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聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

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ファチマの秘密(2-4) - 地獄の物理的な火

2017-01-22 01:20:23 | 聖母マリアとその出現について
地獄の物理的な火

 「霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした。・・・悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通っていました」と、シスタールシアは語っている。カトリック神学が教えるとおり、地獄の霊的、物理的、現実の火は全てを焼きこがすのだ。

 霊的な火とは、呪われた者の苦しみである。天主を永遠に失ってしまったことである。もはや取り返しがつかない、最高の善を失ってしまったことである。天主を獲得しようと思えば、出来たはずなのにあえて自ら天主を否んでしまい、天主を失ってしまったその悔やみである。天主があれだけ霊魂の救いのために尽くしたにもかかわらず、それに霊魂が協力しなかったことの天主の正義の怒りである。聖なる、聖なる、聖なる天主の正義の怒りに燃える顔を見るよりも恐ろしいものがあるだろうか。霊魂のために愛を尽くした「妬みの天主」を軽蔑と冷淡と無関心、罪と侮りと冒涜で返答したことへの天主の義憤である。人となった天主の御一人子を侮辱し、屈辱し、辱め、敵と回したことのために当然受けるべき怒りを受けるのである。罪無き天主の御一人子の流したいと貴き血潮を軽んじ無駄にさせてしまったことの当然の報いである。聖パウロはこういう。「審判の恐るべき待機と、反逆者を焼き尽くす復讐の火だけが残る。モーゼの律法に違反する者は、二、三人の証人によって憐れみ無く死罪に処せられる。それならなおさら考えよ。天主の子を踏みつけ、自分が聖とされた契約の血を汚し、恩寵の霊を侮った者の罰はどれ程ひどかろうかと。『仇は私が取る。報いるのは私である』また『主はその民を裁く』と仰せられたお方を私たちは知っている。生きる天主の御手に落ちるのは恐ろしいことである。」(ヘブライ10:8-31)何故なら、「主は焼き尽くす火であり、妬み深い天主である」(第二法4:24)

地獄の火は本当の火

 地獄の火は霊的な火であると同時に物理的な火である。「呪われた者の罰には、罪科(culpa)の中にあった天主から離れ去ることのに対応する罰(poena damni)のみならず、さらには被造物に愛着したということに対応する感覚の罰(poena sensus)とがある。・・・肉体から離れた霊魂を苦しめる火について何が言われようとも、復活の後に呪われた者たちの肉体を苦しめる火について言えば、それは物体的であると言わねばならない。・・・/ かの火は、物理的に肉体を変質させないが、刑罰のために肉体に霊的に働く。だから、この火について、その実体をさして(ダマスケネスが)「物質的ではない」と言っているのではなく、肉体において、そしてむしろ霊魂においてはたらく刑罰の効果のことをさして、物質的でないと言われているのである。」(神学大全:補足q97, a5, C. & ad1)「地獄の火は、火の本性に関する限り、私たちの地上の火と同じ種のものに属していることは明らかである。」(神学大全:補足q97, a6)

自分のうちからわき出る火

 シスター・ルシアはこう言っている。「彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられこの大火事の中に漂っていました。」と。この自分の内から出る炎とは何だろうか。自分の心の内に煮えたぎる後悔、怒り、絶望、恐怖ではないだろうか。これがイエズスの語る「失せない蛆」(マルコ9:48)ではないだろうか。この「内からわき出る火」について、アビラの聖テレジアが語っている。

 ある日アビラの聖テレジアは祈りの最中に突然地獄に運ばれたようになった。聖テレジアはそのときの苦しさを語ってこういう。「私は自分の霊魂の中で火を感じました。この火の性質を言葉で言い表すことは出来ません。他方で私の体は堪えることの出来ない拷問にあっていました。・・・私はこの内的な火がどのようなものか、この様に恐ろしい拷問につけ加わる絶望がどのようなものなのか、その考えすら浮かびません。この世の火の拷問など、地獄の火と比べたら何でもありません。・・・」(自叙伝32章)

 「彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震いおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で」

 恐ろしさ、恐怖、震いおののき、苦悩、絶望の叫び、うめき、・・・シスター・ルシアは地獄の光景をそのまま語る。地獄は平和の欠如そのものだ。安定もなく、秩序もなく、休みもない。全てはひっくり返り、ごたごた掻き回され、不安定で、無秩序で、呪われた者たちはただ悶えるばかりである。シスター・ルシアは、こう続けている。かれらは「重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちにまた下に落ちていました。」

 何というおぞましい光景! これが、聖母が無邪気な子どもたちに見せようと望まれた地獄の光景である。聖母はただイエズス・キリストの教えをもう一度くり返したに過ぎなかった。私達の天の母である憐れみの聖母は、もう一度この真理を忘れてはなりません、と教えて下さったのだ。聖母は既に現代の異端説から私たちを守ろうとそれに備えをして下さったのだ。


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