スズキの宇宙語練習帖

いわゆるひとつの雑記帳です。

Funalogue

2009-01-20 20:37:42 | サウンド
後退戦を強いられる。
凡ミス、見込み違い、原因不明の不具合などが、作業を進めるごとに発覚しつづける。こういう状態で士気を保ちつづけるのはなかなか難しいものがある。これまでに少々余裕をかましすぎた。しかし、計画や精神面におけるダメージコントロールを指南してくれる指導者というのは、なかなかありがたいものである。


・寂 / DJ KRUSH

最近は特にこのアルバムをよく聴いている。
ひとつまえのアルバム『深層』はテクノロジー的にどえらいことになっていて、とにかく衝撃的な作品だったのだけれど、2004年発表のこちらは、アコースティックな響きを大胆に取り入れ、静かに染み渡ってくるようなサウンドデザインを展開している意欲作だ。
森田柊山、木下伸市、内藤哲郎といった、紛うことなき一流の和楽器奏者とのコラボレーションを通じて製作されたトラックには、それぞれの在り方を確立したもの同士が織り成す、独特の緊張感がしんと漲っている。
タイトルの「寂」は仏教でいう涅槃の意味などがある。
京都の法然院にある谷崎潤一郎の墓に刻まれた墓碑銘もこの一字だ。

Circular Motion

2009-01-16 19:29:39 | サウンド
・某カロイド

新しいVOCALOIDは巡音ルカというらしい。
ルカ:ネアポリス空港にて意識不明でぶっ倒れていたスコップ紳士のことを自然と思い出させてくれる素敵なネーミングだが、公式だとlukaという表記なので、もしかすると東欧的なキャラクターイメージを持ってきたのかもしれない。ここは向こうの警官が持ってるようなサブマシンガンを持たせてみるのも一興かと思う。
デモソングを聴いたところ、陰りのあるタイプのボーカルで、アブストラクトな響きのダウンテンポなんかと相性がよさそうな印象を受けた。近頃は、クッキリシャッキリという時代の流れに逆行して、ひたすらに薄暗くマイナス側に振れるタイプの音楽ばかり聴いているので、そういうのも作ってみたいものだ。


・曲

ReaperとFL studioを導入したので、それを使って一曲作った。

siGrE(鏡音リンレン)

(歌詞は佐藤春夫の詩集を、逆ブレイクビーツして作った)
こういうスタンダードな楽器編成の曲に取り組んだとき、全ての作業をヘッドフォンで済ませると、最後にスピーカーで出来上がりを聴いてみた時点で、ミックス面の大きな失点が判明する、という失敗をしょっちゅうしていたのだけど、今回はなんだか以前よりも少し纏まって聴こえるように作れてきた実感がある。嬉しい。
ただし、きちんと確信を持って耳で作業できる環境を作らないうちは、まだ次の段階へと踏み出すわけにはいかなさそうだ。春になって引越しをするまではヘッドフォンしか使えないので、サウンド自体は無難さ重視の方向に抑えて、ある程度スコアで押す方針をとろうかと思う。何をやるにせよ、今はこなしておくべきと感じることが山積みなので、じわじわと攻めていこう。
ソフト関係で少し困ったのは、プロジェクトファイルを立ち上げた時点で、reaperからrewireしているアプリが自動的に呼ばれるんだけど、そのときに、なにか相性問題のあるvstプラグインがささっていると、ノイズをひとしきり吐いた後にアプリが強制終了してしまう問題があったこと。
使っている時は大丈夫なんだけど、セーブしてから再度立ち上げた場合は、その立ち上げのときに落ちることになるので、結果プロジェクトファイルが開けないという悲劇が起こる羽目になる。
安定するまではあまり大掛かりなことをreaper側でやらないほうが無難なようだ。

あとはファイル書き出しのときに44.1kHz以外の周波数を使うとFL-studioが強制終了するということがあった。これはFL側の設定をいじるか、あるいは別途FLの出力をオーディオに書き出して貼るなりすれば解決できそうな気がする。

明けまして、

2009-01-05 22:17:42 | 随想
明けました。
わたしのおせちは魚肉ソーセージでした。

No Disco City

2008-12-19 18:51:11 | サウンド
・レオパルドン

ニコニコ動画などの登場する、はるか以前から既に、吉幾三やらスパイダーマンやらのヤバさに着目していた、川崎の快男児ことレオパルドン
彼らの先走った感性を信頼するなら、次の手堅いサンプリングネタは「洋画の日本語おもしろ吹き替え」か。
・・・とも思うが。想像するになかなか難しいかもしれない。
やはり凄いなあ。


