ある寒い晩。ミミとイザヤールがリッカの宿屋に戻ってくると、カウンター前でラヴィエルに呼び止められた。
「ミミ、イザヤール、星から伝言だ。伝えていいか?」
いつものからかう雰囲気とは違う、彼女の厳粛な表情に、二人はただ事でない気配を感じて頷いた。
その伝言は、昔、とある国の守護天使だった者からだった。
「では伝えるぞ。長いからそのつもりで」
ラヴィエルは言って、語り始めた。
『ミミ、イザヤール、元気そうで、そして、仲良くやっているようで、とても嬉しい。
こちらも、空から人間たちを見守ることに慣れてきて、落ち着いてきた。そうなると、守護天使だった頃の心残りを、改めてじっくり思い返す時間が増えた。
実は私は、星になる直前、ある魔物を倒しに・・・いや、救いに行こうとしていたが、星になったことでそれは叶わなくなったのだ。
その魔物は、元は命を落とした人間の娘で、私はかつて、その娘の魂を救うことができないまま・・・彼女は魔神と契約してしまい、魔物と化して行方知れずになってしまった。
そしてミミ、おまえがよく知ってる通り、堕天使エルギオスのことで天使界が衝撃を受けている最中に、私はようやくその娘の消息を知った。私が守護していた国を訪れた旅人が、教会で、体験した恐ろしい出来事を語ったのだ。
彼は、「呪われし運命の墓場」と名の付く氷の洞窟で、ずっと同じ場所から動かないヘルヴィーナスを見た。その魔物の背後には硬い氷の壁があり、その中には、なんと一人の人間の男が、氷漬けにされていた。
男を助けようと旅人はヘルヴィーナスに戦いを挑んだが、逆に殺されそうになり、命からがら逃げ出して、半死半生で町までたどり着いた。
その氷漬けの男は、その国の昔の国王護衛兵の姿をしていると聞いたとき、私にはその男の素性と、そしてヘルヴィーナスの正体がわかった。かつて私が救えなかった娘と、その恋人だ。
娘が魔物になって程なく、彼女の恋人も行方知れずとなった。彼はかつての国王の護衛兵で、娘の死後、別の女性と結婚し、子を得たことで、死んだ恋人に憎しみを抱かれていた・・・。彼女が、彼を氷に閉じ込めたのだ。魂ごと閉じ込めた為に、我々天使も彼を探すことができなかったのだ。
それで、ミミ、イザヤール、頼みとは他でもない、その魔物と化した娘と、その恋人を、文字通り呪われた運命から解放してやってはくれないだろうか。私の光は、洞窟の奥には届かない、それでも感じるのだ。そのヘルヴィーナスの哭く声を。
彼女も、そして彼も、遥か昔に死んでいる。それなのに地上に縛り付けられ、苦しみ続けている・・・。それを私はどうにもしてやれない・・・。
できることなら自分の手で片を着けたい。だが、それは叶わない。だから、頼む、その苦しみを終わらせてやってくれ。酷な頼みだとは承知している、だが、天使だった者たちとして、いま一度、迷える魂を解放してやってくれ・・・』
ラヴィエルは一気に語り終えると、かすかに溜息をつき、どうする?と目で尋ねた。
ミミとイザヤールは、互いの顔を見つめ、力強く頷いた。人間になってしまったからと言って、さ迷い苦しむ魂を、放っておく理由にはならない。
ミミとイザヤールは、クエスト「呪われし運命からの解放」を引き受けた!
