노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

『You 've got a friend』

2024年05月30日 | おもいつくまま
 TVで「あなたの応援ソング」なる特集があった。

 私には50年来の親友がいた。中学時代から柔道をしていて、その友人は同じ県内の有力選手でライバル同士だった。近畿大会で決勝戦を闘った。
後に同じ高校に進学し大学も寝食共にした。そこは歴代オリンピックのメダリストを多く輩出し世界の柔道界の名門だった。
ともに高校日本一になり、のちに彼は学生チャンピオン→世界チャンピオンになる。ただ悔やむのはオリンピックに縁がなかったことか。

 私は一足早く現役を引退したがお互い家族をもち同じ年の娘もいて何度か一緒に家族旅行もした。

 3年前奥様から連絡あり「大学OB会はじめ、近しい人にも絶対他言しないで欲しいのですが・・・主人がんなんです」

 何度か会いに行ったが、できるだけ平静を装って決して「がんばれよ!」なんて言えなかった。会えば近況や学生時代の他愛ない思い出話で時間を過ごし「また来るわ」の言葉を残して去っていた。帰りに人目を避けて泣きながら・・・いつも頭をよぎったのがこの歌だった。

Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I 'll be there
You 've got a friend


 何かできることはないか?すこしでも元気つけてあげるようなことはないか?

 何もできないまま昨年の秋深いときに逝った。
いたたまれないくらい悲しかったが・・・でもなぜか私は泣かなかった。
いまこの歌を聴くと、なぜか奴が私を叱咤したり応援してくれているように聴こえてくる。

  やすらかに。


 

『コンクリート・ユートピア』

2024年01月10日 | 観た映画の感想など


 ある日突然、地盤隆起による大災害が起こったソウルに、奇跡的に残った一棟の高層マンション。瓦礫と死体の山のなかでそびえ立つマンションをユートピアとみなして、他の倒壊したマンションからそこに暮らしていた住民が、寒さに凍え、飢えに苦しみそのマンションに群がる。



 韓国ではマンションのグレードによって不文律なヒエラルキーが存在する。日本でも同じような階級が存在することはあるが韓国社会ほどあからさまではではないようだ。マンションの内側住民は、そこに群がってくる周辺住民を徹底的に排他し自分たちの既得権を守り抜こうとする。しかし、内側住人のなかには他所から流入する一部の人たちをヒューマニズムとして擁護し自宅にかくまおうとするが、マンション自治とその防衛を託された者たちが立ち回り摘発し徹底的に排除しようとする。逆に日本社会を凝縮して観ているような既視感が私を襲う。





 劇中マンション住民が外から助けを求めてくる人たちに向かって「このマンションに助けを求めてくるのは、私たちを見下していたマンションの住人たち。私たちを馬鹿にしていた人々を助けることはない」・・・もし日本に救いようがない天災に見舞われたり戦火で日本国民が韓国に助けを求めた時、在日コリアンも含め韓国民の中に、こういう心情が起こらないか考えてみるとモヤモヤする。

 世代間ギャップ、ジェンダーギャップ、マンション内外の分断、階級闘争・・・。住民格差が映し出す高格差社会など、ソウルに巣くう社会問題が投影されているが、じつはすっぽり日本社会を当てはめることができ合わせ鏡のような気がしてきた。

 後半、いろいろな人間模様が描かれてくる。極限に追いやられ救いようがない未来に人間の本性のようなものが見えてくる。


 今年の元日に能登で震災が起こり現在も被災者ががれきの下に埋もれ、避難所で寒さと空腹に震えている。誰もが予期せぬこのタイミングで、この映画はこれほどの皮肉はあっただろうか。
 能登の被災者たちに一時でも早く清潔な飲料水と暖かい食事と清潔な寝具が届けられんこと祈りたい。

『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』は100年後の今もこの国に生き続ける

2024年01月08日 | おもいつくまま
 2024年1月1日・・・能登半島を震源とする大地震がこの国を襲った。
このブログを書いている最中(1月8日現在)も、能登地方の被災者の方は頻回に起きる関連地震に怯えながら、寒さと空腹に耐えながら今も過ごしている。

 1995年1月17日、私の住む神戸を襲った『阪神淡路大震災』が頭をよぎって仕方ない。
【阪神・淡路大震災 私の記憶と記録】① -  노래 norae

【阪神・淡路大震災 私の記憶と記録】① - 노래 norae

1995年1月17日5時46分兵庫県南部を中心として未曾有の被害をもたらした大災害がありました。毎年この拙文をSNSなどで掲載しています。すでに既読の方には申し訳ありませんが...

goo blog

 