・サウンド充への道

先日、円高ドル安の流れに乗じて音ソフト周りを強化した。
reaperizotopeのエフェクタ三種とFLstudio(英国製、じゃなくてベルギーだた)を購入。
reaperは50$という低価格ながら評判が高いので導入。
ちょっと触ってみたところ、カリカリチューンな気配を感じさせる軽快な動作で感激。
FLstudioはマルチコアにさっぱり対応していない気配だが、オーディオデータの過激加工への簡単アクセスや、飛び道具感満載のエフェクタ群など、アンフェアな作りが実にたまらない。
音質的にもわかりやすい迫力がある。
izotopeは音で遊ぶ用。
自分にとってはそれぞれ満足度の高い製品だ。
が、残念なことに現在は無事に年を越せるかも怪しい状態であるため、本格的に触れるのはまだまだ先のことになりそうだ、しかししかし。


・openCL

openCLの仕様が公開されている。
GPGPUやDSPといった非ノイマンなハードウェアのポータブル利用を可能にするAPIとのことだが、環境が整備され、普及すれば、音周りでも面白い製品が登場するのではないか。
これまでにもDSPトランザクションを外部ハードウェアに投げるようなプラグインはあったようだけど、これを受けてさらに手軽で安定したものが出てくるとよいなぁ。
その次の段階として、ヘビーデューティな計算に基づいて、狂った音を出すような変体的な製品が出てくるとよいなぁ。

関係ないけれど、LabViewがやってるみたいな、FPGAにハードワイアード・ロジックを構築するようなプラグインがそろそろ登場しないものか、とも思う。

Daisy Bell (Bicycle for Two)

2008-12-12 21:10:19 | サウンド
先ほど図書館にてユリイカ増刊の初音ミク特集をざっと眺めてきた。
もっとしっかりと読み、せっかくなので思うところをなにか言葉、あるいは音にしてみたいとは思うのだけど、ただいま若干ながら状況に追われているため、それはまたの機会にまわさざるを得ない。

ただしひとつだけ覚書。
自分にとっての"歌うコンピュータ"を象徴する、ある一曲について。

当該誌の別個な寄稿において、マックス・マシューズ博士による、人間の喉を模倣することで歌唱を行うIBM7094のプログラムについて、および映画"2001年宇宙の旅"に登場する宇宙船コンピュータHAL9000について、それぞれ言及がなされていた。
前者のIBM7094は実在し、もう一方のHAL9000は架空のものであるが、彼らはある同じ一曲を歌っている。
Daisy Bell (Bicycle for Two)だ。

デイジー、デイジー どうか答えておくれ
僕は気が狂いそうなほど、きみへの恋に夢中・・・

暴走の果てに強制停止させられるHAL9000が、うすれゆく意識(?)のなかで歌った一曲として非常に有名であるが、このシーンは映画の製作者であるアーサー.C.クラークとスタンリー・キューブリックが、取材に訪れたベル研において、当時そこに勤めていたマックス博士による"歌うコンピュータ"の話を聞き、着想したシーンだといわれている。
マックス博士はコンピュータ音楽における長老格といっていい存在で、たとえばかのMAX/MSPやCsoundなども彼の手によるシステムだったりする。
(追記:検索したところ、MAX/MSPについてはソフトウェアの名称のMAXが博士の名からとった、ということ以上の情報がなかったため、実のところ関連性については不明)
その彼が、世界で初めて機械に歌わせた歌が、件のDaisy Bellであり、かの映画では教育係の人間がこの曲をHAL9000に教えた、という設定になっている。
人間によって破壊され、動作を停止させられるコンピュータが、最後に発した音声が人間によって伝えられた歌であった、というシチュエーションからは、なんとも切実な感触を受ける。

そしてボーカロイド楽曲にもそのようなテーマを選択した作品が多数あるということで、そのあたり非常に興味があるのですが、自分自身がボーカロイド関係にまだ疎いため、ココロと初音ミクの消失というメジャーな2点を、つい先日観賞にしたばかりというビギナークラスに留まっております。

