かけがえのない天使

「障害児」ではなく「1人の子供」として。。。

脳性まひの子供から教えられた事

やっぱり子供にはかなわない!

2007年08月27日 | おともだち
以前の記事にも書きましたが

子供達はれんに

私が思いつかない沢山の経験をさせてくれます。


花の蜜を吸わせてくれたり

細い細い路地で遊んだり

秘密基地に行ったり

子供の時にしかできないたくさんの経験を・・・


私も同じ事を子供の時にしていたはずなのに

大人になると悲しい事にすっかり忘れてしまっている・・・


そして、子供って大人が考えもつかない事もたくさん思いつく。


その柔軟さ

発想の豊かさにいつも関心させられます。



これは、お友達と一緒にショッピングセンターに行った時のこと。


お友達がカートを押しているのを見て

「れんもカート押してみたい!!!」と言ったので

お友達がれんの前にカートを持ってきてれんが押し

そのれんをお友達が押してくれて・・・


れんはご満悦。

ほんと子供ってすごい!


私だったら

「もうそんなんできないから止めとき!

と怒っているところ。


だから、れんもお友達と一緒にいる方が

私といるよりも楽しいんだろうな~て思う場面でした。


でも、考えたられんは

こんな何気ない経験もしていないっと言うか

させて来なかった。

思いつかなかった。


T君いつもありがとう

成長したなぁ~

2007年08月24日 | 私の天使 
今回、初めてれんの身体にメスを入れました。

足や機能回復の為ではなく、

停留精巣の手術で・・・

下腹部とタマタマの袋をチョコっと切りました。


本人やお友達には

「お腹を切って悪い所を治してもらう」と説明しています。


このお年頃だと「タマタマの手術」なんて言うと

お友達に面白おかしく言われかねないし


1泊2日の簡単な手術なんだけど

全身麻酔なのでさすがに前日は心配で私は一睡もできませんでした。


でも、れんをビビらせてはいけないと

以前からプラスイメージを吹き込んでいました。


そしたら、れんは当日まで入院がとっても楽しみな様子。

病院につくなり看護婦さんや先生に

「どんなお部屋?今日の晩御飯はなに?」と

まるで旅行気分

まあ、怖がるよりいいっか・・・


そして、手術も無事済み

退院の時、自分のタマタマを見て

「お母さん、お腹切ったはずやのに

    俺のキン○マも紫になってるやん!」

と言うので

「お腹切ったときに、先生が手すべらせてバーンとぶつけはってん!
 
    それで青あざできてるねん。」

と説明したられんは大うけ


とってもとっても納得したようでした


でも、今回の手術ですごく成長したな~って思ったことが・・・


1つは痛くてもわあ~わあ~泣くんじゃなくて

「痛いけど我慢する」とか、「お母さん横にいてなくてもいいで」とか。

今までの泣き虫れんとは思えない位!!!


それと、長い時間私が病室を離れなくてはならない時

看護婦さんの呼び出しブザーを自分で押して

看護婦さんを呼んでおしっこをさせてもらっていてビックリ!!


今回の手術でれんの成長をとっても感じる事ができました


れんの事、いつまでも赤ちゃん扱いして

お母さんの方が成長してないね


海へ

2007年08月19日 | 私の天使 
海へ行ってきました。

れんは学校のプールは嫌いだけど

海はだ~い好き!!!


「唇の色、悪くなってきてるからもう出ようよ」と言っても


「もうちょっとだけ!」


なんていってなかなか上がろうとしない。


れんは、海の他にもお弁当も目当てです。


普段はあまり食欲のないれんも

この時は嫌いな物も食べれたり

沢山食べれたりします。


ただ、体温調節ができないので熱中症が怖いけど

その事に気を付けながら

できるだけ連れて行ってやりたいと思っています。


また、行こうね~


ウルトラマンのライブ

2007年08月16日 | 私の天使 
今年のお誕生日のプレゼントは

「ウルトラマンのライブ」のチケットにしました。


そして、行ってきました!

