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cafe de sou-ryu

ほっと一息
ちょっと休憩しませんか?

コジュート。

2010年11月30日 23時26分24秒 | I think so …
こんばんは♪
もうあと数十分で、11月も終わりですね。早いなぁ~。
…例年の事ながら、今年も1月が終わった頃から、
「今年も残すところあと300日少々…」と言ったりしてましたが
ホントにもう残すところもあと僅かになってしまいました^^
みなさまはこれまでの11ヶ月間はいかがでしたか?
今年はびっくりするような幸運に恵まれた方も、
残念ながら、これまでイマイチぱっとした出来事がなかった方も、
今年最後の1ヶ月に、素敵な出来事があるといいですね^^*
終わり良ければ全て良し。
12月もよい日々となりますように!


さて。
みなさまは、人に何か言いにくい事を伝える時、
すぱーんとストレートに伝えますか?
それとも極力遠まわしに伝えますか?
今日のお話は、タイトルをご覧になって、
お分かりになった方もいらっしゃるかもしれませんね。
コジュート=小姑。
リアルでは弟も独身なので、まだ本物の小姑ではありませんが、
先日、ちょっとした小姑気分(?)を味わった宗流…。
今日のお話で、みなさまがドン引きになられない事を祈ります。。(汗)


女性の方は、お客様にお茶を出される機会って多いかもしれません。
私も会社にお客様が見えた時は、お茶をお出しする事があります。
そこで…先日あったお話です。

みなさまはお客様が見えた際、座布団をすすめる時の置き方って
気にされる方でしょうか?
宗流…実はとても気になります。
表裏はもちろん、前後を正さないと何だか落ち着きません。
お客様の方からそれを指摘された事はないのですが、
自分が気になるだけの事です。
言ってみれば、習慣のようになっている事なのかもしれませんね。
お茶の淹れ方一つにしてもそう。
それはかなり日常の事としてはどうでもいい事なんですが
やり方は人それぞれと思う一方で、お客様の前での人の所作を目にした時、
最低限の事に関しては少なからず気になってしまいます。
そして、それが人の所作であるがために指摘していいものかどうなのか、
とても迷ってしまいます。
こういうのを一般的には「余計なお世話」というのかもしれませんが^^;


座布団もお茶も、セッティングという結果だけを見たのなら
さほどどうという事もありません。
けれど宗流が気になるのは、接したお相手がそうした事に厳しいかどうか。
何も仰らないにしても、どこかで見てらっしゃるかも…という
瑣末な懸念があるからです。
でも、そんな取るに足りない事など、ただの杞憂なのでしょうかね。


宗流の実家は神社で、祭事などでお客様がとてもたくさん見える事もあります。
数十人分の座布団やお膳を並べたり、お茶やお酒を用意する機会も多いんですね。
ですから、私は子供の頃からよくその手伝いをしていました。
実家の母親は、普段はのんびりとして小言などまず言わないのですが、
お客様の座布団の並べ方、お茶やお菓子の出し方、生花の選び方などに関しては
細かに教え込まれた気がします。
いざ表でそうした場面になった時に困らないように…との事だったでしょうか。
実際にはそうした機会などそう度々はないのですが、
それでも大人になって助かったと思う事は、今思うと幾つかあったように思います。
そういった点では、私は母にひっそりと感謝しています。


けれど自分より年長の人に、目についたその中の基本的な事を伝えるとなると、
とてもやりにくいと感じてしまいます。
自分の方が会社では先輩とはいえ、それまでのその人のやり方もありますものね。
結果的に…最低限の事は伝えたものの、どこか自分で小姑の小言のような気がして
どうも数日後のいまも何となくいい気持がしません^^;
それに変化が見られない所をみると、そうした事は大した事ではないのかもしれません。
でも、それがまた余計な事を言っちゃったかな、と思わなくもないんですよね。
ションボリ…。


人をもてなすという気持ちは、何も高尚なものではないと私は思います。
ましてや形式だけを重んじる事に、気持ちがついてくるとも思いません。
でも、ほんの小さな気遣いがもてなしに繋がる事だってある気がします。
寒い季節、ほんのりと温もった湯呑で出されたあたたかいお茶や
暑い夏の日に涼しげな硝子の茶器で供された飲み物。
それらはたとえ上等のものでなくとも、気持ちがほっとします。
そしてお相手にそれを押しつけでなく、気取られないようにする事。
それが人をもてなすという事なのかな、そんな風に思います。

とはいえ…こんな事は、現代では必要のない古めかしいものなのかしらね。




宗流

シアワセノカタチ

2010年10月22日 23時10分43秒 | I think so …

こんばんは。
今週も一週間が終わりに近づいてきましたね。
みなさまの今週はいかがでしたか?
いい一週間をお過ごしだったでしょうか^^

私は週四十時間労働からもれ、明日も残念ながら(?)お仕事です。
週末の解放感は明日の夜に持ち越し。。
今週も明日もう一日頑張ります!!