 1923年9月1日に発生した「関東大震災」でも、1995年1月17日「阪神淡路大震災」、2016年4月14日「熊本地震」、2011年3月11日「東日本大震災」・・・未曾有の災害時に流言飛語が飛び交うのは人の性なのか。しかしこの国・・・日本国では毎度毎度、人の命を脅かす許しがたいデマが蛆のように湧いてくる。そして今SNSでは「韓国人窃盗団が被災地を暗躍し強奪、強姦を繰り広げている」「中国人集団が生き埋めになった被災者の指や腕を切断し指輪や時計を奪ってる」・・・しかしそれらには必ずと言っていいくらい「私はそれを直接見たわけではないが友人が言っていた…知り合いが見たそうだ」という枕詞がついてくる。デマを拡散するそれは社会で周辺化される者たちに刃がむかう。デマをまき散らす者たちの深層心理には、意識するか否かは問わず「善意者」を装いながら自分たちより弱者を叩く事で心の平穏を求めようとするのだろう。

 昨今、日本の若者のあいだで最も支持され人気を有する「呂布カルマ」というラッパーが、X(旧Twitter)でこういうつぶやきをした。



 ぞっとした・・・たった100年前この国で日本人たちは『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』というデマでもって多くの朝鮮人を虐殺した。正確な犠牲者数は不明であるが、推定犠牲者数に数百名~約6000名と幅はあるが罪のない朝鮮人を虐殺したことは事実だ。
 昨年、これを題材にした映画「福田村事件」と言うのが公開された。https://blog.goo.ne.jp/song-eui/e/a51e0679d6c06f648b38a30bad252270






 私はラップのことをあまり知らない。だが世界的に有名な「エミネム」も過激な言葉を駆使しても、決して弱者を冷笑したりしない。
 覆面アーチストと言われたバンクシーも、夭折の黒人現代アートの天才ミシェル・バスキアも決して権力にすり寄ることなく、常に権力をあざ笑い社会の理不尽を蹴とばすように表現している。
 
 呂布カルマは過激な言葉の羅列さえしていれば支持を得られると勘違いしているのか。表現者として最低限の敬意どころか人としてクズとしか言いようない。ラップとは反権力的な思想にラッパーとしてリスペクトをおくと思っていたが、呂布カルマ・・・お前は反権力ではなくただの反社会的なクズであることに違いない。


 一日もはやく能登の被災者に、清潔な衣類と暖かい布団と熱いスープが届けられること祈ってやまない。


『第九』と『街中華』

2023年12月10日 | おもいつくまま
 一足早くクリスマスプレゼントいただいた。
 友人で日本のフルート奏者の第一人者 榎田雅祥氏から「ヴェートーベン『第九』聞きに行かれます?市民合唱団ですがよければ・・・」


(榎田雅祥氏)



今年の締めくくりコンサート。弟夫婦とカミさん4人で「第九」を鑑賞。

やはりライブのオーケストラはいいです。



 余韻冷めやらぬうちに元町へ移動し、安くてうまい街中華へ。
 若いマスターは福建省から日本へ移住した爽やかな好青年。コロナ真っ盛りの開店当初、お客さんが少なく苦労していたが、なんとか頑張ってもらいたくて無理しても良く行った。そしていつも帰り際「がんばりや!」と声かけていた・・・それがいまや行列ができる繁盛店に。

「マスター日本語上手になったね」と言うと、はにかみながら「今韓国人の旅行者も多いので韓国語教えてください。これから来れたら、ぎょうざ無料にします」
 
 なんかうれしくなって少し鼻の奥がツンとした。
『がんばりや!』・・・今日は心の中でつぶやいた

 いい年の瀬です。

 【参考】
よだれ鶏、青梗菜の炒め物、酢豚、焼き小籠包、海老マヨネーズ、チャーハン・・・瓶ビール×2、甕だし紹興酒×4、芋焼酎×4、チューハイ×3、ウーロン茶×3=¥9,480 サービスしてくれたのかなw・・・みなさん行ってくださいね。おいしいよ
張記 (旧居留地・大丸前/中華料理)

張記 (旧居留地・大丸前/中華料理)

★★★☆☆3.29 ■予算(夜):¥1,000~¥1,999

食べログ

 

神戸元町 中華料理【張記】

『乾杯』

2023年12月08日 | おもいつくまま
 だいぶ前にある女性と飲んでいて恋バナになった。
 
「私すごくあこがれていた人がいてん。うれしいことにその人と付き合う事になって有頂天になっているとき、その人が『カラオケ行こうか?』と言ってきてん。わたしカラオケ好きでないのにその人と居られるならと思ってその人が行きつけのスナックついて行ってん。そしたらな…その人がママさんに歌をリクエストしてん。『ママ、僕の18番かけて』・・・」

