須貝英の『イングリッシュ商店』

箱庭円舞曲の俳優・須貝英が、徒然なるままに綴ります。

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言葉、言葉、言葉。

2010年07月14日 | 今日の一人
どうも、須貝です。


ご覧の通り、生活のリズムがはっきり乱れています。1時くらいに帰って来ると、どうしてもそれからご飯を食べることになり、自然そっから2時間くらい眠れなくなります。起きる時間があまり変わらないのが救い。一定の睡眠時間をキープするよりも、同じ時間に起きることの方が大事かもしれないと思っている今日この頃。


不意に、引用します。

『長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたに違いない。』

G・ガルシア=マルケス著 鼓直訳 「百年の孤独」より

とても好きな書き出しの一つです。今手元にある本と最初に読んだ本の訳とが若干違う気がしますが、ただの記憶違いかもしれません。この文章が僕の記憶の中では、

『長い年月が流れて銃殺隊の前に立つ羽目になった時、アウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父に連れられて初めて氷を見た、あの遠い日の午後を思い出していたに違いない。』

に変換されているのです。これは恐らく僕が本を読む時に、無意識の内に頭の中で声に出して読むのに心地良い文章に勝手に直しているからでしょう。意味としては前者が絶対正確なんですが。こういうことがちょくちょくあります。特に翻訳ものでは訳が一定しないので、所によってはこの人の訳、別の場所ではあの人の訳、といったように、印象的な部分もバラバラに覚えていることがあります。


『私たちの愛が尽きたとき、残ったのはあなただけでした。彼にも私にも、そうでした。』

グレアム・グリーン著 田中西二郎訳 「情事の終り」より

目にも耳にも美しい文章です。外国文学の、女性の話し言葉の和訳の響きがとても好きです。


声に直す読書をしていて、一番記憶と文章に誤差が少ない作家が、僕にとっては太宰治さんらしいです。

『おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。』

太宰治著 「きりぎりす」より

「駆け込み訴え」など、戯曲としてそのまま通用するようなものも書いている人です。この人は自分で口に出しながら書いていたかもしれない、などと、空想を逞しくさせる作家です。いつか「富嶽百景」を戯曲にしたいと考えていますが、或いは小説のまま上演するかもしれません。それもまた面白いかと。


自分が演劇をしている理由の一つに、言葉が好きだから、というものがあります。美しい言葉を発するととても幸せな気持ちになる。言葉に宿る音や意味や感情に自分の心までも引き摺られていく。それは多分絵を観たり音楽を聴いたりすることで引き起こされる心の動きとほとんど変わらないはずです。

どうせ偽物の、虚構の、エンターテイメントの世界の言葉なら、せめて美しくあって欲しいと思う。薄汚い世界、悲惨な現実、赤裸々な人々の物語でも、その言葉は、その言葉がそうあるべき美しさを、収まるべき場所に収まっている正確さを、持っているべきであると考えます。言葉を扱う仕事なので、言葉を疎かにしてはいけないといつも思います。


日中韓の合同作品という現場に一ヶ月いて思うこと、それは、言語は必要ないかもしれない、しかし最後まで言葉は残るだろう、ということです。言語が必要ないからこそ、言葉は持っているべきなんじゃないだろうか。言葉はそれぞれの国の持つ誇りだから。

日本に生まれて良かったと思うのは、僕らにしか感じられない感情を表す言葉が、きっと日本語の中にしか存在しないから。他のどの国に生まれても同じように思ったでしょうが、僕は日本が好き。それがとても尊いことだと思います。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
えいちゃん (コロ)
2010-07-14 08:21:08
の言葉は
軽はずみにみせかけた重量級ね

言語は文化だと思うの

とWannabe終演後に年長者が言ってらしたのです
レス (sunny)
2010-07-14 22:52:59
コメントありがと!!

言語は文化だし、言葉は風俗のような気もする。やっぱ頭が言語で、血が言葉って感じがするな。あんまり自分でも区別してないけど。

なんかみんなと文化の話とかしてみたいー!!