無言館のこと

信濃の丘の頂きにある遺された絵画の美術館です。60年前の若い画学生の青春と対話してみませんか?

『美』や『宝』だけを求めるものではない・・・・あらためて「無言館」へ

2005年08月30日 | Weblog

 京都文化博物館での「無言館 遺された絵画」展が終わりました。
2月から東京・福井・愛知・兵庫・京都と巡回して、残すは広島展(12月23日から尾道市立美術館)だけなのですね。

 北海道・東北・四国・九州での開催がないのは、とても残念です。いずれも秋から早春に開催が内々定していたのに実現しなかったようです。
 どこのミュージアムも苦労が多い。自治体の財政が悪化するとまず文化にしわ寄せが来る。市町村合併が裏目に出ることもある。メッセージ性の強いものは公立美術館として避けたい意向もある。等々・・・・。

 前朝日新聞企画委員・白鳥正夫さんがホームページに書いておられます(要旨);
「戦後50年に『ヒロシマ~21世紀へのメッセージ』展を企画したが、会場探しには四苦八苦した。デパートには見向きもされなかった。約50カ所に打診してようやく4会場で開催できた。
 今年は戦後60年の節目の年なのに、それをテーマにした展覧会が極めて少ないのは残念。ただ一つ、NHKきんきメディアプラン企画の『無言館 遺された絵画展』に光明を感じた。
 美術鑑賞は『美』や『宝』だけを求めるものではない。」

 完全な全国巡回にはならなかったにしても、これをきっかけに放送・活字メディアもあらためて「無言館」にスポットをあて、その存在とほんとうの意義が、より多くの「にっぽん人」に知られた意味も大きいと思います。


 長野県上田市の「無言館」にも、この夏、開館以来最多の方々が訪れていただいたそうです。館主はじめ、「静謐さは保たれているものの、混雑して恐縮」しておられます。
 立地している塩田平は、秋も、雪をかき分けてたずねる冬も、真っ白な浅間山を遠望する春も、ステキな丘です。12月第3月曜~金曜だけが休み、正月も無休です。

 「彼ら」が、あなたとの対話を待っています。

 ぜひとも、「無言館」「信濃デッサン館」へお出かけください。愛しい方とごいっしょに・・・・。


『作品・画学生と対話する』『読む』展覧会と図録

2005年08月29日 | Weblog

「無言館 遺された絵画」展の京都会場が終わりました。

「美術展であると同時に『作品・画学生と対話する』『読む』展覧会」と評された方がたくさんありました。

 会場の説明パネルを作品と同等に重視するコンセプトで、画学生やゆかりの人のナマの言葉で構成されていました。それゆえに、滞在される時間が長く、会期当初から場内が混雑したのでしょうが、、、。確かに、心を刺激されました。

 図録についても、「図録らしくない、絵の背後にある物語を繰り返し読み、対話し、泪する図録」という編集意図が溢れており、大きな反響を呼んで、この種の図録としてかなり高い購入率になっているようです。確かに、何度も開いては対話しています。
展覧会図録ですから、会場以外では手に入らないのですが、企画発行元に頼めば宅配してくれるようです;
   NHKきんきメディアプラン 電話:06-6945-7101

 写真は巡回展共通図録から;
中村 萬平 (静岡県生まれ 享年26)「霜子」ほか


「家族」なのです・・・・『無言館 遺された絵画』展 あす28日限り

2005年08月27日 | Weblog
 
蜂谷 清 (千葉県生まれ 享年22) 「祖母の像」


 京都文化博物館で開かれてきた
「戦後60年 いのちの証 『無言館 遺された絵画』展」
も、あす8月28日限りとなりました。

 あすもう一度、この「祖母」と対話してきます。

 画学生の絵、優劣ではなく、どの作品も胸を打ちます。
 私は、会場あるいは図録の最初に飛び込んでくる作品番号001「祖母の像」が、脳裏に焼き付いて離れないのです。
 かつ、この巡回展を企画された方が 野見山暁治さんが 窪島誠一郎さんが 「無言館」が言いたいこと、いえ、60年前の純粋な若者たち「彼ら」が言いたかったけれど口にはしなかったことの、全てを象徴しているような気がします。

清「ばあやん、わしもいつかは戦争に行かねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵も描けなくなる」
祖母「・・・・・・・・・・」

 「家族」なのです。


 お子さん・ご兄弟・ご両親を誘って2世代・3世代で、あるいは愛しい方と、京都市営地下鉄・烏丸御池駅から数分の京都文化博物館(075-222-0888)をお訪ねになりませんか?