 長渕剛「乾杯」



 あとを聞くと、その人はマイクを持って立ち上がりしかめっ面でチョーキングを多用し歌いだしたそう。しかも眼をつぶりながら・・・

♪かたぁ~うぃきずなにぃぃ~~
 お~むぉいうぉよ~せてぇぇぇ~
 ときにわぁぁぅぅ~きずつきうぃ~ウェイ!♪



 「そいつ、長渕の粘っこく臭い歌いまわしをそのまま歌いやんねん。わたし耐えきれなくなって歌の途中で、うっとりした営業顔のママさんに小さな声で『すみませんトイレ行ってきます』といって鞄持ったまま店出てん。街灯に照らされた暗い歩道を歩いていると後ろから『〇〇ちゃ~ん!どこ行くの~!』と呼びつけられたので、一瞬だけ振り返るとそいつはマイクを片手に私を見つめてた。それから私は一切振り返らずにまっすぐ走ったわ。携帯電話なかった時代やったからそいつから家に電話かかってきても居留守つかって二度と逢わなかった。その後辛いことあるたび、苦悶に満ちた長渕顔をしたそいつの顔と絞り出すような粘っこい歌思い出し、こみ上げる笑いで乗り越えたわ・・・」

 誰もつらい思い出あるもんです。

(*5分08秒あたりから)
乾杯 長渕剛 ONE MAN SHOW 2016


namaste

2023年12月04日 | おもいつくまま
 昨夜、職場に忘れ物をとりに自転車に乗って移動していると重い荷物を苦労しながら移動している20歳くらいの女性がいたので声かけた。「手伝おうか?」・・・きょとんとして返事が無いので過ぎ去ろうとすると「Can you help me?」

 どうも、東南アジアからの留学生のようだ。自転車の荷台に荷物を積んでへたくそな英語を駆使して話しながら目的地にむかった。聞くとベトナムから日本に来てまだ1週間だった。同じ留学生の友達が明日帰国するようで日本に置いて帰る食器や鍋、フライパンなどを譲ってもらい自分の住まいに運ぶところだったようだ。目的のワンルームの玄関に到着すると「Please wait here for a few minutes.」 しばらく待っているとベトナム産のココナツキャンディーを持ってきてくれた。うれしくて遠慮なくいただきさよならした。

    

 帰路、最後に発した私の言葉を思い出してめちゃくちゃはずかしくなった。なんと私は合掌した姿勢で「namaste」と言ったようだ。すると彼女もニコニコ笑いながら「namaste」と。 

 namaste・・・ナマステ
ごめんなさいあなたがインド人でないことは知っていました。すこし間違っていただけでした。


白馬の王子様と祈りと屁

2023年11月16日 | おもいつくまま
 急に思い出した。

 ずっと前に紅葉をめでるべくカミさんといつもの六甲山頂上目指して山登りをしていた時の事、私が上り坂を前に進みカミさんが後方20mほどをゆっくり登っていた。
急に放屁をもよおし”ぶっ、ぶっ、ぶぃ、ぶぃ・・・”と左右の歩調にあわせて放屁した。自然の中での放屁はすがすがしい気持ちになりすっきりする。




 しばし歩きもう少しで山頂というところの眺めのいいところに腰を下ろしポットに入れてきた暑いコーヒをいただく。

 「ねぇ・・・わたし今までの人生振り返って結局白馬に乗った王子様は迎えに来なかったわ」
 「なんでやねん。俺が迎えに来たやん」
 「あのね・・・白馬の王子さまは歩きながら屁こかない」
 「え~~~!君は鼻がいいのか耳がいいのか」
 「・・・死んだらええねん」




 高校時代のこと。私の出身校は天理高校と言いいわゆる宗教学校だ。週一回天理教の教理の授業がある。そううち月一回は天理教の祭壇がしつらえられた畳の教室で「てをどり」という踊りのような天理教の作法を実施教育される。「てをどり」の最後に「な~む~天理王のみこと~~~」と言い合掌で黙祷する。



その時、静寂を突き破り誰か(ラグビー部の奴)が・・・
”ぷ~~~~~~~ぷっぷっぷ~~~”
とけだるい音で放屁した。教室中のみんなの背中が揺れている。私は我慢できずに声をたてて笑いだした。

 前にいた先生(天理教のえらいさん)が真っ赤な顔で振り返り「おまえたち!神の前で神聖な気持でいれば笑いなどでない!”屁”がそんなにおかしいか!!

 ”屁”がそんなにおかしいか!!・・・笑いをこらえている級友たちの我慢が最高潮に達する。

 先生がラグビー部の奴を指さし「おい!おまえか!いまのおならは我慢してない!なんや!その最後の3つは!神の前なら死ぬ気で我慢しろ!!!」

   なんや!その最後の3つは!・・・

 教室中大爆笑が起こり私は「ひ~ひ~ひ~」と窒息しそうに引きつり笑いをした。

 次の週からその天理教のえらいさんは来なくなった。


『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

2023年11月09日 | 観た映画の感想など


 上映時間 3時間 26分 マーチン・スコセッシならでは許されるのだろう。

 デビッド・グランがアメリカ先住民連続殺人事件について描いた「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」ノンフィクション小説をもとに描かれた。

 20世紀初頭のオクラホマ州。先住民であるオーセージ族は、石油の発掘によって莫大な富を得た。それに目をつけた白人たちは彼らを巧みに操り、脅し、嘘をつき次々とその先住民を殺戮していく。帰還兵であるアーネスト(レオナルド・デカプリオ)がオーセージ村にいる叔父ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼って移り住む。

