お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

折伏すれば願いがかなう……はずだったのに。

2016-10-11 06:05:21 | 日記
前回、独立して起業した話を書きました。
起業から数年間、本業だけでは食べていくことが出来ず、私はバイトを掛け持ちしながら何とか生活をしていました。
本業のほうの不払いにあって、消費者金融からお金を借りたこともありました。
この借金の返済のため、毎月2万5000円ぐらいの利息を払い続け、数年後借金額は100万円以上までふくれあがってしまいました。
ご飯はインスタントラーメンを箱買いして食べる……みたいな日々が続いていました。
お肉とかお魚とか、そんなものは滅多に食べることが出来ませんでした。
学会活動を頑張れば、仕事が入ってくるはず、そう思いながら、バイトに励み、営業に励みましたが、
状況が一気に好転するという奇跡(功徳)は一切起こりませんでした。
少しずつ、少しずつ、良くはなっていきましたが、苦しい生活に変わりはありませんでした。
たぶん私が努力した学会活動以外の部分の分だけ、前進し続けたのだと思います。そこに絶対にあるはずの功徳の介入した形跡はありませんでした。
仕事が増えては減り、三歩進んで二歩下がるのような日々を何年も続けました。
選挙も戦ったし、新聞も戦ったし、お題目もあげた。それでも功徳らしきもののサポートはありませんでした。
それでも創価学会を疑う気になれなかったのは、私の中で完全にマインドコントロールが完成していたからだと思います。
創価学会を疑うという選択肢が、その時の私にはもうなかったからだと思います。
苦しくてもいつかはきっと……他の創価学会員たちがそうであるように、私もそのいつかを目指して頑張り続けていました。
私は他の学会員たちと同じように、順調に友達を減らしていました。
選挙のたびに、折伏戦のたびに、連絡が取れなくなる友達が増えていきました。
でも、それは全部この仏法が正しいからこその「難」だと思っていました。
減っていく友達もいましたが、増えていく友達もいました。
減った友達は振り返らず、新しい友達に全力投球しました。
そして、ちょうど私がバイトをすべてやめ、本業だけで何とか生活していけるようになった頃、
その話をネタに、女の子の友達を折伏することができたのです。
彼女には夢があり、「一日も早く本業だけでやっていきたい」という夢をかなえた私を見て、
創価学会に入ってみようと思ってくれたようでした。
ただ、彼女は実家暮らしでもあり、彼女自身もお題目などはしてみるけど、入会はまだもうちょっと考えてからというスタンスでした。
その頃には同居家族の許可がなくてもお守りご本尊を授与し、入会できるようになっていました。
お守りご本尊というのは、ご存知の方は分かると思うのですが、マインドコントロール下にあった私から見ても、とても安っぽいプラスチックの中に入ったご本尊です。
五千円するんですが、創価学会員以外の人間からしたら、あのお守りご本尊に五千円は途方もないぼったくりです。
そんなぼったくりご本尊であれば、同居家族の許可もいらずに授与できるとあって、
一緒によく会合に連れて行っていた彼女に、幹部たちがターゲットオンしたのは当然のことした。
友人がゆっくりゆっくりこの信心のことを理解しようとしていることは分かっていたので、私も最初は焦るつもりがありませんでした。
けれども創価のいつもの00日までにの戦いが激しくなるにつれ、何としても00日までに、と周囲も、そして私も思うようになっていったのです。
あの時の私は、かろうじてバイトをやめて生活が成り立つ状態にはなっていましたが、
もっともっと良い仕事が欲しい、レベルの高い仕事が欲しいという欲がありました。
ここで折伏を決めれば、絶対にそういう仕事が入ってくると思ったし、幹部からもそういう指導を繰り返されました。
彼氏を折伏していたときは「一緒に信心したい」という気持ちだったのですが、
この友人の時は「折伏をして、良い仕事をゲットしたい」という気持ちのほうが強かったです。
ただ、友人は家族の許可なしに入会できるお守りご本尊の話を聞いても「やっぱりまだ今は……」という姿勢を崩しませんでした。
ある日の本幹同時中継の時、幹部たちと打ち合わせをして、説得してもらうことにしました。
他の人の折伏の時、あれほど傍から見ていて可哀想だと思っていたのに、
今度は私の友人がずらりと幹部に取り囲まれることになってしまったのです。
あの時の私は必死だったのだと思います。何とかして仕事をワンステップアップしたいと。
こうして思い出してみても、あの時の私はどれだけ「友人の幸せ」を考えていたのだろうかと思うと、
本当に申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。後悔しかありません。
幹部たちが代わる代わる説得し、友人は「とりあえずやってみようかな」という気持ちになりました。
すぐさまその日のうちに入会の手続き、入会勤行会が執り行われることになりました。
あまりのそのスピードの速さに、私も友人も驚いてしまったほどです。
入会の書類に印鑑が必要なのですが、友人の名字は少し珍しいものだったのですが、当然友人はその日印鑑を持っていませんでした。
そこで幹部が別々の印鑑から上と下の名字を切って取り、くっつけて、印鑑を偽造して押印して書類を整えました。
あまりの手際の良さに、けっこういつもこういうことやってるんだろうなと思いました。
幹部たちは友人の名字の印鑑を作ることができたのは「ご仏智(仏の知恵)」だと言っていました。
こうして、あまりにも強引な友人の入会勤行会が終了しました。
強引な折伏になってしまいましたが「どんなきっかけであれ、この信心をした人は皆必ず幸せになれる」という創価学会必殺の免罪符により、
後味の悪さは何となく感じたものの、それほど罪悪感は感じませんでした。
彼女がこれから頑張れば、きっと功徳もいっぱい出てきて確信を持ってくれるだろうと楽観していました。
しかしこの友人は数ヶ月後、脱会しました。彼女なりに真面目にやっていたけれど、やっぱり何か違うと思ったのでしょう。
「いろいろと勉強になったこともあったけど、もうこれ以上学ぶこともないかなと思って」というのが脱会の理由でした。
そのまま連絡不能になっても仕方がなかったのに、友人はちゃんとお守りご本尊を返したいからと言って会館にやって来ました。
会館にやって来た友人を、婦人部の幹部たちがまた取り囲みました。
「絶対に後悔するよ。絶対に不幸になるよ。それでもいいの?」と幹部たちは寄ってたかってまるで脅迫するように言いましたが、
友人は「そうなったとしても、自分で決めたことなんで」と言い、退会の正式な書類はないので、
便せんに退会の意思を書かされ、ご本尊の返納届けも書かされ、解放されました。
あの時の私は「友人を脱会者にしてしまった」というショックが大きく、「どうして脱会したの?」と友人を責めてしまう気持ちも強く、
また「友人に裏切られて私が可哀想」という自己憐憫もあり、自分から友人と連絡を取るのをやめてしまいました。
その友人に関わる友人とも、それを機に連絡を取らなくなりました。
そして、折伏を決めれば仕事が決まる……そのはずだったのですが、どうなったかというと。
実は私の仕事は友人を折伏した辺りから再び減り始めてしまったのです。
ずっと何年も継続して仕事をもらっていた会社の担当者が会社を退職し、その会社の存続さえも危うい状態になり、私への仕事もストップしました。
さらには仕事の質が低下しているとの指摘を受け、別の仕事を打ち切られることもありました。
新しい分野にチャレンジした仕事があったのですが、作業開始直後によく分からない理由で仕事のプロジェクト自体が流れてしまいました。
自分でも、何が悪いのかまったくよく分からないまま、急流にでも流されるようにどんどん状況が悪くなっている感じでした。
脱会した友人も、私の状況が思うように行っていないことを見て、創価学会に見切りをつけようと思ったのかもしれません。
そして友人が脱会してしまった後は私の心のほうが崩れ始め、一気に坂道を転がるようにさまざまな状況が悪くなっていきました。