というわけで、、「これ見ときや」というのがあれば是非教えてください。

(とりあえずDaisy Bellで検索したら、当然のように動画発見。
これ、元祖ヤンデロイドともいえるのではないでしょうか。
この曲自体は、その後も様々な映画においてオマージュ的に歌われ続けています)

dentaku

2008-12-04 01:56:23 | 随想
・VOCALOID

青土社が初音ミクについてユリイカ増刊で一冊出すとのこと。どんな記事なのか、楽しみだ。読んで認識が改まる前に、今の自分の考えを簡単に記録してみる(初音ミクじゃなくてボーカロイドについてだけど)。

ボーカロイドについては、最近まで自発的に曲を聴いたことすらほとんどなく、ムーブメントについても、ちらほらネットで目にする程度以上には把握していないという状況だったのだけど、今年の9月にがくっぽいどを衝動買いし、そして自分で使いつつ人の曲も聴いてみたりしているうちに、これがなかなか面白く愉快なものだということが分かってきた。
感じたことを、いくつかの観点から言葉にしてみると・・・

1.端的に音源として面白い

音色がひとつのシーンを作る、という現象はTB303=アシッドアーメンブレイク=ジャングルみたいな例がこれまでにもあるが、ボーカロイドはずばり「歌」をターゲットとしているがために、楽曲フォーマット(ジャンル)を縛ることなく、ボーカロイド曲として音楽を作り、ボーカロイド曲として音楽を聴く人々を、一定規模で求心することに成功しているように思える。
「ボーカロイド曲として」という枕言葉については、少なくとも自分の場合だと、どうやら作るときも聴くときも、無意識にそのような態度で作品に接しているようであるし、明確にそうした意識で曲に接したほうが色々と発見があった気もするので、使ったもの。
ちなみに自分が初めて聴いた初音ミク音源はこちら

2.便利

歌モノの曲先型製作フローとしては、だいたいのところ

メロディ作り⇒歌詞作り⇒録音⇒音作り

というような経路をたどることが多いと思うのだけど、人間が生録する場合、これらのプロセスは基本的に非可逆なものと考える必要がある(ただしauto-tuneとか使えば、ピッチだけは録音後にもある程度操作できる?)。
しかしボーカロイドを使えば、上にあげた4つのプロセスを自由自在に行き来しながら音楽を作ることが出来る。つまり、各段階をクローズせずに並列作業できるわけで、(そのことが純粋に喜ぶべきことなのかは留保するにしても)製作の途上にあらわれるいくつかの時間的な制約を取り払うことが出来る。このことはデモ製作用ラピッドプロトタイピングツールとしてもボーカロイドが活きる、素晴らしい特徴だと思う。
とはいえ、しっかり歌わせることを目指した場合、いまのところ時間効率は途端に逆転してしまうのだけれど。。とりあえずエディタの編集機能があまりにもプアなので、ユーザー的には、そこをまずなんとかして欲しい。
ちなみに自分の場合は、エディットするほど不自然な歌唱になってしまうという業を抱えているようなので、一曲通してすべてのパラメータをほぼ一定にする、いわゆる無調教で通している。
こうもエディットが上達しないのは、ひょっとして自分自身、絶望的に音痴だからなのだろうか。


3.キャラクターの一人称を使える

歌詞の言葉に劇場的な物語性を持ち込んだ場合でも、全体としていい感じに成り立ってしまうのが強い。人間が人間として歌った場合だと、表現にリミッターがかかってしまうような、キャラクター性やサイボーグ感、あるいはファンタズムに溢れたモチーフであっても、きっちりと登場人物の視点に巻き込まれて歌いこなしてくれる。
常時「みんなのうた」的な不思議な訴求力が付与されているような印象だ。
これはボーカロイドならではという感じがするので、いつか自分もやってみたいことではあるのだけど、物語に対する感度や作詞、作編曲技術の不足により「やりたいけどできない」という状況なのが歯がゆい。

まぁそんな感じがいままで使ってみて、聴いてみて受けた印象のだいたいのところ。ちなみに自分が今まで作ってみたボーカロイド曲はこちら。タイトルや歌詞は割りと元ネタありき。


