前日譚

2016年06月07日 | 日記

 電車で隣り合わせた人が広げているマンガ誌が視界に入って、内心で思わず「なんだよ学生島耕作ってww」。まだ島耕作プリクエル(前日譚)やってたのね。
 別に全共闘世代でもなければ学生運動に特段の共感があるわけでもないけど、後から書かれた回顧的な物語の中で作者視点代表のキャラが、後知恵を持つ者の賢人ぶりを作中で発揮しているのを見ると、「メタ視点の高みからマウンティングする遊びって楽しそうよねぇ」と皮肉9割で思ってしまう。後知恵の高みを嫌みにならないように物語に組み込むのは難しいもんだ。まあコメディやギャグの文脈でやるぶんには、作者と読者の共犯関係が成立しやすいので楽しい話にもなるんだろうけど。


「暴力装置」

2016年05月30日 | 日記

 実力行使を組織の標準的な行動プロセスの中にビルトインさせている時点で、規模の大小や法的正当性の裏付けの有無こそあれ、その組織は「暴力装置」の機能を内包していることになるわけで、そういう組織の運営には暴力の発動に対する相応の牽制機能が必要とされるのだが、件の組織における牽制機能は、事実上主宰者の感性的快/不快などの“気分”にしか存在しなかった……ということは、以前に主宰者の苛烈なオタク批判が開陳された時点で何となく想像がついていた人も多いのではないか。
 蛇足だが、『ガンダム00』の1stシーズンにおけるソレスタルビーイングの描写では、「紛争根絶のための武力介入」という行動理念を巡るトレミー組とトリニティ組の反目という形で、カウンター暴力がただの暴力に転ずる危険性を意識的に描いているのが面白い。


ロマン

2016年05月19日 | 日記

ポーランド人オペちゃん、アメリカ軍をロマンが無いとディスる - Togetterまとめ

 オペちゃんの言う「ロマン(の有無)」って、上手く言語化して言い表すことはできないけど、ぼんやりしたニュアンスとしては何となくわかるような気がするんだよ。ただ言語化できないだけに自分の中でもぼんやりしたイメージにはなっちゃうんだけど。
 軍事とか兵器とかって基本的に目的合理性やプラグマティズムの塊のようなものだから、どんな国や文化の武具だって「ただ装飾のためだけの装飾」ってのは無いし、一見ただの飾りのように見える装備にも「自分や味方の士気を鼓舞する」くらいの目的は必ずある。ただ、そうして目的のためにもっとも有効な手段を追求しながら考えられ生み出されたはずの武具・兵器が、「え、それって必要なの?」と首を傾げずにはいられない、謎の“過剰さ”を孕んでいることがあって、それがたぶん「ロマン」として感じられる部分なんじゃないかと。
「え、そこって別にそんなに美しく成形しなくたって、もっとこういう形にすれば性能を落とさずに生産性も上がるんじゃない?」とか、「なんでそこでそんな形状をゴテゴテ盛り付けるのさ」とか、「あの、その部隊名って歴史的になんだか死亡フラグっぽくないですか」とか、そういう「なんでそこでそうなるの」という理由がよくわからない部分が、たぶんロマンに属するんだろう。だから同じ対象でも、人によってロマンを感じたり感じなかったりという違いは生じるだろうし。


冒険小説

2016年05月10日 | 日記

『女王陛下のユリシーズ号』は「海洋冒険小説の傑作」と日本ではされているが、その正否は。 - Togetterまとめ

 70~80年代の「冒険小説」概念を主導していた内藤陳自身は、たぶんジャンル分けをどうするかみたいな話には全然興味が無くて、『読まずに死ねるか!』でもただひたすら自分が面白いと思った近現代エンターテインメント小説を(時にはノンフィクションも)紹介しまくってただけなんだろう。でも、組織名とか“運動”(?)の旗印として「冒険小説」を名を冠したから、そこからの延長で「内藤さんや北上さんの勧める小説=冒険小説(的なもの)」という括りの認識が、ぼんやりと何となく広まっちゃっただけじゃないのかなー。
 ついでに言うと、「読ま死ね」初期の頃の日本版プレイボーイ誌周辺って、あの落合信彦や柘植久慶の全盛期ともある程度時期が被っていて、「冒険小説」の受容にも「ハッタリ上等、とにかく人生は楽しく面白くなきゃ」的なムーブメントの一環という色合いがあったようななかったような。これは冒険小説のせいなのか島地編集長(当時)のせいなのか開高健のせいなのか。