さて。
明日はお休み!という前日の夜はこの上ない幸せを感じる宗流ですが
みなさまはどんな時に幸せを感じられますか?
美味しいゴハンを頂いている時、好きな音楽を聴いている時、
眠りに落ちるその瞬間、好きな誰かを想う瞬間…
きっとそれぞれの人の数だけ、幸せの時や瞬間は存在するのでしょうね。
今日はそんな「幸せのカタチ」のお話です。


今日は朝から仕事の前に、幸せとは?という哲学めいたお話を耳にしたせいか
何となくその事が頭にちらついています。
「GNH」という言葉をお聞きになられた事がある方は多いと思います。
これは Gross National Happines の略なのですが、国民総幸福感ともいわれます。
簡単にいうと「みんなの幸せ指数」みたいなものなのでしょうか^^;
ともあれ、これは金銭的なものや物質に対してのものではなく、
精神的な豊かさをさすものらしいです。
でも誰かから唐突に「あなたは幸せですか?」と問われたとして、
「off course!!」と即答できるかと言われれば、私は少し考えちゃうかもしれません。


宗流は…生活水準が高いかと言われれば、エンゲル係数は高いし(?)、薄給(!)だし、
どう転んでも金銭的な事に関しては30代女子としてはビミョーなところです^^;
でも、曲がりなりにも仕事をさせてもらって、お給料を頂いて、
食べる事は賄えて、眠るお布団があって、好きな習い事ができる。
そういう視点から見ると、贅沢はできないもののクリアと言えなくもありません。
では精神的にどうかと言われると、先日のきもの検定の結果は心配なものの、
生命の危険があるわけでなし、健康に恵まれ、友人もあり、
心配してもらえる人があるという点では大丈夫なようです。
でも、「もっと」と思う気持ちもなきにしもあらず、です。
欲張りなのかしら^^;


私は何となくですが、幸せって掴みどころのないもののように感じています。
ずっとひと所に留まるものでもないし、犬が好きな人、猫が好きな人がいるように
一つの概念が誰に対しても当てはまるものでもない。
またようやく立ち上がった赤ちゃんが、やがては歩きだすように、
幸せも小さなものからだんだんに育つ場合もあるのかもしれません。
また、全体の平均からみて幸福感を得られる人もいれば、
何か一つ突出したものに満足感を得られる人もあるかもしれません。
仮にデパートやレストランで「幸せを一つ下さい」と言っても、
お店の人が困られるか、怪訝な顔をされるでしょうね^^;
はたまた、自分のHoneyに同じ問いを投げかけても、同じようなものかもしれません。
これらは単なる例えですが、そもそも幸せって自分基準のものですもの、
誰かがプレゼント包装して自宅に届けてくれるものばかりとは限らない気がします。
でも、掴みどころのないものなのに、漠然とそれを望むものなのかもしれません。

幸せのカタチってどんなものなんでしょうね?
さしずめ、カタチがあるのかどうかも私には解りません。
けれどふとした瞬間に笑みがこぼれたり、何かに目を細める瞬間は確かにあります。
穏やかな時間の中での一杯のコーヒーや、その年に初めて目にする雪、
一日の疲れを癒す適温のシャワーや、心地よい風が頬を撫でる時、
些細な不安が解消された時、寝返りを打った時に気付く腕枕や、
手をつなぐ親子の姿を目にした時など、その在処は不確かなものかもしれません。
もしかしたら、ささやかなものに目やこころを留める事、
それを人は「幸せ」とよぶのかもしれませんね。
そして、そう感じる事のできるこころの平静、それが幸せなのかも…。


難しい哲学は、宗流には全く解りません。
でも幸せだと感じる瞬間は確かにある気がします。
物差しや秤がなくとも、何となく幸せな気分は自分のこころの中で感じられます。
おめでたい考え方、と言われればそうなのでしょうが
眉間に皺を寄せて大きな幸せを模索するより、あ、これってHappy!!
と、思えるシンプルな感覚の方が私は好きです。
言ってみれば、チョコボールのエンゼルマークみたいなものかしら^^
何しろ、そもそもそんな複雑な感覚は持ち合わせてませんけれどね。


さて、みなさまは今日どんなHappyに出会われましたか?




「本日の cafe BGM ♪」


久々に今日はcafe BGM ♪を。
幸せという言葉を考えていたら、ふとこの♪が浮かびました^^
こんな風に誰かに思われたら、間違いなく幸せ、かもしれません。




HUMMING LIFE song by コブクロ



君のいう幸せのかたちは 僕の描いてたのなんかより
もっと単純でもっと身近な なんでもない事なんだと
なんとなく気付いた時 止めどなく涙が溢れた
大事な事 見失ってまで もう自分を変えたりはしないよ

どんな言葉より どんな優しさより
その笑顔に代わるもんなど 僕の中にはないんだ
どんな痛みより どんな悲しみより
君の涙ほど切ないもの 僕の中にはないんだ

どんな言葉より どんな優しさより
その笑顔に代わるもんなど 僕の中にはないんだ
どんな痛みより どんな悲しみより
君の涙ほど切ないもの 僕の中にはないんだ
心にそう刻んだ日から 何度転んでも
何度でも立ち上がれたんだよ…




What is the your happiness ?




宗流

Jack of all trades, master of none.

2010年09月21日 02時04分10秒 | I think so …
こんばんは。
始まる前は長いお休みだと思っていた連休も、
いざ始まってしまうとあっという間に終わってしまいました^^;
みなさま、連休はいかがお過ごしでしたか?
お出かけ疲れの方も、お仕事の方もお疲れ様でした~!


