前回の投稿、震災前日の3月10日ですね。
震災の当日は、僕はある若手打楽器奏者デュオの演奏会に行くつもりで楽しみにしていたのですが、ご存知の通りの事態になってしまいました。
改めて、東日本大震災で被災された方達にお見舞い申し上げると同時に、亡くなられたあまりにも多くの方々のご冥福をお祈りします。
報道されている、莫大な数のそこなわれた命のひとうひとつに日常のドラマがあり、思考と感情を織り上げている魂があったことを思うと張り裂けそうな気持ちになります。
私のように音楽を生業とするものは、こんなとき苦い無力感を噛み締めるほかありません。
東京藝術大学の年度始めの面談で、フルート専攻の学生たちの前でこんな風に話しました。
「それでも、音楽は単なる『ぜいたく品』ではなく、聴こえてこない時も意識の底に脈々と流れているものなのです。人が本当に優しい気持ちになったときにだけ姿を現す妖精達のように。
今は妖精が姿を見せるときではないのかもしれません。
音楽史の枠組みを越えて、始まりもなく、終わりもなく精神に内在して流れる音楽が、聴き手とプレーヤーの間で共有され、芸術として成立するのが、いかに儚い瞬間なのか今回の災害から教わることも出来るのです。
過酷な現実からの一瞬の解放-飛翔になるような音楽を紡ぐ音楽家になってください」
と。
実際は即興で話したので、こんなにまとまった言葉にはなりませんでしたがw
そして学生たちへのメッセージを踏まえ、厳粛な気持ちを新たにして、予定していた6月3日(金)の「木ノ脇道元作品演奏会」予定通り行います。
詳細、別投稿します。
震災の当日は、僕はある若手打楽器奏者デュオの演奏会に行くつもりで楽しみにしていたのですが、ご存知の通りの事態になってしまいました。
改めて、東日本大震災で被災された方達にお見舞い申し上げると同時に、亡くなられたあまりにも多くの方々のご冥福をお祈りします。
報道されている、莫大な数のそこなわれた命のひとうひとつに日常のドラマがあり、思考と感情を織り上げている魂があったことを思うと張り裂けそうな気持ちになります。
私のように音楽を生業とするものは、こんなとき苦い無力感を噛み締めるほかありません。
東京藝術大学の年度始めの面談で、フルート専攻の学生たちの前でこんな風に話しました。
「それでも、音楽は単なる『ぜいたく品』ではなく、聴こえてこない時も意識の底に脈々と流れているものなのです。人が本当に優しい気持ちになったときにだけ姿を現す妖精達のように。
今は妖精が姿を見せるときではないのかもしれません。
音楽史の枠組みを越えて、始まりもなく、終わりもなく精神に内在して流れる音楽が、聴き手とプレーヤーの間で共有され、芸術として成立するのが、いかに儚い瞬間なのか今回の災害から教わることも出来るのです。
過酷な現実からの一瞬の解放-飛翔になるような音楽を紡ぐ音楽家になってください」
と。
実際は即興で話したので、こんなにまとまった言葉にはなりませんでしたがw
そして学生たちへのメッセージを踏まえ、厳粛な気持ちを新たにして、予定していた6月3日(金)の「木ノ脇道元作品演奏会」予定通り行います。
詳細、別投稿します。