노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)①

2018年02月28日 | 訪れたところ
 私は、元北朝鮮柔道代表選手だったこともあり、国家から勲章を受けていた関係で韓国へは入国を拒否されていた。
今から11年前、はじめて韓国への入国が許可された。

1920年代後半に祖父が日本へ渡ってきて、父が大阪で生を受け私は在日コリアン3世になる。
韓国の本籍地にいるはずの僕の本家筋は、あの朝鮮戦争で焼け出され事実上離散状態になっており韓国国内に親戚は居ない。
しかし、私の外国人登録証には「本籍地」が記載されており、そこが僕のルーツになる土地である事にはちがいなく、
アレックス・ヘイリーよろしく、自分の「ルーツ」を訪ねてみたいとかねがね思っていた。

約10年前、はじめて韓国の地に立ちルーツを探しに行ってきた。数回に分けて連載とする。


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 在日コリアン3世として日本に生まれ、もう一つの祖国は何度も行った。
かつて、北朝鮮の柔道国家代表という関係で韓国には入国できなかった。やっと、臨時ビザではあるが韓国へ入国できるようになった。
僕の外国人登録証に記載されている「本籍地」を訪ねてみようと思う。そこには僕の知らない祖父や曾祖父の墓があるらしい。
할배(祖父)達と一献盃交わしてこよう。何代続いたのか知らないが、僕が知らない僕のルーツがそこにあるらしい。




 関西空港を午前に発ち僅か一時間少しでプサンに降り立った。飛行機の窓からプサンの岸部が見えたとき、
学生時代に読んだ「対馬まで」キムタルス(金達寿)著を思いだした。
 対馬に行けば、山頂から望遠鏡でプサンが見えるらしいという話を聞いた三人の登場人物は、
東京からはるばる対馬に渡り着く。早朝、山に登りプサンを眺める。対馬からプサンは目と鼻の先。
中の1人はプサンに住む弟に電話をして、弟は同時に対馬を眺めるという。
翼があれば、飛んでかえることのできる故郷。祖国の分断は1世達にとって何だったのだろうか?
その恋しい故郷に胸を焦がした在日コリアン1世を思い浮かべながら、まだ見ぬ先祖の地を
在日コリアン3世の私は飛行機の中から想像していた。




 はじめて韓国の地に立った。プサン空港からバスに乗り市街地へ向かう。

プサンの中心街、西面(ソミョン)で取りあえず今日の宿を探す。スーツケースをガラガラと転がしながら、
すえた臭いがする繁華街の裏路地を徘徊する。一軒のモーテルを見つけた。
日本でモーテルと言えばいかがわしいところを想像するのだが、韓国ではそうとは限らないらしい。
そうであるのかそうでないのかは本人の自己責任に委ねられるらしい。
入り口の自動ドアが開く。一歩足を踏み入れた途端、いかがわしい雰囲気が漂ってくる。
それは、長年の経験が私の感覚器を鋭敏にさせたのか。すぐに、踵を返し外に出る。

すると、二階の窓から女性の大声が聞こえた。「오빠! 어디러 가시냐!!(ちょいとお兄さん!何処へ行くの!)」
明らかに私に向かって言っている。普通なら無視して次の宿を探しに行くのだが、不覚にも振り向いてしまった。

振り向かせた根拠は明らかに「オッパ!・・・」という最初の一言だ。

韓国をよく知っている男性なら「오빠(オッパ)」という言葉の魅力は分かるだろう。
韓国では女性が男性に対しての呼称で「オッパ(兄さん)」と「アジョシ(おじさん)」の違いは
場末のスナックと北新地の高級クラブほどの差があるのだ。

 結局「オッパ」の一言でそのいかにもいかがわしいモーテルに泊まることとなった。
ちなみにそのモーテルの名は「モーモー・モーテル」味のある名前だ。

しかし、その「オッパ」と叫んだ女性、間近で見ると思った。『もし、あんたが俺をアジョシと呼んでいたら殺意を覚えただろう。』


 かくして、故郷訪問はプサンから始まった。



(つづく)

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)②

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)③



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