乗客と運転士の107人が亡くなった
尼崎のJR福知山線脱線事故。
きょう4月25日で発生から16年を迎えました。
新型コロナウイルス感染拡大で
緊急事態宣言も出ている影響で、
追悼の慰霊式は2年続けて中止になりましたが、
事故現場の追悼施設「祈りの杜」には
朝から遺族らが献花に訪れていると
メディアは伝えています。
2005年4月25日に発生した事故。
制限速度を超過した電車が
カーブを曲がりきれずに脱線。
マンションに突っ込んで大破しました。
107人の中には若い人も多かったのです。
少なくとも24人の大学生が亡くなっています。
(当時の報道による)
午前9時18分、事故現場の尼崎市久々知にさしかかった
宝塚発同志社前行きの上り快速電車には、
午前中の授業に出ようと、
通勤客や買い物客とともに多くの大学生が乗っていたのです。
事故直後には、
キャンパスで多くの学生たちの間で
安否を気遣う携帯メールが行き交いました。
私は当時、夕方のニュースを担当していました。
第一報は、「踏切事故」という情報でした。
その後、運転士のスピードの出し過ぎ、
その背後のJR西日本の企業風土、と
さまざまな要因が絡んでいたことがわかってきます。
事故から1年たった2006年4月25日。
当時の報道は、
京都女子大学や大阪産業大学では追悼式が行われ、
甲南大学や関西福祉大学では
献花台や記帳台に多くの学生が訪れたと
伝えています。
龍谷大学では本尊の前で、
学生や教職員が焼香し法要が行われました。
近畿大学では校内の広場に千人余が集まり、
校歌の吹奏楽が流れる中で黙とうをささげました。
キリスト教系の
同志社大学や同志社女子大学の追悼礼拝では
賛美歌が流れて学生たちが祈りました。
キャンパスで多くの学生たちが
手を合わせ、頭を垂れるビデオが流れたとき、
スタジオの私は涙をこらえきれませんでした。
犠牲となった学生たちの同級生たちは
30代の半ばに差し掛かっています。
あの日と同じように
青空が広る、4・25。
明るい日差しと乾いた風が
悲しみの日を思い出させます。
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