宗流の連休は、ほぼお勉強で終わってしまいました^^;
けれど、いざ試験まであと一ヶ月を切ってしまうと、
何となく気が焦ってしまって、嫌でも参考書を広げておかないと
落ち着かない気がしています。気が小さいんでしょうね…。
結果は神のみぞ知るところですが、もうちょっとやっておけば良かった、
と悔いが残るよりは、いまちょっと疲れる方がましですものね。
とはいえ…以前はちょこちょこ夜にお出かけする事も多かったのが
特に最近は仕事が終わるとお家に直行して、品行方正な生活を送っているせいか、
気付くとお腹がちょっと手触りのいいマシュマロみたいになってます(泣)
明らかな運動不足~!試験が終わったら、ジョギングを再開しなくては!
お勉強が身につくのは大歓迎ですが、ふわふわのマシュマロはご遠慮したい宗流です^^;


さて、本日のお話にまいりましょうか。
みなさまは何か、これ!といったお得意のものはおありでしょうか?
人それぞれ色々お持ちでしょうね。時々、実際にお会いする方でも
驚くような特技をお持ちの方だって多くいらっしゃいます。
私は…さて何かしら???
今日のお話は、器用貧乏のお話です。


最近、私はよく自分の得意な事って何だろう?って思います。
もし、自分の目の前に白紙の履歴書があって、
そこに何か特技を記入しなければいけないとしたら、何て書くのだろう?
そんな風に考えたりします。

…と、いうのも宗流、あまり特技らしいものがないんですね^^;


学生の頃は、何となく周りを知らないせいもあって、少し出来ることが
特技なのかなぁって思ってましたが、大人になるとちょっとだけ周りを
見る事が出来る分、自分の出来る事も大したことないって
思う事が多くなった気がします。
仕事に就くようになったのも、そう思う一つかもしれませんね。
お料理が好きだったから、自然と調理師の道を歩んだ事、
文章や絵・洋裁が好きな事が、今の仕事につながった事…
好きな事が仕事の一部になってしまうと、それは趣味や特技ではなくなっちゃう。
それが得意な人は世の中にごまんといて、自分がその中の小さな欠片のように
思えるのかもしれません。


人から見ればある程度、何でも無難にこなすように見えるそうですが、
あまりそれは自分にとって嬉しい事でもないように感じます。
何かのベースがあって、それを膨らませたり、違う方向に向かわせる事は
比較的得意なのですが、きらっ☆と光るような独創性のようなものが
随分欠如しているような気がしてなりません(泣)
(もちろん苦手な事も多くて、それは人が知らないだけで、
とても下手だったり、不得手な事も多いんですけどね^^;)
でも、贅沢な感情なのかもしれませんが、センスでも技術でも感性でも
たった一つでいいから、突出した何かが欲しい、最近よくそんな風に思います。


誰しもそれを望んで努力しているのでしょうね。
そして、それを手にしている人でも、もっと上を見上げている、
そんなものかもしれません。
きらめく星に手が届いても、なお宇宙の果てを望み手を伸ばすように。

頭ではわかっていても、その術がわからない。
でも、それだって誰しも感じる事なのでしょう。
誰かに訊ねる類のものでも、問いかけて解決する話でもありませんもの。
またその術は、命尽きる瞬間を迎えても、解らないかもしれません。

とはいえ、まだ色んな事を達観するほどの年齢でもないですし、
自分の伸びしろが全くないと思いたくもありません。
諦めが悪いといえばそうなのかもしれませんが、
それも私の得意なものの一つですしね。

よく私は会社の社長を始め色々な人に、器用貧乏と言われます。
それは良い意味でも、悪い意味でも確かにそうかもしれません。
自分でも解っているつもりです。
けれど、その中から何か一つでもいいから育ててみたい。
野心でもなく、大それたものでなくても、とてもとても小さなものでも構わない。
それを自分の強みにできるような、何かが欲しい、そう思います。
もちろん、それをどうするかは自分次第…なんですけどね。



さて。今日は久しぶりに宗流ゴハンです♪
今夜は、最近ふわふわのマシュマロが気になりつつ、
どーしても天ぷらが食べたくて、天ぷらに決定!
でも、ちょっとした罪悪感(?)を感じていたので、
今日は海老やお魚は諦めて、お野菜だけのシンプル揚げです^^
ちょっとだけ食卓も秋色に、満足気分の宗流でした。

ちなみに、かぼちゃやニンジンの緑黄色野菜に含まれるβカロテンは、
体内でビタミンAに代わり、身体の抵抗力を高めるものなのですが、
脂溶性の特徴があるため、油分と一緒に摂るのがオススメです^^






♪ かぼちゃと人参のかき揚げ
♪ しめじ
♪ まいたけ
♪ しいたけ
♪ なす
♪ ししとう
♪ さつまいも


そして、お友達のブログでおすしが食べたい!とのたまっていたので
ちょこっとお刺身を買って、一口おすし。
お家でおすし屋さん気分を味わいました。
こちらは画像を撮るのを忘れてしまいましたが、今日はマグロのおすしでした♪

しっかり食べて、明日からまた頑張らなくちゃ~^^v



宗流


夏ふたたび

2010年07月24日 00時11分35秒 | I think so …

こんばんは。

…暑いっっ!!
最近の宗流、表に出るとこの言葉しか出てきません^^;
全国的に暑い日々が続いていますが、みなさま夏バテなど
なさってませんか?