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2 コメント

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Unknown (かりんとう)
2016-10-11 09:49:16
おはようございます。
私は先祖供養の為にお寺に行きましたが、
内徳信仰なんで、あんまり勤行唱題出来ません。
お寺に疑問もあります。
戸田先生は良かった(浮氣する人は地獄に落ちるのに
、仏法信じてないと思う)
昔、謗法破壊で酷いことしてたのにナゼ止めなかった。

霊能者のブログみてるけど、日蓮さんは良い人(霊)
だけど、学会のしている唱題法は間違ってて、
南無妙法蓮華経は「この泥の様な身だけれども白い蓮の法に従います」と言う意味で実践法だそうです
改心して、良い行いをし、自分より困っている人を少し助ける(たぶん自己犠牲はダメで、自分も他人も助ける)
記事と関係ないけど、思っていることコメントしました。


日蓮さんを利用した、創価の未来はどうなるでしょうね。

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かりんとうさんへ (にゃんこ丸)
2016-10-11 10:41:28
コメントありがとうございます。
「対話を求めて」というサイトでもたびたび言っておられたのですが、創価学会は宗教ではなく、詐欺なのだと思います。
だから何の功徳もなく、むしろそれに費やした時間が無駄になってしまっていたんだろうと。
罰があったかどうかはよく分かりませんが、人に対して詐欺行為を働いたりするような活動をしていたのだから、良くない状況になるのは当然なのかなと。
悪いことをすれば、悪いことが起こる。シンプルなことなんだと思います。
国盗り物語の中で司馬遼太郎さんが「法華経は大善人も大悪人も生む」と仰っておられたのですが、なるほどなと思います。利用の仕方によっては、ものすごく良くも、ものすごく悪くもなってしまう哲学なのかもしれません。
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