工藤隆のサブルーム

古代文学研究を中心とする、出版、論文、学会講演・発表・シンポジウム、マスコミ出演、一般講演等の活動を紹介します。

女性・女系天皇容認の日本共産党について──女性王・女系王と男性王・男系王の共存が天皇文化の最も深い伝統2

2024年06月26日 | 日本論
●報道によれば、「皇族確保」に向けての「与野党協議」が2024年5月17日にスタートしたという。各党の見解も出そろったとのことであり、その中で特に興味深かったのは、「女性・女系天皇の容認」を提唱しているのが日本共産党だけだったという点である(朝日新聞2024年5月18日)。

●日本の天皇制において、21世紀に入って皇位継承が薄氷を踏む状況になっていることは、まともな判断力を持っている人たちにとっては明々白々である(前近代天皇制のように、側室=めかけを何人持っても許されるようにするなら、男系かつ男子天皇の維持も可能かもしれないが、人権尊重感覚や男女平等感覚が進みつつある21世紀の日本では不可能であろう)。
 にもかかわらず、政権を握っている側の行動はまことに鈍い。いや、政権を持っていない政党の場合でも基本的には日本の政権側と共通の精神性の中にいるようだ。
 以下に、君塚直隆『エリザベス女王』(中公新書、2020年)から、ヨーロッパの王室について述べた一節を引用する。

 イギリスには一七〇一年に制定された王位継承法があった。そこには「男子優先の長子相続」と「カトリックとの婚姻禁止」が盛り込まれていた。
 しかしヨーロッパ大陸の他の王室の趨勢を見る限り、もはや「男子優先」は時代に即しているとは言えなくなっていた。スウェーデンの王室(一九七九年)を先頭に、オランダ(八三年)、ノルウェー(九〇年)、ベルギー(九一年)、デンマーク(二〇〇九年)、ルクセンブルク(一一年)といった具合に、各国王室は男女を問わず第一子が王位継承で優先される「絶対的長子相続制」を採用するようになっていたのである。 (( )内原文)


 その結果、イギリス王室も、2013年に、「絶対的長子相続制」(男女を問わず第一子が王位を継承する)と「カトリックとの婚姻容認」の新しい王位継承法を成立させた。

 「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」
これは、本書の主人公エリザベス女王を七〇年にわたって支え続けてきた、エディンバラ老公の言葉である。(略)
 この老公の言葉の裏返しと言えようか、時代に即した改革を進める現実主義と柔軟性を備えている限り、女王と王室はこれからも国民と手を取り合っていくことができるはずだ。(君塚同書)


 日本の天皇制は、君塚『エリザベス女王』が用いた用語でいえば、「時代に即した改革を進める現実主義と柔軟性」を欠いた「熱心な支持者たち」(男系かつ男子継承絶対主義者)が政権を握っている側に多いがゆえに、皇位継承がいずれ破綻するのはもちろんのこととして、全体として天皇制そのものが、これから加速度的に“滅び”の道を進んでいくのではないか。
 このことについて私は、『大嘗祭──天皇制と日本文化の源流』(中公新書、2017年)で次のように述べた。

