ここ数年の間に、TOYOTA2000GT(とTOYOTA7)についての資料がかなり公開された様です。その結果、YAMAHAとTOYOTA、YAMAHAと日産の提携関係、それによって生み出されたクルマ達が明らかになってきました。更に、関わった方々のことも表に出てきました。その結果、TOYOTA2000GTの前にYAMAHAが、日産のGTを作っていたこと。その結果、TOYOTA2000GTとフェアレディZが、兄弟と言わなくとも従兄弟の関係であるらしい。日産からYAMAHAに移った板金名人が、TOYOTA2000GTも作ったらしい。など興味深い話が色々出てきている様です。私にとって永年の疑問だったことは、フェアレディZの発表時に、その側面プロポーションが、TOYOTA2000GTと同一だったことです。その疑問が、ここ数年の資料の公開で氷解しました。なるほどねということです。
エピソードの豊富さと、それにまつわる人物の多士済々振り。自動車雑誌のレポート、ウェブ(*1)での取り上げ方も楽しくなる一方です。私は、もう企業秘密にすることでもないのだから、これをノンフィクション小説にする人はいないのだろうかと思います。更に、TVドラマ、映画のテーマとして最適ではないかと思います。ヒットすると思いますけどね。 (*1)三妻自工ブログ
さて、私にとってのもう一つの疑問点が残っています。これは、今まで取り上げる人がいなかったので、賛同する人は少ないかもしれません。まあ気楽に読んで下さい。それは「TOYOTA2000GTとフェラーリデイトナのリアスタイルの共通性」ということです。デイトナは、2000GTの2倍の大きさのエンジンを持ち、寸法的にもひとまわり大きいボデーを持っています。もっとも両車共、現代のスーパーカーに比べれば、驚くほどコンパクトですがね。その存在感は、どちらも圧倒的です。そして、プロポーションは、ほぼ共通です(デイトナが少し幅ひろいかな)。フロントビューは異なった造形で形作られています。ところが、リアスタイルは、良く似ていませんかという事です。基本形は、ほぼ共通。サイドウィンドー、リアウィンドーの形も共通。2000GTの「オリエンタルアイ」、デイトナの「エアスリット」でリアサイドウィンドーの端末処理は変えてあります。リアウィンドーの4角のアール処理も違いますが、ウィンドーそのものは、似ています。リアエンドパネルの1段奥まった形状も近いですが、両端の形状処理は異なっています。しかし、2灯式ランプはそっくり。どうですか?基本形状は同じで、端末の細部処理は異なっている。2000GTが、1965年の東京ショー発表で、デイトナが、1968年のパリサロン。2000GTが、3年も早い。デイトナが、2000GTから影響を受けたのでしょうか?しかし、そのことを指摘する文章に出会ったことはありません。両車共デザインプロセスは、かなり明らかにされており、最初の基本スケッチがそのまま具体化されたというより、次々に改変されて最終形に辿りついています。
ここから、あらぬ想像です。PininFarinaは、既に日産と提携関係にありました。主に乗用車関係でのビジネスです。最初に記した日本でのスポーツカーの開発ドラマの進展時に、PininFarinaは、日産にスポーツカーのスケッチを供給していたのかしら?ということです。開発ドラマに関わった外人デザイナーといえば、ドイツ人のゲルツが有名です。日産のデザイナーを指導し、その当時の車のデザインへの関与を自分でも色々述べています。しかし、2000GTは、ゲルツのテイストとは違います。Zのデザインにゲルツが残していった車のデザインが影響を与えていると指摘する文章もあります。しかし、私には、Zのデザインは、ゲルツのムードとは違うと思います。2000GTとの側面プロポーションの共通性が、一番印象に残ります。
まあ今更どんな結論でも良いことです。バーで好きな者どうしでグラスを傾けながら話す話題としてどうですか?という事です。
TOYOTA2000GT
フェラーリ デイトナ
共通したものがあると思いません?
やっぱり格好良いですね
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