7月23日は二十四節気でいうところの「大暑」。
今日は立秋まで厳しい暑さが続く日々の入り口です。
どうぞみなさまも暑気あたりにはくれぐれもご注意くださいね。



さて。
暑さでぐったりとしている宗流ですが、先日の連休から
ほぼ毎日仕事の合間を縫って、来る10月17日に実施される
きもの文化検定のお勉強に励んでいます^^  

…実は、去年もこの検定の1級を受験したのですが、
合格率は消費税にも及ばない3%台…宗流、見事玉砕でした(泣)
今年こそ!とは思うものの、勉強って一朝一夕には身につかないものですね。。
でも、凹んでないで頑張らなくちゃ!
為せば成る、為さねば成らぬ何事も…が私の信条ですもの^^v


もしも…たまたまこちらにお立ち寄り頂いた、
今年受験予定の方がいらっしゃったらお互いに頑張りましょうね!
宗流も→こちら でおさらいを兼ねてお勉強をしております。
基本的なお話が中心ですが、何事もまずは基本ありき、ですものね^^



去年の今頃は…
それまでの仕事の中でも、一番の慌ただしさでした。
夏の売り出しに始まり、東京でのギフトショー出張の準備、社内の展示会の商品制作、
そこに日常の業務も加わり、お盆も土日もなくほとんど会社に出ていた気がします。
毎日の残業も半端ではありませんでしたね^^;
いつか暑さと疲れで倒れると思いましたが、人の気力って恐ろしいもので
気持ちが張り詰めていると、身体は疲れすら拒否するものだと初めて知りました。
たった一年前なのですが、今はもう随分前のような懐かしい気持ちです。

夏が過ぎ、仕事がひと段落してから、ようやくお勉強を始めたのですが、
時間も何もかもが不十分で、日々何かに追われるような気がしていたっけ…。
だから、試験が終わった途端、すごく悔しい思いをしました。
出来はもとより、やり残した感が強かったのでしょうね。
自分が学びたいと思っている事、必要だと思っている事に、
伸ばした手が届かなくてもどかしい、みたいな。



夏は楽しい出来事が待っている季節。
それまでずっとそう思っていましたが、ここしばらくはそうはいかないようです。
でも、いつかこの数年間が、眩しい季節の中で懐かしく思い出される、
そんな時間が来るのかな、そんな風にも思います。
何しろ、大人になってから学ぶ機会なんてそうそうなかった宗流ですもの。
そう思うと、ここ数年ほぼ恒例となったこの時間も、
まんざら無駄なものでもないや、とちょっと思ったりしています^^

ちょっと控え目な目標ですが、今年はやるだけやって、
まずは悔いのない夏を…結果はいつかついてくる、そんな風に思う宗流です♪



そして…。
去年の私を温かく見守ってくれたあなたに、心からありがとう。
今年も私は頑張りますよ^^v






「本日の café BGM ♪」


さて…まだ夏も始まったばかりですが、
今日はサザン大好きな宗流の独断で、夏の切ない♪を^^
でも暑いさなかに聴くには、このメロディーは◎!
ちょっと気持ちが涼しくなるような気がします。



真夏の果実   song by S.A.S



マイナス100度の太陽みたいに
身体を湿らす恋をして
めまいがしそうな真夏の果実は
今でも心に咲いている

遠く離れても 黄昏時は 
熱い面影が胸に迫る

四六時中も好きと言って
夢の中へ連れて行って
忘れられない Heart & Soul
夜が待てない

砂に書いた名前消して
波はどこへ帰るのか
通り過ぎゆく Love & Roll
愛をそのままに

こんな夜は涙見せずに
また逢えると言って欲しい
忘れられない Heart & Soul
涙の果実よ…





夏の陽差しが、素肌へ熱い日々の痕跡を残すように
ひと夏の出会いは、時に忘れ難い足跡を胸に残します。
波打ち際に残した足跡は、やがて波がさらってくれますが
胸に焼きついた夏の烙印は、いくら水を浴びてもなかなか消えず、
疼くような熱を冷ませずに持てあます…。
ひと夏の恋って、そんなものかもしれませんね。


それでは。
みなさま、熱く素敵な夏をお過ごし下さいね!!



宗流



光と闇

2010年05月09日 02時10分58秒 | I think so …


こんばんは。
本日の京都は朝からとてもいいお天気。
気温も陽射しも、少し早い夏を思わせるようなものでした。
もう少し、春の穏やかな風を楽しみたいものですが、
熱気をはらんだ風は駆け足で夏を目指しているのでしょうか。

…あっと言う間にGWも終わり、ようやく日常が戻ってきたと
思ったのも束の間、またもや週末。
なかなか元のサイクルに戻れそうにない宗流です^^;



さて。
今日はここからは少し真面目なお話ですが、途中まで読んで頂いて、
苦手だと思われた方は、どうぞスルーして下さいね。
…前回も若干元気に欠けたお話となりましたが
今回もどうも微妙な心持ちです。ゴメンナサイ。
こういう時って重なるものなのでしょうかね。。



宗流、先日ある邦画のDVDを観てからというもの、
なかなか気分がすぐれません。
それは体調がではなく、心境が、なのですが。
2008年の上映当時、マスコミにも大きく取り上げられたので、
もしかしたらみなさまの中にも、この映画をご覧になった方が
いらっしゃるかもしれません。


