神に見捨てられたかのような荒野の上を、一人の天使が飛んでいた。
彼の名はイザヤール。彼は、地上に落ちてしまったと思われる愛弟子を探して、ここまで来たのだった。
世界中に「女神の果実」が実るとき、天使はその役目から解放される。そのはずだった。
だが実際に起こったのは、天使たちを神の国へ導くはずの「天の箱舟」が、天使界もろとも邪悪な波動の直撃を受け、そのはずみで数多の天使たちが地上へ落ちていった、という想像を絶する出来事だった。
彼の弟子も、その落ちていってしまった天使の一人だった。
あのとき手を掴めていたら。せめて一緒に落ちたのなら。後悔は尽きない。
天使界は地上の遥か上空を、一定のスピードで世界を回るように動いている。それから考えると、落ちた天使たちは、今イザヤールが飛ぶこの荒れ果てた地に居る可能性が高いはずだった。
だが、その地に在ったのは、天使たちどころか、限りない数の魔物たちと、そして・・・
(何だ、あれは・・・!)
果てしない荒野にそびえ立つ、禍々しい気配を放つ城。そして、その更に奥に、やはり邪悪さを放っている、正体不明の建物。
そのとき、城の入り口付近で、魔物が、気絶している一人の天使を引きずっていくのが見えた。
「・・・!」
慌ててイザヤールは急降下し、後を追おうとしたが、扉が開いているはずの城の入り口で、見えない壁に阻まれた。
「・・・バリアか」
しかしなんとか入る方法を見つけなくては。この奥に仲間たちが捕らえられているのは、もうほぼ間違いない。
するとそのとき、背後で声がした。
「ここにもまだ居たか」
血染めのような赤い鎧に全身を固めた魔物、強敵の、キラーアーマーだった。
イザヤールは剣を構えた。魔物が動いた一瞬の隙を捉えて、弱点である鎧の合わせ目に刃を突き立てた。
魔物は音を立てて崩れ落ち、灰になり、消えた。
「お見事ですねえ。さぞや上位の天使なのでしょう」
別の声が聞こえ、はっとその方向に振り向くと、そこには人とも鳥ともつかない者が立っていた。
「アナタのそのお力、我々の役に立ててはみませんか」
嘴なのに、あきらかに冷笑を浮かべているとわかる不思議な顔で、その魔物は言った。
「何だと?」
イザヤールはその魔物を睨みつけた。少し離れて立っているだけで、キラーアーマーとは比べ物にならない魔力が伝わってくる。
「ホッホッホ・・・そんな怖いお顔をなさらなくても。いいことを教えてあげましょう。・・・神は死にましたよ」
その言葉に、イザヤールは思わず息を呑んだが、表情は変えなかった。
「そして天使界も、もう崩壊は時間の問題です。如何です?沈みかけた船は、さっさと乗り換えるのが利口というものですよ」
これはあきらかに罠だ。だが、この城の中に入るには、他に方法がない。
いいだろう。その罠にかかってやろう。・・・罠にかけたことを、必ず後悔させてみせる。
イザヤールは口の端に笑みを浮かべ、言った。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
魔物の薄ら笑いが、いっそう強くなった。
「さすがに物わかりがいい方です。さ、どうぞ、こちらへ」
それからしばらくして、城内の一室で、先ほどの妖鳥のような魔物と、そして人とも肉食獣ともつかない魔物が、「裏切り者」の天使についての会話をしていた。
「・・・ゲルニック将軍、私は反対だ」
文字通り豹のような目を光らせて、一方の魔物は言う。