ミミたちは、依頼した元守護天使がかつて護っていた国をさっそく訪れて、件の旅人を探した。彼は程なく見つかった。ヘルヴィーナスに受けた傷が、二年近く経った今も、未だ癒えてなかったからだ。
「オレ、かなり熟練の冒険者だって自惚れてたけど、そんな自信なんかあっさり潰れちまった。怪我したことより、あのヘルヴィーナスの氷漬けの男を見る目に、心底ぞっとした」
そして旅人は、そのヘルヴィーナスが居るという「呪われし運命」の地図をくれた。
「オレ、当分行けそうもないから、あんたたちにこれやるよ。あんたたちも、くれぐれも気を付けてくれよ」
ミミたちはさっそく、その地図の洞窟を訪れた。元天使としての仕事だったから、二人とサンディとだけで行った。
「アンタらなら、まあヘルヴィーナスの一体くらいよゆーだとは思うケド・・・普通のヘルヴィーナスより手強いかもしんないから、気を付けなさいヨ」
サンディが言う。
人間には見えないものが見える私たちはやっぱり、元天使であるということからは逃げられない、ミミは思う。でも、それでいいの。過去の私たちを含めて、人である今があるのだから。
洞窟に入ると、氷の洞窟であるそこは、他の洞窟よりも無機質な、死と絶望の気配がした。
魔物たちにも、どこか虚無感が漂う。残酷な運命に翻弄された娘の絶望が、他の魔物たちからも気力を奪っているような感じだった。それでも、人間を見れば、襲いかかってくる。二人は息を合わせて撃退し、先を急いだ。
そして、ついに目的の場所にたどり着いた。
ヘルヴィーナスは、恋人を閉じ込めた氷壁とは違う氷の壁を見つめていた。滑らかな表面を鏡代わりに、己の姿にみとれていたようだった。
そして、話に聞いた通り、古風な鎧に身を包んだ若者が、透き通る壁の向こうで、眠るように直立していた。
人間の気配を感じ、ヘルヴィーナスは振り返った。いきなり「あやしいまなざし」を放ってきて、二人に鋭い痛みが走った。
「くっ・・・しまった」
イザヤールが、顔を歪め歯噛みする。今の攻撃で、麻痺してしまったのだ。
今日は二人は魔法使いで戦いに挑んでいる。状態回復手段はアイテムが頼りだ。ミミが急いで「まんげつそう」を使った。
ヘルヴィーナスは次にマヒャドを唱えてきた。しかし、生半可な冒険者を凍死に至らしめるこの呪文も、今のミミたちにはあまり深刻なダメージを与えなかった。
今度は我々の番とばかりに、ミミとイザヤールはそれぞれメラゾーマを唱えた。ヘルヴィーナスは炎に包まれ、ゆっくりと座り込み、戦意を無くした。
そして、彼女は呟いた。
「ああ。やっと、来てくれたのね・・・天使様・・・」
ヘルヴィーナスは座ったまま、静かにすすり泣き始めた。
「わたしが死んだときに迎えに来て、その後もわたしの心配をしてくれた天使様とは違うけど・・・でも、あなたたちも天使様なのね。わかるわ。来てくれたのね」
そう言うと彼女は、またはらはらと涙を落とし続けた。
「この人も、助けて・・・。お願い。わたしでは、もうどうにもできない。強力な魔力の炎を連続して当てても、溶けるかわからない」
ヘルヴィーナスの頼みに二人は頷くと、連続で炎系最強呪文メラガイアーを唱えた。さすがの永久凍結の氷の壁も薄くなってきたところで、威力の低い呪文に変えて、やがて、凍らされた男の周囲の氷はほとんどなくなった。
すると、眠っていたような顔は、ゆっくりと動いて、彼は目を開けた!急いで回復アイテムを彼に使おうとするミミに、長い間氷の中に居た男は、それを制した。