 しかし、デカプリオ・・・うまく歳を取ったといっていいのか口をへの字に曲げ、あの精悍だったデカプリオが小心でおどおどし決して自分の手を汚そうとしない不愉快な悪人を演じる。一瞬ジャック・ニコルソンと見間違うような風貌なのだ。本作ではデカプリオが史上最低の”ダメ男”を演じていた。かたやアーネストを利用し、慈善事業などでインディアンの心を掴んでいるへイル。悪事を働くことになんの躊躇いもない悪党っぷりはひどい。劇中へイルは「インディアンの命なんて野良犬ほどの価値もない」と白人仲間に言い放つ。



 ラストシーンで薬の中身をモリー(リリー・グラッドストーン)に問われて、おずおず答えるアーネストの微妙な表情はデカプリオのうまさがにじみ出ていた。はたしてアーネストはモーリーを愛していたのだろうか。愛していながら金に執着し愛する妻を殺そうとする彼は人間の本質的な矛盾を表していたのかもしれない。



 映画を鑑賞しながらデカプリオがジャック・ニコルソンにリリー・グラッドストーンがオリビア・ハッシーの顔にだぶらせた。デカプリオの名演もさることながらこの映画ではネイティブアメリカンのモーリー役を演じたリリー・グラッドストーンがもっとも光っていたように思える。BGMに流れるけだるいスライドギターが一層この時代の荒廃したアメリカ・・・「パリ、テキサス」で奏でたライクーダーのスライドギターを彷彿とさせる。



 アメリカのレイシズムを描いた映画や小説はアフリカアメリカン(黒人)差別を題材にしたのがほとんどだが、今回スコセッシはネイティブアメリカン(インディアン)に視点を置いたのが私的には新しく思えた。

 上映中寝落ちしないか心配したが、3時間26分は決して長く感じさせなかった。17時30分から始まった映画は終了時は21時。寝なかったのは決してお腹がすいていたわけではない(笑)スコセッシまだまだ健在


1,000Km超の秋旅(神戸~開田高原~松本~黒部ダム~金沢~神戸)

2023年11月02日 | 訪れたところ
 先月、信州木曽の開田高原にある友人の別荘に遊びに行った。


 朝から温泉に浸り、ここは信州そばの名産地。今年の新そばを胡桃汁、朝どれのキノコそばをいただいた。
新そばということとやはり御嶽山からの雪解け水で〆たお蕎麦は香もよく絶品。


 御嶽山をあとにし松本へ。創業130年というレトロなホテル。迎えてくれたコーヒーの香りに心癒さされる。


 夕食はホテルでとらず街中へ。ここは海なし県。今夜は馬刺しと地酒でとおもい、ふらふらと街角さまよってると
良さげな店構えの居酒屋発見。ひんやりする信濃の夜はぬる燗が。あの太田和彦さんもきてました。旅先でいい出会い。


 翌朝、国宝松本城を見学し車を飛ばし黒部ダムへ。
 戦後、日本の電力不足を補うため数々の難工事を乗り越えできた巨大ダムを見学。
ここは中学時代の修学旅行で訪れたが、トンネルを抜ける乗り合いバスで隣のカミさんの横顔みながら、修学旅行でとなりに座った
好きだった女の子を思い出し酸っぱい気持ちになる(カミさんごめんなさい)


 そのまま金沢へ。相当な距離を運転し若いころ住んでいた金沢に到着。この街は思い出がおおい。
ホテルに到着後、お風呂をあびて日本海の幸を堪能しに夜の金沢の街にくりだす。40年近くまえに贔屓にしていた居酒屋はまだ営業していた。

 カウンターの大将は違う人で聞くと7年ほど前に鬼籍にいられたと。そりゃそうだ。あれから40年、ご存命なら御歳90。残念だが仕方ない。
日本海の新鮮なお造り。金沢ならではの"げんげの干物炙り焼き" "ノドグロの塩焼き" "鴨の治部煮"…
加賀の銘酒「菊姫大吟醸」「天狗舞山廃」「手取川純米大吟醸本流」

 お店を出て金沢在住のころ、通い詰めたバーがまだ営業していた。
なんと42年ぶり。扉を開けたらマスターが少しはにかむような笑顔で「よう!元気にしてた?」覚えていてくれた。泣きそうになった。


 翌朝、石川県立美術館に行く。ひょうたんから駒か…大好きな画家の特別展があった。
 金沢出身で神戸ゆかりの画家 鴨居玲。私の住む神戸にかつて鴨居さんと親交があった老舗眼鏡屋さんがある。
ショーウィンドウには、季節ごとに鴨居さんの絵画が飾られてる。ここ金沢で鴨居玲の絵画に出会えたのはラッキー
(ピエロの自画像は三宮センター街のメガネ屋さんに掛けられていた鴨井さんの絵画)


 ぶらぶらと懐かしい街並みを歩き、武家屋敷跡の旧市街でこの旅の記念に小さな九谷焼のお醤油さしを買う。そのまま神戸へ。
 
 紅葉にはまだ少しだけ早い信濃から北陸の旅でした。またひとつ思い出が・・・。

 


