三河武士がゆく

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戊辰戦争拾遺 順動丸の活躍(4)浅野美作守と柴誠一

2023年08月01日 22時53分08秒 | 歴史
浅野美作守(浅野氏祐)は、1月2日出帆、1月6日天保山沖に着船し、短艇で上陸しようとしたと証言している(『徳川慶喜公伝』)。

同じく、順動丸に乗り組んでいた軍艦頭並柴誠一の「履歴書」(樋口雄彦「箱館戦争降伏人と静岡藩」『国立歴史民俗博物館研究報告』第109集)には、1月2日出帆、4日兵庫着、翔鶴丸に乗船して大坂着となっている。柴は、12月25日回天艦で、品川沖で薩艦と交戦・追尾したが、これを見失い27日帰帆していた。

この二人の証言の食い違いは何であるのか。

浅野氏祐は、陸軍奉行兼帯の若年寄であり、フランス軍事顧問団の教師や歩兵を引率して上坂してきたのである。一刻も早く大坂城へ向う必要があるのに、柴誠一よりも着坂が遅れたとしたら、これをどのように釈明するのだろうか。
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