「闇の子供たち」
観終わった後あとまで、何とも言えない閉塞感が
胸を締め付けているような気分になりました。
それほど私には衝撃的で重い内容の作品でした。


私は映画のレビューを上手く伝えられそうにありませんので、
詳細な内容には触れませんが、この作品はタイの幼い子供たちの身に起こる
目を逸らしたくなる惨状を背景に、映画の主題となる軸が展開していきます。
子供である事、貧困である事、そんな理由で人間の人間たる権利が
何の存在意味も持たないなんてあるのだろうか?
またその逆であれば、どんな権利も得る事が赦されるのだろうか?
そんな解決を見る事のない問いが、今も胸に浮かんでは消えています。


私は普段、あまり理論立てて物事を考える方ではないように思います。
目で見たもの、肌で感じた事、感情が動く時の瞬間に頼りがちです。
その分、もしかしたら色んなものの許容量があまり大きくないのかもしれませんね。
そしてフィクション・ノンフィクションであれ、何らかの情報を得て
それが怒りや悲しみ、疑問や不信感へと変換された時に
うまくその整理がつかない時があります。
猫が自分の毛づくろいをして、その舐めた毛を毛玉として吐き出すように
私も心の中に溜まった毛玉を吐き出せればいいのですが、
物質として質量があるものではないせいか、
それはなかなか簡単にはうまくいかないようです。


陽が昇る事、光が空に満ちる事、闇が視界を遮る事…
それは地球の上に足をつける者の上にあるべき自然な事なのでしょう。
でも、それが当り前ではない現状が世の中にはある。
物に光が当たれば、反対側には影ができる、
でもそれは方向を変えれば光は影に、影は光に変わる。
でも、その方向が変わらない状況があるとしたら…
それは一体何を持ってすれば変わるものなのでしょうか。




【※ 本日の画像 すずらん】


ヨーロッパでは、この花を5/1に贈る習慣があり
贈られた人には幸福が訪れると言われているそうです。
また一般市場にはドイツすずらんが出回っているのですが
野生の日本種のものは「君影草」と呼ばれています。
ヨーロッパ種は葉から花軸が立つような形で花をつけるのですが
日本種のものは葉が花を抱き込むような形で花を咲かせます。
そこから上の和名がついているそうです。
宗流にはすずらんはどこかランプシェードを連想させます。
この花の届ける幸福が光に満ち、それが広く世界を照らせばいいのに…。




宗流


和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp


A thin thread

2010年04月21日 00時45分09秒 | I think so …


こんばんは。
本日の京都は朝から一日しとしとの雨模様のお天気でした。
雨降りという事も大きいのかもしれませんが、
今夜は夜帰宅する時、あまり人通りの多くない道を通ると
車の音も、人の話し声もほとんど聞こえず
とても静かな夜を感じました。
雨の音は、しとしととさやかな音を置いて行く代わりに
街の喧騒を連れ去っていくものかしら…。


さて。
そんな静かな夜を過ごしている宗流ですが、
今日のお昼はとても賑やかな来客がありました。
みなさんは全く見も知らぬ方に、思いがけなく自分と共通した点などが
あったりして驚いた経験などありませんか?
今夜のお話は、宗流のそんな一瞬のお話です。



宗流の会社は和装小物の中でも刺繍の半衿を主体に製造していて、
和装品の販売業者さん、レンタル・写真館の業者さん、
着物関係のスタイリストさんなど様々な方が、
和装小物をお求めにいらっしゃいます。
今日はそんなお客様の一環で、
とても大きな貸衣装関係の会社の社長さんが来社されました。
お名前は出せませんが、もしかしたら宗流のお話を読んで
頂いている方の中にも、そちらの会社でお世話になられた方が
いらっしゃるかもしれません^^


今日は初めてのご来店という事で、うちの社長がお相手を務め
宗流は傍で(…というより仕事部屋が一緒なだけですが)
そのお話を聞きながら、普段通りお仕事をしていました。


何だかちょっとワイルドな雰囲気のその社長さん…
宗流は勝手にスーツ姿の紳士を想像していたので
少し意外な感じがしましたが、何気なくお話を伺っていると
とても独特の審美眼をお持ちのよう。
そしてバイタリティ溢れるそのお話に、耳が引き寄せられます。

そしてある程度商談が終わりに近づいた時、
その社長さんが宗流に、ふと「それ、よく切れそうですね」
と話しかけられました。
宗流はその時、生地を切るのに大きな裁ちばさみを使っていたのですが
あまりに唐突なその語り口調に、おかしさを感じてしまいました。


「はい。よく切れますよ」
「僕は料理が好きで、包丁なんかは切れ味にうるさくて」
「私もうるさいかもしれません。この仕事の前には特にそうでした」


…という話から、宗流が元は調理師という話になったのですが
その中で、思いがけない人の名前が出てきました。


それは、宗流が以前働いていたホテルのキッチンで
お世話になった元上司のお名前でした。
その上司は今、この社長さんの関係する会社で、勤務されているとの事。
宗流はこの方とそのお兄さん(彼も同じ職場の調理師でした)
にとてもよく可愛がって頂き、
今も何かにつけてその時教わった事を思い出しています。
特にそのお兄さんは直属の上司で、公私ともに助言や相談のお世話になり
今も宗流の心の中で、尊敬する上司の第一人者として
大きな存在であり続けています。
私はそのお話を聞いて、当時の思い出が暖かく胸に広がるのを
心地よく感じていました。


