オールドレーシングカー談義

1950~1970年代のレーシングカー、その他のマシーンについて語り合うブログです

アルピーヌとベルコR39B(その1)

2009-11-04 | log・レーシングカー他

 9/22のブログで、1970年代前半のポルシェレーシングカーとそれに対して影響を与えた(?)AlpineA441について述べました。その当時、Alpineがスポーツカーでは最も進んでいたと思います。ところが、同じ時期に、空力的には同レベルかむしろ進んでいたのでは、と思えるマシンが日本にありました。鈴木板金製のベルコ72E(R39B)です。ベルコの国産シャシーに、三菱の本庄季郎さんのデザインのボデーを装着したものです。少し前のスポーツカーのスタイルが、ウェッジの流行に煽られ気味だったのを、両車共冷静に軌道修正しました。
ヘッドフェアリングを10数年振りに復活させ、空気流を整える。前後も曲面で成形し抵抗を低減しつつダウンフォースを確保する。サイドは、流線型にせず、平面の断ち落とし。無闇なウェッジの流行から抜け出しました。ところが、そこから違ってきます。リアのダウンフォースを得る為にAlpineは、サイドフィン+ウィングで対処しています。対してベルコは、リアウィングを使わず、リアの底面を跳ね上げディフューザー効果を狙っています。今年のF1での焦点でしたね。本庄さんは、戦前の軍用プロペラ機の設計者であり、後部胴体の跳ね上げ形状について知見が豊富だったのでしょう。更に、パネルはFRPでなく、最新の東レ製のカーボンファイバー。今から見れば、ベルコの方が進んでいたと思います。
 しかし、実戦では、Alpineの方が順調にヨーロッパ2リッター選手権を獲ったのに、ベルコはうまくいかず、1レースで三菱は手を引きます。その後ロータリーを載せて、プライベートで少し走って終わってしまいました。それ程遅かった訳ではありません。1973年GC第1戦では、予選8位。スタートしてしばらく5位でトップグループにあり、エンジントラブルでリタイアしています。次戦で挽回できそうでした。しかし、それであっさり撤退でした。時代は、ワークス激突からプライベート主体に変化していました。プライベートも力をつけてきていました。1度負けたくらいで恥ずかしいことではない。しかし、日本GPでのワークス一発勝負に慣れていれば、プライベートに負けることなど考えられなかったかもしれません。以後、三菱ワークスは、レースでは勝てず、ラリーに主体を移します。篠塚健次郎さんは、本来フォーミュラーカーのドライバーとして契約したのだとか。
 
                     
        1973 AlpineA441とベルコR39B 
ベルコR39Bの写真に、良いものが中々見つかりませんでした。早々と撤退してしまった為、記事になった量が少ないのでしょう。詳細な資料が見つかり次第、続きを書きたいと思います。
------------------------------------------------------------------
上記の様なことを書いて随分経過しますが、ベルコR39Bのデビュー時の写真がみつかりましたのでアップしておきます。
(2015/8/3)



本庄季郎さんの体質なのか、どこか1930年代的なムードを感じます。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