 トータル1,000Kmを超える大移動でした。

 【おまけ】
  開田高原で御嶽山を眺めていると、隣に50歳前後と思える上品そうなきれいな女性三人組が結構大きな声で話していた。
しかも完璧な関西弁で。
「わぁ気持ちいいなぁ…胸が詰まってきた。日本アルプスって良く言ったもんやねぇ。レマン湖おもいだす。ローザンヌ・・・行ったことないけど」
「私はモントルー・・・行ったことないけど」
「へぇ…私はサン・モリッツおもいだす。還暦までには行きたいけど」


関西人最強!神戸で出会っていたら多分いいお友達になったと思う。 
ヒョウ柄セーター着ていなくてよかった。

映画『福田村事件』

2023年09月18日 | 観た映画の感想など
 1923年9月1日11時58分32秒に発生した関東大地震によって南関東および隣接地で大きな被害をもたらした。死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。



 重度の聴覚障害を持ちながら交響曲を作曲したという佐村河内守を取材した『FAKE』、東京新聞記者望月衣塑子氏を追った『i-新聞記者ドキュメント-』、オウム真理教信者の日常を描いた『A』など、ドキュメンタリー映画を主体に表現してきた森達也氏が関東大震災100年をむかえる今年、“史実に基づいたフィクション”として描いた『福田村事件』を今日劇場で鑑賞してきた。フィクションと言え歴史的事実を題材として表現するには、ましてや100年前と言え、現在も政治的、国際的にセンシティブな問題を取り上げるには細心の配慮が求められることは森監督も意識していると思うのは自明であろう。公開後多くの人がこれについて論評している。私も自分の思うところを書いてみる。



 歴史の教科書に記されないがこの国の歴史上、決して無視できない無視してはいけない大きな事件は多くある。この作品は戦国時代の史実ではない。まして「日本書紀」の時代のことではない。たった100年前に起こった事実だ。ご長寿日本ではこれが起こった時すでに生を受けていた人やまたリアルに経験した人たちが少数と言えいまだご存命なのだ。歴史の大局からすると「つい今しがた起こった事」なのだ。しかし、今この国では権力にとって不都合な事実は現在進行中の事でも「無かったこと」にするのは当たり前のように行われる。



 この物語は実在と架空の人たちが積み重なった群像劇だ。日本の朝鮮半島強占期に朝鮮で骨をうずめるつもりで教師をしてきた澤田とその妻が千葉県・福田村という、閉鎖的で保守的、だが当時の日本の地方としては平均的と思われる平凡な郷里に帰ってくる。澤田と同窓生で村長を親から引き継いだ田向は、学問をそれなりに積み当時大正デモクラシーに影響され多少のリベラル的思考を持つが、閉鎖的で保守的な地域を束ねる長としてその狭間で葛藤がある。また一方で同窓の思慮浅い在郷軍人会の長谷川がそれを迎える。そしてそこにはその福田村に代々住まう保守的な群衆と、そしてそこに内在する個々が各々に物語を孕んで存在する。一方で四国讃岐から子供や妊婦も含めた家族のような薬の行商集団が関東に向かう。当時の行商集団は、行く先々の神社や河原などで大道芸を披露し民衆を集め商いをする、別名「河原乞食(かわらこじき)」と言われてきた。当時の身分制度で言うところの「穢多・非人」とされ穢れた商いを行うものとして、社会の最低下層で差別を受けてきた。現在高尚な演劇芸術とされている「歌舞伎」も男娼が行う物として中世までは身分制度の最下層に分類されてきた。薬の行商集団は当時の朝鮮人と同じく、社会で周辺化される被差別者なのだ。この“物語”はこの二つの群衆が同時進行でつづられ、そしてクライマックスにその二つは悲劇でもって回収されていく。ここでこの二つが決定的に違うのは、澤田夫妻や村長、在郷軍人会の長谷川はフィクションとしての個人であり、福田村を取り巻く群像は現実として存在し、虐殺された讃岐の薬の行商集団も現実としてあった。

 いかにフィクションと言え史実を題材としているものに架空の創作をくわえることは、本来の史実をゆがめる行為になりかねない。いかに「これは創作なのだ」と言い訳しようが、受け手側が正史として受け止めることは十分にあり得る事だ。しかし、表現者側がそれを忖度しその表現を制限されるべきでなく、政治的プロバガンダでない限りその自由は許されるべきことで他者が侵害することは出来ない。それも表現者の自由なのだ。司馬遼太郎のベストセラー小説『竜馬がゆく』に登場する坂本龍馬という人物は、司馬自身は“フィクションとしての坂本龍馬”を描いたわけに過ぎないのに、やがてその龍馬の人物像が大衆によって独り歩きし現在の正史のごとく評された。現実に最近まで教科書に、司馬が描いた坂本龍馬が登場するまでに至る。実際には坂本は明治維新にそれなりの影響は与えたが現実には「薩長同盟を締結」も「大政奉還の立役者だった」もフィクションに過ぎず誇大され、さもそれが正史のような錯覚を社会に与えたことも事実なのだ。