その社長さんは宗流の元上司のご兄弟をとてもよくご存知で
思わず仕事の話が脱線し、当時の思い出話や料理の話に花を咲かせていました。
とはいえ、その場にいらした相手方の営業の方も、うちの社長も
何のことかさっぱり解らず、「???」という雰囲気でしたが^^:


商談も無事終わり、賑やかに帰られる後ろ姿を見送ってからも
私は何となく、浮き立つ気分とも騒がしい気持ちとも違う
何とも言えない不思議な感覚がなかなか消えませんでした。


それまで全く見ず知らずだった人と、誰かの存在を介して
消えそうに細い糸でつながっている事。
そして、それは普段目にする機会はなかなかなくとも
ふとした事で手繰り寄せられ、共通の話題が生まれる…
それはきっと誰の身の上にもある、普遍的なものかもしれません。
でも偶然その糸の端を見つけ、その先に忘れられない出会いの時間を見た事
それが私には静かで大きな心のうねりとして感じられた気がします。


蜘蛛の糸のように細い細いもので、誰かと誰かをつなぐ糸。
それはきっと目に見えないだけで、網の目のように無数の人々を
つないでいるものなのかもしれませんね。
そして時にそれは思いがけない何かを絡め取っているのかも。

新たな人の出会い、興味、新しい環境、古い記憶などなど
たくさんの何かを内包して、私たちをつなぐ糸。
その中で何かを拾い上げる時、人はその細い糸の存在に
色んな感情を抱くのかな、私はそんな風に感じます。

もしかしたら…
このPCの前のあなたと宗流も、どこかでつながっているのかも。
なんちゃって^^




宗流


和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp







絆創膏

2010年04月11日 03時40分58秒 | I think so …
こんばんは。
本日の京都は日中とても暖かな一日で、
お部屋の中にいても、陽が差している間は
エアコンなしでも平気な気温でした♪
…もういい加減、エアコンともお別れしたい季節ですが
なかなか別れがたい恋人みたい(?)な存在のようです^^;


さて。
前回のお話でも触れたのですが、
この一週間、宗流は会社の展示会に向けて
日々の記憶が飛ぶような慌ただしい時間を過ごしていました。
でも今日からようやく久々のお休み♪
この所の忙しさからか少々風邪気味の宗流、
この週末は完全OFFでのんびりしたいものです!



さてさて。
みなさまも何かでひどくお疲れの時などに
ふとした些細な出来事で気持ちが軽くなる瞬間ってありませんか?
家族や大切な人の笑顔や言葉、何気なく目にした景色などに
色んなものに一瞬救われたような、
心持ちが軽くなるような事があるような気がします。
今日は慌ただしさの中で見つけた、ささやかな出来事のお話です。



先日、仕事が立て込み、どれだけやってもなかなか先が見えなくて
疲れだけが先立っていたようなとある日。
私は仕事の用事で出かけていて、信号待ちをしていました。
ぼーっと立っていても周りがあまり見えなくて
信号が変わった事にも気付かず立ち尽くしていると、
不意に後ろから私の名前を呼ぶ声が。
振り返ると、知人の男性が仕事着で立っていました。


古くからの知人であるその彼は、私の会社の近くで働いていて
普段からよく顔を合わせます。
また私と年齢も近いせいか、気の置けない知人の一人です。

知人との間に普段ある、何気ない会話へと続くいつもの日常。
でも、その日はどことなく気持ちが揺らいでいたのかもしれません。
私は彼にジョークも気の利いた言葉の一つも返せませんでした。


「何か…疲れた」
顔を合わすなり、その一言しか発せませんでした。


彼はお世辞にもお利口さんとは言い難いのですが、
普段から辛口の私の会話に付き合わされているせいか、
もしくは彼自身の指令アンテナがそうさせるのかは解りませんが
野生動物の本能のように鋭敏な勘を働かせ、
彼は時々、どきりとするような言葉を私に投げかけます。
けれど、それはけして不快なものではなく不思議と納得してしまう言葉。
その日も、彼から返ってきた言葉は私を心地よくどきりとさせました。


「疲れたら休めって言っても聞くはずないから言わんけどな。
けど、お前が頑張ってるんは解ってる」


たったそれだけの短い言葉。
褒めも労わりも何もないのですが、でも私はその言葉に
何だかとても救われたような気持ちになりました。
家族でも、恋人でも、同僚でもない間柄。
そうした関係だからこそ、そう感じたのかもしれません。
もしこれが近しい間柄だったのなら、
きっと私は「もっと」を望んだような気がします。
そして、それが自分の望む形でなかったとしたら
ジグソーパズルのピースを埋められない時のように
イライラするかもしれません。
「もっと」を望まなくていい距離感。
その距離が生む言葉には、いい意味でのドライさがあるように感じます。



私は、人の言葉はそれぞれ個人の生き方・考え方が
色濃く反映されるものなのかなと思います。
それはどんな学校を出て、どんな仕事に就き、どんな地位にいるかではなく
また語彙が豊富とか、語学が堪能とか、正しい文法かどうかではありません。
投げかけた言葉を受け取る相手の状況を察知する事は、
そうした先の諸々の事象を得ていても、難しいのだと思います。
難しいからこそ、それが受け取る側にダイレクトに伝わった時
音や文字から「言葉」というものに変わる。
そして、そこには人の気持ちが加味されているのでしょう。
だからこそ、言葉は「言霊」と言われるのかもしれませんね。


