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工藤隆のサブルーム

古代文学研究を中心とする、出版、論文、学会講演・発表・シンポジウム、マスコミ出演、一般講演等の活動を紹介します。

“丸山眞男の敗北”は“現代日本のほとんどの知識人の敗北”でもある

2023年04月12日 | 日本論
●2021年12月23日のこの欄に、次のように書きました。

 この二つの論文「アジア基層文化と古代日本」と「アジア基層文化からみた記紀天皇系譜」を元にして、400字詰め300枚くらいに膨らまして、新書版を書き下ろそうと考え始めました。書名は、『日本像を作り直す──アジア基層文化と古代日本』(仮題)といったものが頭に浮かんできました。新年に入ったら、書き始めようと思います。

 ところが、その後、この二つの論文「アジア基層文化と古代日本」と「アジア基層文化からみた記紀天皇系譜」を含む計5本の論文を収録して、論文集の単行本『アジアの中の伊勢神宮──聖化された穀物倉庫』として刊行する話が進行し始めました。いま、その本の「まえがき」と「あとがき」を書いているところです。

●その書きかけの「あとがき」(未完)の一部分を、以下に引用します。伊東裕吏(ゆうじ)『丸山眞男の敗北』(講談社選書メチエ、2016年)を読んで、思うところがありましたので。

───────────────────────── 
  あとがき

    1

 日本とは何かを源から論じるときには、『古事記』にまでさかのぼれば、参照すべき文献は押さえたと感じる人が多いようです。
 しかし、問題はそれほど単純なものではありません。『古事記』には、神話の書、文学の書、神道の教典の書、天皇神格化のための政治の書という四つの顔があります(工藤『古事記の起源──新しい古代像をもとめて』中公新書、二〇〇六年)。このうちの、文学の書としての『古事記』の基礎作業的な研究は、本居宣長(もとおりのりなが)『古事記伝』(一七九八年完成、引用は『本居宣長全集』筑摩書房、一九六八年、による)に代表される江戸期の国学の訓詁注釈的な伝統を継承して、すでに敗戦前までにかなりの水準に達していて、敗戦後現在にいたる『古事記』研究も基本的にその延長線上にあります。
 しかし、神話の書としての側面では、宣長の時代には、生きている神話の実態を示す資料がほとんど得られなかったので、残された文字文献資料だけではたどり着けない領域が手つかずで残されたのです。
 また、天皇神格化のための政治の書という側面については、それを相対化する視点を『古事記伝』はまったく持つことができませんでした。宣長は、『古事記』に〝純粋無垢なヤマト心〟を見ると同時に、次のようにも述べています。

 (略)

 高天の原もアマテラスもすべて物語の中の存在でしかないのにそれを実在だと信じる人々のいる国、すなわち日本国の、その内側でしか通用しない論理を根拠にして、日本国を世界中で最も優れた国だとする、ほとんど誇大妄想の論理です。
 もちろん、鎖国時代の日本の内側しか知らない宣長の場合には、これはこれで仕方ない面もありました。しかし、明治期にすでにそれなりの近代化を導入していたはずの一九〇〇年代の日本社会が、皇国史観のような誇大妄想の物語を心の糧(かて)にして他国に軍事侵攻して行ったのは、日本とは何かの認識に、大きな欠落が存在していたからだと思われます。
 それは、『古事記』が発する情念・情緒の部分の、反リアリズム的性質にありました。神話世界的観念の特徴は、視野が内向きに固定されていることです。神話は、自分が暮らす領域の外を知らぬがゆえに作り出された物語世界です。
 本居宣長によって描かれた『古事記』像の欠陥は、簡潔にいえば、国境の内側に自閉していること、そして、文字文献登場以前の日本列島文化への想像力の欠如、この二つです。そして、この二つの欠陥は、敗戦後の国文学の世界の、日本古代文学の研究方法にほとんどそのままに継承されました。『古事記』への接近が、国境の内側主義と、無文字文化時代の言語表現への接近の忌避に特徴づけられるのが、敗戦以後現在までの古代文学研究学界の大勢です。言い換えれば、二十一世紀の現在でも、『古事記』研究は、研究方法自体が国粋主義的なので、『古事記』の天皇神格化のための政治の書の側面から派生する国粋主義的性格を相対化できないのです。