 結局のところ“史実に基づいたフィクション”といえど、それは受け手側のリテラシーにゆだねる事しかできない。だが私は、映画や文芸と言うものはしっかりフィクションであることを告げていれば、それはそれでいいと思っている。ただ今回のような明らかに歴史の被害者とその属性を受け継ぐ者が現社会に存在し、新たに傷つく者を再生産する危険性を私たちは常に警戒しなければならない。それを私たちは「リテラシー」という。

 この“事件”にはそれに至るまでの伏線が存在する。震災の4年前、日本が強占していた朝鮮では「3.1独立運動(通称萬歳事件)」があり当時の総督府はその鎮圧に多くの朝鮮人を不当に監禁し虐殺を行った。総督府はその不当な行為を正当化するため「不逞鮮人」なる言葉を創作し虐殺行為を正当な政策手段として主張しプロバガンダを行った。当時権力に加担するマスコミは、政府の失政を「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽っている。震災で社会が機能不全に陥り国民の不安が最高潮に達した時、「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」「朝鮮人が井戸に毒を投入した」との情報がもたらされ疑心暗鬼に陥り人々が恐怖に浮足立った時、仮想でもいいから「社会の敵」を作り出し、それを弱者になすりつけることは権力者の常套手段なのだ。



私は予備知識として当時の朝鮮人をはじめとする中国人やそれらと間違えられ虐殺された日本人も多くいたことを知っていたが、この映画が「朝鮮人に間違えられた日本人虐殺の悲劇」に主題を置いた映画であることに言いようのないモヤモヤがあった。作中、朝鮮人に間違えられた被差別者でもあった讃岐の行商人が、自警団に取り囲まれ死の危機にあった時、自ら日本人であることを主張した。村長である田向が「彼らは日本人かもしれない。お前たちは日本人を殺すのか!」と自警団に詰め寄った時、行商の沼部が「鮮人(朝鮮人)なら殺してもいいのか!」と吐き捨てる。自らが被差別者であることがこの一言を発しさせたのか。しかし作中、行商人の一団のなかでも、自ら被差別者であるにもかかわらず「鮮人」に対する重層的な差別もあった。私はこれがこの映画を最も象徴していて私のモヤモヤした心境をなだめた。

この映画を観たあと、近くのBarでグラスを傾けながら「もし自分が在郷軍人会の長谷川なら・・・東京に出稼ぎに行っていた夫が鮮人に殺され自分が寡婦になったと信じる乳飲み子を抱いた女性なら、自分も斧を振り下ろしていたかも」とずっと自問していた。


(『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』加藤直樹著より引用)

ムーンフォール(Amazon prime)

2022年08月01日 | 観た映画の感想など
Amazon prime  ムーンフォール



 発想としては非常に面白かった。地球終末論にアメリカンヒーローが人類を救うため果敢に未知の敵に挑んでいく。ヒロインは元妻で今は最悪の仲。そして少しうだつの上がらないオタクキャラ。

 月が通常の軌道を逸して、その引力に影響され世界各地で巨大な津波が起きたり、月の破片が無数に巨大隕石となって降りそそぐ。気になったのが酸素が希薄になるという理屈はよく分からないけど、そこはSFなんだからそうなんだろ。物理学にうとい私ではなんとなく「そうにちがいない」とすんなり飲み込んで消化し昇華てしまう。苦手なSFだけどそう考えないと何が何かわからなくなってしまう。
まぁ、面白かったです。

※劇中ソニーという青年が月の引力で吹き飛ばされる。それを探しに行ったチャイニーズ系のきれいなおねえさんが探すのだが見つける。その時、私の頭の中で「Oh! It's a Sony!!」とつぶやいてほしいとよぎるのはこの映画にはまり込んでいない証拠なのかと思ってしまった。

ふるさとはとおきにありて(楽安邑城民俗村でのこと)

2022年07月11日 | 訪れたところ
 安倍晋三氏が凶弾に倒れて、その犯人の動機に「特定の宗教団体に恨みがあり…」と各局の報道機関報は報じているが、その特定の宗教団体とは、韓国に拠点を置くカルト宗教『統一教会』である事はほぼ周知の事実だ。『統一教会』の設立にあたっては、故安倍元首相の祖父、岸信介が大きくかかわっていることも有名で、亡くなった安倍晋三氏も、教団関連団体が全国各地で開いた大会の複数会場に祝電を送付している。雑誌『FLASH』誌などは、〈父親の金脈、人脈を継いだため教団とは切るに切れない事情があると報じており、教団内では「安倍先生なくしてみ旨は成就できない」と伝えられる〉(Wikipediaから)

『統一教会』と聞いて真っ先に連想するのが合同結婚式ではないだろうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%90%8C%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%BC%8F 
合同結婚式(Wikipediaから)