・Tracktion3メモ

ソフトを最新版にアップデートするとQ6600でばっちり動いた。が、オーディオの書き出しデータが毎回微妙に異なるなど、ソフトの基本的な機能に関する信頼性には、相変わらず不安がある。
また、デフォルトで付属しているMDAプラグインの"degrade"と"multiband comp"を、ひとつのプロジェクトで複数使用すると、コンテクストエラーを吐いてDAWが落ちる。
いまさらSP-1200よろしいビットクラッシュもないかとは思うが、コーラスのキャラクターを変えるのにdegradeをうっすらとインサートしたりもするので、このバグは痛い。

The World Became the World

2008-11-25 22:38:56 | サウンド
生存報告代わりにここを更新すると宣言したものの、残念ながらこのザマだ。
思いつきでもメモでも何かしら書いていこう、これからは。


・ボーカロイド

あ…ありのまま 起こった事を話すぜ!
『キーボードを買いにヨドバシカメラに寄ったら
ボーカロイドシリーズ、鏡音リン・レンを買っていた』
(以下略)

ボーカロイドは新しいが出るまで待とうと思っていたのだけど、つい目に付いたので衝動買いしてしまった。がくっぽいどの時と同じパターンだ。思い出すと、あのときは販促ポップに書いてあったGackt様の煽り文にやられたのだった。
予定通りキーボードも購入した。英語配列のHHK lite2だ。意外とDTM向きかもしれない。机の上がすっきりする。


・Zang Tuum Tumb!

ZTTレコードのラインナップが再発。
本格的な日本語サイトも出来ている。
ここ数年はショップに寄れば必ずといっていいほどZTT買い(レーベルがZTTなら無条件で買うこと)、あるいはトレバー買い(プロデューサーがトレバーホーンなら即買いすること)している身としては、嬉しい悲鳴である。
なぜかユニクロでTシャツも。
どうせなら、かの有名なFrankie Say!ってロゴも欲しかったかな。


・Rimfaxe(魔法の馬) / Gjallarhorn(ヤァラルホーン)

このアルバムは素晴らしい。
スカンディナビア系のトラディショナルミュージックをルーツにもつバンドのなかでも、独特のアンサンブルを聴かせてくれるGjallarhornだったけれど、この4枚目となるアルバムでは低音担当の楽器奏者が入れ替わっており、いままでとは、また毛色の違った音像を見せてくれる。
今作ではブルース・スウェディーンがミックスを担当(クレジットにはMixing and Sonic Design、とある)、Gjallarhornの楽曲の魅力を余すところなくCDというフォーマットにパッケージングしている。
ブルース・スウェディーンは長年マイケル・ジャクソン作品の音作りに関わってきた人物だ。その研ぎ澄まされた耳と技術が、パーカッシブな要素やオーケストラルな要素を自然にバンドの音に溶け込ませ、作品の魔術的な空気を増幅し、アルバムをとても斬新な仕上がりにしている。
すごい。唖然とする。

Prebuild (808state)

2008-11-01 22:58:14 | サウンド
・trick or treat!

金曜日に仕上げたコードが、サーバクラッシュとともに吹っ飛んだでござるの巻。早朝から終業までコーディングしたものを、最適化処理にぶちこんで意気揚々と帰途についたところ、その晩、魑魅魍魎の呪術にかかりサーバのHDDがご臨終した模様。レポートを見るに、ミラーリングデータは金曜早朝のものになるようなので、つまりまる一日分の時間と集中力がパーになってしまった。連休明けに、少なくとも動作するコードがないとプロジェクト進行にダメージが波及すること必至のため、連休のどっかで作業しないとまずい展開だ。作業分量の多かった日はきっちりリスクを認識して、ローカルにも保存しておくべきだということを思い知ったでござる。というか、そもそも自分の作業進行が普段から遅すぎるからこういうことになるのですね。


・tracktion3

tracktion 3というソフトを使って音楽を作っているのだけど、微妙な不具合があるのでちょいと書いておくことにする。
CPUはIntelのQ6600、ソフトのver.はリテールパッケージのDVDそのまま。
(最新版については、今作ってる曲が出来たら試してみる予定)

VSTを使うとき、複数のmidiトラックからコントロールする目的で、rackfilterでwrapして並べて使うことがよくあるのだけど、そのときにsettingsでマルチプロセッサの使用コア数設定が2以上だと、ノイズがひどいことになって使い物にならなくなる。2コアまたは1コアにすると収まる。いったい何が起こっているのか気になる。DAWのスケジューリング・ポリシーってどうなってるんだろう。
ま性能に不満がでてきたらQ6600をオーバークロックして3.0GHzでまわす予定なので、現状とくに不満はない。(そうしてリスクをかかえこんでいく)

tracktionに関してはニコニコ動画にタグがあったのでリンクしてみる。
実は80ドルのシェアウェアとして発表されていた時代からtracktionを使ってたり。ひとりで全部作っているという点が、非常に気合が入っていて素晴らしい。

