三河武士がゆく

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近藤勇狙撃、戸塚文海、小野友五郎、戸塚環海

2023年06月20日 15時05分46秒 | 雑記
慶応3年12月18日、二条城から伏見への帰り道、新選組の近藤勇が狙撃され負傷しています。
新選組によって殺された伊東甲子太郎一派による待ち伏せでした。

負傷した近藤勇は大坂城で治療を受ける事になり、翌年1月3日始まった鳥羽・伏見の戦いは参加せず、帰府の後、医学所で松本良順の治療を受けています。

『新選組史料集』の解説には松本良順の治療を受けるため下坂したような記述がありますが、良順はこの時大坂にはいないと思います。

当時の若年寄の記録に拠れば、会津藩より申し出があり、平塚久海という医師が遣わされたという。徳川慶喜が療養のために夜具と黄金を与えたという。

日付は異なるが「島田魁日記」にも「大樹君ヨリ御使者」が遣わされ、近藤勇は大坂城二の丸で養生したとある。

近藤勇の治療にあたった医師「平塚久海」とは奥医師であった「戸塚文海」のことでしょうか?文海は当時大坂におりました。

小野友五郎と文海は関係があり、友五郎が天文台勤務の頃、文海から西洋語を、友五郎から文海へは算術を教えあったそうです。

またこの文海の養子「戸塚環海」は八名郡賀茂村(現豊橋市賀茂町)出身でもあります。

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