노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

光州にて

2018年05月12日 | 訪れたところ
 今年のGW前半は仲のいい友人3名と各々パートナーを連れ立って、6名で韓国旅行に行った。

 プサンでワゴン車と運転手を請い道中運転手付きのちょっと贅沢な旅行となった。

プサンで海鮮料理に舌鼓をうち




慶尚南道陜川郡にある世界遺産 名刹「海印寺」


 

ピビンバで有名な全州




映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」の舞台になった、韓国民主化運動の象徴的な「光州事件」があった光州市 
 

世界5大沿岸湿地の1つ「順天湾自然生態公園」のある順天という旅程。


道中笑いっぱなしで思い出に残るにぎやかな旅行だった。


光州で・・・ 


一般市民、学生をはじめとして死者2,000名とも3,000名とも。現代韓国でもっとも悲惨な事件と言われ
韓国民主化運動の象徴的な「光州事件」
現在日本公開中の、実話に基づいた映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』の舞台となった。

光州事件の際、市民が収容されていた営倉と法廷がある「5・18자유공원(5.18自由公園)」でのこと。

私たちは公園の主旨をわからずウロチョロしていたところ、ちょうど教師に引率された広州市内の小学生の集団に出くわした。
どうも授業の一環で社会見学に来ていたらしい。
ボランティアの解説員が子供たちに話を聞かせていたので、そこに近寄り「日本から来た在日韓国人ですが
一緒にお話聞かせていただいていいですか?」「皆さんは韓国語は理解できますか?」「はい」

収容所跡で解説していたボランティアの女性は1980.5.18戒厳軍に連行され、拷問を受け収容されていたそうだ。

「この狭い部屋に150名が何日も詰め込まれ、過酷な拷問と虐待で精神の限界にありました。奴ら(戒厳軍)は人間じゃない。
私たちを犬や豚のような扱いをした」と言いその時の様子を寸劇で再現されていた。

帰り際、その女性に質問してみた。

「当時、戒厳軍の人たちは今も生存しています。そういう人たちに対して今を生きるあなたは何を思いますか?」

「そういう人たちの中には今はその贖罪に苛まれ懺悔を乞う人も多くいます。しかし『そんなことはなかった』という人も『軍人として命令に従うのは当然でなんら悪いことをしたと思っていない』『韓国に於いて 빨갱이(赤野郎)は排除しなければならない』という人もいます。私はそういう人たちに対して怨念もありません。それは世界中の人たちが私たちの行為を『現代韓国に民主化をもたらした勇気ある行為』として称賛を受けているからです。そしてそういう人たちは歴史がどんどん暴いていってます」

彼女の言葉に胸が震えた。
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ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)③

2018年03月02日 | 訪れたところ
 早朝目が覚めた。窓を開けるとまだ薄暗い。時計を見ると6時手前を指している。

神戸より西に位置している事が実感できた。前日のアルコールが若干残った重だるい頭を目覚めさせるため、熱いシャワーを浴びた。
ここで、濃いめのコーヒーがあれば最高なのだが、テーブルの上にはスティック状のインスタントコーヒーしかない。
身支度を整え早速、宿を引き払うことにする。スーツケースを転がしながら30㎝四方の小さい窓に向かってチェックアウトを告げた。
フロントの中から昨日のアジュンマが寝ぼけ眼で「네~잘가세요~(はぁ~~い、気を付けて)」と言いながら玄関まで送り出してくれた。
大通りに面したビルの一角に「スターバックス・コーヒー」を見つける。取りあえず熱いコーヒーにありついた。

今回の旅行の目的である、祖父の故郷へ向かうための行程を地図と時刻表で再度確認する。バスターミナルでチケットを買い出発時刻を確認した。
出発まで40分、所要時間は2時間半なので到着予想は正午前になる。コンビニでミネラルウォーターと朝食用のサンドウィッチを買った。
バスは古いタイプだが客席は空いていたので余裕を持って座ることが出来た。車窓から眺める韓国の農村風景は、映画や写真で見たものと同じだ。
韓国に来たことが実感として湧く。