「あの天使の目を見ただろう。あれは、あきらかに裏切り者の目ではない。強い決意を秘めた目だ。囲い込むと厄介なことになるぞ」
すると、相手は低く笑って答えた。
「もちろん承知のうえですよ、ギュメイ将軍。あの天使のチカラを見たでしょう?あれほどの天使が、絶望と憎悪に陥れば、どれだけの魔力を生み出すことか・・・楽しみではありませんか。囚われの天使の比ではないかもしれませんよ」
「・・・。そううまくいけばよいがな・・・」
ギュメイと呼ばれた豹のような魔物は、眼光を更に鋭くして呟き、顔をそむけた。
ゲルニックは計算通りだと思っているようだが、果たしてそう都合良くいくものだろうか、彼は思った。あの天使は、そう簡単に絶望の虜になるような者ではない。おそらく、仲間を助け出すためにはどんなことにも耐え抜くだろう。
そして、ゲルニックは己が全てを操っている気でいるようだが、それは真実なのか。奇妙なことだが、自分たちの方が何者かに操られている、その思いが消えない。・・・そんな馬鹿な、いったい何に。
まあいい。己のすべきことは、闘うこと、陛下をお守りすることだけだ。陰謀は、得意な者に任せておけばよい。
そこでギュメイは思考を止めると、部屋を立ち去って持ち場に戻った。
イザヤールには、地上に散らばった女神の果実集めが命じられた。
「天使であるアナタなら、集めるのもより容易でしょう。お任せいたしましたよ」
ゲルニックの言葉に、どうせ見張りを付けるのだろう、とイザヤールは心の中で呟いた。
彼は、城から飛び立つ前にもう一度振り返った。この中に仲間たちが、そしてもしかしたらあの方が・・・。何よりも、大切な弟子が、否、愛しい娘が・・・捕らわれの身になっているのかもしれないのだ。
イザヤールは、その愛しい存在が、神の加護か運命の力か、彼女自らが守護する村へと落ちたことを知らない。そして、彼女もまた女神の果実を集める旅に出るようになることも・・・。
人間たちの街を次々訪れて女神の果実探しをするイザヤールに、彼らのこんな噂の数々が聞こえてきた。
不思議な金色の実を集めている旅人がいるらしい。
その旅人について人々は、ある者はさすらいの旅芸人と言い、別のある者は旅の若者と言い、そしてまた他の者は強者の戦士だと言った。
女神の果実は、その旅人が次々と手に入れていることになる。
(いったい、何者なのだ・・・)
仲間の誰かか。いや、それなら人間に姿が見えるはずはない。・・・それなら・・・敵なのか・・・。
やがて訪れる衝撃の再会を知る術もなく、イザヤールは翼を広げ、次の街に向かうべく、飛び去った。<了>
彼の名はイザヤール。彼は、地上に落ちてしまったと思われる愛弟子を探して、ここまで来たのだった。
世界中に「女神の果実」が実るとき、天使はその役目から解放される。そのはずだった。
だが実際に起こったのは、天使たちを神の国へ導くはずの「天の箱舟」が、天使界もろとも邪悪な波動の直撃を受け、そのはずみで数多の天使たちが地上へ落ちていった、という想像を絶する出来事だった。
彼の弟子も、その落ちていってしまった天使の一人だった。
あのとき手を掴めていたら。せめて一緒に落ちたのなら。後悔は尽きない。
天使界は地上の遥か上空を、一定のスピードで世界を回るように動いている。それから考えると、落ちた天使たちは、今イザヤールが飛ぶこの荒れ果てた地に居る可能性が高いはずだった。
だが、その地に在ったのは、天使たちどころか、限りない数の魔物たちと、そして・・・
(何だ、あれは・・・!)
