大阪・京橋 カンタービレ声楽教室のブログ

レッスンの話題を中心に書いています。

確かに!

2015年12月21日 | 日記
マニフィカ カンタービレ声楽教室



宮崎駿さんの言葉だそうですが、「面倒なことが大事な場合がある」。

仰られた言葉と違うかもしれませんが、このようなことを言われたことがあるそうです。

確かに、確かに。

自分が面倒だな、と思うこと程、今の自分に必要なことだったという経験あります。

「面倒」の言い方を変えたら、やりたくない~と発酵させていたことなんかもそうですよね。

やっぱりそうなんだ、同じことを感じるんだなって思いました。



たまにレッスンでも「苦手なことにも目を向けて下さい。」と言います。

私の生徒さんの大半は成人されてお仕事に着かれている方なので、そういう方はほぼご自身の得意分野に関してはしっかりと身につけられている、或いは日々ブラッシュアップされている訳でして。

そこまでいくと、次に言えることはこういうことかなと思うのです。

苦手なことにヒントが隠れてることがあったり、正にそれが答えだったり、そういうご経験はないでしょうか?

最初の一歩は「面倒」ですが、それを超えると初めて掘った場所なんで、結構新発見が多くて楽しいですよ。



結局向き合わないといけないんですね、いつかは。

それに思うんですよね、自分の隠れている部分に意外と気が付いてないって。(←自分のことですよー。)



歌のテクニックと言っても、体に何か部品のような物を足している訳じゃないですよね。

なので基本的な物は全て備わっていると私は考えるのです。

もちろん、色々とメンテナンスだとか、鉄を叩く的な鍛えることは必要だと思うのですが、本来全ては備わっているというか。

で、ここに戻ってくる。

苦手だと思っている、面倒だと思っているところに答えがある。

例えば気が付かないで使っていなかった、或いは使い過ぎてしまってやりにくくなっているとか。

その使いにくさや気が付かないは、普段の自分の生き方によるものなのでは…と。



体は信頼して自由にしてあげると自分のコントロールを超えた働きをしてくれるという、本当に素晴らしいものやと思います。

自分の中にある音楽を表現したい私ですが、歌と付き合えば付き合う程に結局は自分の内面といかに向き合うかというところに帰ってきます。

…自分が本当の意味で好きなことをやるのがすごく大事ですね。



ちなみに上の文章にある「体」は「自分」に置き換えて頂いてもいいかも。

自分のことや自分の体を信頼するって普段考えたりします?



それとですね、今日、生徒さんからものすごくいいお話を聞きました。

とっても素敵なお話だったのでどうしても書きたくなりました。(すみません、勝手に書いてしまって)

シャンパンタワーを使ってこんなことを話してくれました。

一段目のグラス全てにシャンパンが満たされないと二段目のグラスにはシャンパンは到達しない。

そのシャンパンを優しさに置き換えて、一段目は「自分」で、自分自身が満たされていないと二段目の次の人に優しさを伝えられない。

満たされた優しさはどんどん次へ次へと広がっていくのですが、拡がっても自分に満ちているシャンパンが減ることはない。

自分自身を満たす優しさはもっとと思ってもグラスのサイズ以上に自分は受け取れない。



これって何についても言えることで、例えばお金にも言えるのではと思うのです。

億万長者ほど寄付しているというのも、こういうことなんじゃないかなーと思いました。



お金の話はおいておいても(心の持ちようをお金にも置き換えてみただけのことですので)自分を愛することというのは大切なことの割に意外と二の次になっているように思います。

こういうお話を聞いた機会に自分とお話してみるのもいいですよね^^



























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サムライを観た。

2015年12月13日 | 日記
マニフィカ カンタービレ声楽教室



久しぶりにフィギュアスケートを観ました。

GPファイナルだったんですね。

男子フィギュアで最後の3人だけだったんですが、羽生選手、すごいですね。

若干21歳なのに、出場前の彼を観た瞬間、「侍だ…!!」と思いました。

彼の前のハビエル・フェルナンデス選手がものすごくいい演技をした後(200点越え)、当然やりにくさを感じるのか…と思っていたら。

思っていたかもしれないけど、解説のアナウンサーも言ってましたが、自分と戦っているんだなぁ、と観ていて本当に感じました。

そして演技後の表情、「ああ、これってできて当たり前のことをやった」という風に思ってるんだなと思いました。

すごい、ほんとにすごい精神力だと思いました。

演技の点数もびっくりの点数でしたが、もちろん演技そのものの点数なのかもしれないけど、彼のその生き方というか、そういうものに圧倒されてこんな点数を審査員が出してしまったんではないかと思ってしまった私でした。