この週末限り・・・・「無言館 遺された絵画」京都展

2005年08月26日 | Weblog
 
 この週末限りとなりました。
 「無言館 遺された絵画」京都展は、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)で8/28までです。

 終盤ですから、もちろん混んでいます。しかし、会場内は不思議なくらい静謐です。張り詰めた空気の中、若い方も六十年前の若者の絵と向き合い、対話しておられます。


 出口に置かれた感想ノートに、こんな書き込みがありました;
・いっぱい感じました。いっぱい書きたいんです。でも、なんと書いてよいかわからないんです。(小学6年 女子)

ほかにも;
・心打たれました
・感動をありがとう。そして哀しい。
・付き添いで来たけど、来てよかった
・心に突き刺さる思い
・私は生きています。描かなければ!と強く思いました。
・作者の魂を見る。絵の見方がこの作品展で変えられた。


 写真は、巡回展共通図録から、
西岡健児郎 「妻・せつ」と遺品および略歴
市瀬 文夫 「裸婦」「秋の朝」「習作」と遺品
 会場でしか入手できないこの図録が、ゆかりの人のナマの声を後でじっくり読みながら絵と対話したいと、不思議な人気なのだそうです。

 この巡回展に来られた方の累計は、とっくに10万人を超えていると聞きました。


「それは後のお楽しみとしよう」・・・・・「無言館 遺された絵画」京都展は28日まで

2005年08月21日 | Weblog
 
野末 恒三 (静岡県生まれ 享年36) 「自画像」


 油画科卒業後、教職についていたが、35才、終戦の前年になって出征。フィリピンから、妻・ゆり子さんに宛てた手紙;
 「此処まで来ると視るもの聞くもの珍しい事ばかりです。
こんなに異国情緒に富んだ処が近くにあるのだったら
もっと早々に来て傑作を残して置けただろうにと思う程です。
(中略)
小型の悪いスケッチ箱、スケッチ板、水彩絵具セットを何等かの方法で、送って戴けないかしら。
椰子の林等画材は書きよく、相当な収蔵を残すことが出来ると思ふのだがそれは後のお楽しみとしよう。」
 そのスケッチを遺すことなく、頭部貫通銃創により戦死。



 「無言館 遺された絵画」京都展は、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)で8/28まで、あと1週間限りです。

 会場アンケートに記された言葉から;
・忘れてはならないこと。若い人、老いた人に、繰り返し伝えてほしい展覧会。
・こんなに切ない展示会ははじめてです。
・子ども、老親、妹、友だちにも見せたい。
・ここの絵は、とてもしんせんな絵、心にひびく絵。
・ここにきて、何か気持が変わったような気がします。
・感動しました。人間のジュンスイさを感じました。
・お ど ろ き。(10代の女子)


「無言館の絵に青春の命見た」・・・・・京都展はあと1週間

2005年08月20日 | Weblog
 
岡田 弘文 (兵庫県芦屋市生まれ 享年28) 「風景・山」


 中学時代に、“サイレン”と題した詩を書いています;
「サイレンがなりました
校舎の屋根の みえない隅で・・・・
朝のしづかな この甲子園に
白い冷たい朝霧はまだゆっくり寝ていました」

 画家になることを父に猛反対されていた弘文、ビルマ戦線で弟に会った際、
「絵はもうやめる。戦争が終わったら子供を集めて画を教えよう」
と言ったそうです。


 昨19日の朝日新聞(大阪)「声」欄に、「無言館の絵に青春の命見た」という投書が載っています;
「会場を出て意外と心が暗くないのです。彼らの絵がとても生き生きしていて、青春の命のみずみずしさが伝わってくるのを感じました」

 「無言館 遺された絵画」京都展は、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)で8/28まで、あと1週間限りです。 会場でしか入手できない図録も、ゆかりの人のナマの声を後でじっくり読みながら絵と対話したいと、異状の人気なのだそうです。

 NHKの「にんげんドキュメント『最後の一枚 ~戦没画学生・いのちの軌跡~』」を見落とされた方;
NHK総合テレビ:8月25日(木)午前1時15分~(24日・水曜深夜)
で、再放送があります。