ささくれた傷を冷たい水や摩擦から守る絆創膏。
弱った心に響くささやかな言葉は、そんなものなのかも。
お医者さんや病院の治療のようなものではなく
手軽に近くのドラッグストアやコンビニで買える手軽さ。
それが有難く思える、そんな瞬間ってアリだと思う宗流です。



では、みなさま素敵な日曜日をお過ごし下さいね♪




宗流



和装小物 宗流
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Own limit…

2010年04月04日 03時23分01秒 | I think so …

こんばんは。
本日の京都は陽のある日中も少し冷たい風が吹く
肌寒い一日でした。
陽の落ちた夜は、更に冷え込みが…。
満開の桜の花にはしばし時計の針止めて、
花の時期を少し長めに楽しめそうですが、
寒いの嫌いな宗流にはかなりがっかりの寒さです^^;


ところで。
みなさまは、自分自身の限界って感じられた事はありますか?
知力・体力、人間関係、仕事上…物事のあらゆるものに
始まりがあるように、果てというものもあるのかもしれません。
本日のお話は宗流のちょっとしたつぶやきです。


もうすぐ、宗流の会社では今年の秋物の展示会があります。
年間を通じて、展示会は季節ごとに開催されるため
それ自体はどうという事はないのですが、
今回はいつもと勝手が違うせいか、やや戸惑い気味です。


今回の展示会の中では、初めて私の企画コーナーが
一つのブランドとして設けられています。
冬の間、春の展示会用にこつこつと作りためた商品たちの
お披露目の場と言えば聞こえもいいのですが
何となく、喜び半分不安半分の複雑な心境です。

商品を企画し、生地やデザインを考えイメージをかたちにする。
そしてその商品群にブランド名をつけ、
それに相応しいディスプレイをして公開する。
それはモノづくりという仕事の中で、とても恵まれた状況だと思います。
感謝すべき事だという事も理解しています。
これまでは一商品の企画が主だったため
それが1つのブランドとして進歩した、その喜びも感じてます。
好きでやり続けた事が、夢への道を一歩前進した事も…。
でも、どこか嬉しさと共にかすかな怖さがあるのも事実です。


普段、私は人から見れば、自信のない様子というものは
あまり感じられないかもしれません。
でもそれは、強がり、と言えばいいのでしょうかね
人に頼る事や、弱音を吐く事が極端に苦手で
多少無理をしていたとしても人にそれを悟られたくない。
出来ないという言葉を一度でも口にしたら
気持ちが折れてしまいそうで、限界を見てしまいそうで怖い。
その思いが表面に表れないよう、気の強さで膜を張っている…
そんな感じなのかもしれません。

表面的には器用だと人から思われる反面、
きっと中身は不器用なタイプの人間なのでしょうね。


気の強さは脆さの裏返し。
硬度の高い硝子は意外と衝撃に弱い。
それは充分解っているんですけどね。
ホントは…
そんな硝子のような硬い強さより、
絹のようなしなやかな強さを持ちたいと思うのですが
なかなか思うようにはいかないようです^^;


限界も可能性も自分の中にある。
それをチョイスするのは結局自分…なのかしら。
とりあえず、今は前進あるのみ!のようです。

ちょっととりとめのないお話になっちゃいました。
ゴメンナサイ


それでは、みなさまよい日曜日をお過ごし下さいね♪




P.S いつも楽しいお話を読ませて頂いている
大切なお友達のみなさまへ

もうしばらくばたばたして、なかなかお伺いできませんが
落ち着きましたらまたお伺いさせて頂きたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします!





宗流


和装小物 宗流
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桜雪

2010年03月30日 01時05分21秒 | I think so …
こんばんは。
本日の京都は、朝から強く冷え込んだ
とても寒い一日でした。
また朝のうちはとてもいいお天気だったのですが
夕方からはこの時期にもかかわらず雪が…!

寒いのには極端に弱い宗流ですが、
舞い降る雪を見ると、犬並みに喜びます^^
今シーズン最後の雪(←たぶん)、存分に堪能しましたよ♪
みなさまのお住まいの地域はいかがでしたか?



さて。
冒頭でもふれましたが、本日の京都は雪の舞う午後でした。
もうあと数日で4月…。
3月の末ぎりぎりに、これほど雪が降るなんて珍しい事です。
咲き揃いかけた桜の花も、少し驚いたんじゃないかしら。


でも、雪の中の桜ってとても幻想的な光景です。
春の代名詞とも言える淡い桜色を覆い隠すような寒い雪の風、
そこに花を咲かせ佇む樹は、まるで桜ではないような気さえします。

今夜は少し遠回りして、雪と桜を眺めて帰ったのですが
街灯や朧がかった月明りに照らされた雪も桜も
時の流れを忘れてしまうような美しさでした。



梢の先にとまるものは、花のすがたか雪あかりか…
季節の狭間の一瞬が生んだ風景は、目に映るものの答えを
惑わせるような錯覚さえ覚えます。
けれど、それは虚構ではなく確かな現実。
自然の作りだした不思議なタイムラグは
手に触れると淡く溶け、掴もうとしても届かない花を
私たちの目や心に記憶としてその姿を刻みます。


