末吉洋文の平和研究室

帝塚山大学法学部で「国際法」や「平和学」を担当しています。

良いお年を

2006年12月31日 | 日々の生活
今年もいろいろありました。

仕事面では知的財産の分野についても研究を始めたことで自分の研究領域が広くなったように思います。これからは特に知的財産法と国際人権法の交錯の問題や、国際関係における知的財産がもつ様々な可能性について注目される時代になると思いますので、引き続き頑張っていきたいと思います。

思えば、帝塚山大学に就職したのも何かの縁なのでしょうか。小生を取り巻く研究環境としても法政策学部は知的財産の研究と教育に力を入れている現状にあります。おかげさまで夏休み前にはジュネーブ出張に行くなど、知的好奇心を大いに刺激された2006年でありました。

来年度は胸に秘めたいくつかの目標を達成すべく精進したいと思います(秘密です)。また、ユニセフの活動についても精力的にお手伝いしていきたいです。

それでは良いお年を。

フセイン大統領の死刑執行

2006年12月30日 | 平和
フセイン元大統領の死刑執行には驚きました。死刑が確定していたとはいえ、余罪もあるのでこれからまだまだフセイン関係の裁判が長引くものと考えていたからです。死刑が執行されたことが事実であるならば、これで他の罪状に関する詳細ついては明らかにされないまま闇に葬られることになります。

報道によれば、

人道に対する罪で元国家元首が処刑されたのは初めて。約30年にわたり同国を強権支配し、2003年のイラク戦争で政権の座を追われた独裁者フセインは、自国民の手で裁かれ、「犯罪者」として刑死した。

とありますが、内戦状況にある以上、「犯罪者」の部分だけではなく自国民にも「」が必要なのではないかと思います。

裁判は確かに刑罰を下すという意味合いもあると思いますが、なぜそのようなことが起きたのかを明らかにし、将来への教訓とすべき意味合いがあると思います。こうした考え方からすれば、フセイン元大統領の死刑執行は少し早かったような気もするのです。

そもそもイラク国内の特別法廷という米国の意向が強く反映された裁判での死刑判決ですから、裁判所の正当性があったのかどうかを考えなければなりません。イラク国内の特別法廷ではなく、仮に国際刑事裁判所で裁判が行われていたならば、フセイン元大統領は死刑になることはなかったのです。

国際刑事裁判所も虐殺を指揮・命令した張本人が死刑にされないという点で議論すべき点があると思いますが、いずれにせよ最低のラインとしては被告人の裁判を受ける権利が保障され、法の支配が貫徹されているかどうかという点が重要になってくると思います。

ただ米国の思惑としては、いまだ混迷するイラクを統治する上でひとつの区切りをつけたかったのでしょうが、これでまた混乱することは間違いないでしょう。米国もまた裁かれなければなりません。

帰省

2006年12月29日 | 日々の生活
実家に帰ってきました。1週間ほどの間ですが、一応勉強道具をそろえて持ち帰りました。おそらくは読まないであろう本などをかばんに詰めて帰ってきたのですが、果たして勉強するのでしょうか。しかし、少しでも前進しないと年明けに大きな仕事がありますので、予習をしておかなければなりません。詳細についてはまた後日。

夜は高校の時のバスケ部の同窓会。一緒に汗を流した仲間とはゴールデンウィークと年末に集まる固い約束があり、心安らぐ楽しい時間を過ごしました。

それにしても温暖化を忘れさせてくれるに十分なほどの寒さでした。奈良は雪が降ったのでしょうか?・・・寒くなってきましたのでご自愛ください。

「塾の禁止」について

2006年12月28日 | 教育
政府の教育再生会議の野依良治座長が、「塾の禁止」を主張していたことについて前から書こうと思っていました。こうした意見に対しては、塾産業の人々からの反発があるのでしょうけど、小生はこの意見に大賛成なのです。

野依先生は、「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子どもは禁止にすべきだ」「我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と再三にわたって塾の禁止を提案したということですが、傾聴すべき意見だと思います。

最近では昔の子どもよりも明らかに多くの子どもが塾に通っています。まるで当たり前のように。「塾へ通う」というよりも「塾漬け」という言葉の方が適当なのかもしれません。

子どもが塾へ通いだすと、どんなことが起こるのか。第一に、ストレスを緩和するためにゲームに癒しを求める傾向が顕著になると思います。ただでさえゲームに興味を示す年頃なのに、ゲームにはまってしまい「外で友達と遊ぶ」ということがなくなってしまっているようです。特に最近ではポータブルなゲーム機もありますから、親の居ないところでゲームに勤しみ、「勉強しに行くための塾」の存在が「親から離れてゲームの時間を確保する」ような場合もあるのだろうと思います。

