びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

奥野本家へこれまでの顛末を報告しました。私、気分スッキリ!

2018年03月31日 | 先人の足跡に学ぶ
    母のアルバムをたどって、可能な限りの情報を得て、果たして事実とは如何なる事か?はじめの一歩はここからでした。そもそも奥野家三代目修平・紀代子ご夫妻から提案の2つのアルバムは、私の知りたい事を限りなく直結する重要な真実を内在していたのです。

遡ること80年前の奥野家では、7人兄弟姉妹と両親(奥野捨次郎・つる)男兄弟3人、長男(寿太郎)のみ長く生きて私の記憶にもある位だから・・次男(貞三)と三男(朔郎)ともに20才台で惜しい事に亡くなったのは事実である。女姉妹4人ともに私は会って知っているのでほぼ寿命を全うされたのではあるまいか!先ず、長女(安土マサエ)、二女(石川民子)、三女(吉田美江子)、四女(山口信子)、私は三女吉田美江子の二男で〈私が母の魂を心から弔うための行動を起こした事に発する〉

台湾・高雄の吉井百貨店との関係を奥野家を中心に述べたいと思います。これまでにも何度かこのブログを通して話しているかと思います。ブログをフォローして頂いてる皆様には、承知の事でしょうが、私の頭の整理も含めておさらいしたいと思います。
奥野家で台湾・高雄に出かけて行ったメンバー! 奥野捨次郎(建築家)妻つる、二女民子、三女美江子、四女信子、三男朔郎?・・二女民子さんが台湾で石川喜与二氏と結婚された。オーナー吉井長平氏と石川喜与二氏は義理の親戚関係があり、後の1941年新築落成した。
高雄・塩てい町に吉井百貨店の建築に民子の父(奥野捨次郎)を責任者として起用されたのではないかと想像される。と同時に民子に近い三女美江子、四女信子各氏も応援隊として台湾へおもむく結果となったのではないかと思われます。これらを裏付ける証拠のアルバム及び写真を今一度提示してみます。


※ クリックして拡大

  

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これらアルバム、写真を台湾・高雄の研究者チームが台湾政府から研究依頼を受けられていたプロジェクトチームに、これら写真や資料が目に留まり、私の方へ資料提供の依頼がプロジェクト長の教授から来たわけであります。これまで定かでなかった吉井百貨店の部分の一部が判明し、早速研究の成果として分厚いまとめが完成を見たのであります。

この史実を受けてインターネットの『 ものしり辞典・WIKIPEDIA 』の書き換えと追記がなされましたので紹介します。 ※ クリックして拡大

 

以下は報告の様子です。※ クリックして拡大
奥野家三代目当主、奥野修平氏と妻紀代子さん!
  

【歩きメモ】
2930歩・2.0km・24m・21.1g・2226kcal

日記風川柳
「上着取り 心満開 桜咲き」
「散策は セーター首に 手にソフト」
※ もちろんソフトクリーム
「ここに来て 陽気一転 高気温」

「森加計や 相撲イチョウ 鬱憤が」
※ 大声とみんなで肩組スッキリ請け合い

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断捨離-パートⅡー3
夢の様な高等学校となって行く雰囲気が当時、出来つつありました。京都府立東宇治高等学校!私は私学東山学園7年間経験新設2年目より、この初々しい高校に10年間勤務したのです。......
 

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