「いいんだ、天使様。・・・俺は、もう死んでいるから。・・・ほら」
彼が差し出した腕をイザヤールがそっとつかむと、氷よりも冷たいそれは、鼓動が一切なかった。
「わたしが、この人を殺したの。そして魂ごと氷に閉じ込めて、天国にも行けないようにしたのよ・・・」
ヘルヴィーナスはうめくように呟いて、また泣いた。そんな彼女に、その恋人は、ぎこちない動きでやっとのことで近付き、抱きしめた。
「俺は・・・ずっと氷の中で、願ってた・・・。俺のことはどうでもいい、君が、救われるようにって。そんな資格ないけど、君が苦しむのが辛くて堪らなかったんだ」
「どうして・・・わたしを殺した女と、結婚したの・・・?ううん、結婚してから、わたしを殺したのがあの女とわかってからも、どうして平気であの女と暮らせたの・・・?」
ヘルヴィーナスが尋ねると、男は辛そうに唇を噛んだ。
「平気なものか。けど、どんなに酷い女でも、俺は婚礼のときに祭壇で、『死が二人を別つまで』と誓った。誓った以上、それは破れない。まして、俺の為に大罪を犯した妻を、俺は見捨てることはできなかった・・・。ごめんな・・・。だから、魔物になった君に凍らされ殺されたときは、当然の報いだと思った。死んだら誓いから解放され、君を助けられるかもしれない、そう思って嬉しかった。だけど・・・結局、俺は、何もできなかった・・・」
「ほんとにあなたって人は」ヘルヴィーナスは泣き笑いしながら言った。「バカ正直で、融通利かなくて・・・優しい人、なんだから・・・」
わたしは憎しみに囚われて、この人がそんな人だって忘れていた。忘れてしまってた。裏切る筈なんかないって。ヘルヴィーナスは言って、うつむいた。
「天使様、最後に、もうひとつお願いがあるの」
彼女が言って、男が後を続けた。
「我々二人を、ここから解き放ってくれ。生ける屍である俺の体と」
「魔物であるわたしの体を、地上から完全に消して。跡形もなく、燃やして」
わかっている、そうしなきゃならないって。でも。ミミは辛そうに目を伏せた。人の心を取り戻した彼女と、やっと氷から解放された彼に・・・そうしなきゃならないなんて・・・。
イザヤールは、ためらうミミを見つめると、静かに呟いた。
「ミミ、おまえはしなくていい。人の心在るものを葬るのが罪ならば、私がその罪を負おう」
そして彼は、魔力を集中させ始めた。魔力覚醒を使ったのだ。その表情は、心の内の葛藤も罪悪感も封じ、己の務めを苦しみながらも淡々と果たす守護天使のそれだった。
ミミは息を吸い込んだ。天使でなくても、私は人間の守り人。こんなことじゃ、いけない。彼女もまた、魔力を集中させ始め、イザヤールの瞳を見上げ、囁いた。
「こうすることが罪ならば、私も共にその罪を負います」
元天使二人がメラガイアーを放つ瞬間、ヘルヴィーナスとその恋人は優しく抱き合い、微笑んで・・・ありがとう、と呟いた。
後には、何も残らなかった。一筋の煙さえも。ミミはイザヤールに身を寄せ、声を出さずに泣いた。
やがて彼女は、彼の腕の中で囁いた。
「憎しみに囚われて、信じることを忘れた・・・。エルギオス様を、思い出しました・・・」
イザヤールは頷き、そんな彼女を固く抱きしめ、呟いた。
「神よ、女神よ、彼らに慈悲を」
リッカの宿屋に戻り、ミミはラヴィエルに、クエストを果たしたことを依頼主に伝えるよう頼んだ。ラヴィエルは頷き、外に出て行って、しばらくして戻ってきて言った。
「伝えたぞ、ミミ。そうしたら、空からこれが落ちてきた」
ミミは、「ビーナスのなみだ」を手に入れた!