演技もすごくよかったけど、そんな彼の「姿」が何よりすごかったです。

自分も生ぬるいばっかりじゃダメだなと、身が引き締まる思いでした。

そう、それと、羽生選手が今日の自分に対しての言葉として「ありがとう」と言っていたのはとても印象的でした。

でも、これこそ誰にとっても大切でとても必要な言葉だと思います。



後ですね、エキシビジョンの宇野選手を観たのですが、彼はあれですね、演技から音楽が見えるって思いました。

「うわっ…」と、その瞬間が私の中でスローモーションになりました。

他にもうまい選手がいますが、私はこういう選手がとても好きです。



それと、アイスダンスの金メダルペアのロミオとジュリエットがこれまた素晴らしかった。

美しい~。

アナウンサーだったかな、織田君だったかな、映画のワンシーンのようだと言いましたが、まさにその通り。

美しい。

同じ言葉を何度も繰り返しますが、美しかった。

そしてセクシーです。

「いやらしい」という意味のセクシーではなく、色気のあるというか、雰囲気があるというだけでは足りません、セクシーという言葉以外の適する言葉が見つかりません。(もっと言葉を知っていれば他に表現することができるのでしょうが)

こういう演技、とても好きです。

私は歌、というか芸術はこうした美しく知的でセクシーであることが大事だと思っています。

もちろん私の中の基準なので、同じものを同じように皆さんが感じるかは別なんですが、とにもかくにも、今日はいい物も観られました。



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いい習慣

2015年12月11日 | 日記
マニフィカ カンタービレ声楽教室



これはいい習慣だ、いつまでも続けばいいなと思う物があります。

それは…家族間でのみ行われる挨拶です。



元々ほっぺにチュウだとか、よくする家族ですが、そんなことを繰り返すうちに、特に娘がお出かけやおやすみの前に必ずするようになった挨拶があります。

それはほっぺ同士をくっつけてチュウをしてからハイタッチをするというものです。

ルーティーンのようになってまして、これをしないと安心して出かけられない、眠れないくらいに習慣になってます。



更に最近は言葉も加わり、「おやすみ、大好き」とか、「CIAO、大好き」とか、とにかく後ろに「大好き」を付けるのです。

そういえば「TI AMO」もたまに言ってはります。



娘がいつまでチュウをさせてくれるか分かりませんが、愛を感じあえるような習慣は続いていくといいなと思います。



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教えること、学ぶこと

2015年12月07日 | 音楽
マニフィカ カンタービレ声楽教室



カンタービレ声楽教室も産後2年間のお休みを含めて考えると8年、でもその前から個人的に教えていたので、「先生」と皆さんに呼んで頂くようになってそこそこの年数を経たなと思います。

声楽という世界に足を入れたことを考えると…人生の半分以上の年数を越しちゃってるなー(苦笑)

産後、教室を再開してからというもの、自分の歌に関して大きく色々なことが変化しました。

2015年より前から始まったことでしたが、ここ一年は特に自分の心の中に大きなことが起こりました。

自分の歌が変わるということで、基本的な考えが変わった訳ではありませんが、教えることについても見えてくることが拡がったように思います。



そんな中で時々「教える」ってなんだろうなーとふと考えます。

私はHPにあるように、「その方が自由に歌えるお手伝いをしたい」、その気持ちが変わったことはありません。

ただ、私の思うその方の「自由」と相手の方の思い描く「自由」の形は往々にして違うことがあると思うのです。



どちらかが正解で、どちらかが間違いとは思わないのですが、「レッスンする」という時に私が伝えられるのは私自身の中にあるものだけな訳です。

では、その私の中の物ってどういう時に伝わるのかというと、生徒さんが受け止めてくれる時、とも言えるんですよね。

もちろん、「私が伝わるように伝える」っていうことを忘れている訳ではないですよ。

だけど本当に思うんです。

受け止めて下さるから、なんだなと。



このニュアンス、伝えられているかなぁ…。



私も先生歴より生徒歴の方が長く、生徒の立場にもなるから言うんですが、一度まな板の上の鯉になることが大事なことの一つというか。

本当に目の前の先生の持つ何かを得たいと思うのなら、まずは得た物を飲み込む前に取捨選択するのではなく、全てを飲み込む。

これが必要だと思うのです。

だって、今の自分にはいらないものに見えても10年後の自分には必要なものかもしれませんよね?

だから今の自分が判断するのではなく、とにかくストックしておくんです。捨てないで。



これって、できる人には簡単かもしれませんが、できない人には結構な壁だと思います。

まな板の鯉って腹の中も見せろって言っているようなものですからね。

だけど、特に表現することを生業にしようという方には絶対に必要だと思います。

先生に見せられない人が舞台でさらけ出すことができるのでしょうか?