「彼ら」が「その時」描き遺したのは、、、、、「無言館 遺された絵画」展から

2005年08月17日 | Weblog
 
丸尾 至 (東京都生まれ 享年25) 「釣り人のいる風景」


 「戦場や兵隊さんを描いた展覧会だと思ったら、全然違って、、、、うれしかった」と、「無言館 遺された絵画」展の感想ノートに記された方がありました。
 そう、「彼ら」が「その時」描き遺したのは、一に「愛する人」、二に「愛する風景」なのです。

 至も、数々の田園風景を描いています。そして、戦病死する1ヶ月前に両親にあてた手紙には;
「戦争のために、愛する祖国の美しい自然がどんどん傷められていくのが、とても悲しい」
と書いています。

 至が学んだのは、文学部美術史科。野球部では名三塁手。そして、哲学や絵画を独学していたのです。


 「無言館 遺された絵画」京都展は、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)で8/28まで、あと10日間限りです。

 NHKの「にんげんドキュメント『最後の一枚 ~戦没画学生・いのちの軌跡~』」を見落とされた方;
NHK衛星第2放送『BSアンコール館』:8月19日(金)午後5時15分~
NHK総合テレビ:8月25日(木)午前1時15分~(24日・水曜深夜)
で、再放送があります。



夫の祖父とはじめて対面、、、、「無言館 遺された絵画」展から

2005年08月16日 | Weblog
 
佐久間 修 (熊本県生まれ 享年29) 「女性像」
      → 修 については、当ブログの3/14版、7/26版を
 

 巡回中の「無言館 遺された絵画」京都展は、8/28まで、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)にて開催中です。新聞や放送で次々紹介され、かなり混みはじめているのですが、場内は静寂と真剣そのものです。

 終了した愛知展の会場アンケートに並んでいる文字をもう少し紹介します。

・60年前とは思えないほど生き生きした絵!素晴らしい作品です。皆、あの当時を精一杯生きていらした証。
・欲もなく、ただ描きたいだけの、純粋な気持に勝るものはないのですね
・自分でも驚きました。絵の素晴らしさだけでなく、情熱や戦争の愚かさが絵から伝わってきた。
・戦争を知らない私でも、何か、感じるものがありました。来てよかった。
・ありがとう。この空間で過ごした時間を心に留めていきたい。
・きょうほどかんどうした絵を見たのは、はじめてです
・これからの人生に、また、若い人に、役立つ絵画展
・時間の大切さ、反省することばかりです。感謝です。りっぱな遺産です。一人でも多くの方に見てほしい。

そして、、、、
・夫の祖父とはじめて対面することが出来ました。生きている彼に会うことはかなわないけれど、絵の中で微笑んでくれていたように感じました。ありがとうございました。

「這いずってでも、、」・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年08月14日 | Weblog
 
結城 久 (東京都生まれ 享年30) 「自画像」

 彼は、独学なのです。
着物の図案業の家庭に育ち、幼い頃から絵がとても好きだったそうですが、美術学校を目指すのではなく、中学校を中退して油絵に打ち込みはじめたのです。

 出征の日に至っても絵筆を動かしながら、
「這いずってでも、きっと還ってくるから」と言ったといいます。


 巡回中の「無言館 遺された絵画」京都展は、8/28まで、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)にて開催中です。

 終了した愛知展の会場アンケートには、ふだん美術展になじみのなかった方々が、感動をなんとか言葉にしようと書きとめられた文字が並んでいます。
 作品を集められた窪島「無言館」館主をはじめ企画・開催関係者への感謝とねぎらい、さらに、開催地と鑑賞者層拡大への希望が、必ず添えられているのも、例のないことです。

・自分の知らない世界、知らなければならない世界に、足を踏み入れさせてもらった
・淋しいとか悲しいだけでなく、いい絵
・心に染み込んでくる展覧会
・一人一人の絵と家族知人を含めたドラマ
・久しぶりに描きたくなった
・すごいえがあってびっくりです!!(10代の女の子)
・ギリギリ追いつめられた時間まで、まっすぐ、自分と向かい合った生き方
・やっと見ることができました。「会えた!」っていうかな、、、、ありがとう。ご苦労の段、お疲れ様。
・どのような企画も、心を込めてよく考えられたものでないと、心に届かないことを、教えていただきました。