果てしない荒野にそびえ立つ、禍々しい気配を放つ城。そして、その更に奥に、やはり邪悪さを放っている、正体不明の建物。
そのとき、城の入り口付近で、魔物が、気絶している一人の天使を引きずっていくのが見えた。
「・・・!」
慌ててイザヤールは急降下し、後を追おうとしたが、扉が開いているはずの城の入り口で、見えない壁に阻まれた。
「・・・バリアか」
しかしなんとか入る方法を見つけなくては。この奥に仲間たちが捕らえられているのは、もうほぼ間違いない。
するとそのとき、背後で声がした。
「ここにもまだ居たか」
血染めのような赤い鎧に全身を固めた魔物、強敵の、キラーアーマーだった。
イザヤールは剣を構えた。魔物が動いた一瞬の隙を捉えて、弱点である鎧の合わせ目に刃を突き立てた。
魔物は音を立てて崩れ落ち、灰になり、消えた。
「お見事ですねえ。さぞや上位の天使なのでしょう」
別の声が聞こえ、はっとその方向に振り向くと、そこには人とも鳥ともつかない者が立っていた。
「アナタのそのお力、我々の役に立ててはみませんか」
嘴なのに、あきらかに冷笑を浮かべているとわかる不思議な顔で、その魔物は言った。
「何だと?」
イザヤールはその魔物を睨みつけた。少し離れて立っているだけで、キラーアーマーとは比べ物にならない魔力が伝わってくる。
「ホッホッホ・・・そんな怖いお顔をなさらなくても。いいことを教えてあげましょう。・・・神は死にましたよ」
その言葉に、イザヤールは思わず息を呑んだが、表情は変えなかった。
「そして天使界も、もう崩壊は時間の問題です。如何です?沈みかけた船は、さっさと乗り換えるのが利口というものですよ」
これはあきらかに罠だ。だが、この城の中に入るには、他に方法がない。
いいだろう。その罠にかかってやろう。・・・罠にかけたことを、必ず後悔させてみせる。
イザヤールは口の端に笑みを浮かべ、言った。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
魔物の薄ら笑いが、いっそう強くなった。
「さすがに物わかりがいい方です。さ、どうぞ、こちらへ」
それからしばらくして、城内の一室で、先ほどの妖鳥のような魔物と、そして人とも肉食獣ともつかない魔物が、「裏切り者」の天使についての会話をしていた。
「・・・ゲルニック将軍、私は反対だ」
文字通り豹のような目を光らせて、一方の魔物は言う。
「あの天使の目を見ただろう。あれは、あきらかに裏切り者の目ではない。強い決意を秘めた目だ。囲い込むと厄介なことになるぞ」
すると、相手は低く笑って答えた。
「もちろん承知のうえですよ、ギュメイ将軍。あの天使のチカラを見たでしょう?あれほどの天使が、絶望と憎悪に陥れば、どれだけの魔力を生み出すことか・・・楽しみではありませんか。囚われの天使の比ではないかもしれませんよ」
「・・・。そううまくいけばよいがな・・・」
ギュメイと呼ばれた豹のような魔物は、眼光を更に鋭くして呟き、顔をそむけた。
ゲルニックは計算通りだと思っているようだが、果たしてそう都合良くいくものだろうか、彼は思った。あの天使は、そう簡単に絶望の虜になるような者ではない。おそらく、仲間を助け出すためにはどんなことにも耐え抜くだろう。
そして、ゲルニックは己が全てを操っている気でいるようだが、それは真実なのか。奇妙なことだが、自分たちの方が何者かに操られている、その思いが消えない。・・・そんな馬鹿な、いったい何に。
まあいい。己のすべきことは、闘うこと、陛下をお守りすることだけだ。陰謀は、得意な者に任せておけばよい。
そこでギュメイは思考を止めると、部屋を立ち去って持ち場に戻った。
イザヤールには、地上に散らばった女神の果実集めが命じられた。
「天使であるアナタなら、集めるのもより容易でしょう。お任せいたしましたよ」
ゲルニックの言葉に、どうせ見張りを付けるのだろう、とイザヤールは心の中で呟いた。
彼は、城から飛び立つ前にもう一度振り返った。この中に仲間たちが、そしてもしかしたらあの方が・・・。何よりも、大切な弟子が、否、愛しい娘が・・・捕らわれの身になっているのかもしれないのだ。
イザヤールは、その愛しい存在が、神の加護か運命の力か、彼女自らが守護する村へと落ちたことを知らない。そして、彼女もまた女神の果実を集める旅に出るようになることも・・・。
人間たちの街を次々訪れて女神の果実探しをするイザヤールに、彼らのこんな噂の数々が聞こえてきた。
不思議な金色の実を集めている旅人がいるらしい。
その旅人について人々は、ある者はさすらいの旅芸人と言い、別のある者は旅の若者と言い、そしてまた他の者は強者の戦士だと言った。
女神の果実は、その旅人が次々と手に入れていることになる。
(いったい、何者なのだ・・・)
仲間の誰かか。いや、それなら人間に姿が見えるはずはない。・・・それなら・・・敵なのか・・・。
やがて訪れる衝撃の再会を知る術もなく、イザヤールは翼を広げ、次の街に向かうべく、飛び去った。<了>
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