노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

『タクシー運転手 約束は海を越えて』

2018年04月25日 | 観た映画の感想など



昨年の夏、息子とプサンを訪ねた時この映画がちょうど公開された直後だった。
時間的にスケジュールが合わず後ろ髪引かれる思いで観ずに帰ってきた。待ちに待ったこの映画、日本公開日朝一番で観てきた。

この映画の背景となっている『光州事件』とは、前大統領朴槿恵の実父、軍事独裁者朴正煕大統領暗殺後、民主化の機運が高まった韓国で再びクーデターにより全斗煥軍事政権が誕生した。そしてまた韓国に暗い雲が立ちこみ始めた。その最中民主主義政治家であり市民運動家でもあった金大中が逮捕され、これを契機に1980年5月18日から27日にかけて韓国の光州市を中心として、民衆たちが民主化を求め立ち上がった。韓国民主化運動の象徴的なこの事件は、死者170名(戒厳令軍発表)とされているが2000名とも3000名とも言われている。




韓国映画界最高の俳優ソン・ガンホが主演というだけで、観る前から心ときめかせた。
クリント・イーストウッド、スピルバーグと同じでハズレはあり得ないのだ。



このフライヤーの抜けるような笑顔が、この作品に笑いとともに当時の韓国民衆の民主化への渇望がリアルに伝わってくる。
そして、事件の残忍さや悲劇がひしひしと観る者の心に沁みてくる。

冴えない男ヤモメのタクシー運転手マンソプ(ソンガンホ)は4か月分の家賃を滞納するくらい、とにかくお金がなくて
成長期の一人娘に運動靴も大きいのを買ってあげられない。その貧困さをあの笑顔で乗り切ろうとするのだがうまくいかない。
「光州まで外国人を送迎すると大金が入る」という話を昼食時にタクシー同僚が話しているのを小耳にはさむ。
ちゃっかり出し抜いてその仕事を横取りしてしまう。ズルいのだ。サウジの出稼ぎで覚えた(?)という英語もほんとにテキトー
なんだけれどもどれもチャーミングでどこか憎めない。ソンガンホの上手さはこういうところにも出てる。
簡単な仕事だと思い、ドイツ人の男を乗せ光州に向かうのだが、そこはマスコミが一切報道していない地獄だった。

作中、催涙弾の煙のむこうから現れるガスマスクで顔を覆った戒厳軍の兵士が無差別に市民を銃殺する。目を覆いたくなる
シーンなのだが、彼らは何を思ってそして2018年の今何を感じているのだろう。彼らの中にもこの映画を観た元兵士も
多くいるに違いない。

タクシー運転手マンソプは年齢から推察するに朝鮮戦争をリアルに体験しているだろうし、戦後最貧の状態の韓国社会を
経ているだろう。マンソプは反体制とかデモをしている人を憎む。「政府の言うことを黙って聞いていればいいじゃねえか。
親のすねをかじって大学に行かせてもらってるボンボンが政府に逆らって左翼のどうしようもない北朝鮮のスパイだな!」
「国民の敵だ!」とか思っている。当時の戒厳軍も同じように思っていたのかもしれない。
「北のスパイは殺されて当然だ!」「国民の敵を殺す自分は愛国者」・・・はては「軍の命令に従っているだけで職務を
遂行しているだけ」と思っていたかもしれない。まさしくハンナアーレントの言う「悪の凡庸さ」がうかぶ。
ここでふと連想したのが、今から70年前、韓国済州島であった大惨事「4・3済州島事件」だ。
あの戒厳軍のメンタル・・・それは当時の南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察などが私の脳裏をかすめた。
『済州島四・三事件』Wikipedia参照

「高地戦」「義兄弟」「映画は映画だ」を撮ったチャンフン監督の映画は題材やシナリオ、出演者の演技の上手さに助けられて
いい映画が多いのだが、この映画も含めて正直あまり評価していない。この映画もソンガンホの名演技と実話に基づいたシナリオ
「光州事件」という現代韓国を語るに決して忘れることが出来ない悲劇がこの映画を魅せているのだと思う。


自身も光州事件経験者である文在寅大統領は「文在寅政府は光州民主化運動の延長線上に立っています。」
「新政府は5.18民主化運動とろうそく革命の精神を仰ぎ、この地の民主主義を完全に復元します。
光州の英霊たちが心安らかに休めるよう成熟した民主主義の花を咲かせます。」と語る。