「なんでだろう、、、、私も絵をかきたいです」

2005年08月13日 | Weblog
 
NHKの「にんげんドキュメント」で、
『最後の一枚 ~戦没画学生・いのちの軌跡~』が放送されました。

見落とされた方;
NHK衛星第2放送『BSアンコール館』:8月19日(金)午後5時15分~
NHK総合テレビ:8月25日(木)午前1時15分~(24日・水曜深夜)
で、再放送があります。

 この番組でも取材していた豊川市桜ヶ丘ミュージアムでの「無言館 遺された絵画」展、感想ノートを見せていただいたので、一部紹介します。

●ぼくは今、美術大学を目指している浪人生です。ここへ来て、たくさん学ぶものがありました。
 絵とは何か? 戦争とは何か? 芸術をやりたくても戦争のためにできなくなってしまった人たちの作品を見て、自分がもし、この時代に生まれていたらどうだったろうと考えました。
 この人たちのためにも、ぼくには芸術をやる責任があると感じました。ぼくは本当に今、幸せです。戦争もなく、大好きな芸術ができているのですから。この人達に負けないくらいの情熱を、芸術に注いでいこうと思いました。
 たくさんの事を教えてくれて、ありがとう。

●後悔や迷いがあった。その心情を何とかしたくてここへ来た。
「生命を土台に、立って歩こう」という気持になった。

●涙でかすんで絵がちゃんと見れず、、、、モネのようにひかりを感じます。心が伝わってきます。今まで見たどの絵よりも。 美大生の母です。

●先日は画家の夫がひとりで、今日は私の母と高2・中1の娘と4人で来ました。
邪念のない絵というのは本当に美しいです。
 私も絵を描くものの一人です。命をもらって生きている私たちが、できることを何かしなければ、、、と強く思います。

●今回見た絵は、私が今まで見てきた絵とまったくちがって、とってもすてきでした。いろんな人の想いが感じとれたような気がします。
 なんでだろう、、、、私もただ絵をかきたいです。


京都展は、8/28まで、京都文化博物館(地下鉄・烏丸御池から数分)です。

感想ノートに教えられる・・・・・「無言館 遺された絵画」展

2005年08月10日 | Weblog
 
片桐 彰 (長野県生れ、京都高等工芸学校繰上げ卒業 享年21) 「街」

 彼を尊敬し慕っていた妹さんの記憶と、遺品のスケッチについて、当ブログ6/20付「口にはしなくても何を考えながら」で紹介しました。

 あのスケッチのことが頭から離れなくて、もっと言えば、あのモデルになったおかっぱの女の子に、そして彰自身に、「何を考えていたの?」と訊ねたくて、またまた京都文化博物館へ行って来ました。


 会場の出口に置かれた3冊の感想ノートが、ずいぶん埋まっていました。

 「大切に生きなければいけないと思いました。  12才 」

たった1行だけれど、12才にこういう言葉を書かせる展覧会がありうるんだと、思い知らされました。
 記入者の半数近くは学生さん。丁寧な字で、なかには1ページ以上にわたって、自らの生きざまと決意を語っています。


 NHKの「にんげんドキュメント」では、
『最後の一枚 ~戦没画学生・いのちの軌跡~』が放送されます。
http://www.nhk.or.jp/ningen/
NHK総合テレビ:8月12日(金)午後11時00分~、再放送8月25日(木)午前1時15分~(24日・水曜深夜)
NHK衛星第2放送:8月19日(金)午後5時15分~


 巡回展「無言館 遺された絵画」は、8月28日まで京都文化博物館(075-222-0888)です。ぜひぜひ、二世代、三世代で、お出かけください。お友達に奨めてあげてください。 
 

12日のNHK「にんげんドキュメント」で「無言館」

2005年08月08日 | Weblog
 
NHKの「にんげんドキュメント」で、
『最後の一枚 ~戦没画学生・いのちの軌跡~』が放送されます。

http://www.nhk.or.jp/ningen/
「戦没画学生は何を思いながら最後の絵を描き、出征していったのか。
 戦争は、画学生から何を奪っていったのか。
 終戦から60年目の夏、遺族や友人の証言と取り組みから『最後の一枚』までの命の軌跡をたどる。」