 4年前、友人たちと韓国全羅南道順天にある낙안읍성민속촌(楽安邑城民俗村)に訪れたときのことだ。そこは李朝時代からの伝統韓屋が村ごと保存されている観光地なのだが、韓国在住の方たちは訪れる人はおおいが、外国からの観光客はあまりいないとのこと。



 私たち一行はその民俗村の入場券売り場で、代表者がチケットを購入していると販売係員の方から少したどたどしい日本語で声をかけられた。

「日本人の方たちですか?」
「いえ、在日韓国人です」

 その女性は年齢的に私たちと同世代に思われ、すこし陰のある表情をした物静かそうな方だった。
「久しぶりに日本語を聞きました。私は秋田県で生まれ20代の終わりまでそこで育ったのですよ。それからこの村にお嫁に来ました。その時まで日本人だったんですよ。ここは韓国人の観光客はよく訪れますが日本からの方はほんとうに久しぶりで懐かしい日本語を耳にしてお声かけたんです。ご迷惑でしたらごめんなさい」
「失礼ですが、この村に嫁がれたのは秋田で韓国人の方とお付き合いされておられたからですか?」
しばらく沈黙が続き
「・・・どうぞごゆっくり観覧なさってください。どうぞ良い旅を」
私は「どうぞお元気で。またお会い出来たらいいですね」
彼女は目を潤ませながら口元を緩め笑顔で見送ってくれた。

 彼女が統一教会なのか合同結婚式で韓国にいるのか、詳細と確証はなかったが、スチエーションからいってかなりの確率でそうであることの想像は容易だった。私たち一行は、なぜか気持ちが晴れないまま旅を続けた。

「特攻」と「ホタル」

2022年06月28日 | 訪れたところ
今月末から訪韓の予定があったが、諸般の事情でキャンセルになった。前々から仕事のスケジュールを調整していたので急遽変更するのもスタッフに申し訳ない。仕方なくぽっかり空いた予定を埋めるべく宮崎~鹿児島へと旅行に行く事に決めた。かみさんと弟夫妻の4人旅。

 今回の旅行の最大の目的であった『知覧特攻平和会館』にやっと行くことができた。ここは前々から絶対一度は訪れるつもりでいたのでいい機会だった。


 いろいろ思うところはあるがここでは書かないでおこう。ただただ、誰はばかることなく涙がぽろぽろとまらない。ただただ、胸が締め付けられて声にならない。こんな愚かなことをやってのけた当時の為政者に・・・そして戦後なんの反省も総括もしなかった「裕仁」に我慢ならないほど怒りがこみ上げる。



 昨夜、神戸に戻り高倉健、田中裕子演じる映画「ホタル」を観た。この映画は封切り時、映画館で観ていたが、昨夜再見した時の方が心が苦しく・・・この映画は特攻という作戦の愚かさと同時に私の同胞が散っていった無念さも同時に思えた。ただ、この映画の主題となるのは「特攻」ではあるが、田中裕子演じる主人公の妻、ともさんを愛し、いたわる、高倉健演ずる山岡少尉の優しさに主題を置いた映画と言える。かつての大日本帝国の反省や総括まで触れていないという批判はあるが、私は映画と言う物はそれでいいと思ってる。作中、奈良岡朋子が食堂の女主人富子として演じる、とあるシーンで『あんな若い人たちを殺してしまった』と絶叫して泣き崩れる。これは頭をガーンと殴られたように思えた。あの若者たちは『死んだ』のではなく『殺された』というまぎれもない事実といや応なしに向かい合わされる。靖国に祀られているA級戦犯と最大の戦犯者である天皇もその若者たちを『殺した』その責任を免れない。

 特攻隊員は帰りの燃料を積まずに片道切符で死に場所に向かったという。桜島のむこうを目指して。



あれから77年が経とうとしている今、改めてその若者たちの冥福を願ってやまない。東欧でいま行われている愚かな戦争が一日も早くおさまりますように。

『ウエスト・サイド・ストーリー』

2022年02月13日 | 観た映画の感想など
 シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を基に、アーサー・ローレンツ、レナード・バーンスタイン、スティーヴン・ソンドハイムが1957年に発表したブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』

 待ちに待ったこの映画が公開された。ずっと楽しみにしていた。

 1961年、ロバート・ワイズ監督 ナタリー・ウッドとリチャード・ベイマー、そしてジョージ・チャキリス、リタ・モレノで映画化された『ウエスト・サイド物語』。今回、スティーブンス・スピルバーグがメガホンを取りリメイク版としてリスペクトを込め61年ぶりに渾身の思いで公開された。

 ヒロインのマリヤとトニーがベランダで“トゥナイト“を熱唱する場面や、ラスト近くでアニータが「マリアは銃で撃たれて亡くなった」と言う設定など「ロミオとジュリエット」をオマージュしたと言われているが、ヒロインのマリア役を演じたレイチェル・ゼグラーのすました顔がオリビア・ハッシーを思い浮かばせた。