「ささやかなお礼だとさ。ありがとな、って言っていた」
ラヴィエルはカウンターにまた腰かけた。
「ラヴィエルさんも、ありがとう」
ミミがお礼を言うと、彼女はにっこり笑った。
「ミミ、君は本当にいい子だな。誰かさんとは大違いだ」
「それは私のことか」
「おや聞いてたのかイザヤール。自覚があるなら、礼くらい言え」
「・・・ありがとう」
「そうそう、いい子だ」
妹にいい子だと言われてしまい、少し眉間に溝を作るイザヤール。ミミはそんな二人を見て、今日帰ってから初めて、明るく笑った。〈了〉
「ミミ、イザヤール、星から伝言だ。伝えていいか?」
いつものからかう雰囲気とは違う、彼女の厳粛な表情に、二人はただ事でない気配を感じて頷いた。
その伝言は、昔、とある国の守護天使だった者からだった。
「では伝えるぞ。長いからそのつもりで」
ラヴィエルは言って、語り始めた。
『ミミ、イザヤール、元気そうで、そして、仲良くやっているようで、とても嬉しい。
こちらも、空から人間たちを見守ることに慣れてきて、落ち着いてきた。そうなると、守護天使だった頃の心残りを、改めてじっくり思い返す時間が増えた。
実は私は、星になる直前、ある魔物を倒しに・・・いや、救いに行こうとしていたが、星になったことでそれは叶わなくなったのだ。
その魔物は、元は命を落とした人間の娘で、私はかつて、その娘の魂を救うことができないまま・・・彼女は魔神と契約してしまい、魔物と化して行方知れずになってしまった。
そしてミミ、おまえがよく知ってる通り、堕天使エルギオスのことで天使界が衝撃を受けている最中に、私はようやくその娘の消息を知った。私が守護していた国を訪れた旅人が、教会で、体験した恐ろしい出来事を語ったのだ。
彼は、「呪われし運命の墓場」と名の付く氷の洞窟で、ずっと同じ場所から動かないヘルヴィーナスを見た。その魔物の背後には硬い氷の壁があり、その中には、なんと一人の人間の男が、氷漬けにされていた。
男を助けようと旅人はヘルヴィーナスに戦いを挑んだが、逆に殺されそうになり、命からがら逃げ出して、半死半生で町までたどり着いた。
その氷漬けの男は、その国の昔の国王護衛兵の姿をしていると聞いたとき、私にはその男の素性と、そしてヘルヴィーナスの正体がわかった。かつて私が救えなかった娘と、その恋人だ。
娘が魔物になって程なく、彼女の恋人も行方知れずとなった。彼はかつての国王の護衛兵で、娘の死後、別の女性と結婚し、子を得たことで、死んだ恋人に憎しみを抱かれていた・・・。彼女が、彼を氷に閉じ込めたのだ。魂ごと閉じ込めた為に、我々天使も彼を探すことができなかったのだ。
それで、ミミ、イザヤール、頼みとは他でもない、その魔物と化した娘と、その恋人を、文字通り呪われた運命から解放してやってはくれないだろうか。私の光は、洞窟の奥には届かない、それでも感じるのだ。そのヘルヴィーナスの哭く声を。
彼女も、そして彼も、遥か昔に死んでいる。それなのに地上に縛り付けられ、苦しみ続けている・・・。それを私はどうにもしてやれない・・・。
できることなら自分の手で片を着けたい。だが、それは叶わない。だから、頼む、その苦しみを終わらせてやってくれ。酷な頼みだとは承知している、だが、天使だった者たちとして、いま一度、迷える魂を解放してやってくれ・・・』
ラヴィエルは一気に語り終えると、かすかに溜息をつき、どうする?と目で尋ねた。
ミミとイザヤールは、互いの顔を見つめ、力強く頷いた。人間になってしまったからと言って、さ迷い苦しむ魂を、放っておく理由にはならない。
ミミとイザヤールは、クエスト「呪われし運命からの解放」を引き受けた!