きっと、こんな夜桜はそう毎年は見られないでしょう。
だからこそ今日の雪桜をいつまでも忘れたくない、
今夜はそんな思いを言葉に載せて記します。






「本日の cafe BGM ♪」



久々のcafe BGM ♪です。
今日の1曲はコブクロの「蕾」です。
固い蕾がほころぶ時、そこから零れ落ちるものは
何なのでしょうね…。




蕾    song by コブクロ



涙こぼしても汗にまみれた笑顔の中じゃ
誰も気づいてはくれない
だからあなたの涙を僕は知らない

絶やす事なく僕の心に灯されていた
優しい明りはあなたがくれた理由なき愛の灯

柔らかな日だまりが包む背中に
ぽつり 話しかけながら
いつかこんな日が来る事も
きっと きっと きっと わかってたはずなのに

消えそうに 咲きそうな 蕾が今年も僕を待ってる
掌じゃ掴めない風に踊る花びら
立ち止まる肩にひらり
上手に乗せて笑って見せた あなたを思い出す一人

消えそうに 咲きそうな 蕾が今年も僕を待ってる
今もまだ掴めないあなたと描いた夢
立ち止まる僕のそばで
優しく開く笑顔のような蕾を探してる 空に… 





明日はいいお天気になりますように♪



宗流

和装小物 宗流
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巡る想い

2010年03月22日 18時41分36秒 | I think so …
こんばんは。
本日の京都はとてもいいお天気で暖かく、
まさにお出かけ日和でした。
…残念ながら、今日はお仕事だった宗流。
カレンダーの明日の黒い数字を赤く塗り替えたい所ですが、
願望で祝日には変わりそうにないので断念しました^^;
今からもう既にGWが待ち遠しい宗流です。



さて。
ぼちぼちとみなさまのお住まいの地域では、
桜の蕾もほころび始めた頃でしょうか?
今日、開花宣言を迎えた地域も多いのでしょうね。
この連休中で、京都の桜も少し花が開きかけてました。
今日は幾分気が早いのですが「桜」のお話です。



以前も少しお話をした事があるのですが、
宗流の会社の隣には小学校があります。
そこは私や私の母親、そして母と同級生である
うちの会社の社長が卒業した母校でもあります。

会社はちょうどその校庭に面したお隣さんで、
そこに植えられた大きな桜の木がよく見えます。
子供の頃から見慣れた木ではありますが、
私は花の季節を毎年楽しみにしています。


その桜の下で、去年の春一つの再会がありました。
私の働く会社は古い京町屋で、母屋以外に
あと二棟にそれぞれ仕事場が分かれています。
ある日、私は別棟の仕事場へ用事があり表へ出たのですが、
穏やかな春の陽射しの中、咲き誇る桜があまりにきれいで
しばらくその下で花に見とれていました。

その時、不意に後ろから名前を呼ばれました。
驚いて振り返ると、一人の背の高い男性が
自転車の脇に立っていました。
私はすぐに誰だか分からず立ち尽くしていたのですが、
「久しぶり」とにっこり笑う顔に、懐かしい記憶が蘇りました。


彼は小学校、中学校時代の私の同級生。
当時はちょっと大人びた雰囲気をまとった、
とても頭がいい絵の上手な男子生徒でした。

私は小・中学校と偶然彼と同じクラスの事が多く、
不思議といつも席が近かったせいか、よく話をしたように思います。
また、私は今もそうですが小学生の頃は特に小柄だったせいか、
その当時から背が高かった彼は、よく自分の上着の前を開けて
面白がって私を後ろから抱え込んでふざけていました。
大人になった今なら怒ってしまいそうな話ですが、
何の思惑もない子供の頃は、笑って済ませられたのですから
当時はホントに呑気だったなぁと思います。


私たちは久々の出会いに再会の言葉を交わし
お互いの近況を語り合いました。
そして、彼は校庭を指さすと、
「あれがうちの娘」と少し照れくさそうに笑っていました。
そこには、とても小柄な女の子がお友達と
楽しそうに遊んでいる姿がありました。


私たちはお互いに仕事の途中だったので
ほんの数分で短い会話を終えてその場を離れましたが、
その日は一日気持がほのぼのとしていた事を覚えています。
時の砂の中に埋もれていた記憶は、長い時間を経て
その端っこをちらりと不意に顔を覗かせる事がある、
そんな瞬間を見たような気がしました。
その日は今も春のいい思い出の1つとして、私という本の1ページに
桜色の栞が挟んである、そんな風に感じています。



今年も桜の季節が巡ってきます。
校庭の桜は、長い長い時間同じ場所で咲き続け
その花の下にたくさんの思い出をたたえています。

楽しい思い出
切ない思い出
忘れられない思い出…
木の梢が茂るように、その下に数を増すそれぞれの思い出たち。
私も、私の母も、そしてその同級生やその家族、
またそこを巣立った百数十年分の生徒の数だけ
その木の下には人の思いがあるのでしょう。
そんな思いを慈しむように、今年も桜の木はその場所で
蕾をほころばせ始めています。


瞼を閉じてもその視界が淡い桜色に染まるような春の日。
今年はどんな物語がその下に加わるのでしょうか。
それらをきっと桜の木は、優しい風に揺れながら
静かに見守っているのでしょうね…。


それでは、連休明けも張り切ってまいりましょう!!



宗流


和装小物 宗流
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