無言館のこと

信濃の丘の頂きにある遺された絵画の美術館です。60年前の若い画学生の青春と対話してみませんか?

生命の鼓動を伝える無言館展

2005年01月31日 | Weblog
画学生ゆかりの方々を訪ね、思いを聞き、遺作の寄託を受けて、「無言館」を設立・命名・維持・運営なさっている窪島誠一郎氏は語ります。

「かれらの絵はことごとく深い静寂につつまれている。この静寂を無言と解釈することは簡単です」
「しかし、無言ということからいえば、無言のままで立ちすくむしかないのは、今を生きる我々のほうなのではないでしょうか」

「私は自分の知らぬところでかれらの絵が消えてゆくことがこわかった」

「東京(2月5日から東京ステーションギャラリー)をふりだしに全国各地、今回の『無言館 遺された絵画』展が、作品にこめた画学生たちの、もう一つの生命の鼓動を伝える一助になってくれれば、と心から念じている」

何を思いつめている?

2005年01月29日 | Weblog
この画には、興梠(こおろぎ)武 「編物する婦人」と記されています。

確かに編物に無心です。
いや、この表情は何かを思いつめているようにも見えます。
モデルになっている女性の思いを考えると、何とも言えない気持になります。

さらに、これを描いている画学生の心の中は‥‥?


この画は、ボロボロなのです。絵具がまわりから剥離しはじめています。
(もちろん無言館で保存処理済み)

描かれた60年前、そしてあれからの60年を、この画は語っています。


東京では、この画が目にとまるようになりました。
展覧会のポスターになっています。

「戦後60年 無言館 遺された絵画」展
東京ステーションギャラリーで、2月5日からです。

ゆかりの人の証言が‥‥

2005年01月28日 | Weblog
「無言館」のスゴイところは、単に画を集めてきただけではないこと。
窪島氏、野見山氏、西橋氏、山田氏などが、画学生の家族などゆかりの人に直接会い、生きざま、画の生まれた状況などを取材し記録されていることなのです。
だから私たちは、画と対話を深めることができるのです。
例えば;

日高安典
あと5分、あと10分、この絵を描かせてくれ。
  ~安典さんのスケッチブックから~
生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから‥‥。
  ~安典さんが恋人(画のモデル)に話したという言葉~

佐藤 孝
私の留守中に友達は‥‥進歩するであろう。
私の好きだった娘たちは嫁いでゆくであろう。見知らぬ人のもとへ。
どんなことがあったにしろ、いつも変わらないもの、それは私が今まで苦しみにあえぎ悩みした私の絵であろう。絵は永遠に残ってくれるだろう。
  ~孝の日記「雑記」から~

川崎 雅 (写真は彼の作品『馬』)
「帰ってきたら画を描こうと思ってこんなにたくさんの膠(にかわ)を‥‥‥‥葉書に『アトリエはそのままでいい。膠は空き缶に詰めて密封しておいて下さい』と書いてきたんですよ」
  ~妻 文子さん(遺品『百匁入りの膠』を見ながら)~
    NHKテレビ「未完のキャンバス」から

画が何かを叫んでいる

2005年01月27日 | Weblog
無言館に感想文ノートがあります。もちろん、匿名が多いのですが、若い方と思われる書き込みがたくさんあります。

ごめんね  今井

絵を描けないことがはずかしいな。もっと勉強してすごい絵を描いてやる   鋼介

私もこの人たちに負けないように絵を描きたい。描けるのだから精一杯。そして精一杯生きようと思う。ありがとうございました。受験に疲れた心が洗われました。   菜美子

なぜ、どうして?   鈴木

このノートに何を書きたいか、何を伝えたいか、文章にすることができないけどすごくむねがいっぱいになりました   16才 朋美

苦しい状況に追い込まれた者だけが出せる強さ、輝きが、この無言館には漂っている。私には足りない、その苦労が‥‥  ヒトミ

画が何かを叫んでいる。声にならない何かを。無言だけれど。確かに、何かを叫んでいる。   T.J

ばあやんの絵も描けなくなる

2005年01月26日 | Weblog
残された時間がわずかな中で、若い画学生が描いた絵は?
無言館に遺された三百数十点のなかで特に多いのは、「大切な人」「愛しい人」‥‥つまり、妻、恋人、母、父、姉、妹、祖母なのです。

この絵は、蜂谷 清(享年22才)の「祖母の像」
祖母は清を特別かわいがり、「たいしたもんじゃ、たいしたもんじゃ」と目を細めていた。
清はこの絵を描きながら、「ばあやん、わしもいつかは戦争に行かねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵も描けなくなる」と言った。
祖母は、何も答えなかったといいます。

「本当はこれが絵っていうものじゃないか」

2005年01月25日 | Weblog
画家 野見山暁治さんの「戦死した東京美術学校の仲間たちの絵を、このまま見棄てておく訳にはいかない」との思いが、無言館のきっかけだそうです。
野見山さんは語っておられます。
「勉強中の画学生の未熟な絵です。しかし、『これが自分の描く最後の絵かもしれない』と思って打ち込んだ時、何とすごいものを生み出すものか。」
「不思議だ。彼らの絵には、邪念も、はったりも、ひけらかしもない。本当はこれが絵っていうものじゃないか。」
「彼らがどんな気持で絵を描いていたか、彼らと対話していただきたい。彼らの“人”が見えてくる。」

「無言館」って知っていますか?

2005年01月23日 | Weblog
 「無言館」は、美術館です。

 信濃、上田市の小高い丘の頂きにあります。大晦日も元旦も、無休です。コンクリート打ちっぱなしの建物です。作品八十数点と遺品の展示された十字の形をした部屋、それ以外には何もありません。このこと自体がすごいと思いませんか?

 シャイでダンディなおじさん・窪島誠一郎さん(故水上勉氏のご子息)が創り、守っています。

 若いみなさんに、ぜひ訪ねて欲しい場所です。特に今年は「戦後60年」、だから意義深いのです。

 このページで、無言館について私の知りうる限りをお伝えしていきます。どうぞよろしく。