ミミたちは、依頼した元守護天使がかつて護っていた国をさっそく訪れて、件の旅人を探した。彼は程なく見つかった。ヘルヴィーナスに受けた傷が、二年近く経った今も、未だ癒えてなかったからだ。
「オレ、かなり熟練の冒険者だって自惚れてたけど、そんな自信なんかあっさり潰れちまった。怪我したことより、あのヘルヴィーナスの氷漬けの男を見る目に、心底ぞっとした」
そして旅人は、そのヘルヴィーナスが居るという「呪われし運命」の地図をくれた。
「オレ、当分行けそうもないから、あんたたちにこれやるよ。あんたたちも、くれぐれも気を付けてくれよ」
ミミたちはさっそく、その地図の洞窟を訪れた。元天使としての仕事だったから、二人とサンディとだけで行った。
「アンタらなら、まあヘルヴィーナスの一体くらいよゆーだとは思うケド・・・普通のヘルヴィーナスより手強いかもしんないから、気を付けなさいヨ」
サンディが言う。
人間には見えないものが見える私たちはやっぱり、元天使であるということからは逃げられない、ミミは思う。でも、それでいいの。過去の私たちを含めて、人である今があるのだから。
洞窟に入ると、氷の洞窟であるそこは、他の洞窟よりも無機質な、死と絶望の気配がした。
魔物たちにも、どこか虚無感が漂う。残酷な運命に翻弄された娘の絶望が、他の魔物たちからも気力を奪っているような感じだった。それでも、人間を見れば、襲いかかってくる。二人は息を合わせて撃退し、先を急いだ。
そして、ついに目的の場所にたどり着いた。
ヘルヴィーナスは、恋人を閉じ込めた氷壁とは違う氷の壁を見つめていた。滑らかな表面を鏡代わりに、己の姿にみとれていたようだった。
そして、話に聞いた通り、古風な鎧に身を包んだ若者が、透き通る壁の向こうで、眠るように直立していた。
人間の気配を感じ、ヘルヴィーナスは振り返った。いきなり「あやしいまなざし」を放ってきて、二人に鋭い痛みが走った。
「くっ・・・しまった」
イザヤールが、顔を歪め歯噛みする。今の攻撃で、麻痺してしまったのだ。
今日は二人は魔法使いで戦いに挑んでいる。状態回復手段はアイテムが頼りだ。ミミが急いで「まんげつそう」を使った。
ヘルヴィーナスは次にマヒャドを唱えてきた。しかし、生半可な冒険者を凍死に至らしめるこの呪文も、今のミミたちにはあまり深刻なダメージを与えなかった。
今度は我々の番とばかりに、ミミとイザヤールはそれぞれメラゾーマを唱えた。ヘルヴィーナスは炎に包まれ、ゆっくりと座り込み、戦意を無くした。
そして、彼女は呟いた。
「ああ。やっと、来てくれたのね・・・天使様・・・」
ヘルヴィーナスは座ったまま、静かにすすり泣き始めた。
「わたしが死んだときに迎えに来て、その後もわたしの心配をしてくれた天使様とは違うけど・・・でも、あなたたちも天使様なのね。わかるわ。来てくれたのね」
そう言うと彼女は、またはらはらと涙を落とし続けた。
「この人も、助けて・・・。お願い。わたしでは、もうどうにもできない。強力な魔力の炎を連続して当てても、溶けるかわからない」
ヘルヴィーナスの頼みに二人は頷くと、連続で炎系最強呪文メラガイアーを唱えた。さすがの永久凍結の氷の壁も薄くなってきたところで、威力の低い呪文に変えて、やがて、凍らされた男の周囲の氷はほとんどなくなった。
すると、眠っていたような顔は、ゆっくりと動いて、彼は目を開けた!急いで回復アイテムを彼に使おうとするミミに、長い間氷の中に居た男は、それを制した。
「いいんだ、天使様。・・・俺は、もう死んでいるから。・・・ほら」
彼が差し出した腕をイザヤールがそっとつかむと、氷よりも冷たいそれは、鼓動が一切なかった。
「わたしが、この人を殺したの。そして魂ごと氷に閉じ込めて、天国にも行けないようにしたのよ・・・」
ヘルヴィーナスはうめくように呟いて、また泣いた。そんな彼女に、その恋人は、ぎこちない動きでやっとのことで近付き、抱きしめた。
「俺は・・・ずっと氷の中で、願ってた・・・。俺のことはどうでもいい、君が、救われるようにって。そんな資格ないけど、君が苦しむのが辛くて堪らなかったんだ」