また文在寅大統領は選挙活動中、憲法前文に光州事件の民主化運動の精神を盛り込むことを公約している。

公開中の映画でこれ以上書くとネタバレになるので書かないが、この映画はぜひ観てほしい。

2017年8月、ドイツ人記者故ユルゲン・ヒンツペーターの妻はソウルを訪問し、
亡夫の実話に基づいた『タクシー運転手』をその家族に加え文在寅大統領とともに鑑賞した。
鑑賞後ムン大統領は『光州事件の真相は完全には解明されていない。これは我々が解決すべき課題であり、
私はこの映画がその助けになると信じている。』と語った。

もうすぐ光州事件38周年。5月18日を前に来週、私の親友たちとこの地を訪問します。
崇高な精神の犠牲者に큰절あげてきます。


「큰절 」とは
ひざまづくお辞儀、最も丁寧なお辞儀
큰(大きい)+절(お辞儀)。韓国で最も丁寧なお辞儀のこと


#映映画

『朝鮮大学校物語』ここは日本ではありません

2018年04月20日 | 書籍など


海外で数々の賞を獲得した映画『かぞくのくに』を撮った、映画監督ヤン・ヨンヒ氏の初の小説『朝鮮大学校物語』を読んだ。
フィクションではあるが、かなりの部分で自身の経験に基づいた書き下ろし小説だ。

「ここは日本ではありません」全寮制、日本語禁止、日々の無意味な総和(総括)、読む書籍まで「資本主義的なもの」として
制限され見つかれば廃棄させられ反省を強要される。典型的な在日コリアンのコミュニティーで育ち、大阪の朝鮮学校を卒業した
ミヨンが出会った「朝鮮大学校」は、高い塀に囲まれた日本の中に存在する北朝鮮だった。

何事にも周囲に左右されず自由奔放に生きたいミヨンは、その異常ともいえる環境に足掻きながら、それに葛藤を抱きながら・・・しかし、それを飲み込みながら学生生活を送る。「ここは日本ではありません」という教師の叱責が、小学校から朝鮮総連傘下の教育を受け、朝鮮総連の活動家を養成する「大学校」という名をまとった機関の中でミヨンのあきらめと従順さが不文律に描かれている。


私は、朝鮮総連の内情や北朝鮮の異常ともいえる権的な思想統制をある程度知っている。正直、東京都小平に実存する
小説の中の「朝鮮大学校」は著者ヤンヨンヒ氏が、あくまでもフィクションとしてデフォルメされているかもしれない。
しかし、読み進めながら強烈な嫌悪とともに思わず頷いてしまう。

作中、実姉が住む北朝鮮を大学の一行事として訪問する。
私自身も「祖国帰還事業」で北に渡った大叔父と彼の地で数度で会った。
ミヨンの情景を読みながら、当時の事がデジャブのように頭をよぎりやるせない気持ちになった。
眼をふさがれ、耳をふさがれ、口をふさがれた者の痛みがひしひしと伝わった。

物語は一人の少女が異常な環境の中でそれに足掻きながら、恋をし大人になっていく過程が切なく書かれている。
その中でミヨンと美大生で日本人の恋人との確執が描かれている。マイノリティーであるが故いつも説明責任を
負わされるような理不尽さと、愛する人にさえ理解しあえないもやもやがミヨンの心をゆする。そしてそれを誠意をもって
理解しようとする恋人のひたむきさに読み進めながら、かゆいところに手が届かないような気持ちになる。その気持ちは
凄く理解できる。いま大人になった自分なら簡単に超えることが出来るのになぁ。民族や国籍にだぶらせたのは
すこし違和感を覚えたが、私自身思春期の頃恋愛に対して、人を好きになる前にそれが立ちふさがり恋をする前から
あきらめや喪失感があった。なんだか今思い出すと笑ってしまう。



短い文章に多くの物語を詰め込みすぎた感がありテーマが少しぼやけたように思えた。
また、もう少し登場人物を丁寧に描写してほしかった気がする。

『ジニのパズル』とは視点が違って相対しようと試みたがテーマが似通っているだけで相対しえない物語だった。

良書です。ヤンヨンヒ氏の今後の創作に期待したい。