなく、地域社会が守り育てていくものでもあります。大人が子供を見守るだけでなく、大人は子供たちの目を意識する中で、しっかり“大人”らしくなり、そういう暖かい雰囲気の中で地域社会の治安や安全が維持されるとともに、若いエネルギーによって地域社会が活気付けられるのだと思います。出生率低下は、社会が抱える様々な問題の一つの現象に過ぎませんが、その社会にとって根源的な、極めて象徴的な結果(指標)だと思われます。どうやら、今の日本全体を覆う閉塞感を打開する切り札として、小泉さんが打ち出した三位一体改革、個々人あるいは地域により権限を委譲し活力を高める取り組みが、今まさに求められているように思います。

オーストラリアへの海外留学生

2009-03-14 01:41:25 | シドニー生活
 オーストラリアへの海外留学生が、昨年度、50万人を越えたことが発表されました(正確には54万4千人)。前年比で21%の増加だそうです。中でもアジアからの留学生が増えており、中国人が最大で12万7千人、全体の四分の一近くを占めます。確かにシドニー大学があるシティ南西部や、NSW大学があるKensingtonでは、アジア人(特に中国人、韓国人)の若者が闊歩しており、本当にここはオーストラリアかと見紛うほどですが、残念なことにそこに日本人の姿は殆ど見られません。人口も経済もほぼ日本の六分の一の規模で、海外留学生はオーストラリア経済に143億ドルをもたらし(2007年)、教育は、石炭、鉄鉱石に次ぐ堂々の第3位の隠れた輸出産業と言いますから、驚きです。
 連邦政府のジュリア・ギラード教育相は、「アジアからの留学生が増えているのは、オーストラリアとアジア諸国との関係強化のおかげであり、また、オーストラリアの教育機関の水準の高さが世界的に認知されて来たことを示している。」と述べていますが、そもそも外国人を受け入れるオープンな社会基盤があることが前提にあります。かつて白豪主義を信奉していたことがウソのようです。私の周囲の華僑の知人の話を聞いていると、裕福な家庭の子弟は英国へ、それほどの余裕がなければオーストラリアへ、更に身近なところであればシンガポールへ留学させるのが一般的で、植民地支配の余韻をそこかしこに残す東南アジアでは、思いのほかヨーロッパ(的文化)への結びつきが強いことを感じます。
 以前、別のブログに書いたことですが、アメリカのパワーを担保するものは、国際公用語の英語と、国際基軸通貨ドルと、教育制度だと主張する人がいました。最初の2つはともかくとして、教育制度については、海外からの優秀な留学生を惹きつける環境を整えることによって、世界の頭脳をアメリカ市場に囲い込む、いわば青田買いの意味合いがあるのだろうと思います。そのまま優秀な労働力としてアメリカ市場に供給することが出来ますし、仮にそれぞれの母国に戻ってしまったとしても、アメリカという国へのシンパ(理解・愛着)を増やし、自国学生との交友関係を通して世界的な人脈を育てることが出来ます。優秀な学生ほど、将来、それぞれの母国において枢要な地位を占める確率が高く、長い目で見れば経済力や軍事力に勝るソフト・パワーたり得ます。しかもこれはアメリカという国の思惑に留まらず、学生側にもそうしたネットワークを手に入れることが出来るという強力なモチベーションが働き、強固なシステムになり得る好循環になっています。
 因みに日本の海外留学生受入れの数を調べてみると、3年前のデータですが、僅かに12万人弱でした。オーストラリアの54万人との差には、愕然としてしまいます。日本以外で進む交流を見ていると、日本だけが世界の潮流から取り残されているようで、焦りのようなものを感じてしまいます(私が焦ったところでしょうがないのですが)。