 贔屓(ひいき)の引き倒しという言い方があるが、戦前の右翼・国粋主義勢力は、天皇制を愛しすぎたあまりに、敗戦(一九四五年)で終わることになる軍国主義ファシズムに天皇制を巻き込み、日本国の消滅、そして天皇制消滅の一歩手前にまで行ってしまった。それと同じように、二十一世紀の現在では、皇位継承が不可能になる天皇制消滅の危機を放置している。つまり、戦前の右翼・国粋主義勢力はもちろん、現在の保守系(女系天皇反対グループ)の人たちも、「終章 日本的心性の深層」で述べた、日本文化のアニミズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会性の伝統のうちのマイナス面、すなわち肝心なときに、願望と空想と目先の利害で重大決断をしてしまう弱点に溺れていることになる。要するに、皇位継承問題でも、今や、天皇制の、時代に合わせて変わらねば存続できなくなるという事態への目配りが求められ始めたのに、彼らの意識は戦前の指導層と同じく、“神国日本幻想”の中にとどまっていて、現実を冷静に見つめることができないのであろう
 逆に、軍国主義ファシズムと結びついた天皇制を極度に忌み嫌う旧左翼系の人たち(天皇文化と政治としての天皇制を区別する視点を持たない人たち)にもまた同じような発想が存在している。つまり、かつてのように“天皇制打倒”と明確な形で叫ばなくても、現状の綱渡りの皇位継承状態を放置すれば、いずれ天皇制は維持できなくなって結局は打倒されたのと同じことになるという考え方である。となれば、現在の日本では、保守系(女系天皇反対グループ)、旧左翼系のどちらもが、本音では、象徴天皇制の自然消滅を待っているということになるのではないか。


 さて、「女性・女系天皇の容認」を提唱している日本共産党は、もともとは「象徴天皇制の自然消滅を待っている」「旧左翼系」だったはずである。とすれば、私の論理でいえば、「旧左翼系」の日本共産党が「女性・女系天皇の容認」を提唱すると、結果的に象徴天皇制の存続を支援することになってしまうのだが、日本共産党は、そのことがわかっているのだろうか。

●私の論文「アジア基層文化からみた記紀天皇系譜──女性・女系天皇と皇位継承」(工藤隆『アジアの中の伊勢神宮──アニミズム系文化の日本』三弥井書店、2023年、所収)の中で、天皇制の本質について述べたことの概略を以下に示そう。

 天皇制とはなにかを考えるにあたっては、次のA~Cのように、本質の部分とそれ以外の部分とを分けることが重要になる。

A これを失うと天皇ではなくなるという部分(最も本質的な部分なので変わってはならない部分)
B その時代の社会体制に合わせて変わってもかまわない部分
C その時代の社会体制に合わせて変わらなければ天皇制が存続できなくなる部分

 「A 最も本質的な部分なので変わってはならない部分」についての旧来からの代表的なものは、天皇系譜が「万世一系(ばんせいいっけい)」だからだという主張である。その根拠には、大日本帝国憲法(明治22年〔1889〕)の「第一章 天皇」の第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」がある。
 ただし、この「万世一系」は、『古事記』『日本書紀』の高天の原神話の神々の系譜までを含むとする立場や、神話段階の部分は除いて初代神武天皇からの系譜とする立場や、私のように、五〇〇年代くらいから男系継承への傾斜が強まり、その傾斜が『古事記』『日本書紀』編纂時(700年代初頭)に、初代神武にまで逆投射されて男系にまとめられたのが記紀天皇系譜だとする立場があり、議論の分かれるところである。
 私は、前回のこの欄(「女性王・女系王と男性王・男系王の共存が天皇文化の最も深い伝統1」2024年5月22日)で述べたように、「①女性王・女系王と男性王・男系王が共存していた弥生時代・古墳時代、に縄文時代のアニミズム系文化も含めて、『日本文化の伝統』の源がある」と思っている。
 したがって、私は、天皇の最も本質的な部分は、系譜とは別の次元にあると考えている。以下に、工藤隆『女系天皇──天皇系譜の源流』(朝日新書、2021年)に述べた考えを、そのまま引用する。

 私は、天皇存在は、「縄文・弥生時代以来の、アニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった特性を、神話・祭祀・儀礼などの形で継承し続けている」すなわち「超一級の無形民俗文化財」であることに、根源的な根拠があると述べた。自然との共生と節度ある欲望に特徴を持つアニミズム系文化は、自然の生態系重視のエコロジー思想と基盤を共有しているのであり、世界的普遍性を持っている。そのようなアニミズム系文化を体現している超一級の無形民俗文化財としてこそ、天皇は存在の根拠を持つという風に、日本国民は意識を切り替えるべきなのである。


