La imaginación es el ojo del alma

Imagination is the Eye of the Soul
想像力は魂の目である

小説のプロット

2012-09-17 23:00:17 | 日記・エッセイ・コラム
尖閣諸島
竹島
北方領土

ここに来て、急に領土問題が騒がしいですね。
色んな視点からの、
色んな意見に耳を傾けてるつもりです。

今日は、地元の
めちゃくちゃ美味しい中華料理屋さんで
ビールと共に、美味しいものをつまみながら、
上海の同僚に「反日クーデターは大丈夫?」
と、メールを打ちながら、
お店の人には「好吃」(美味しかったです)
とか挨拶しながら、
これは、本当のところは何なんだろう?
と悩んじゃいました。

で、急に小説のシノプシスが
閃いちゃったのです。

その主題は、
フクシマの問題が大き過ぎて、
日本政府が他の問題で誤魔化そうと暗躍する。
というもの。

ストーリーは、
東北の大震災と、原発の事故からはじまり、
国内のフクシマ問題を、海外外交というカードに
無理やり置き換えて、
国策としてナショナリズムや、プライドという文脈を
無理に国民に植えつけようとする。
その間には、責任を取るといいながら
酷い法律を立法させてしまうだけの役割
を負わされた首相や、
保身のために嘘を強要する校長といった
エピソードを交えながら展開するのです。
なんか、リアリティあるでしょ?
その結果、本当の意味での
「国民のため」とか「プライド」
とは、全くかけ離れた“老害”が明らかになってゆく。

それを、国内外の若者を中心とした
生活者がSNSを通じて暴いてゆく。
国内外。って言うのがミソです。
リアルでのコミュニケーションは、
例えば中華料理屋さんとか、新大久保とか、
そんなトコロで国を超えて、侃侃諤諤とやってるとか。
※喧々囂々では無くてね。
結果、ヒエラルキー型では無い
新しいカタチのコミュニケーションが
勝利してのハッピーエンド。
という構成です。

書き口としては、
山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」
的になりそうなトコロをあえて、
百田尚樹さんや、
奥田英朗さんのようになるとベスト。

あ、酔っ払いの戯言です。
悪しからず。笑)


表現とは、ロックでアナーキーなコトなんだよ

2012-09-04 19:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
NHKの日曜美術館という番組が好きです。
かなり昔から毎回欠かさずに観ている番組の1つです。
「趣味の園芸」からの流れで
続けて観られるということ以外に(笑)
この番組が好きな理由は何か?というと、
まったく無名だった「石田徹也」を取りあげて
センセーショナルなムーヴメントをおこすとか。

「国策のため筆を取れ、戦争画を描け」と命じられた時代に、
「画家は腹の底まで染みこんだ肉体化した絵しか描けぬ」
と言い放った“抵抗画家”松本竣介を特集し、
そのわずか2週間後に、
画家たちの先頭に立って戦争画に邁進し、
東京国立近代美術館に14点の戦争画を残した
藤田嗣治を取り上げるなど。

強烈なテーゼの小気味よさ。
もしくは、メタファの鮮烈さ。
そして、民放にありがちな大仰でしつこい演出がない。
ということが理由です。

それにしても、あの、オーバー過ぎるSE。
キャッチー過ぎるコピー。
それも、同じショットを3回、
酷い時には5回も、これでもか!と繰り返す。
といった、某テレビ局でよく観る
演出には、本当に辟易します。

さて、閑話休題。
松本竣介のように、真っ向から抵抗するのか?
藤田嗣治のように、逆に突き抜けちゃうのか?
取り組みかたは180度違うのですが、
どちらも「言いなりにはなっていない」
というところが、強く共通しています。
そして強く共感します。

言い換えるならば、
“アート”にしても、“研究”にしても、
“デザイン”や、“報道”にしても、
そこにテーゼ(もちろんアンチテーゼを含む)の提示や、
メタファの暗示がなければ、
そこには、もはや、レゾンデートル(存在理由)はない。
“表現とは、ロックでアナーキーなコトなんだよ”
ということです。

重要な事実を見ないふりをしたり、
ちゃんと、耳を傾けなかったり、
都合の悪い情報は喋らなかったり、

なんか、日光のお猿さんみたいなやり方。
なんか、先の大戦前のような情報統制みたいなあり方。
そういうのは、もうそろそろやめてほしい。
やめようよ。
と、思う夏の終わりであります。