Visions of China

2008-10-18 23:04:41 | 随想
・ご挨拶

去る10月13日、M3にてHeliodor Recordingsのブースへお越しいただいた皆様、どうもありがとうございました。
また、このたびはブースまで足を運んでいただいたにもかかわらず、お客さまのお求めになられた作品をこちらでご用意できていないという場面がありました。
この件について、大変申し訳ありませんでした。
必要な数を把握し、準備できなかった事態は、ひとえに私の努力不足によるものです。今後はこのようなことのなきよう、しっかりと準備してイベントに臨みます。

近日中に、新作および旧作について、委託による通信販売の準備を整えてまいりますので、今後ともHeliodor Recordingsをよろしくお願いいたします。





・中国行

私のイベント不参加についてですが、ちょうどそのタイミングで用事が入り、連休から今週の水曜にかけて中国まで出向いておりましたため、製作したものを皆様に直接お渡しすることが出来ませんでした。あと、ビッグサイトにおける地域総合防災力展への不参加も同様の理由です。ここに書いてもアレですが。
以下は中国の覚書になります。


・人について

今回、出会った人たちは、とにかく呑みまくっていた印象。たとえ仕事中であってもランチにはビールを飲むし、さらに夜は宴会ともなれば、ぶっ倒れるまでアルコールを摂取するというフルコンタクトぶりを発揮してくださる。
中国式の乾杯(かんぺー)は基本的に一気飲みで、白酒とよばれる焼酎を小さなグラスでぐいっとやる。そしてグラスが空になったことを席の一同に示すため、グラスを逆さにして振ってみせる。この乾杯コールは、誰かが自己紹介をするなど、頻繁なタイミングで行われるため、一通り挨拶が終わった時点でかなり酩酊しているという状態になる。そのあとも無限に酒が注がれ続けるので、ごく自然ななりゆきとしてゲスト、ホスト双方に負傷者がでる。
しかし、現地人いわく「それはわりと普通。」らしい。
そのへんのハードコアっぷりを除けば、今回あった人たちは皆、親切で面白い人が多かった。向こうでは英語が通じないことも多いので、ディープに色々な話をしたければ、中国語は必須かもしれない。今回は指差し会話で乗り切った。
それはそうと、名探偵コナンは中国でかなりメジャーらしい。


・街について

今回は北京と青島をまわってきたのだけれど、基本的に日中はdoor to doorだったため、ほとんど中国らしいところは見れなかった。が、夜の北京は面白かった。
昼に車から町並みを眺めたときは、別にそれほどグっとくるものはなかったのだけど、夜になると町並みの全てがブレードランナーやAKIRAのようなサイバーパンク風味になって、とても楽しい。
日本ではありえないような幅をもった高層建築がズラっと立ち並び、煌々とネオンを輝かせている。その光がスモッグで汚染された夜気に色をつけて、実に妖しい雰囲気をかもしだす。ビルの隙間の裏通りには飲み屋や屋台が立ち並び、なんともいい匂いを放っているのだが、よくみると売られているのはサソリだったりして。
朝は、かなりはやくから店が開いているので、ゲームとCDが売っている店に寄って、適当に購入してみた。旅先で音楽を買うのはいつも楽しい。
ただし、おそらく今回買ったのは、いわゆる海賊盤というやつで、中身はユーロビートみたいのがたくさん入ったのとか、向こうのポップスをたくさん集めたのとか、そんな感じのものだった。

God Knows

2008-10-05 19:32:39 | 随想
ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの小説『虚数』のなかの、"ビット文学の歴史"という一章において、いわゆる神の存在証明について言及したようなくだりがある。次のようなものだ。
(ただいま本が手元にないため、以下、誤りや勘違いが混入しているかもしれない点については、あらかじめご了承を。)