月刊誌

2009-03-12 22:09:25 | シドニー生活
 海外にいると、週刊誌や月刊誌に飢えます。日経新聞はこちらでも購読できますが、週刊誌や月刊誌は、出張者や訪問者に買って来て貰う以外にないからです。ホットだけれど、ちょっと距離を置いて眺めたい、あるいはホットな話題をちょっと別の切り口で読ませてくれるというのは、日刊紙では難しい。
 日々の動きを追う、事実関係を拾って行くだけなら、インターネットで十分ですが、以前にも触れた通り、自分に興味がないことでも世間が注目していること(世間が注目すべきとメディアが判断するもの)を押さえて置くには日刊紙が便利です。しかし、細切れの事実の先にある、大きな流れを俯瞰したり、事件の底流にある真相を見極めようとしたり、あるいは歴史的な文脈の中で現在を位置づけ直す作業などは、月刊誌の領域になります。
 最近、文藝春秋社が発行するオピニオン誌・月刊「諸君!」が5月1日発売の6月号を最後に休刊することが明らかになりました。熱心な読者ではありませんでしたが、私が学生時代の頃のことですから、デタントを経て再び東西冷戦に揺り戻しがあった頃で、まだまだ進歩系の新聞や論調がかまびすしい当時、「文藝春秋」をはじめとする保守的な論調の、更に右寄りの座標軸に自らを位置づけていた「諸君!」は却って新鮮に映り、たまに買っては楽しんでいたので、懐かしくもあり、同時に名残惜しい気持ちで一杯です。
 論壇・総合誌関係では「論座」「現代」が昨年相次いで休刊しており、時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、硬派が敬遠されているような軽めの世相が、やや気になります。

アルコール規制

2009-03-11 21:39:29 | シドニー生活
 健康に害の少ない(癌などの疾病リスクを高めない)酒量に関して、オーストラリアの国家保険・医療研究評議会が指針を発表しました(8年振りの見直し)。男女とも純アルコール量で一日20gまで、ワインなら小さめのグラス2杯、ビールなら375ml缶2本なのだそうです。世界有数のワイン生産国で、国がこのような指針を纏めること自体に奇異な感じを受けますし、余計なお世話とも言いたいところですが、実は昨年来、手軽に飲める所謂アルコポップ(ウォッカやラム酒などのAlcoholと炭酸飲料Popを掛け合わせた造語Alcopops、RTD=Ready To Drinkとも)と呼ばれる果汁や炭酸入りアルコール飲料を若者が暴飲することが社会問題化していたのが背景にあるものと思われます。それにしても僅かに二杯(二本)とは・・・本稿内容は、家族には秘密です。
 また、同じ問題により、昨年4月からアルコポップに対する増税を実施した結果、ビール消費量が15年振りに伸びているという報道もありました。年間消費量1500万L増、一人当たり換算で年3本増だそうで、果たして増税で当初狙った効果があったのか若干疑問ではあります。
 もともと一人当たりビール消費量ではヨーロッパ以外の国では一番(世界10位、日本の1.5倍の消費量)と言われる国柄です。オーストラリアに来て驚いたのは、ワインだけではなくビールも美味しいことで、特にお気に入りは、タスマニア州産Cascade。写真はタスマニア旅行で見つけたドラフト・ビールで、オーストラリア本土ではついぞ見かけませんが、いずれにしても、この銘柄、オーストラリアに旅行される方は是非お試し下さい。
 飲むために健康であらねば・・・と思う今日この頃です。

騎士道精神を体現するオーストラリア人?

2009-02-24 21:35:46 | シドニー生活
 ウィスキー会社のシーバス・リーガル社が先に行なったタイトル(騎士道と訳すと実は大袈裟ですが)のアンケートで、昨日のアカデミー賞で更に男をあげたヒュー・ジャックマン氏が堂々の一位に選ばれていたそうです。
 そもそもchivalry(騎士道)などという英語を初めて知ったのですが、このアンケートで想定されているchivalrous(騎士的、義侠的)な行為とは何かを挙げて貰うと、上位5つは、他人を助ける(helping others)、ドアを開ける(opening doors)、困っている人に手を貸す(assisting those in trouble)、席を譲る(offering a seat)、礼儀正しい(being polite)であり、更に、その健やかなる時も病める時も(あるいは富める時も貧しい時も)愛する人を支える(Supporting loved ones through good times and bad)といったような、結婚式の誓いの言葉のようなことまで高く評価されていると言いますから、一見いかめしいですが極めて俗な、ごく当たり前の意味で使われていることが分かります。1位に選ばれたヒュー・ジャックマン氏について、清潔感ある家庭的な男性としてのライフ・スタイルや堅実な性格が評価されていることからも窺われます。今回のアンケートに答えた18歳以上のオーストラリア人1500人の内、83%まではこの特性が重要だと回答する一方、こうした特性がオーストラリアで十分に体現されていると答えたのは、男性で37%、女性で31%にとどまりました。アメリカ人が自己採点すれば、50%を越えるのではないかと思いますが、まだまだ若いオーストラリアという国では、熟成されていないと言いますか、民度の練り上げられ方が足りないような気はします。
 因みに2・3位には、元クリケット選手(グレン・マグラス氏)と元ラグビー選手(ロン・バラッシ氏)、同率4位には、実業家(ディック・スミス氏)、クリケット選手(リッキー・ポンティング氏)、女優(ニコール・キッドマンさん)、同率7位には、ケビン・ラッド首相、元クリケット選手(アダム・ギルクリスト氏)、元豪国防軍司令長官(ピーター・コスグローブ氏)が選ばれました。スポーツ選手がやたら多いのが面白いですね。スポーツ好きのオージーらしい。