もう2時間興奮しっ放しでした

歌のライブにゲームにウルトラマンと怪獣のショーにと。。。


ショーではウルトラマン全員が出てきて興奮もピークに!!!

れんの絶叫ぶりに、前列の人もタジタジでした


でも、私もれんのその喜びぶりを見てとってもとっても満足


れんも

「来年も絶対のぜっ~~~たいに来たい!」

と興奮していました


お誕生日おめでとう

私のところに生まれてきてくれた意味、その2

2007年08月10日 | 私の天使 
そして、もう何でもいいや!と投げやりになっていました。

そして、そんな事をすっかり忘れていた私に

れんが授かりました。


正直、障害を持っている事を知った時ショックでした。

落ち込みました。

何故、自分の子供だけ障害を持たなくてはならないのかと・・・

れんの将来が不安で不安で堪りませんでした。


でも、何故不安になるのか?

それは、自分が「障害者」の事を全く知らないからだと気付きました。


それからは、障害を持った人が居そうな所をウロついて

とにかく話しを聞きたい、友達になりたいと思いました。


本当に沢山の方をナンパしました(笑)

家にもお邪魔しました。


そうして、接していく中で


「あっっ、この人達って特別な人じゃないんだ」


ってことに気付かされました。



確かに大変な事はいっぱいいっぱいある。


私達には解からない辛さもいっぱいあるでしょう。


だけど、同じような経験をし

同じ様な事で怒ったり泣いたり笑ったり・・・


障害者である前に同じ人間なんだって・・・


何も、神様とか自分達とは違う「特別な存在」って

考える必要なんか無かったんだって・・・


あ~~~

もしかして、れんは

私が13歳から出せなかったこの答えを教えてくれる為に

私の所に生まれてきてくれたんじゃないかなって。。。


れんありがとう。。。

お母さんに気付かせてくれて。。。

生まれてきてくれて

ありがとう。。。


8歳のお誕生日おめでとう


私のところに生まれてきてくれた意味、その1

2007年08月08日 | 私の天使 
今日はれんの8歳のお誕生日。


この8年本当にいろんな事がありました。

れんが生まれてきてくれなかったら

経験できなかったこと、出会えなかった人達・・・

れんに感謝です。


でも、れんが私の所に生まれてきてくれたのには訳があるのです。


それは、私が13歳の道徳の時間までさかのぼります。

その時間に「障害者の人をどう思うか」と先生が質問しました。

私は「かわいそう」と答えました。

他の子も全員そう答えました。

その時代、町で楽しそうに過ごしている障害者を見たことがありませんでした。

というか、町で見かける事が無かったなあ~

たまに見かけると、みんなで募金を呼びかけている姿・・・

とても幸せそうには見えませんでした。

だから、子供心に「かわいそう」としか思い浮かびませんでした。


でも、先生は

「可哀想とは違う!

  可哀想っていうのは、その人を見下げてるから出る言葉。

 今、答えを先生は言わないから、自分達で考えて答えを出しなさい」と・・・


私は、それからず~~~~~と考え続けました。

でも、いくら考えてもそれ以外考えられない!

でも、考えました。

そして、20歳位にやっと出した自分なりの答えが

「この人達は、今1番辛い修行をしている。

 だから、亡くなったら神様になるすごい人なんだって」

今考えたら、すごい失礼!1番辛い修行だなんて・・・

でも、もう考えるのが正直しんどかったから

そう思う事に決めた。


でも、25歳位の時、姉の知り合いが屋根から落ちて障害者になりました。

その時、私は自分のその考えを誰にも言うのが嫌でしたが

姉にだけ話しました。

姉の知り合いは

「俺は、神様になんかならなくていい!この世で、今幸せに暮らしたかった!」

と言ったそうです。

その言葉を聞いた時、自分の考えはやはり

所詮、他人ごとでしかなかったんだと気付かされました。

自分の中で、本当に心がガラガラと崩れる音がしました。

そして、もうショックで何も考えられませんでした。



続きは次回に・・・