今日が自分的には仕事納め。と言っても、正月の間に読まなければならない本と論文のコピーなどをした次第です。また、図書館へ本も返却できたので、本棚がスッキリしました。
平和学の担当者として看過できないニュースがありました。原爆投下の年月日について長崎の高校生が知っているかどうか長崎総合科学大長崎平和文化研究所が調査したところ、正答率がたったの29%だったのです。
同研究所の芝野由和・助教授は「戦争を歴史の中に位置付けて理解できていない」と指摘しているということですが、事態はもっと深刻なのではないでしょうか。唯一の被爆国の国民として「DNAに刻まれている」と言えば言い過ぎかもしれませんが、1945年の8月6日と9日と15日を知らない若者が増えてきていることに危機感さえ覚えます。それに上述のデータは爆心地である長崎での結果ですからね。
これも歴史教育を疎かにしてきた弊害なのでしょうか。「美しい国づくり」をするためには、この国の「美しくなかった部分」をも直視する意志が求められますが、最近の安倍政権はそれどころではないようです。この「美しい国」というフレーズ、当初耳にしたときから違和感がありました。まるで「いじめを助長する」と抗議の電話がじゃんじゃん鳴っているというソフトバンク携帯のCMを最初見たときのように。
最近の首相のインタビューを見ていても、記者から「美しい国づくりに向けてどう思われますか?」と質問される始末。安倍首相の瞳の奥に困惑と記者への怒りを見たのですが、ともかく日本の国はここが踏ん張りどころのような気がします。
忘れてならない日と言えば、平和学の講義で配布した朝日新聞の社説を以下に紹介したいと思います。
■12月8日――さて、今日は何の日?
「12月8日」が今年もめぐってきた。
63年前のこの日、日本海軍はハワイの真珠湾基地を空爆し、太平洋戦争の幕を開いた。結局、日本は敗れ、そこから現在の繁栄につながる戦後が始まる。
歴史の教科書に載っていることだが、さて「今日は何の日?」と聞かれて答えられる人はどれだけいるだろうか。
4年前、NHKが世論調査をした。真珠湾攻撃の日を正しく知っていた人は、終戦時に7歳以上だった戦前・戦中派世代で54%だったが、戦後30年目に16歳を迎えた人以降の世代ではわずか22%。今は知らない人がもっと多いだろう。
ひょっとしたら、若い世代のかなりの人々は、自分の祖父やその父が米国と血みどろの戦をしたことさえ知らないかもしれない。ましてあの戦争が、行き詰まった中国侵略に活路を見いだそうとして始めたものであることも。
歳月は人々の記憶を風化させていく。だが、忘れてはならない記憶もある。
映画『シンドラーのリスト』を作ったスピルバーグ氏は、その動機を「私に子どもができたことが、自分がユダヤ人であることを思い出させたから」と語っている。ナチスによるユダヤ人の大虐殺を次の世代に何としても伝えなければならない、という思いだったのだろう。
近年、ワシントンやベルリンに虐殺の博物館や追悼碑の建設が続いているのも、歴史を忘れまいという営みである。
歴史の記憶は国ごとに違う。日本人の多くが「12月8日」を忘れても、攻撃された側の米国民は米国時間の「12月7日」を忘れない。9・11テロは若者にも真珠湾の記憶を改めて刻みつけた。
韓国の人々にとって「3月1日」は対日独立闘争を記念する祝日だ。中国では、日本軍が満州事変をひき起こした「9月18日」を、抗日戦争を振り返る日として誰もが知っている。しかし、日本人はどちらもほとんど知らない。
逆に、米国が広島、長崎に原爆を落とした「8月6日」「8月9日」を日本人が記憶するほどに米国民は知らない。
いま米国とは同盟で結ばれ、日韓のきずなも飛躍的に強まった。中国は超大国への道をひた走る。
平和で豊かな日本であり続けるには、これらの国々との信頼関係が欠かせない。そして、それぞれの国が歴史として記憶しているものを互いに分かり合うことなしに、その信頼は深まらない。そこに歴史を知ることの大切さがある。
歴史を知ることは、いまを点検する道標にもなる。「12月8日」には、軍部の台頭や国民統制という前史があった。『スパイ・ゾルゲ』で戦前、戦中の日本を描いた篠田正浩監督は「言論、表現、結社の自由だけは保障されなければ。それが作品に託した遺言です」と言う。
近現代史を素通りする中学や高校の歴史教育の弊害が言われて久しい。せめてきょうは「12月8日」をクラスで語り合ったらどうだろう。
(2004年12月8日 朝日新聞社説より引用)