 「B 変わってもかまわない部分」は、たとえば、江戸時代までは、天皇は、眉を剃り、白粉(おしろい)・お歯黒を付けていたが、明治天皇からはそれらをいっさい廃止して、服装も西洋風に改めたことなど。
 しかし、「C 変わらなければ天皇制が存続できなくなる部分」の場合は、天皇制消滅を想定しなければならない局面なので放置しておけば深刻な状況に陥る状況のことである。
 今や、一般の祭り・民俗芸能・神事などの「無形民俗文化財」には、後継者がいなくなって消滅するものが増え続けている。消滅の危機に直面したために、本来は男子だけだった祭りの一部を女子にゆだねたりする例が多発しているが、それでもやはり消滅してしまう祭りがたくさんあるのである。
 象徴天皇制は、私の言葉でいえば「超一級の無形民俗文化財」ではあるが、皇位継承を、大日本帝国憲法(明治22年〔1889〕)第二条「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」や、新皇室典範(昭和22年〔1947〕)第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」を変えないかぎり、いずれは多くの一般「無形民俗文化財」と同じく、消滅の道を進むことであろう。
 なお、天皇制が消滅すると日本国が滅ぶとまで言う人(自分たちが、実は天皇制消滅の道を頑固に推し進めていることに気づかない男系かつ男子継承絶対主義者に多い)もいるが、そんなことはない。もちろん、日本文化の、縄文・弥生時代以来のアニミズム系文化の超一級の象徴が失われることになるので、日本国の文化伝統にとっては大きな損失になるが、そのときはそのときで、天皇文化ではない新たな文化象徴が生み出されることであろう

●私は、象徴天皇制は今後とも存続させていくことが望ましいと述べてきた。しかし、このような私の態度には、1945年の敗戦で終わった、軍国主義と結びついた天皇制ファシズムを思い出して、不快になる人もいるだろう。日本共産党も、敗戦前や、敗戦直後のころの綱領では、“天皇制打倒”の方向を示していた。
 現在の私は、天皇制を、以下のように、政治体制の面と文化継承者の面とに分解して把握することを提案している。

  甲 行政王・武力王・財政王など現実社会的威力の面
  乙 神話王(神話世界的神聖性)や呪術王(アニミズム系の呪術・祭祀を主宰する)など文化・精神的威力の面

 甲(現実社会的威力の面)は、古今東西、あらゆる権力機構に備わっている要素である。しかし、乙(文化・精神的威力の面)は、古代天皇制国家以来の天皇存在に特に顕著な要素である。ヨーロッパ王室の場合、その権威の源は行政王・武力王・財政王だった過去にあるだけである。日本皇室は、600年代末の天武・持統天皇期には、神話世界の神々から継続する天皇系譜を語り、その神話世界と結びついているアニミズム・シャーマニズム系統の呪術や祭祀と、現実社会的威力の面(甲)とがセットになる古代天皇制を成立させた
 このように、現実社会的威力の面(甲)と文化・精神的威力の面(乙)とに分解する視点を持つと、600年代後半に〈国家〉体制の整備が進み、公式に「天皇」号が用いられるようになった天武・持統天皇の時期に創出された天皇制のあり方は、行政王・武力王・財政王と神話王・呪術王を合体させた天皇制だったことがわかる。
 武士政権(鎌倉・室町・江戸)が登場し、天皇氏族が政治的実権をほぼ完全に失った時代のあり方は、行政王・武力王・財政王の側面を失った時代である。そして、明治維新による近代国家成立後の、近代化に逆行する王政復古がなされた時代のあり方は、行政王・武力王・財政王と神話王・呪術王を合体させた天皇制の復活であったことになる。
 大日本帝国憲法は、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第三条)という神聖性の規定のあとに、「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」(実際の具体的な統治行為は内閣などが行なうことになっていたにしても)を加えたことによって、〈国家〉の最高統括者が、神話王・呪術王であると同時に行政王・武力王・財政王でもあることになり、ここに、天皇制ファシズム国家が近代法の裏付けを持って成立することになったのである。
 しかし、敗戦後に民主主義社会に転じたあとの象徴天皇としてのあり方は、行政王・武力王・財政王の面を除去されて、神話王・呪術王など文化・精神的威力の面に特化した存在になった。これによって、軍国主義と結びついた過去の天皇制ファシズムの性格の部分が除去されたことになるので、私のように、天皇存在の「超一級の無形民俗文化財」としての価値を再評価して、国家次元で積極的にその存続をはかるべきだという立場が登場することになった