「どうして・・・わたしを殺した女と、結婚したの・・・?ううん、結婚してから、わたしを殺したのがあの女とわかってからも、どうして平気であの女と暮らせたの・・・?」
ヘルヴィーナスが尋ねると、男は辛そうに唇を噛んだ。
「平気なものか。けど、どんなに酷い女でも、俺は婚礼のときに祭壇で、『死が二人を別つまで』と誓った。誓った以上、それは破れない。まして、俺の為に大罪を犯した妻を、俺は見捨てることはできなかった・・・。ごめんな・・・。だから、魔物になった君に凍らされ殺されたときは、当然の報いだと思った。死んだら誓いから解放され、君を助けられるかもしれない、そう思って嬉しかった。だけど・・・結局、俺は、何もできなかった・・・」
「ほんとにあなたって人は」ヘルヴィーナスは泣き笑いしながら言った。「バカ正直で、融通利かなくて・・・優しい人、なんだから・・・」
わたしは憎しみに囚われて、この人がそんな人だって忘れていた。忘れてしまってた。裏切る筈なんかないって。ヘルヴィーナスは言って、うつむいた。
「天使様、最後に、もうひとつお願いがあるの」
彼女が言って、男が後を続けた。
「我々二人を、ここから解き放ってくれ。生ける屍である俺の体と」
「魔物であるわたしの体を、地上から完全に消して。跡形もなく、燃やして」
わかっている、そうしなきゃならないって。でも。ミミは辛そうに目を伏せた。人の心を取り戻した彼女と、やっと氷から解放された彼に・・・そうしなきゃならないなんて・・・。
イザヤールは、ためらうミミを見つめると、静かに呟いた。
「ミミ、おまえはしなくていい。人の心在るものを葬るのが罪ならば、私がその罪を負おう」
そして彼は、魔力を集中させ始めた。魔力覚醒を使ったのだ。その表情は、心の内の葛藤も罪悪感も封じ、己の務めを苦しみながらも淡々と果たす守護天使のそれだった。
ミミは息を吸い込んだ。天使でなくても、私は人間の守り人。こんなことじゃ、いけない。彼女もまた、魔力を集中させ始め、イザヤールの瞳を見上げ、囁いた。
「こうすることが罪ならば、私も共にその罪を負います」
元天使二人がメラガイアーを放つ瞬間、ヘルヴィーナスとその恋人は優しく抱き合い、微笑んで・・・ありがとう、と呟いた。
後には、何も残らなかった。一筋の煙さえも。ミミはイザヤールに身を寄せ、声を出さずに泣いた。
やがて彼女は、彼の腕の中で囁いた。
「憎しみに囚われて、信じることを忘れた・・・。エルギオス様を、思い出しました・・・」
イザヤールは頷き、そんな彼女を固く抱きしめ、呟いた。
「神よ、女神よ、彼らに慈悲を」
リッカの宿屋に戻り、ミミはラヴィエルに、クエストを果たしたことを依頼主に伝えるよう頼んだ。ラヴィエルは頷き、外に出て行って、しばらくして戻ってきて言った。
「伝えたぞ、ミミ。そうしたら、空からこれが落ちてきた」
ミミは、「ビーナスのなみだ」を手に入れた!
「ささやかなお礼だとさ。ありがとな、って言っていた」
ラヴィエルはカウンターにまた腰かけた。
「ラヴィエルさんも、ありがとう」
ミミがお礼を言うと、彼女はにっこり笑った。
「ミミ、君は本当にいい子だな。誰かさんとは大違いだ」
「それは私のことか」
「おや聞いてたのかイザヤール。自覚があるなら、礼くらい言え」
「・・・ありがとう」
「そうそう、いい子だ」
妹にいい子だと言われてしまい、少し眉間に溝を作るイザヤール。ミミはそんな二人を見て、今日帰ってから初めて、明るく笑った。〈了〉
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この二人には再び生まれ変わったら、今度こそ幸せに結ばれてほしいです
こんばんは☆涙して頂いてしまって・・・嬉し恥ずかし申し訳なしです///
不幸とか悲劇とかって、必ずしも悪意の塊からだけでなくて、普通の人の普通の弱さや善意からも生まれる、とか、全部魔王のせいだったらある意味楽、とか。そんな柄にもないことを考えながら書いてみました。こっぱずかしいなあ・・・。