goo blog サービス終了のお知らせ 

SY-Nak Official Blog

SY-Nak Official Blog

「リエと私の10年間」・・・その4

2012-07-17 17:18:00 | ノンジャンル
☆北京オリンピック後

リエはこの後、何処に向かうのか暫くは悩んでいたように思う。
その時のコーチは4年後を見据えていたのか、気分転換を求めていたのかは解らないけれど、次の一年を長距離レースを主体とした取り組みにした事は、とても良い選択だったように思える。

私が言うのもなんだが、北京オリンピックまでのリエのトレーニング量は、決して多い物ではなかったと思う。
それでもアテネから北京までの4年間は、しっかりとアスリートとして歩んできたものであったし、持ち前の集中力でしっかりと結果も出してきた。

長距離を走る事が好きな私に対して、リエは短い時間でスパッと質の高いトレーニングをする事を好む。

しかし、過酷な長距離MTBステージレース「ケープエピック」を目指して、リエにとっては退屈で長く辛い地道なトレーニングにも取り組んでいった。
やはりここを堺に、しっかりとしたトレーニング量をベースに身体も出来てきて、強さが増していったと思う。
ロードのナショナルチーム合宿などにも自ら飛び込んでいって、質量共にしっかりとしたトレーニングも積めるようになり、どんどんと強さを増していった。

とにかくリエは、自ら飛び込んでいく。
待っていては誰も手を差しのべてはくれない。
「ずーずーしさなら世界一」と自らも言っているように、ずーずーしいのだ?
貪欲に、目標の為にプラスになる事を求めて取り入れていく。
でもそれが憎めないし、皆が彼女を応援したいと思わせる物を持っているし、彼女もそれを力に頑張るし、皆を巻き込んでいく。
それでいてリエはとっても気が利く優しい女性だ。(ん?褒め過ぎか?)

2009アジア選手権

マレーシアで行われたアジア選。
私はアテネ以来5年ぶりの日本代表に、アジア選に関しては久しぶりの代表になった。
リエと同じナショナルチームで他国の選手と闘える時がやってきた。
志の高い選手と共に試走をしたり、生活を共にしながらレースに向かう事がとても心地良かった。

かつてワールドカップも制している世界レベルの中国の2選手を相手に私達も善戦した。
中国選手はトップコンディションではないものの、リエは先頭を走る中国選手を追える位置で、私は3位を走る中国選手を追える位置でフィニッシュした。

私はその時、全力で自分の力を出し切る事が出来たが、リエからは日本のレースで付けられるタイム差よりもずっと大きなタイム差を付けられていた。
リエが世界のレースで全力を出し切る時の強さを本当に頼もしく感じた。
強い中国選手に勝てるかもしれない。
翌年には4年に一度のアジア大会が迫っていた。
そこで再び一緒に出場して、リエが金メダルを、そして私もメダルを取りたいと強く思った。

つづく・・・