(20111017のメモ なんか似たような投稿があったような気がするが。。カブってたら平にご容赦願います)
さて、医療制度とSE、という切り口でいえば、まずは定期健診の利用方法について、ですね。
私たちは「定期健診」というものの活用方法をまったく間違っています。つまり、私たちは、病気をみつけるために定期健診を利用しています。
たとえば、とある年にけっこう激務のプロジェクトに入りました、と。激務のプロジェクトには不健康な生活、強いストレス、睡眠不足、暴飲暴食、ジャンクフード、等々がもれなくセットでついてきますので、そのプロジェクトの経験の後の健康診断では、何らかの数値の悪化がみられます。
逆にいえば、数値の悪化が「みられなければならない」。その数値の悪化をもってプロジェクトへの貢献度が定量化されるわけです。
何が間違っているか、といいますと、そもそも健康診断の結果というのは非常にパーソナルなものなのですが、それが暗黙のうちに査定につながっているということです。とある激務のプロジェクトを経験した後に、その人の検査結果がどうなろうと、その人以外は知ったこっちゃないのです。激務の中でも自己管理をしっかりして、検査結果が横ばいか、あるいはよくなったって全然構わないのです。
でも、この業界はそれを許さない。悪しき「横並び」で、全員を「不健康」に引きずりおろしたくてしょうがない。
言い方を変えれば、この業界では、管理職がメンバーを不健康にしても何も責任を問われません。それが、不思議なんですよね…メンバーの生産性を下げていったら、最後に自分のクビが締まってゆくはずなのですが。
さて、医療制度とSE、という切り口でいえば、まずは定期健診の利用方法について、ですね。
私たちは「定期健診」というものの活用方法をまったく間違っています。つまり、私たちは、病気をみつけるために定期健診を利用しています。
たとえば、とある年にけっこう激務のプロジェクトに入りました、と。激務のプロジェクトには不健康な生活、強いストレス、睡眠不足、暴飲暴食、ジャンクフード、等々がもれなくセットでついてきますので、そのプロジェクトの経験の後の健康診断では、何らかの数値の悪化がみられます。
逆にいえば、数値の悪化が「みられなければならない」。その数値の悪化をもってプロジェクトへの貢献度が定量化されるわけです。
何が間違っているか、といいますと、そもそも健康診断の結果というのは非常にパーソナルなものなのですが、それが暗黙のうちに査定につながっているということです。とある激務のプロジェクトを経験した後に、その人の検査結果がどうなろうと、その人以外は知ったこっちゃないのです。激務の中でも自己管理をしっかりして、検査結果が横ばいか、あるいはよくなったって全然構わないのです。
でも、この業界はそれを許さない。悪しき「横並び」で、全員を「不健康」に引きずりおろしたくてしょうがない。
言い方を変えれば、この業界では、管理職がメンバーを不健康にしても何も責任を問われません。それが、不思議なんですよね…メンバーの生産性を下げていったら、最後に自分のクビが締まってゆくはずなのですが。