三河武士がゆく

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太平洋戦争、攻めるか退くかの決断・・・責任を纏う指導者を待望する

2020年05月22日 20時33分20秒 | 歴史
開戦も終戦も似たようなもので、日本政府には国是を決定し実行する指導者がいなかったと言えます。開戦を止める、終戦を早める決断をすることで、何百万、いやそれ以上の命が救われたかもしれません。

国是を決定するポジションにあった人の多くが、大事な場面、もっとも重要な瞬間に、発言をしないという考えられないような行動をとっています。

それぞれの立場的としての意見が自分の意志に優先するのは仕方ないことですが、所属する組織の利益、意地や面子を優先して、国を危うくする行為は、当時の憲法、政治システムを差し引いたとしても、理解に苦しみます。

ずるずると、責任逃れをして決断を先延ばしにしたことによって、国が滅びかけ、国民が苦しんだのです。

国家の存亡がかかっているようなとき、
有事に指導的人物を欠くのは、不幸なことです。

どこを、どのように攻めるのか、あるいは退くのかは次の段階の話です。

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