また、ゲームソフトの中には、子どもの攻撃性を増すようなものもあるわけで、結果として「キレ」やすい子どもに育つ場合もあると聞きます。実は親の中にもゲームがいけないとわかっていながらも、買い与えないと自分の子どもが学校でいじめにあうと心配する親もいることでしょう。

第二に、家族で食事をとらなくなる。今では夜に小中学生を目の当たりにすることも普通の時代になってしまいました。食卓を囲む機会が失われるならば、親子のコミュニケーションをとることも難しくなるでしょうし、もし子どもがコンビに弁当などで食事を済ましているようなのであれば食育の問題もでてきます。

野依先生の意見について少し考えてみると、塾の問題を解決することで、子どもを取り巻く環境は大きく改善されるのではないかと思いました。偏差値重視型の教育をなくしたり、スポーツ振興を図ることもあわせて行えば、子どもたちが未来に希望をもって成長することのできる社会の土壌が生み出されるのではないでしょうか。そうしたら、少子化の問題も解決するに違いないと小生は思っているのです。

今後この議論がどういう方向へ進むのか注目したいと思います。

原爆投下の年月日

2006年12月27日 | 平和
今日が自分的には仕事納め。と言っても、正月の間に読まなければならない本と論文のコピーなどをした次第です。また、図書館へ本も返却できたので、本棚がスッキリしました。

平和学の担当者として看過できないニュースがありました。原爆投下の年月日について長崎の高校生が知っているかどうか長崎総合科学大長崎平和文化研究所が調査したところ、正答率がたったの29%だったのです。

同研究所の芝野由和・助教授は「戦争を歴史の中に位置付けて理解できていない」と指摘しているということですが、事態はもっと深刻なのではないでしょうか。唯一の被爆国の国民として「DNAに刻まれている」と言えば言い過ぎかもしれませんが、1945年の8月6日と9日と15日を知らない若者が増えてきていることに危機感さえ覚えます。それに上述のデータは爆心地である長崎での結果ですからね。

これも歴史教育を疎かにしてきた弊害なのでしょうか。「美しい国づくり」をするためには、この国の「美しくなかった部分」をも直視する意志が求められますが、最近の安倍政権はそれどころではないようです。この「美しい国」というフレーズ、当初耳にしたときから違和感がありました。まるで「いじめを助長する」と抗議の電話がじゃんじゃん鳴っているというソフトバンク携帯のCMを最初見たときのように。

最近の首相のインタビューを見ていても、記者から「美しい国づくりに向けてどう思われますか?」と質問される始末。安倍首相の瞳の奥に困惑と記者への怒りを見たのですが、ともかく日本の国はここが踏ん張りどころのような気がします。


忘れてならない日と言えば、平和学の講義で配布した朝日新聞の社説を以下に紹介したいと思います。

■12月8日――さて、今日は何の日?
 「12月8日」が今年もめぐってきた。

 63年前のこの日、日本海軍はハワイの真珠湾基地を空爆し、太平洋戦争の幕を開いた。結局、日本は敗れ、そこから現在の繁栄につながる戦後が始まる。

 歴史の教科書に載っていることだが、さて「今日は何の日?」と聞かれて答えられる人はどれだけいるだろうか。

 4年前、NHKが世論調査をした。真珠湾攻撃の日を正しく知っていた人は、終戦時に7歳以上だった戦前・戦中派世代で54%だったが、戦後30年目に16歳を迎えた人以降の世代ではわずか22%。今は知らない人がもっと多いだろう。

 ひょっとしたら、若い世代のかなりの人々は、自分の祖父やその父が米国と血みどろの戦をしたことさえ知らないかもしれない。ましてあの戦争が、行き詰まった中国侵略に活路を見いだそうとして始めたものであることも。

 歳月は人々の記憶を風化させていく。だが、忘れてはならない記憶もある。

 映画『シンドラーのリスト』を作ったスピルバーグ氏は、その動機を「私に子どもができたことが、自分がユダヤ人であることを思い出させたから」と語っている。ナチスによるユダヤ人の大虐殺を次の世代に何としても伝えなければならない、という思いだったのだろう。

 近年、ワシントンやベルリンに虐殺の博物館や追悼碑の建設が続いているのも、歴史を忘れまいという営みである。

 歴史の記憶は国ごとに違う。日本人の多くが「12月8日」を忘れても、攻撃された側の米国民は米国時間の「12月7日」を忘れない。9・11テロは若者にも真珠湾の記憶を改めて刻みつけた。