第81回アカデミー賞

2009-02-23 22:42:52 | シドニー生活
 第81回アカデミー賞の発表・授賞式が行なわれました。私自身は、年を重ねるとともに、最新映画を追いかけなくなって久しく、アカデミー賞授賞式の模様を映像で見ても(昼12時からの中継なのでTVは勿論見ることが出来ませんでしたが)誰が誰やらさっぱり分からず、すっかり映画事情に疎くなりました。しかし、TV・映画界については常にハリウッドの方を向いているオーストラリアでは、今年はオーストラリアゆかりの人が二人登場し、注目されました。
 先ずは司会者の俳優ヒュー・ジャックマン氏。これまでオスカーの司会と言えば20年以上もコメディアンが務めてきた大役であり、今年の彼は、デュエットの歌あり、グリースやハイスクール・ミュージカルなどのお馴染みのミュージカルのダンスあり、涙ぐましい努力で会場を沸かせた甲斐あって、NYポストのオスカーズ・ブログでは彼の演技を、彼はビリー・クリスタル氏(過去8回オスカーの司会を経験したコメディアン)ではないと、こき下ろしていたそうですが、セレブリティ・ゴシップ・ブロガーとして有名なペレズ・ヒルトン氏は、彼の努力を賞賛したそうです。やり過ぎ(overformatted)の声まで挙がったようですが、”Charming Host”と呼ばれて、オスカーの司会の新しい時代を切り開いたことは間違いありません。
 もう一人、バットマン・シリーズ最新作「ダーク・ナイト」で悪役ジョーカーを演じた故ヒース・レジャー氏は助演男優賞を獲得しました。彼は不眠症のために服用していた睡眠薬の過剰摂取による急性薬物中毒と言われていますが、昨年1月に28歳の若さで急死し、家族が代わりに授賞式に参加しました。故人が受賞するのは二人目だそうで、彼のことはよく知らなくても胸に迫るものがあります。
 そうは言っても、日本人である以上、日本人の活躍が気になります。今年は、滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国語映画賞を、また加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が短編アニメーション賞を受賞するなど、大健闘でした。日本作品のアカデミー賞受賞は、2002年度に「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)が長編アニメーション賞を受賞して以来6年ぶり。二冠獲得は、1955年に「地獄門」が名誉賞(外国語映画賞)と衣装賞を受賞して以来54年ぶりの快挙です。基本的にアメリカ映画を対象とした映画祭であるアカデミー賞は、アメリカの国情や世相が色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さでは選ばれないとも批判され、「おくりびと」というのも遺体を棺に納める「納棺師」を主人公とする話で、なんだか暗そうで、如何にも異文化っぽ過ぎるが故に受けたのかと勘繰ってしまいますが、国際的な知名度は抜群の映画祭で、映画の都ハリウッドの映画業界関係者が選考したという意味では、何はともあれ晴れがましく、嬉しいものです。

