未亡人の独り言

夫が突然、糖尿病に。そして、膵臓癌へ…
2009年6月22日永眠。未亡人になりました。

最期の川 CHEMISTRY

2009-07-05 21:01:19 | 膵臓癌闘病記
なぜに空見上げるのだろう?
どこかで立ち止まる度
誰にも話せない悲しみを
心が話しかける

歩いて来た長い道を
ここから振り返れば
僕が思うよりも
輝いた日々だと教えられた

どんな時も
僕のそばで
君が共に笑った
過ぎた歳月は
何かが足りなくて…
でも気づいたのは
"愛こそがすべて"さ

「しあわせだった?」なんて
聞かないでくれ
愛しき人
腕に抱きしめて
僕が聞きたいよ
君がしあわせだったか?
終わらない道は きっとない
見送る人
涙拭いて
背中見届けて…
僕は一人きり
この川を 今 渡る


僕がいなくなった後は
時々 空見上げて

君のことを ずっと
太陽の近くで見守ってる

姿かたち
見えなくても
きっと君は 感じる

目を閉じれば
懐かしいぬくもり
そう 孤独を包む
僕は陽射しになる

どれだけ愛してたか
思い出して
大事な人
君を残すこと
それがつらかった
前へ歩いて欲しい
永遠の愛はきっとある
忘れないで
一人じゃない
離れ離れでも
君のその胸に
僕はまだ 生きている

「しあわせだった?」なんて

聞かないでくれ
愛しき人
腕に抱きしめて
僕が聞きたいよ
君がしあわせだったか?
終わらない道は きっとない
見送る人
涙拭いて
背中見届けて…
僕は一人きり
この川を 今 渡る

何も悔いはない
生まれてよかった
心からありがとう
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議なこと( その2)

2009-07-04 21:23:12 | 膵臓癌闘病記
主人が亡くなった日の夜、帰宅してすぐ主人の同期会の幹事に電話しました。
あらかじめ主人からSさんとKさんに連絡するように言われてましたので。
Sさんはお留守だったので、Kさんに連絡したら、すごく驚いて「今日、昼間ちょうど話題にしてたんですよ!」と言われました。
そして翌日、Kさんから話を聞いたSさんが私に電話をくださいました。この時ビックリしたのですが、このSさん私達が病院に詰めていた22日のお昼頃我が家に電話してきていたのです!(我が家の電話は着信履歴が残ります)
その方から電話をいただいたことは過去一度もありません!

同じく亡くなった翌日、主人が最後に勤務していた署の事務の女性から「ご主人いますか?」と電話があったこと。
既に退職して2ヶ月、職場にも連絡すべきか私は悩んでいました。主人はしなくていいと言ってましたが、あちらから電話があり助かりました。

さらに翌日、主人が利用している銀行から「ご主人いらっしゃいますか?」と電話がありました。
これにもビックリ!
葬儀が終わったら電話するつもりだったけど、私は面倒くさがりだから、主人が気をきかせた?

葬儀には主人の同期生や、職場の上司、部下などなど、主人の関係だけで150人以上来てくださいました。
「何が『密葬でいい』だよなぁ」と主人の息子は苦笑いでした。

主人は仕事の話をあまりしませんでしたが、葬儀屋さんいわく、面倒見のいい人だったそうです(^O^)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議なこと

2009-07-04 16:25:57 | 膵臓癌闘病記
6月22日は不思議なことが起こりました。
前にも書きましたが、主人の呼吸が弱くなって、若い先生が来たらまた息を吹き返したこと。
大好きな主治医の外来が終わるのを待って息を引き取ったのには本当に驚きました!
二つ目は「ご臨終です」と言われて数分後、主人のお兄さんの携帯電話が鳴りました。相手は主人とお兄さんからみて姪にあたるHさん。このHさんのお母さんは一緒に病院に詰めてましたので、不思議に思って出たら、なんとHさんは自分の会社に電話したらしく、そうしたら叔父さんが出たので、お互いビックリ!
後でリダイヤルを確認したけど、やっぱり会社の番号を表示していたそうです。
「アイツ(私の主人)がイタズラしたんだよ(^O^)」とお兄さんは言ってました。