 韓国の人々にとって「3月1日」は対日独立闘争を記念する祝日だ。中国では、日本軍が満州事変をひき起こした「9月18日」を、抗日戦争を振り返る日として誰もが知っている。しかし、日本人はどちらもほとんど知らない。

 逆に、米国が広島、長崎に原爆を落とした「8月6日」「8月9日」を日本人が記憶するほどに米国民は知らない。

 いま米国とは同盟で結ばれ、日韓のきずなも飛躍的に強まった。中国は超大国への道をひた走る。

 平和で豊かな日本であり続けるには、これらの国々との信頼関係が欠かせない。そして、それぞれの国が歴史として記憶しているものを互いに分かり合うことなしに、その信頼は深まらない。そこに歴史を知ることの大切さがある。

 歴史を知ることは、いまを点検する道標にもなる。「12月8日」には、軍部の台頭や国民統制という前史があった。『スパイ・ゾルゲ』で戦前、戦中の日本を描いた篠田正浩監督は「言論、表現、結社の自由だけは保障されなければ。それが作品に託した遺言です」と言う。

 近現代史を素通りする中学や高校の歴史教育の弊害が言われて久しい。せめてきょうは「12月8日」をクラスで語り合ったらどうだろう。

(2004年12月8日 朝日新聞社説より引用)

奈良県立榛生昇陽高等学校

2006年12月26日 | 平和
昨日ユニセフの奈良県支部にお邪魔した時、タイトルの名前の高校が文化祭でユニセフの募金活動を行ったということを知りました。

奈良に来てまだ?もう?1年半ほど経過しているのですが、自宅と研究室の往復のみで、なかなか地域の情報には疎いものがあります。周辺にある高校の名前や場所などは、恐怖の入試委員にでもならない限り覚えることはないのでしょう。

高校の名前は「しんせいしょうよう」高等学校といって、平成16年(2003年)4月に、奈良県立榛原高等学校と、奈良県立室生高等学校が合併統合し、新しく誕生したそうなのです。・・・合併といえば、世間一般の少子化の影響もありますが、奈良県は出生率の悪い県でもあります。確か、東京に次いでワースト2ですね。

それはともかく、この榛原高校には「人間探求コース」というコースがあり、そこの生徒さんたちが中心になって募金活動をしたそうです。若い世代がユニセフの活動をするのはとても素晴らしいこと。高校時代にクラブ活動ばかりしていた誰かさん(小生)とはえらい違いです。

そういえば、ハンド・イン・ハンドの時は、確か奈良大学付属高校の男子生徒さんが1人で朝から夕方まで頑張っていました。若い世代に期待したいものです

「プロフェッショナル」 ユニセフ タジキスタン代表・杢尾雪絵さん

2006年12月25日 | 平和
NHKのプロフェッショナルという番組の再放送を見ました。1回目のものはどうやら見逃してしまっていたようです。調べてみたら11月30日。小生が仕事に忙殺されていた時期でもありました。

「第34回 ユニセフ タジキスタン代表・杢尾雪絵(もくおゆきえ)」という放送内容であり、ユニセフの職員として活躍されている元会社員の方のプロとしての仕事振りがとてもよく伝わってきました。

飢餓や疾病などで苦しむ子どもたちの姿を目の当たりにする度に、とても胸が痛くなります。杢尾さんも、時には目に涙しながら自身の仕事についてお話をされていて、アナウンサーの住吉さんまでワッと泣き出したシーンがとても印象的でした。

予防接種の予算を組み込むために政府と交渉するといったような仕事など、いくつものプロジェクトを掛け持ちで進めていく仕事が紹介されていましたが、こうした人々の精力的かつ地道な活動がある反面、武器を手にする人々の存在や、軍事費が一向に減らない現実のなんとも不条理なこと。

今日のビデオは来年度の「平和学」の講義で取り上げても良いのでは、と思いました。平和学の講義は担当者の独自色を出せばよいのですが、まだまだ改良する余地があると自分なりに考えています。

今日はユニセフの奈良県支部にも年末のご挨拶を。今年は生まれ育った兵庫県の支部の方を中心に活動しましたが、来年は勤め先であり現在の住まいがある奈良県支部の方でも頑張りたいと思っています。

ごもっともなのですが。

2006年12月24日 | 平和
今年の講義が終わってから2日。今年もあっという間に残り5日になりました。
これから頑張って年賀状を作成しなければ・・・あー忙しい