    2

 一般知識人が日本とは何かを源から把握しようとするとき、日本最古の本格的書記物である『古事記』に依拠するのは仕方ないことです。しかし、そのときに古代研究者から提示される『古事記』像は、国境の内側に閉じた思考と、無文字文化時代のヤマトの言語表現文化への接近の欠如が生み出した歪んだ像なのです。
伊東裕吏『丸山眞男の敗北』(講談社選書メチエ、二〇一六年)が、丸山真男という、最も冷静に日本とは何かを分析した知識人でさえもが、日本文化の「古層」に迫ろうとすると、「国粋主義者たち」と同じ日本像になってしまったことを指摘して、次のように述べています。

実は、【丸山真男の】古層論文が指摘した、記紀神話に見られる「なる」に規定された発想や、宣命(せんみょう、天皇の命令を和文で記した文書)の「中今(なかいま)」という言葉にあらわれた日本特有の「永遠の今」という無窮性の観念は、なにも丸山が発見したものではない。それどころか、それらはまさに、大東亜戦争の最中に、国粋主義者たちによって日本精神の本質として謳(うた)われていたものであった。
(略)
 つまり、この点について言えば、丸山の「古層」論と、戦中の皇国史観に基づいた日本精神論とは、内容自体にまったく変わりない  (( )内、原文)


 しかし、これは丸山真男ひとりに限ったことではなく、現在でも、知識人を含む日本人の多くが、日本とは何かについて抱いている歪みの共通像だと私は考えています。「丸山眞男の敗北」は、実は“現代日本のほとんどの知識人の敗北”でもあるのです。
 現代日本の多くの知識人たちよ、あなたたちは日本文化の「古層」について、丸山真男以上のことを述べることができますか? あなたが日本人であることの最も深い根拠を、丸山以上の思索で述べようと努力していますか? 実は、日本文化の「古層」について考えること自体を棚上げにして、思考停止しているのではありませんか?
 現代日本社会は、明治の文明開化以来流入してきた欧米の合理主義的な近代文明の表層と、江戸時代までにできあがっていた縄文・弥生時代にまでさかのぼる、反(あるいは非)リアリズム的なアニミズム系文化およびムラ社会性・島国文化性を主成分とする、基層文化との、同時存在によって形成されています(工藤隆『深層日本論──ヤマト少数民族という視座』新潮新書、二〇一九年)。これらアニミズム系文化とムラ社会性・島国文化性の基層部分は、プラス面とマイナス面を両方備えたうえで、日本人の潜在意識の部分に深く食い込んで、現代日本人の行動を「空気」(山本七平『「空気」の研究』文藝春秋、一九七七年)のようになって動かしているのです。
 ところが、日本の知識人の多くは、表層の欧米的な合理主義の部分は積極的に学習するが、日本文化の基層の部分に対する認識がいちじるしく弱いだけでなく、軽視さえしているのです。
 日本の知識人一般のこのような傾向は、日本の明治以後の近代化のあり方にその源があると考えられます。そのわかりやすい事例として、渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)が紹介している、明治六年(一八七三)に来日したイギリス人チェンバレン(一八五〇~一九三五)の「日本知識人」についての論を以下に引用します(チェンバレンの言葉の部分は、チェンバレン『日本事物誌1』平凡社東洋文庫、一九六九年、英文原著は一八九〇年、による)。

 チェンバレンによれば、欧米人にとって「古い日本は妖精の住む小さくてかわいらしい不思議の国であった」。今日の日本知識人はこういうことばを聞くと、反射的に憤激するか冷笑するように条件付けられている。なぜなら、それは古い日本への誤った賛美であって、事実として誤っているばかりか、それ以前に反動的役割を果しかねないからである。チェンバレン自身、そのような日本人の心的機制についてはよく知っていた。彼は書いている。「新しい教育を受けた日本人のいるところで、諸君に心から感嘆の念を起させるような、古い奇妙な、美しい事物について、詳しく説いてはいけない。……一般的に言って、教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている」。
 彼はその好例として、英国の詩人エドウィン・アーノルド(Edwin Arnold 1832~1904)が一八八九(明治二十二)年に来日したとき、歓迎晩餐会で行ったスピーチが、日本の主要新聞の論説でこっぴどく叩かれた話を紹介している。アーノルドは日本を「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」と賞賛し、「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」と述べたのだが、翌朝の各紙の論説は、アーノルドが産業、政治、軍備における日本の進歩にいささかも触れず、もっぱら美術、風景、人々のやさしさと礼儀などを賞めあげたのは、日本に対する一種の軽視であり侮蔑であると憤慨したのである。(( )内、原文)


 このうちの、「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、(略)、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」 という部分は、私が先に述べた日本文化の「アニミズム系文化およびムラ社会性・島国文化性を主成分とする、基層文化」に発する部分のプラス面に当たる資質であり、その貴重な資質の痕跡は、二十一世紀の現在でも、日本人の潜在意識や民間習俗の中に、弱まったとはいえまだ残存しています。 
 一方で、「一般的に言って、教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている」(チェンバレン)という部分の「彼らの過去」とは、明治の近代化で取り入れている西欧文化とは逆方向の、古代以来の日本文化の伝統のことであり、私の言葉では日本文化の「基層部分」、丸山真男の用語でいえば「古層」に発する文化現象のことです。この「基層部分」「古層」に対する認識の弱さ、軽視は、明治維新から百五十年以上を経た現代日本の知識人においても、基本的には変わっていないのです。
 それだけではなく、日本の知識人の多くは、大学教育で欧米的な近代合理主義の知性をたっぷりと身につける過程で、日本社会の合理的でないところを、ただ“遅れている”“劣っている”と感じるようになりがちです。
 精神分析学の岸田秀は、次のように述べています。

 また、ヨーロッパが経済的、工業的、軍事的に格段の進歩を遂げてその勢力を他大陸へと拡大していったこともヨーロッパ人の人種差別的優越感を高めた。それとともにというか、それにつられてというか、人種差別を正当化する思想家が続々と現れた。ジョン・ロック、デイビッド・ヒューム、モンテスキュー、ルソー、マルクス、マックス・ウェーバー、など。それぞれが同じことを言ったわけではないが、アフリカやアメリカの原住民は土地を耕さず、活用していないから、奪っていいのだとか、アフリカは文明が成立し得ない暗黒大陸だとか、アジア人は倫理を欠き信用できないとか、アジアは停滞しているとか、いろいろヨーロッパ中心主義的なことを言い始めた。彼らの説く基本的人権、自由、平等、民主などの近代思想は白人以外は対象外で、どこかで人種差別思想とつながっていた。進歩史観が広く信じられ、ヨーロッパ人の抱く世界像のなかでは、つねに先端を切って進歩するヨーロッパ人と未開にとどまる非ヨーロッパ人とが鮮やかな対比を成していた。(岸田秀『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』新書館、二〇〇七年)


 ここに挙げられた「ジョン・ロック、デイビッド・ヒューム、モンテスキュー、ルソー、マルクス、マックス・ウェーバー、など」の著書からは、私たち日本人は、近代化に必要な理論・思想の多くを学ぶことができました。しかし同時に、彼らの理論・思想に根づく、アジア・アフリカ・アメリカ大陸などは植民地化されても仕方がない〝劣等人種〟の居住地域だとする姿勢もまた、日本の知識人の意識の中に滑り込んだのです。

    3

 とはいいながら、日本とは何かを考えるときには、どうしても日本の過去像の把握が必要になりますので、そのとき、考古学資料とは別に、文字で書かれた最古の本格的書記物にも手がかりを求めようとして、『古事記』にたどり着きます。ところが、古代文学研究者の多くが提示する『古事記』像は、国境の内側に自閉し、無文字文化時代の日本列島文化への想像力の欠如によってできあがった像です。したがって、丸山真男のように、移入した近代文明的な表層には人一倍詳しい人でも、「古層」を論じようとすると、基層部分の、縄文時代にまで届く数千年の反(あるいは非)リアリズム的なアニミズム系文化などの分厚い伝統に迫る手段を持っていないので、〈古代なりの近代化〉の中で形成された、古代としてはかなり新しい日本像を「古層」だと誤認してしまうのです。たとえば、皇位継承の男系重視への著しい傾斜は、六〇〇、七〇〇年代に、唐の皇帝制度の男系男子絶対主義のうちの男系部分だけの模倣が強化されたことによって始まったものでしかないのに、それを「古層」以来の伝統だと誤認するように。
 ではどうすればよいのか。それは、『古事記』を相対化できる新たな分析手法を取り入れることです。
 『古事記』を月に喩えれば、地球上から肉眼や望遠鏡で見た月面の模様を、地上にとどまったままでさまざまに解釈して論理を組み立ててきたのが、宣長以来現在までの『古事記』論の大勢なのです。しかし、私が提唱するモデル理論では、これを逆転させて、宇宙船で月に降り立って月の現実を観察しながら月の実態を把握するのです。もちろん『古事記』研究の場合、『古事記』の深層にある無文字文化時代の縄文・弥生・古墳時代の文化そのものに着陸することはできませんが、モデル理論としてはある程度可能でしょう。特に縄文・弥生時代の日本列島文化と共通性の多い、中国大陸長江流域を中心としたアジア全域の、アニミズム系文化の社会の実態をモデルとして、いわば『古事記』以前からの視線で、古事記を読み直すのです。この方法を、私はモデル理論と称しています。
 このモデル理論を用いて、旧来の『古事記』像と旧来の日本像から抜け出し始めたと私自身が感じられるようになったのは、前出『古事記の起源──新しい古代像をもとめて』(二〇〇六年)を執筆したころからです。また、その延長線上で、前出『深層日本論──ヤマト少数民族という視座』(二〇一九年)も執筆しました。「目利き45人が選ぶ2019年私のオススメ新書」(「中央公論」二〇二〇年三月号)で、日本思想史の先﨑彰容(せんざきあきなか)がこの『深層日本論』を「オススメ」第一位に推し、「(略)文化人類学を導入した斬新な古代古典学を確立してきた著者が、これまでの工藤古代学をわかりやすく、ダイジェストにした古代史入門書。天皇等をめぐり変に思想的偏向がないのが、清々しく読みやすい。」と評しました。日本の現代知識人の中に、少数とはいえ、「文化人類学を導入した斬新な古代古典学」を許容すれば等身大の日本像に迫れるかもしれないと感じる人たちが、登場しつつあると感じました。
 話を元に戻せば、このモデル理論を使えば、『古事記』を、ある程度までは相対化できるのです(完全には無理ですが)。そうすれば、『古事記』の天皇神格化のための政治の書の側面を、ムラ段階社会の神話的要素と、国家段階の天皇権力美化の要素とに分別して論じることができるようになるでしょう。
 従来の訓詁注釈的研究手法以外のものを認めようとしない人たちは、このモデル理論を導入すると、自分たちの閉じた共同体が崩れるように感じて、排除するか、黙殺するか、知らないふりをするか、とにかく関わらないようにするのが安全無難だと思っているのかもしれません。しかし、本居『古事記伝』以来蓄積されてきた訓詁注釈的研究手法の成果はそれはそれとして貴重な知的財産なのですから、それらを継承したうえで、このモデル理論的手法を組み合わせればよいのです。二〇〇〇年代に入ってようやく、日本の古代文学研究が、伝統的な訓詁注釈的研究手法と新たなモデル理論的研究方法の両方を組み合わせて、より高度なレベルで研究水準を高められる段階に進化したのです。
 しかし、現在のように、『古事記』研究の主流が、天皇神格化のための政治の書の側面を相対化できぬままで停滞しているかぎり、『古事記』の皇国史観的匂いを制御できないでいるということになりますので、『古事記』が学校教育の中に正当な地位を与えられることは難しいでしょう。しかし『古事記』には、縄文・弥生時代に発する、自然との共生と節度ある欲望、および、国家を目指さないがゆえの領土への執着の希薄さ、垂直的支配被支配関係を好まない気質などに特徴づけられるアニミズム系文化の精神が塗り込められています。そして、そのアニミズム系文化の精神こそが、西欧的近代化思想に対して日本的なるものに独自の位置を与える根源のものなのです。
 長江流域を中心とするアジア全域のアニミズム系文化圏の中の古代日本という視点を持つことが、『古事記』像や日本像を、偏狭な国粋主義的思考から解放し、国際的普遍性の中に位置づけ直す有力な手段となるのです。
(未完)
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