明日また陽が昇るなら −カウンセラーもり あずさ(もるも)のブログ−

お父さんと八さん、どっちに「さよなら」するの? -連続テレビ小説「スカーレット」より-

スカーレット、突如として荒木荘メンツが続々と登場・・・。

 

まぁ、ここで出てこなければ最初の1ヶ月を費やした大阪編の位置付けが

よくわからなくなってしまいますので

 

きっと、また交流があるのだろうとは思っていました。

 

でも、初恋の人である溝端淳平だけはまだ出てきませんね。

 

きっと、今後陶芸家として成功した喜美子の個展にふらっと立ち寄るような形で

 

再会するんじゃないかと期待しております。

 

また、信楽太郎の絶妙に音程が外れた「さよなら」には味がありましたね。

 

あれは、八さんと喜美子の別れを象徴しているのか、

 

それとも、喜美子自身のお父さんへの囚われに対するサヨナラなのか・・・

 

どっちかは、まだ今週の展開だと分からないですね。

 

ただ、つや子さんとそのお仲間さんたちに象徴される「女性の自立」と

 

照子に象徴される「男性に守られて生きる女性」と

 

喜美子がどちらを取るのか、揺れ動いているのがよく分かります。

 

それが象徴されているのが、息子さんと二人の絵を描いた後に

八さんを追加したシーンです。

 

まぁ、どちらかに傾く必要はなく、喜美子らしい選択ができればいいのですが

 

お父さんへの囚われが抜けないと、自立を選んじゃうでしょうね。

 

「私のことを認めて欲しい、私のことを分かって欲しい、私のことを愛して欲しい」

 

そうお父さんに訴える代わりに、八さんに「穴窯やらせて」と訴えてみたり

 

八さんがそれを受け入れてくれないと、今度はその寂しさを「陶芸家としての成功」と

「息子」で埋めようとする。

 

そういう自分自身の心の動きが、今の苦しみを産んでいる。

 

・・・客観的に見ると分かるんですけどね。

 

渦中にいたら分かりませんよね。

 

「穴窯をやりたい私の芸術家魂を八さんに分かって欲しい、分かってくれないなら独力で

成功して、私が正しかったと力づくで分からせる」

 

・・・喜美子が意識できているのはこのレベルだと思います。

 

でもね、本当に大事なことは八さんに分かってもらうことじゃなくて

 

喜美子自身がお父さんの愛を求め、自分の本心を抑えて生きてきて、

ずっと寂しかった。

 

そのことじゃないかと思いますけどね。

 

そこに気づかないと、また15年後くらいに

 

息子さんを通じて同じことが起こりますよ〜。

 

・・・と、余計なお世話はこの辺にして。

 

来週もしっかり見守りたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

明日も素敵な1日を。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「スカーレット」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事