●さて、以上の私の天皇論を踏まえたうえで、「皇族確保」に向けての「与野党協議」において日本共産党だけが「女性・女系天皇の容認」を提唱したことについて検討してみよう。
 2004年3月7日の「しんぶん赤旗」の「ここが知りたい特集 日本共産党綱領と天皇制、自衛隊」には次のようにある。

「戦前は、天皇が主権者で、立法・司法・行政の区別なく、国を統治する権限をすべてもっていました。軍隊への指揮・命令、戦争を始めたり終結させる宣戦・講和の権限もすべて天皇がにぎっていました。ですから戦前の日本では、天皇制をなくさない限り、平和も民主主義もないし、国民が主人公の日本をつくることも実現できませんでした。日本共産党は、命がけで天皇制打倒の旗をかかげてたたかい、多くの先輩党員が命を落としました。戦後は事情がまったく変わりました。日本国憲法は、国民が主権者であることを明記しました。国民の多数が政治を変えたいと思えば、選挙などを通じて、変えることができる制度になりました。半面、天皇は「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第四条)存在になりました。天皇条項を含んだいまの憲法のもとでも、日本の民主的改革はできます。ですから、日本共産党は四十三年前に綱領を決めたとき(六一年綱領以降)も、「天皇制打倒」の旗をかかげなかったのです」


●また、日本共産党の公式サイトによれば、2020年1月18日の第28回党大会で改定された綱領には、次のようにある。

〔憲法と民主主義の分野で〕
 11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである


「一人の個人【天皇】が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」とあるので、やはり天皇制そのものは「民主主義および人間の平等の原則」に反するものなので、「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって」廃止に向かうのが良いと考えているようだ。

●また、しんぶん赤旗電子版(2022年1月19日)にも次のようにある。

〔女性天皇は憲法に照らして合理性持つ 「皇位継承問題」有識者会議報告〕
 18日、衆院議長公邸衆参両院の各党・各会派の代表者は18日、衆院議長公邸で、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する付帯決議」に基づく「皇位継承問題」有識者会議の報告書について、政府の説明を聴取しました。日本共産党からは小池晃書記局長、穀田恵二国対委員長、塩川鉄也国対委員長代理、田村智子副委員長・政策委員長が出席しました。説明を受けた後、小池氏は、国会内で記者会見し、有識者会議の報告について日本共産党の立場を述べました。小池氏は「有識者会議の報告は、天皇の制度は男系男子によって継承されるべきだということが、事実上、『不動の原則』になっている」と指摘。「日本共産党は、天皇の制度は、憲法の精神に基づいて議論、検討すべきだという見地から、これまでも退位に関する問題などで発言してきた。日本国憲法では、第1条で、天皇について『日本国の象徴』『日本国民統合の象徴』と規定している。この憲法の規定に照らせば、多様な性を持つ人々によって構成されている日本国民の統合の『象徴』である天皇を、男性に限定する合理的理由はどこにもない。女性天皇を認めることは、日本国憲法の条項と精神に照らして合理性を持つと考える。女系天皇も同じ理由から認められるべきだというのが、日本共産党としての基本的な立場だ」と述べました。そのうえで、小池氏は「国会の付帯決議では、女性宮家の創設について、重要な課題であることに鑑み、検討を行い、すみやかに国会に報告することとしており、女性天皇、女系天皇について報告することを求めていた。にもかかわらず、今回の有識者会議の報告は、女性天皇、女系天皇について検討しなかった。むしろ逆に男系男子を事実上、『不動の原則』とする報告書になっている。これは、この報告の大きな問題点として指摘せざるを得ない」と強調。「これから国会の中で、各党・各会派で議論されることになるかと思うが、日本共産党としては今述べた立場で、この議論には臨んでいきたい」と述べました。


