ある難病(パーキンソン病)患者の叫び

年齢51歳。医師。2004年4月病気のため退職。白衣を着ていた者がパジャマに着替えた時に感じた本音を叫び、訴える。

『足元をみつめて』を同窓会誌に投稿して1年経過してみて考える事

2005-11-09 11:13:22 | Weblog
 『今年の4月に難病であるパーキンソン病の治療に専念するために、約25年間、診療、教育、研究に明け暮れた大学を退職した。想えば在職中は教育、研究の準備(主にマウスの世話であったが)あるいは入院患者さんの診療および処置などで、日曜、祭日もあまり無く、家族を犠牲にし、自分の時間を切り売りし、そして 肉体の疲れを感じることで、自分の労働を評価し、「自分は良い医者であり、研究者である」と自己満足していた。
 そのような忙しさの中を前ばかりをみて走り続けた生活であったが、退職し、入院してみると、「自分がいかに足元を見ないで過ごしていたか。」に気がついた。
タンポポ、ドクダミ、桜草、すみれなど数多くの草花や名前の知らない無数の草が足元にあり、ヒトや動物あるいは車などに踏みつけられても、轢かれても、ほんの少しの土があれば、色とりどりの可憐な花を咲かせ、種をつけ、増えていた。そして、時にはその根のために道路の舗装がひび割れることもあることに小さいながらもその生命のしぶとさ、力強さに驚かされた。
患者でなければ分からない症状や精神的および肉体的な悩みに苦しみ、仕事など多くのものを失ったが、逆に病気になったお陰で得たものも多く、その一つが「足元の草花」の存在を知ったことであった。「雑草という草は無い」と言う昭和天皇のお言葉が示すように、全ての草には名前があり、命があり、存在する権利や意味がある。
現代社会のこの厳しい競争社会の中でゆっくり仕事をすることが無理であることは十分に理解できるが、せめて、ほんの少しの時間でよいから、足元の草や花に目を向けてみてもよいのではないだろうか』
以上の文を作り、1年前に同窓会雑誌に投稿して掲載されました。
当時も今も考えは同じです。
でも違うのです。「生きていくこと」と「生きていること」を大事にしていたあの頃とは。
やっぱり、「生きていることに慣れてしまったんだろうか」???。
今が大事な分かれ道。
写真は今朝の富士山です。