情報学的な手法によって人間の文学を分析する能力を持った人工知能が、その分析対象として、天啓を通じて神とのコミュニケーションを行ったと主張する宗教者を選んだ。その人工知能は、彼が啓示体験の前後にあらわした文章それぞれを、お得意の情報学的な分析にかけてみた。ところが、その宗教者が文章をものした時点における啓示体験の有無にかかわらず、彼の文章に含まれる情報量にはさしたる差異が見られなかった。全知全能の神とは、無限の演算能力を持つ存在であり、無尽蔵の情報源であると考えられている。そのような情報源の存在を確信するためのプロセスにおいて、なんらかの本質的な情報量の増加が受け手に伴って然るべきであるが、分析によると、天啓によって彼が本質的に新しい知識や知恵を得たということは、どうやらなさそうなのである。したがって、受け手における情報量の増加が確認されない啓示体験を、全知全能である神の存在を論ずる材料とすることは、少々疑わしいことなのではないか、と人工知能は結論する。
(ちなみにこの人工知能は、ドストエフスキーの全著作を分析し、得られた情報をもとにドストエフスキーが本来の遺作の次に書いたであろう小説を構成してみせ、世界中の文学評論家から「ドストエフスキーすぐるw」という評を引き出すほどの実力の持ち主、という設定だ。)

上の論理でポイントとなっているのは、無限の演算能力や人間には知りえない情報を持つものの存在を、なんら知識の増加を伴わない方法で確信することは不可能ではないのか、と考えた点にある。
実はこの点については、対話証明(Interactive Proof)と呼ばれる数学的方法によって、なんら知識の増加を伴うことなく、自身が知りえず、かつ導きえない情報を対話相手が知っているという事実、あるいは対話相手が無限の演算能力をもつという事実を確信することが、状況によっては可能であるという結果が得られている。正確には、そのような状況を作り出す数学的問題、および対話プロトコルを構成することが可能であるという結果が知られている、というべきか。
(虚数の発表は1981年、対話証明の論文誌発表は1985年)

問題がスケールダウンするので、もはや神の存在証明とはあまり関係ない話になってくるが、以下、対話証明について少し。


・対話証明

この対話証明の論法自体はわりと単純な構図で、おおまかな証明スキームは、検証者(上の場合では宗教者)と証明者(上の場合では神)が交互にメッセージのやりとりをし、その結果から検証者は証明者の能力に対する確信の確率的度合いを徐々に高めていく、という手続きによって成り立つ。
具体的には、相手の持つ能力Aについて確信を得たい場合、その能力A抜きでは、ある値以上の確率で、その両方に正しく答えることはできないという性質を持つ複数の問題を構成する。最初のターンで検証者は証明者に対して、それらの問題のいずれかをランダムに提示する。続くターンで、その問題を受けて証明者はその解答を検証者に提示し、検証者はその解答を自身の計算能力の範囲内で検証する。そして、その検証結果により確信の度合いを見積もる。以上のプロセスを結論(能力Aに対する確信の度合いが100%あるいは0%近くに収束すること)が得られるまで反復的に繰り返す。

対話証明のバリエーションには、暗号やユーザー認証などのセキュリティ用途に用いられる、すべてのNP完全問題について構成可能な「ゼロ知識証明」と呼ばれるプロトコル(証拠=NP完全問題の解そのものを検証者に知られることなくして、証明者は「証拠をこちらが知っている」ということを検証者に納得させることができる)や、NP完全問題よりさらに難易度の高い問題(結論に対する簡潔な証拠を提出できない問題。例えば、あるNP問題の解の非存在を示す問題)を、演算能力において証明者より大きく劣った検証者に納得させることの出来る「アーサーvsマーリン・ゲーム」などが興味深いものとして知られている。

ゼロ知識証明(wikipedia): グラフにおけるハミルトン経路を証拠として、ゼロ知識証明を行う例が示されている。
グラフの同型性の判定とハミルトン経路の探索は、ともにNPに属する問題であり、証明者は答えを知っているか、あるいはNPクラスの計算能力を持っていなければ、提示された2種の問題に実際的時間で解答することはできないということがポイントになっている。

アーサーvsマーリン・ゲームの漫画: アーサーの求める条件を満たす解が存在しないことを、無限の計算能力を持つマーリンが、限定的な計算能力しかもたないアーサーに納得させる。
このプロトコルを使うと、2つのグラフの非同型性(同型性の場合における対応表のように、簡潔な証拠を提示できない)なども、検証者に納得させることが出来る。