 すなわち、「多様な性を持つ人々によって構成されている日本国民の統合の『象徴』」なのだから、天皇の資格もまた「多様な性」であるべきであり、したがって、天皇は、男性でも女性でも可であるという論理である。

●私は、論文「アジア基層文化と古代日本」(工藤『アジアの中の伊勢神宮──アニミズム系文化の日本』三弥井書店、2023年、所収、41ページ)で次のように述べた。

 私が、日本古代文学研究に進んだ動機の一つには、“日本人である私とはなにか”すなわち私自身のアイデンティティーとはなにかに迫るためには、日本文化の源の把握が必要だと考えたことがある。
 アイデンティティーには、“将来に日本国をこういうふうにしたい”と考える未来像からのアイデンティティー、“今どういう社会になっているか”と考える現在像からのアイデンティティーがある。しかし、それらとは違って、すでに起きてしまった過去像から考えるアイデンティティーがあり、これは古くさかのぼればさかのぼるほど不明の部分が多くなるので、ときには過剰に美化されたり、逆に過剰に悪いイメージになることがある。
この“過去像からのアイデンティティー”の「過去像」は、できるかぎり本質に近い原型・源にまでさかのぼって把握されたものであることが望ましい。


 日本共産党は、「民主共和制の政治体制の実現」(2020年1月18日の第28回党大会で改定された綱領)という「未来像からのアイデンティティー」を最優先している政党である。そのうえで、「この憲法の規定に照らせば、多様な性を持つ人々によって構成されている日本国民の統合の『象徴』である天皇を、男性に限定する合理的理由はどこにもない」(しんぶん赤旗電子版2022年1月19日)としているのは、「現在像からのアイデンティティー」の要素にあたる。しかし、「過去像からのアイデンティティー」の視点に基づく言及はまったく無い

●私は、天皇制の現代的存在意義は、「乙 神話王(神話世界的神聖性)や呪術王(アニミズム系の呪術・祭祀を主宰する)など文化・精神的威力の面」にあると考えている。そして、その部分こそが、「過去像からのアイデンティティー」にあたるものである。
 私は、『女系天皇──天皇系譜の源流』(朝日新書、2021年)で述べたように、天皇文化の価値は、「自然との共生と節度ある欲望に特徴を持つアニミズム系文化」を、「神話・祭祀・儀礼などの形で継承し続けている」点にあるのであり、それはエコロジー思想と基盤を共有しているという意味で世界的普遍性を持っている点にあると考えているのである。
 なお、「アニミズム系文化」を、神話・祭祀・儀礼などの形で継承し続けている」具体的な事例の最重要なものが、即位儀礼(これは唐の皇帝の継承儀礼を模倣したものなので、“日本的なるもの”の本質とはほとんど関係が無い)のあとに行なわれる大嘗祭(だいじょうさい、その源は少なくとも弥生時代の農耕儀礼にまでさかのぼるものなので、“日本的なるもの”の本質を継承している)であることについては、『大嘗祭──天皇制と日本文化の源流』(中公新書、2017年)そのほかで詳しく論じた。

●次回の「女性王・女系王と男性王・男系王の共存が天皇文化の最も深い伝統3」では、2019年11月の大嘗祭において、天皇制の本質にあたる部分に大きな変質・欠損が生じたことについて確認します。これは、皇位継承の危機だけでなく、天皇制そのものが、これから加速度的に“滅び”の道を進んでいく兆候だと私は感じています。
 また、日本共産党に対して、女性・女系天皇容認についておよびそのほかの点での、私の「提言」も書きます。

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