NHK総合テレビ:8月12日(金)午後11時00分~
NHK衛星第2放送『BSアンコール館』:8月19日(金)午後5時15分~
NHK総合テレビ:8月25日(木)午前1時15分~(24日・水曜深夜)
です。

 「にんげん」=日高安典、太田 章(写真は、巡回展の共通図録から、「和子の像」ほか)など戦没画学生と、その作品が、深く語られるようです。

 なお、巡回展「無言館 遺された絵画」は、8月28日まで京都文化博物館です。 
 

絵筆を離したくない・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年08月07日 | Weblog
 
吉田 二三男 (福岡県生まれ 享年30) 「培風寮炊事場」(コンテ)

 - OKAZU  O  TAKU  TOKORO - とあり、鍋には魚が2尾入っています。『培風寮』とは、二三男が美校油画科を卒業後しばらく住んでいた、東京・豊島区のアパートです。多くの画家や詩人が住んでいる名物アパートだったそうです。
 化粧品会社の宣伝部に勤務して『クラブ歯磨』の広告デザインなどを制作する傍ら、マンガや絵本の挿絵に才能を発揮し、画壇にも注目されはじめていたといいます。

 入営後も屈託のないマンガばかり描いていたという二三男、遺した日記に書いていました、、、、、
「七十になっても八十になっても、絵筆を離したくない」

 

 ~戦後六十年 いのちの証~ 「無言館 遺された絵画」展
は、
京都文化博物館(075-222-0888、http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html)
にて開催中です。

 ところでこの巡回展、七月に開催された兵庫県丹波市立植野記念美術館では、同美術館オープン以来最多の方々が鑑賞されたのだそうです。

「『天女』の像」、、、、、「無言館 遺された絵画」展から

2005年08月04日 | Weblog
 
小柏 太郎 (島根県生まれ 享年26) 「天女の像」(ブロンズ)

 美校鋳金科を繰上げ卒業後、自ら兵役を志願。手紙に;
「勇躍新任地に出征す。又、男子の本懐なり」

 出征の日、母と妹とのほんの一時の面会だったが、別れ際に妹の耳もとでつぶやいた;
「行きたくないよ」

 「アッと驚くことをしてみせる」「反対のことをしてみせる」のが好きだったという太郎、彼がこの作品名につけた「天女」とは、誰れ、いえ、どんな気持をこめていたのでしょうか?


 ~戦後六十年 いのちの証~ 「無言館 遺された絵画」展
は、
京都文化博物館(075-222-0888、http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html)
にて開催中。

 7月31日のNHK教育テレビ「新日曜美術館」、8月4日の朝日新聞などに紹介されたこともあって、会場はかなり混みはじめているようです。

 なお、8月14日まで延べ8日間にわたって、映画「きけわだつみの声」「ひめゆりの塔」の記念上映もあります。

 また、同じ京都文化博物館の5階では;
 ~パリを見つめて四十年~ 赤木昿児郎 パリ風景画展
が、8月10日まで開かれています。

「無言館のこと」ブログ第80号、、、、佐藤 孝のこと

2005年08月03日 | Weblog
 
佐藤 孝 (静岡県生れ 享年21) 「林の道」

昭和18年 4月 あこがれの美校油絵科に入学
昭和18年11月1日の日記;
 「それにしても何と口惜しいことだらう。
  まったくこの日記を書いてゐる間でも
  ふと1ヶ月後に入営することを考えたが、
  それまでを私は私に与へられた無限の歓喜の日月と思ひたい。」
昭和18年12月1日 学徒出陣で応召
昭和20年7月25日 戦死


   ~戦後60年 いのちの証~「無言館 遺された絵画」展
が、京都文化博物館で開かれています。


 この「無言館のこと」ブログ、
無言館のことだけを書いて80号になりました。
 「『絵が描けてうれしい』=『生きていてうれしい』なんですよ」(窪島館主談)
というこころを、ひとりでも多くの「今を生きる若者たち」に伝えたい、
そのためにはブログだ、
と、
巡回展「無言館 遺された絵画」の開催に尽力なさっている各地の関係者から情報をもらいながら書きつづけます。
 私の感情を押し付けることのないよう、クールに客観的にとつとめていますが、1月23日の第1号から順に読んでいただくと、「彼ら」の深奥の心がかなり伝わるのでは、と、、、。