 私の本籍地は、あの韓国の民主化運動の象徴的事件“光州学生蜂起”で多くの学生や市民を死に追いやった、
元韓国大統領、전두환(全斗煥)の出身地だ。プサンから北西に約120kmに位置する。バスターミナルに降り立った。
そこから本籍地までどう行けばいいのか全く分からない。

バスターミナルのチケット売り場で目的地を告げ行程を聞いてみた。驚いた。バスが出ているのだが一日2本しか出ていない。
次の出発は午後4時半だ。あと5時間以上ある。タクシー乗り場に行った。客待ちタクシーの運転手に聞いてみた。
ここから約30km以上あるらしい。

その日の宿は決めていなかったが、事前の情報で近くに韓国きっての名刹、あの世界遺産『高麗八萬大蔵経』がある伽耶山海印寺
があると聞いていたので今日はそこで泊まるつもりでいた。運転手に聞くと全く逆方向に30kmほど行かなくてはいけないらしい。
行って帰ってまた行くとトータル90km以上の移動になる。

しばし考えた。運転手の車と交渉した。「100,000ウォンで今日一日雇いたいのだが」運転手は二言返事で「よろこんで~~!」と
居酒屋のアルバイト店員よろしく、ニコッと笑い僕のスーツケースをトランクに詰め込んだ。

タクシーに乗り、約10km程過ぎた頃、運転手が「お客さんは韓国映画『태극기 휘날리며』を観られましたか?」と聞かれた。
韓国映画の名作『태극기 휘날리며』は邦題『ブラザーフット』として、チャンドンゴン、ウォンビンの共演で日本でもヒットした作品だ。

「あぁ、日本でもロングランヒットしたよ。良い映画だったね。」
「でも日本人にあの映画が理解できたのでしょうかね?」
「うぅ~~~ん、どうだろうね。在日ですら今の若い世代ではあの、6.25(朝鮮戦争)が朝鮮民族に与えた苦難を理解できないだろうし、
ましてやこの僕ですら本当に何処まで理解できているのか疑問だね。」
「っで、お客さんはその映画をどう観ました?」
「涙でスクリーンが直視できなかったよ(笑)」・・・




「この先に、その映画のロケ現場があり、セットがそのまま残されて展示されているところがありますが、行ってみます?」
瓢箪から駒とはこれか。ロケ現場にはチャンドンゴンとウォンビンが徴兵され乗せられた列車が車両ごとそのままあった。
二人がアイスキャンディーを食べた当時のソウルの街並みや、戦闘状態のピョンヤンの街並み、
北の捕虜が夕食を掛けて殴り合わされるシーンで掘られた穴もそのまま残されていた。
(この旅行の最終日ソウルでカメラを無くし、今ここに写真が無いことがあらためて悔やまれる)
しばし、ウォンビンになりきった自分にサヨナラし、ロケ現場を後にする。

 メモに書かれた住所を頼りに本籍地に近づくと、タクシーの運転手が人を見つけては詳細な場所を聞きまわってくれた。

日本を出発する以前から、この日をシュミレーションしていた。祖父が若い頃、貧しさゆえふるさとを捨てて旅立ったこの地を、
僕が韓国人としての「根拠」であろうこの地を・・・僕はどんな思いで臨むのだろう。
見たこともない故郷の土を握りしめ感極まり涙むせぶのだろうか?
プサンから逆にたどったであろう祖父が歩んだ道のりを、バスに揺られながら眺めているとき、何かに脅迫されるかのような感情になった。

 それは突然やってきた。タクシーから降りた運転手が地元の人に住所地のメモを見せたずねると、振り向きざまに笑顔で僕に叫んだ。
「선생님! 여기가 선생님의 고향 땅이에요!(お客さん!ここがお客さんのふるさとですよ!)」
タクシーから降り周囲を見渡した。遠くに岩肌が露出した山並みが見え、日本の農村風景とさほど変わらぬ田園が連なっていた。
 
この地が私の「ルーツ」の地なのだ。若い頃からあこがれ続けていた土地なのだ。恋焦がれていたはずなのだ。
 瞳は濡れていなかった。逆に淡々とした自分の感情を確認していた。
僕にとって「ふるさと」とは、本能的な感情なのか?それとも学習なのだろうか?