変化について・続

2009-02-23 07:03:24 | シドニー生活
 前回の続きで、もう少し変化への対応ということについて考えてみます。
 よく言われることですが、日本は外圧に対しては器用に対応しますが、自ら変革を求めるようなことはして来ませんでした。これは1000年近くも原則鎖国を貫き、徳川260年の安定社会を通して練り上げてきた日本の民族性と言ってもよく、そうした内向きの安定した社会制度の中で、技能を深化させ、文化を爛熟させて来ました。
 日本的経営の特徴で、どちらかと言うとマイナスの側面として取り上げられることが多い終身雇用と年功序列は、戦後に一般化したもので、戦前は必ずしもそうではなかったと擁護する人がいましたが、しかしその原理は、“安定”して成長を続ける経済を前提に、“安定”して成長を続ける企業において、企業を「藩」の如き一種の運命共同体と錯覚させ、個人プレイよりもチームプレイを機能させるモチベーション・モデルであったと言う点では、決して目新しいものではなく、極めて日本的なるものへの親和性が高いものと言えます。
 そうした安定装置の中で重要なことは、しっかり例外を用意し、変化への対応をしなやかに行なって来たことでした。殿ご乱心・・・で知られるように、無能なリーダーは無理やり家老たちに隠棲させられ一線から外されましたし、有能な家老は仮に身分が低くても取り立てられました。ここで面白いのは、日本では名誉栄達と金銭的豊かさとは一致しないことでしょう。日本人の嫉妬深さを意識してか、徳川体制の大きな特徴は、禄を食むものは大きな仕事を任されず、仕事を任される者は禄を与えられなかったというように、栄誉と実利を明確に分けたことでした。これは権力(勢力)を作らない徳川家康の知恵だったと思いますが、これは余談。
 こうして組織内に最低限の変化対応力を内包するのは、現代の日本企業においても同様でした。仕事やポジションと人との結びつきが強い欧米では、事業とともに人も切り離すことになりがちですが、会社に“就社”する日本では、社内のある事業が潰れても、その従業員を他の事業に使い回しすることが出来ました。特にかつては日本に特徴的な「総合」と名の付く企業、例えばミサイルからラーメンまでと揶揄された総合商社や、総合電機は、まるで“ぬえ”のように、企業内にいろいろな事業体を抱え、その事業体の取捨選択を通して人材の流動性を確保し得ました。日本の社会自体が極めて流動性が低いという点で、個々の組織体がその弱点を補って来たと言えます。昨今の日本企業(特に大企業)の問題の一つは、かつての柔軟性を失ってしまったことにあるように思います。総合企業は、成長してきた経済がひとたび停滞した時に、成長する経済のもとで放置されて来た赤字事業の存在ひいては総合経営の杜撰さに光が当り、海外の有力な専業企業のあり方に倣い、個々の事業体の自立性を高めることを期待した結果、縦割りに硬直して機動力を失ってしまったのです。勿論、これは私が属する特殊集団とその環境から垣間見える一つの現象に過ぎなくて、いろいろな診断はあろうかと思います。しかし、総合企業が活力を失って久しく、その後、有効な手を打てていないことは事実であり、日本経済に占める総合企業の重要性を考えると、決して無視できることではありません。
 特殊な話に傾いてしまったので、話を戻します・・・小泉政権の功罪についてはいろいろな意見があり、今後の歴史に評価を委ねたいと思いますが、私自身は、自ら変革を求めるようなことはしない日本にあって、グローバル・スタンダードと言う名の外圧を演出し、日本的な組織に対して刺激を与え変革を加速しようとしたという点で評価します。ところが長年の属性はそれほど急に変えられるものではなく、抵抗勢力が揺り戻しを仕掛ける中で、改革は中途半端に終わってしまいました。
 かつて日本は二度の石油危機を乗り切り、高度成長モデルを維持して来ました。しかし今や日本が変わる以上に世界は刻々と変わっています。以前このブログでも触れた通り、日本が世界に占める地位が相対的に地盤沈下していることがその証です。本当の意味での国際化はこれからですが、なにしろ1000年近く原則鎖国を貫き、海外に門戸を開いたのは高々150年でしかない日本で、その150年にしても、大雑把に言ってしまえば、素直に欧化しようとした50年と、その反動で内向きになった50年と、その後の反省で素直に国際化できなかった50年に分かれ、本当の意味で海外に開かれた社会にはなっていません。果たして日本的な組織のありようをどこまで維持出来るのか、飽くまで日本流にしなやかに変化に対応する術を、私たちはまだ見つけることが出来ていません。