イランへの制裁決議がいよいよ成立しました。北朝鮮問題が「ひと段落」したために、今度はイランへ矛先が向きそうです。決議の内容は、イランのウラン濃縮活動停止を改めて要請されたもの。非軍事制裁に限定する国連憲章第7章41条に基づき、イランのウラン濃縮活動や重水炉建設、弾道ミサイル開発活動にかかわる物資・技術の禁輸を義務づけました。また、これらの活動にかかわる人物や団体の金融資産凍結も盛り込み、制裁対象となるイランの12人・10団体を決議の付録に明記しました。

これに対するイランのザリフ国連大使は、国連安全保障理事会による採択について、同国の平和的な核開発を糾弾しながらイスラエルの核保有疑惑を放置するのは「二重基準」だと反発しました。反発があることは予想の範囲内なのですが、その発言内容が正論だけになんともいえません。すなわち、「イスラエルが安保理決議に違反し、地域と国際社会の平和と安全に唯一かつ重大な脅威となっていることは議論の余地がない」と述べ、さらに「安保理のイランに対する根拠のない制裁措置を推進したのと同じ国の政府が、イスラエルに対しては安保理が行動を起こすことさえできないようにしている」と痛烈に批判したのです。

言いたい内容はよーく解るのですが、これが通用しないのが国際社会。米国とイスラエルという強力なタッグは、どうしようもないですからね。今のところブッシュ政権の交代を待つしかなさそうです。

2006年も色々ありましたが、来年はどうなるのでしょうか。六カ国協議の再開も「予定」されていますが、このままズルズルと行きそうな感じがしてなりません。

ユニセフ ハンド・イン・ハンド

2006年12月23日 | 平和
今日はユニセフのお手伝い。ハンド・イン・ハンドへ参加してきました。昨年のハンド・イン・ハンドがとても寒かったことを覚えているのですが、今年は温暖化が原因なのか寒さは気になりませんでした。それどころか、声を出していることもあり体がポカポカしてきた程でした。

今年は募金をしてくれた人にお渡しするチラシに工夫がしてあって、感心しました。ユニセフ親善大使のオードリー・ヘップバーンさんが写っている表紙の左下の隅にスイートバジルの種が入っているのです。そしてその紙とつながっている2枚目が郵便局の振込用紙。振り込んで募金してくださいということですね。アイデアが良く練れていて、ユニセフの知名度向上に大きく貢献する代物でした。これでユニセフの活動に関心を持つ人が増えてくれたら良いのですが。

東京では、ユニセフ協会の大使であるアグネスチャンや著名人が募金に参加したそうで、NHKのニュースで報道されるなど、関心が高かったようです。著名人が募金を呼びかける効果は大きいので、それぞれの故郷に里帰りして地元でハンド・イン・ハンドへ参加するような流れになればいいのにな、と思いました。

明日は情熱大陸にWFP(世界食糧計画)の忍足謙朗(おしだりけんろう)さんの登場です。

敵の敵は味方

2006年12月22日 | 平和
今日で年内の講義が終了。ゼミ生とは「良いお年を」でしばしのお別れ。忘年会をして勉強したことをすべて忘れられては困るので、気持ち新たに新年会をすることになりました。

12月13日の毎日新聞は、スーダンのダルフール紛争が周辺国にも拡大しているという事実を伝えるものでした。大変興味深いのは、「敵の敵は味方」という具合に、周辺国への紛争が拡大されていることなのです。どうなっているかというと、各々の国内における政府軍と反政府軍の対立があり、ある国の政府軍が他国の反政府軍を支援してしまっている状態。つまり、スーダンの反政府勢力を支援しているのがチャドと中央アフリカであるため、スーダン政府からしたら、面白くない。そこで、これら両国の反政府勢力をスーダン政府が支援する・・・悪の連鎖とはこのことです。

これでは紛争の収拾がつかない形になってしまっています。しかしこのまま放置するわけにも行かず、こうやってさらに紛争が拡大していくのでしょうか。ある意味、「失敗国家」(failed state)として政府が存在していない状況であれば、国連も部隊を派遣しやすい部分があるのでしょうが、政府が残存している場合には国家主権を尊重しなければ「内政干渉」になってしまいます。

人権理事会が動き出したという情報もあり、ジェノサイドが行われていることも指摘されています。遅きに失しないよう、国連、とりわけ安全保障理事会には迅速な対応が求められるところ。日本では北朝鮮問題が花盛りでしたが、地球の裏側では内戦が悪化の一途をゆっくりと、しかも確実に辿っていたのですね。

私見では、残念ながら「スーダン国際刑事裁判所」の設立の日はそう遠くないのかもしれません。。。