 ナタリー・ウッドのマリア役もすごくよかったが、レイチェル・ゼグラーも全く引けを取らない。旧作でのマリア役は歌うシーンはアテレコだったようだが、新作は実唱していたようだ。今改めて感動している。

 ベルナルド役のデヴィッド・アルヴァレスと旧作のジョージ・チャキリスのギャップが大きすぎたが、プエルトリカン的顔立ちはデヴィッド・アルヴァレスの勝ちw でも、旧作冒頭の有名すぎるダンスシーン。手足と首が長くスリムな体型で踊るチャキリスに軍配。かっこよすぎる。


 
 しかし、スピルバーグはやはりすごい。2時間半の間一瞬たりともダレることなくスクリーンから眼が離せない。旧作をリスペクトしているのか全体の色調を60年前のハリウッド映画を思わせるトーン。カメラワークと言い…もう完璧という言葉がぴったり。さすが師匠が黒澤だけある。

 この映画を観ていて違う側面で感じたのは、プエルトリカン移民の話す英語がすごくリアルでスペイン語訛りを意識していたこと。特に彼らは英語であるにもかかわらずスペイン語式で“R“を発音してしまう。good morningがグートモルニングだったり、Thereがゼアルだったり。英語とスペイン語が一つの会話に混ざっていたり。

 在日コリアン1世のお年寄りが話す日本語を思い出して笑ってしまった。日本語話している途中で韓国語になって挙句日本語に戻ったり。 お月さん→おちゅきさん、ご飯→くわん…

 米国で上映された時、劇中スペイン語のセリフが登場するがあえて英語の字幕がついていなかった。インタビューでスピルバーグ監督はこう語っている。「もしスペイン語に字幕をつけたら、それはスペイン語を上回る力を英語に与えることになる。この作品ではそういうことはしない。字幕をつけないことでスペイン語に敬意を払う必要があった」多文化へのリスペクトを決して惜しまない、完璧を求めるスピルバーグならでは…。プエルトリカンに拘らずドミニカ、キューバなどからの移民のアイデンティティーにこだわった『イン・ザ・ハイツ』と対比して是非を問う意見もあるようだが、ヒスパニックやオリエンタルが多数を占め、レイシズムが表出し分断する国家、今のアメリカの現住所に警鐘を鳴らすスピルバーグの思想すら感じさせる。そして、その上でちゃんとその当時の移民1世をしっかり検証していたと思う。



 スピルバーグ…本当に素晴らしい“人“としてリスペクトできる映画人だ。

貸本屋の司馬遼太郎

2022年02月09日 | 書籍など
 小学生の頃、近所の銭湯を出た真隣に貸本のお店があった。今の若い人は「貸本業」という職業は知らないだろうが、昭和40年代末ごろまでそういう業種があった。今でいうレンタルビデオ屋のようなものと言いたいが、もうあと数年もすればレンタルビデオ屋も消えゆく存在かも知れないが・・・。

 その「貸本屋」は今思い出すと小さな店舗だったが、右半分は白土三平や手塚など、当時の売れっ子漫画家の単行本が書棚に几帳面に並んでいて、左半分には名作と言われる文学や学芸書のコーナーがあった。その本たちには全てその主人が丁寧に、今でいうトレーシングペーパーのような半透明な紙で手製のカバーか掛けられていた。

 店の正面の番台のような帳場に司馬遼太郎なみの白髪のおじいさんが鎮座して、こちらに向かって半眼で鋭い眼を光らせていた。長時間立ち読みしようものなら、おじいさんが無言でハタキの柄で机を“ピシッ!“と叩き大きな音をたてこちらを牽制した。僕は、そのおじいさんの眼が怖くていつも借りたい本を手に取り、帳場で名前を書き2泊3日分のお金を置いて一目散に店を後にした。

 小学6年生の時だったか、借りた全四巻がパックになった長編小説を期限内に最後まで読みきれなくて仕方なく返却に行った。そして勇気を出しておじいさんと眼を合わせずに「もう3日延長できませんか?3日分払いますから」と言うと「どこまで読んだ?」「三巻目まで」「お金いらんから最後まで読んだらまとめて持っておいで。本はな…最後まで読まんと読んだことになれへんからな」・・・おじいさんの怖い顔は変わらなかったけど半眼の奥から優しい光が漏れてきたのを思い出す。

 中学になって隣の市に引っ越してその銭湯にも行かなくなり、貸本屋も遠ざかった。遠方の高校へ行った僕は夏休みの帰省時にその貸本屋を訪ねてみたが、たこ焼き屋さんに変わっていた。そのたこ焼き屋さんで、たこ焼きつつきながら店主のおばちゃんに聞いてみた。

「ここ貸本屋さんやったやろ。白髪のおじいさんいたやんなぁ」
「あぁ、あのおじいさんもう3年ほど前に亡くなったで。まぁ頑固なおじいさんやったけどなぁ」

 今思うと本当に“本“を愛した人だったのだろう。

 借りた本はパールバックの『大地』だった。