変化について

2009-02-21 05:53:04 | シドニー生活
 昨日のブログで触れたサマータイム法案に関する日本側の対応について補足すると、6月に自民党が政調全体会議で協議したところ、前向きな意見が大勢を占める一方、業界の反応を検証するべきだとか国民的盛り上がりに欠けるなどという慎重な意見もあり、谷垣政調会長に対応が一任されました。そしてその谷垣政調会長は、まだ煮詰まっていない点があり、日程的に今国会成立は無理だと述べ、法案提出は見送られました。
 何故こんな過ぎたことをあらためて蒸し返したかと言うと、ここに日本に特徴的な属性が凝縮されていると思うからです。みんなで議論したけれども決められないで、一人の長老(議長)に対応を一任する、その長老は、議論が煮詰まっていない、時期尚早だとして実行を先送りする・・・これまでいろいろなところで繰り返されて来た私たちの姿ではないでしょうか。
 変化への対応あるいは決断力に関して、一般に日本人は石橋を叩いても渡らないなどと揶揄されます。かつてある韓国人(有名財閥幹部)は、韓国では歩きながら(どちらの方向に向かうべきか)考えるものだと述べ、日本と違って韓国の着実にスピーディな対応ぶりを自画自賛していました。他方、中国人は先ず走り出してから(さてどちらに向かっていたか)考えるものだと喩え、その拙速ぶりを笑いました。日・韓・中(韓はどうか知らないが、とりわけ日・中)の特質について、あながち外れていないところが口惜しいですね。
 この日本の慎重さ、何らかの変化を億劫がる日本人の属性は、先のサマータイム法案においてもどうやら見事に発揮されています。そして昨日のブログで触れた通り、韓国は遅れてではありますが前向きな検討を開始します。そう、先の韓国人に言い返したいところですね、その通り、韓国人は「日本の後を」歩きながら考える、と。確かに、その喩えを聞いたのは、半導体事業(特にDRAM)において、韓国企業が積極投資により日本企業を追い越した頃のように記憶します。しかし彼らの実行力は正当に評価されるべきでしょう。いろいろな理由があるにせよ、いろいろな理由を挙げて萎縮してしまう日本は、結局、行動に出ることが出来ずに出し抜かれ、あるいは世界の趨勢から取り残されかねません。

サマータイム再び

2009-02-20 08:06:05 | シドニー生活
 日本では「サマータイム制」導入に向けた超党派の動きがいつの間にか沙汰やみになりました。現在、OECD加盟国で採用していないのは日本、韓国、アイスランドだけだそうですが、その内の韓国で、本格的な検討作業を始める方針が明らかになりました。労働強化につながる(残業が増える)として反対意見が根強いのは、日本と同じようです。
 確かに、今の日本の労働慣行を引き摺ってサマータイム制を導入しても、効果が乏しい可能性があることは否定しませんし、それならば意識改革が先だという議論も分らなくはありません。しかし意識改革を待っていたら、いつまでたっても前に進まないのもまた事実でしょう。大前研一さんは、可能性があるデメリットをあげつらうばかりで、そのデメリットの中身やあるいはメリットがあることもまた真剣に精査しようとしないのは、思考停止も同じだと批判されました。まずやってみることが大事なのではないかと。
 私は、大前さんの意見に賛成です。彼がサマータイム制を推進する理由の一つは、日本に変化が乏し過ぎること、この制度を導入することによって従来の生活のサイクルを変えてみることも、良い刺激になると考えるからだそうですが、実際にアメリカやここオーストラリアでサマータイム制を経験して、私もそう思います。アメリカやオーストラリアのように、残業がなく通勤時間が短い社会だからという訳ではありません。私自身はサマータイム制によって明るい一時間を必ずしも有効活用しているとは言えませんが、毎日、日が暮れて帰宅することが当たり前なのではなく、私たちは太陽の恵みとともにあることを実感するだけでも、何となく元気が出て来るような気がしますし、そうすれば残業に対する意識も変わってくるかも知れません。
 オーストラリアでサマータイム制を採用しているのは、ニューサウス・ウェールズ州、サウス・オーストラリア州、ビクトリア州、タスマニア州といった南東諸州だけで、ウェスト・オーストラリア州はここ三年間で試行中です。日本も、やる前からああだこうだと議論する前に、もし世論が割れているのであれば、例えば北海道で三年くらい試験的に導入して、効果を検証すれば良いのではないかと思います。