 本当に小さな村なのだ。30分もあれば充分一周出来るほどの農村だ。村を散策した。
朽ち果てかけた古い庵の軒先で将棋を指している老人と、それを取り囲む数名の人たちが見えた。
明らかによそ者の風体をした私に視線がいっせいに注がれた。決して怪しい者でもなく、私がここに来た理由を皆に伝えた。
村の人たちはその理由を聞き快く迎え入れてくれた。

 一人の初老が私に言った。「니밥뭇나?우리집에와 밥뭇고가거라.」(お前飯食ったか?わが家で飯食ってけ。)
学生時代に亡くなった祖母の顔がまぶたに浮かんだ。決してソウルのような上品な韓国語ではない。
懐かしい祖母の「ふるさとなまり」に出会えた。ここに来てはじめて鼻の奥がツンとした。(完)


「ふるさとのなまり懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きに行く」石川啄木


ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)①

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)②

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ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)②

2018年03月01日 | 訪れたところ

 少し遅めの昼食を摂るため裏路地をうろつく。入り口のドアに大きく「면(麺)」とシールが貼られている店を見つけた。
プサン名物밀면(小麦の冷麺 プサンの郷土料理)の専門店らしい。席に座っても一向にオーダーを取りに来ない。
厨房では大きな釜に機械で麺が押し出され湯がかれている。手打ちには違いないようだ。

大きな声で厨房に向かって叫んだ。「맥주1병과 물면 주시구나~!(ビールと冷麺ひとつくださいな!)」
奥から「네~~~~(はぁ~~~い)」



 
 冷たいビールが運ばれてきた。そして、数品のおかずも運ばれた。これが嬉しい。

ビールを飲んでいると、60歳がらみのオッサンが私に向かって「どこから来たのだ?」と聞かれた。
私の韓国語はいくら頑張ってみたところで、日本語のイントネーションは抜けないのだろう。すぐにネイティブでないことを見破られた。

「日本からだ。」「日本人か?」「いや、在日韓国人だ。」「日本で生まれたのか?」「そうだ、三世だ」「それにしては韓国語が上手いの。」

そらきた、おきまりの台詞だ。この会話はモーテルの女主人とも同じ会話をした。
もし僕が、20歳代だったらショックだったかも知れない。しかし、もうそんな青臭くないオッサンなのだ。
その60歳がらみのオッサンから焼酎をご馳走になった。ありがたく受けた。冷麺は非常にうまかった。

ビール3000ウォン+冷麺3500ウォン=6500ウォン。日本円に計算すると¥650くらいか。



 ロッテホテルの裏通りを歩いていると、後ろから今度は日本語で声を掛けられた。
それも聞き覚えのある声だ。振り向くと日本に住む叔母と叔父が立っていた。
「ななな・・・何でここにいるの?」叔母は「お前こそ何でここにいるのだ?」

 叔母夫婦は叔父の親戚の法要で来韓したらしい。こんな偶然もある物だ。聞くとどうも飛行便も同じだったようだ。
飛行機で会えなかった理由はハッキリした。叔父はビジネスで成功しているのでビジネスクラスに乗っていたらしく、
エコノミーの私と顔を合わせるチャンスは少ないのは当然のこと。その夜は、叔母のおごりで新鮮な魚介類にありつけることが出来た。




 叔母夫婦と別れを告げ、一風呂浴びたくなったのでサウナを探した。サウナでも、案の定オッサン達と例の会話をひとしきりした。
エンドレステープでも持ってくれば良かった。帰りに道端の포장마차(屋台)で一杯やってホテルに戻る。(つづく)

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)①

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)③
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ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)①

2018年02月28日 | 訪れたところ
 私は、元北朝鮮柔道代表選手だったこともあり、国家から勲章を受けていた関係で韓国へは入国を拒否されていた。
今から11年前、はじめて韓国への入国が許可された。

1920年代後半に祖父が日本へ渡ってきて、父が大阪で生を受け私は在日コリアン3世になる。
韓国の本籍地にいるはずの僕の本家筋は、あの朝鮮戦争で焼け出され事実上離散状態になっており韓国国内に親戚は居ない。
しかし、私の外国人登録証には「本籍地」が記載されており、そこが僕のルーツになる土地である事にはちがいなく、
アレックス・ヘイリーよろしく、自分の「ルーツ」を訪ねてみたいとかねがね思っていた。

