拙著「悟りの杖」を読んだ近在の知人からの、幾つかの質問に答えた経験に因み、より分かり易く書く技術を身に付けたいとの思いもあって、このテーマで記事を書くことを思い立ちました。それ故、この種の記事をお読みの方からの質問なども頂けると、有り難く思います。
上記「悟りの杖」の読者からの質問の一つに、「極楽浄土は死後の世界と云う。死んだ者には、そこが極楽浄土であっても、そうでは無くても、何も分からないのだから、極楽往生を願うことからして意味がないのでは?」というものがありました。
ご尤もな質問だとは思うけれど、これを分かり易く説明するのは難しい。極楽往生体験者にだって、往生体験の直前までは、想像もつかなかった不思議な問題だからです。それはどういうことかというと、新約聖書の福音書で、イエスが「わたしの名のために命を捨てる者は、死んでも死なず、却って永遠の命を得る」と語っているのと同様のことが起こるからです。
この故に、極楽往生する者は、死んではおらず、死後瞬時の早さで極楽浄土へ生まれ出ているのだと説明しておきましょうか。
上記「悟りの杖」の読者からの質問の一つに、「極楽浄土は死後の世界と云う。死んだ者には、そこが極楽浄土であっても、そうでは無くても、何も分からないのだから、極楽往生を願うことからして意味がないのでは?」というものがありました。
ご尤もな質問だとは思うけれど、これを分かり易く説明するのは難しい。極楽往生体験者にだって、往生体験の直前までは、想像もつかなかった不思議な問題だからです。それはどういうことかというと、新約聖書の福音書で、イエスが「わたしの名のために命を捨てる者は、死んでも死なず、却って永遠の命を得る」と語っているのと同様のことが起こるからです。
この故に、極楽往生する者は、死んではおらず、死後瞬時の早さで極楽浄土へ生まれ出ているのだと説明しておきましょうか。
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