受け取れない人が観客の心を得ることができるか、という風にも言えないでしょうか?



生徒としては相手を信頼することが必要ですし、逆に信頼できない先生からは、その先生がいくらえらい先生であっても、得る物は少ないか全くないと言っても過言ではないかもしれません。

逆に先生という立場で考えると、受け止めてくれないと何も伝えられません。



なので、意外と「先生」というものは何もできないものなのかもしれません。

生かすも殺すも「生徒」次第かと。

(余談:「自分の先生を選ぶ」というのもすごく大事な作業ですが、これも「生徒次第」ですよね。)



それでも考えるのは、信頼したくなる、受け入れてみたいと思わせるような何かのきっかけを産む先生にはなれるかもしれないな、と。

自分自身の歌が変わってきてものすごく前進しているんですが、その中でこういうことを考えさせられる出来事があり、先日、娘に相談したのはこのことだったんですが(もちろん噛み砕いて話しましたよ)、結局ここに戻ってくるんですよ。

歌うしかないって。(そう、だから娘はものすごく私を分かってくれている。)

あ~、歌って私の人生を作ってくれている。大好きだ~っ!



生かすも殺すも生徒(私)次第って言葉は皆さんに書いているようだけど、自分に言っています。

もっともっと自分は歌えると思っていて、とにかくこの欲が半端ないです。



と、たまにこんな熱くて真面目なことも考えているのですが、レッスンではとにかく楽しく歌いましょうね!




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サンタクロース

2015年12月03日 | 日記
マニフィカ カンタービレ声楽教室



去年までははっきりと全容を分かっていなかったようなのですが、今年はさすがに大きくなって認識したんだなーと思いました。



幼稚園でクリスマスのお話を先生がしたようで、「クリスマスにはサンタクロースがプレゼントを持ってくるんだよ」、「サンタさんに何のプレゼントが欲しいのかを手紙に書かないといけないから、ママ、書いて!」というのです。

去年まではそんなこと言えないどころが思考することもできなかったのになー。

すごいなー、日々進化中。



そして、私は娘に、「手紙を書くから何を欲しいか教えて。」と言いました。

そうしましたら、アナと雪の女王のカルタだそうで、未だにずっとアナ雪熱が冷めないのかということと、カルタって幼稚園で使って遊んでるのかな?という思いが。

さておき、早速カルタを購入し、今は娘の目が届かないところに保管中です。

クリスマスまでに娘が欲しいと思うプレゼントの内容が変わりませんように(笑)



という訳で、娘が大きくなるまではこんな風に毎年クリスマスを迎えるようになるのかなーなどと思った出来事でした。(本番はまだですが・笑)

実は夫婦共に記念日などにも無頓着な方なので、娘がいなければ特に派手なことをせずに終わりそうなところなんですが、ほんとに生活というか、娘のおかげで自分だけだったらしない生き方をたくさんさせてもらってます。



そうそう、話は違いますが、私は時々娘に悩み事(困ったこと、くらいかな?)を話すことがあります。

そうしましたらね、いつも真剣に考えて答えてくれるんです。

娘を試している訳ではないですよ。

娘は小さいですが、物を考える一人の人だと思って接しています。

どんなに小さくても一生懸命答えを出してくれたことには本当にすごい言葉が隠れていまして、特に彼女の言葉に感じるのは、私を良く見てくれているということです。

そして、すごく愛してくれているのだなと思います。



子供のことを話す時に「親が子供を愛さなければならない」というか、そういう親から目線の話が多いように感じてきましたが、もちろんそれも大事だけど、子供が親を純粋に愛していて、その大きい愛情を感じるということも大事なんじゃないかなと思ったりします。

体も考えも大人とは違うけど、その愛情の純粋さや寛容さには感嘆の念を抱くというか、後光が差すような神々しささえ感じます。

子供に育ててもらっているのは私だな、とそんな時には思います。



それで、先程の娘の答えなんですが、これも日を追う毎にグレードアップしていきます。

今回は「歌を練習すればいいんじゃないの?」というものでした。

…ごもっとも!核心を突いている、と言わざるを得ん答えです(苦笑)

そして、「明日一緒に歌ってあげよっか?」と。



性善説に立った話になるかもしれませんが、こんなに子供が美しいのなら、昔に子供だった人も美しいはず。

そんな風に美しい部分をしっかり見て、レッスンもしていければいいなと思います。

その人のいいところがいっぱい出せるようになるレッスンだといいなと思いました。

うん、そうだな、そういうことだな^^



あー、ほんとに、娘は私のことを良く見てくれてるんだなー。

いつもありがとう!



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