約10年前、はじめて韓国の地に立ちルーツを探しに行ってきた。数回に分けて連載とする。


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 在日コリアン3世として日本に生まれ、もう一つの祖国は何度も行った。
かつて、北朝鮮の柔道国家代表という関係で韓国には入国できなかった。やっと、臨時ビザではあるが韓国へ入国できるようになった。
僕の外国人登録証に記載されている「本籍地」を訪ねてみようと思う。そこには僕の知らない祖父や曾祖父の墓があるらしい。
할배(祖父)達と一献盃交わしてこよう。何代続いたのか知らないが、僕が知らない僕のルーツがそこにあるらしい。




 関西空港を午前に発ち僅か一時間少しでプサンに降り立った。飛行機の窓からプサンの岸部が見えたとき、
学生時代に読んだ「対馬まで」キムタルス(金達寿)著を思いだした。
 対馬に行けば、山頂から望遠鏡でプサンが見えるらしいという話を聞いた三人の登場人物は、
東京からはるばる対馬に渡り着く。早朝、山に登りプサンを眺める。対馬からプサンは目と鼻の先。
中の1人はプサンに住む弟に電話をして、弟は同時に対馬を眺めるという。
翼があれば、飛んでかえることのできる故郷。祖国の分断は1世達にとって何だったのだろうか?
その恋しい故郷に胸を焦がした在日コリアン1世を思い浮かべながら、まだ見ぬ先祖の地を
在日コリアン3世の私は飛行機の中から想像していた。




 はじめて韓国の地に立った。プサン空港からバスに乗り市街地へ向かう。

プサンの中心街、西面(ソミョン)で取りあえず今日の宿を探す。スーツケースをガラガラと転がしながら、
すえた臭いがする繁華街の裏路地を徘徊する。一軒のモーテルを見つけた。
日本でモーテルと言えばいかがわしいところを想像するのだが、韓国ではそうとは限らないらしい。
そうであるのかそうでないのかは本人の自己責任に委ねられるらしい。
入り口の自動ドアが開く。一歩足を踏み入れた途端、いかがわしい雰囲気が漂ってくる。
それは、長年の経験が私の感覚器を鋭敏にさせたのか。すぐに、踵を返し外に出る。

すると、二階の窓から女性の大声が聞こえた。「오빠! 어디러 가시냐!!(ちょいとお兄さん!何処へ行くの!)」
明らかに私に向かって言っている。普通なら無視して次の宿を探しに行くのだが、不覚にも振り向いてしまった。

振り向かせた根拠は明らかに「オッパ!・・・」という最初の一言だ。

韓国をよく知っている男性なら「오빠(オッパ)」という言葉の魅力は分かるだろう。
韓国では女性が男性に対しての呼称で「オッパ(兄さん)」と「アジョシ(おじさん)」の違いは
場末のスナックと北新地の高級クラブほどの差があるのだ。

 結局「オッパ」の一言でそのいかにもいかがわしいモーテルに泊まることとなった。
ちなみにそのモーテルの名は「モーモー・モーテル」味のある名前だ。

しかし、その「オッパ」と叫んだ女性、間近で見ると思った。『もし、あんたが俺をアジョシと呼んでいたら殺意を覚えただろう。』


 かくして、故郷訪問はプサンから始まった。



(つづく)

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)②

ふるさとのなまりなつかし(プサンまで)③

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ごめんなさい

2017年09月04日 | 訪れたところ

 某日、JR三ノ宮 15:23発 「野洲行き新快速」5両目あたりにご乗車された皆さん。 

 結構満員でしたね。

「大阪駅」で降りる直前、開閉口でほんの小さな可愛い音のする放屁をしてそのまま降車しました。


 
 京都まで向かわれたみなさん。


 本当にごめんなさい。


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こすもすとまりこ

2017年05月17日 | 訪れたところ
ここは"まりこ"というママが"こすもす"というスナックを経営しているのか・・・

それとも"こすもす""まりこ"さんが間借りしてスナックを経営しているのか・・・

それにしてもまりこママに逢いたかった・・・

 北海道 旭川市にて


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