そして最大の不思議は、主人の先妻からのメール。
ブログでは話題にしませんでしたが、5月上旬に「年金詐欺メール」(と我が家では呼んでる)が来て以来、6月20日まで基本的に土日を除く毎日そのメールと電話は続きました。
主人の日記にも「あいつからメールが来ると気が滅入る」と書いてありました。
救急車で病院に搬送して、主人の息子と泊まり込み、月曜日の朝を迎えた時「私達がこんな状態だとは知らずに、今日もメールがジャンジャン来るのかな」と私は思ってました。(通常一日5、6回メールがある)
ところが、ふと気付いたらメールも電話も無いまま臨終を迎えました。
息子が何か言ったのかなと思って聞いたけど、何も言ってないとのこと。
そして、その日を境にピタッと無くなりました。
まさかイキナリ斎場に現れるんじゃないかと息子とドキドキしましたが、それもありませんでした。

28日(日)夜、メールが来た!
しかし「本文なし」でした。

そして、7月1日に息子から来たメールによると、親戚の叔母さん(先妻のお姉さん?)から連絡があり、主人の訃報が先妻の耳に入ったらしいとのこと。
しかし、直接息子に確認の電話等はありません。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お答えします

2009-07-03 20:36:54 | 膵臓癌闘病記
今日も雑務処理&息子の学校の保護者会等でバタバタしておりました。

冷凍庫の主人との対面ですか?
思ったよりは平気でした。
母の半開きの目がキョーレツでしたからね。主人は穏やかで良かったと思います。でも「眠ってるみたい」とまでは思えなかったですね。
また冷凍庫に入れて置いて帰ることについて…?
怒られそうですが、何も考えてませんでした。

遺骨は納骨しましたが、私は分骨して少しですが自宅に置いてます。
遺影と同じ写真はあるし、旅行した時に取った写真(主人のもの、夫婦、子供達含む4人のもの)は、普段から写真立てに入れて飾ってます。
主人の息子は写真もないから、一緒に撮る機会を作れば良かったな…と思います。
私、会葬御礼状に主人の好きな曲を紹介したんですけど、主人の息子は父親の好きな曲も知らず、落ち込んでないか心配です。
10年ぶりに再会してから1年9ヶ月。
最後の2ヶ月は頻繁にお見舞い来てくれたけど、それまでは会った回数なんて10回くらいでしょうか?
それも2時間くらい飲んでサヨナラですからね。
私は自宅介護も出来たからこその感慨がありますが、息子は…?
優しい男ですから「親孝行出来なかった」って思ってるだろうと思います。
先日もらったメールに「昨日、一週間ぶりに真面目に酒飲んだら、のまれちゃいました」ってありました。
あんなに顔色ひとつ変えずガブガブ飲む息子がですよ!!

お墓の件は、私の代わりに私の意見を述べてありましたが、まさにその通りですね。
私の子供達は主人のお墓には入れません。一方、主人の息子は入る気満々です。
私が受け継いだら、私が死んだ後どうなるのでしょう?
私と主人の息子は赤の他人で、私から息子へは渡せないのです。
私がいつ死ぬか神のみぞ知るですが、あと40年生きたとして(そんなに生きたくないけど)、私と息子の今の関係が良好に、しかも途絶えることなく続く保証もありません。

答えになってますか?
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストップ!!

2009-07-02 19:25:18 | 膵臓癌闘病記
色々と雑務をこなしておりますので、まめにコメントを読むことが出来ず、途中まで読んでは中断…また見ると増えてて、途中まで読んでは中断…また増えて…で、今ようやく見終えました。
( -o-)=з

以前も申し上げましたが、私をおいてきぼりにして盛り上がるのは寂しいです。

どれが誰のご意見なのかわかりにくいので、UNKNOWNはやめてください。
なんかどっかまで広げていただいたようですが、まったくもって有難迷惑でございます。
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする