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東北大学と天文学-最初の半世紀-

2019-05-04 13:00:00 | 関係出版物

竹内 峯著、柳町自然研究所発行、2014年、非売品

 ケフェイドなどの脈動変光星の理論で活躍された竹内峯先生の遺著が奥様貞子様の手によって発刊された。東北大学天文学教室の歴史ではあるが、それにとどまらず新設大学の意気の新鮮さ、前向きで溌剌とした元気の良さが感じられ、大いに元気づけられる。

 東北帝国大学は1907年(明治40年)に古川財閥の資金をもとに開学した(学生の受け入れは1911年から)。当時、古川は足尾鉱毒事件で世間の非難を浴び、また、日露戦争特需により資金が潤沢だったこともあり、古川の社長でもあった首相原敬が拠出させ、富国強兵の国策のもと、医工理の大学として九州帝国大学(これも古川資金。大学の性格も同様)とほぼ同時に開学した。

 開学と同時に理科大学物理学教室に星学担当教授(日下部四郎太)がおかれ、同時に観象所(気象、地震、天体観測用)が設けられた。1920年、地球物理学講座が新設され、助教授(松隈健彦)が天文学を担当した。1934年には天文学講座がそこから独立し、初代教授に松隈健彦が就いた。これが東北大学天文学教室のスタートとなった。

 以下、1960年頃までの様子が主な人物を通して語られる。歴史の記述法で言えば紀伝体ということになろう。主な登場人物は、日下部四郎太、松隈健彦(たけひこ)、鹽釜伊兵衛、服部鼎、石原純、橋本節治、一柳壽一、古山誠、木村信卿(のぶあき)の諸氏。

 帝国大学におかれた天文学教室の中で東北大学については東京、京都ほどその来歴が語られることがなく、やや謎めいたところがあったが、本書はそれを紐解く一書となった。しかし、本文60ページの小冊子であり、残念ながら網羅しているとは思えないが、これまでこうしたまとまったものが無かったことを思えば、本書の意義は誠に大きい。今や、こうしてベースができたことであり、今後これを膨らませていって戴ければと願うばかりである。

 竹内先生に最初にお世話になったのはウンゼルトのドイツ語版を読むという4年生の演習であった。先生は学生室に入ると、おもむろに葉巻に火をつけ、文意の通らない学生の訳文に駄目だしをして終えるまで1時間以上、これをくゆらし続けた(葉巻とは随分長持ちするものだと、妙な感心をした)。当然、部屋中が煙でいっぱいになったが、それ以上にあの強烈な香りには参った。学生を眠らせないための方策だったのかも知れない。

 そして、2度目は1987年頃で、学位論文の審査委員長をして戴いた。当時、大阪教育大学の定金晃三先生と一緒にいくつか論文を書いており、そろそろ学位請求しても良いだろうということで竹内先生につないで戴いた。その後は竹内先生に草稿を懇切に見て戴き、無事、審査合格となった。学位記を頂戴した日、竹内先生は一番町のフレンチ・レストランに連れて行って下さった。

 その後、お返しの機会を見出せぬまま先生は幽界に旅立たれた。齢80であったが、そんな歳には見えなかったので機会を失してしまったのかも知れない。(2015.4.20.、2019.5.4.)

<著者略歴>

たけうち・みね 1932 福島県福島市生まれ、

東北大学大学院理学研究科修了、理学博士

主に脈動変光星の理論を研究 東北大学大学院教授(理学研究科)を経て東北大学名誉教授

私設柳町自然研究所で天体物理学の研究を継続

2012 年2 月没


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